43.青銅の空
青緑に濁る空の下。
流れる雲は強風に流され、飛び行く鈍色のカマキリたちは当然のごとく、枯れた大地で補食と交尾を繰り返す。
互いの性別は関係なしに交わっては共食いをし、産まれた子は急激に成長して、また繰り返す。
青銅の器で行われる終わらない蟲毒は、強靭な風が巻き起こっても止まることは無い。
轟く風と世界の主がぶつかり合ったとしても、気にすることなく己が生を真っ当していく。
「死ねッ! カマ野郎!」
『風吹、一旦距離を取れ!』
風を纏い軍刀を振るうのは、若草色の髪を揺らして深緑の細目に苛立ちを色を見せる軍服の男。
左胸に付けられた銀の勲章は鷲の形を取り、彼に似た声が発せられる。
軍刀とは逆――左手に現れた拳銃、モーゼルC96を握りしめて銃口を相手へ向ける。
相対するのは、空と同じ青緑の瞳を持つ赤髪の麗人。
男装していても分かる女性の肢体を動かし、刃となった高速の風を軽やかに避けていく。
迫る軍刀は銀に輝く細剣で捌きつつ、余裕の笑みを浮かべる。
「空を夢見るとこうなるのか、面白いね。ボクとプーケ、ましてやザントとも違う。自由自在縦横無尽。いいねぇ!」
男装の麗人――エンプーサ=モロスは風吹の放った銃弾を大きく距離をとって避けていく。
去っていく弾丸はそのまま夢へと還ると思いきや、風に操られ速度を増した上で再び飛翔する。
さながら風を駆ける鉄の猟犬。
当たるまで止まらないし、避ければ避けるほど威力を向上させる。
「うぅっわ。これナイトメアの三月兎思い出すな」
「スカイ、大技行くよ!」
『遠慮なくぶちこめっ!』
青銅の世界に光が差し込む。
ひび割れた空の先からは、澄み渡る蒼穹が顔を覗かせる。
流れ込む強風は毒素を掻き出すようにカマキリたちを切り裂き、荒れた大地すら揺るがす。
透いた緑の粒子が空の穴へ集まり、風を、空気を圧縮していく。
「――夢界術式、蒼穹烈風零式!」
圧縮した空気を砲身に、なだれ込む暴風がエンプーサに向けて解き放たれる。
限定的な夢の接続を可能にするパンタスと、強力な風を生み出すモルフェス。
オネロスとして高い能力を持つ彼の放った技は、一瞬にして踊る弾丸ごとエンプーサを飲み込んだ。
地面へ着弾した際に出た熱風は、彼にはそよ風として通りすぎていく。
土煙が視界を遮り、二人は視覚以外で敵の位置を把握し武器を構える。
『刀を下ろすな、銃を構えろ風吹。これで終わるようなら、どっかの死神が既に狩ってるだろうからな』
「分かってる。あの首を落とすまで――」
声が断たれる。
右脇腹から左肩にかけて閃光が走り、鷲の勲章が空に舞う。
勲章は次第に形を変えて、半機械の鷲となって地面へと力なく落ちていく。
広がる赤い液体。
風吹と呼ばれていた男も、緑の粒子を撒き散らしながら姿を変えていく。
身長は縮み、髪が伸びていく。
体は筋肉質を失い丸みを帯び、弱々しく胸を抑えてその場へ崩れ落ちる。
青年から一変して少女となった風吹は、目元に滴を溜めて上がる煙の先を睨み付ける。
「スカイ、まだやれるよね」
「ったりまえだ。自衛官志望舐めんじゃねぇぞ」
ふらつきながらも立ち上がるスカイは、流れる赤を無視して前へ進む。
煙の中からは汚れたエンプーサが現れ、不満顔で剣を振るっては煙を払っている。
「一体型オネロスの利点だよね、こういう大技って。でも欠点は離れたらそこでお仕舞い。ただの人と悪夢になる」
大きな傷は見当たらない。
精々転んだ程度の傷で、足取りに乱れは見えない。
「君たちの敗因は経験不足。そしてボクが相手だった事かな。って教訓を述べる気は、さらさら無いけどね」
容易く振られる細剣。
人間が避けられる範疇を越えた速度で、剣先は風吹の体へと宙を切る。
飛び散る鮮やかな赤。
羽根が舞い、重石を得た事により止まった細剣をエンプーサは投げ捨てる。
鉄の臭いがするのも束の間で、青緑の粒子はそれらが居たことを夢の出来事へと変えていく。
「……なんで……どうして。また私を置いていくの、兄さん」
「兄さん? ああ、あれ君の兄だった人なんだ。へぇそうなんだ。じゃあ早く君も向こうに逝かないとね」
スカイがいた場所にすがり付く風吹。
エンプーサが指を鳴らすと、世界から羽音が響き始める。
大量のカマキリが、我先にと風吹目掛けて羽ばたいていく。
声をあげることすら叶わず飲み込まれる風吹だが、その光景を目にしたエンプーサは首をかしげる。
一瞬だけ捉えたノイズに違和感を覚え、世界を見渡す。
「それ位にしておきなよ、エンプ」
「珍しいですね。直接関わってくるなんて」
「無駄死には良くないよ、悪夢も人も。救えるのなら救うのが、夢有る行動だと思うんだ」
「それが善悪問わずと言うのが、変わらなすぎて詰まらないですよ、ネームレス」
音も匂いも、光すら異変を起こさず人らしき者が現れる。
前兆は無く、いることが当然と主張する存在が、エンプーサの傍らで朽ちた巨木に座っていた。
長身で細身の男。
顔には目も鼻も口も耳も、無貌の仮面の如く存在していなかった。
彼の印象は白を塗り潰す黒そのもの。
短い髪も体に纏う古代ギリシャの服も、何もかも。
色白の肌以外は、全て黒で埋め尽くされていた。
「お互いに取るスタンスは変わらないのだから、そろそろ境界線を覚えてくれないか、エンプ」
「……それ、エンプが聞くと本気で思ってるの?」
「所詮戯れ言だ。聞き流せプロヴァト=ケール」
男の言葉に棘のある声が飛び交う。
黒羊の悪夢プーケと、砂の悪夢ザント=アルター。
彼らもまた一瞬のノイズと共に現れる。
「おいおい、ここで夜会全員集合するのかー。来るなら早めに言っておいてくれよ」
「思い立ったが吉日と言うからね。準備ができたから声をかけに来たんだ。――プーケから聞いているかい? 祭りをやるって」
感情を込める事無く話を進める男に、誰一人異議を唱えるものはいない。
全員その内容を聞き届けてから、行動を決める。
何故なら反論しても意味がないから。
既に彼の中では決定事項で、三人が乗るか乗らないかを話に来ているだけと知っているから。
「とりあえず、皆で女の子に会いに行こうか」
先程までとは違う沈黙が流れる。
エンプーサは頭を抱え、プーケは真顔になり、ザントは小さくため息を吐くのであった。




