42.月を飾るは藍と桃の花
黄色の炎が灯された洋風の静かな一室。
テキパキとお茶の準備を進めるウートさんに、気むずかしい表情を浮かべる優月さん。
テーブルの上では、メアが呆れた目線をこちらに向けていた。
理由はとてつもなく簡単で。
わたしの隣には、アリスさんことお姉ちゃんが座っているからだ。
さっきから珍しく辛そうな表情で、わたしの頭やら肩など体に触れて何かの確認している。
「撫花、ごめんね。あの時はあそこまでやらないと、オネロスを止めてくれないと思ってたから。謝って済むことじゃないのは分かってる。撫花の為なら何でもする」
「お姉ちゃん、その話は何度も聞いてるからもう良いって」
「――はぁ。いつまでやってるのよ、アンタは」
優月さんの言う通り、夢の世界で話そうとこの部屋に来てからずっとこの調子。
わたしの分のお茶はお姉ちゃんがやるって、ウートさんが感心する手際で用意してくれた。
椅子をピッタリとくっ付けてはずっと密着して、お茶を飲む以外は自分でやらせてくれないのは、ちょっとやりにくくて困る。
何かにつけては謝るお姉ちゃんの姿に、最初はアリスさんだからと警戒していた優月さんも、今は毒気を抜かれていた。
「散々無感情で嫌な敵だと思ってた奴が、こんなシスコンだなんて」
「今のアリス様は実に、八重咲様の実姉と思える方ですね」
実の姉というか同一人物なのだが、双子の姉妹として認識されるのはとても楽だ。
しかもウートさんの言う"実姉"は、お互いを比べてみてあながち間違いではないみたいだった。
性格はもとより、今までの生活環境で体格とかも結構変わっていた。
身長はお姉ちゃんが少し高いけど、わたしの方が肉付きが良いし健康的。
お姉ちゃんの現実での体力と身体能力は、病院暮らしのためか優月さん以下。
代わりに勉強ができて、わたしに合わせた教え方をしてくれるからとても分かりやすい。
趣味や好きなものも、猫が好き以外は結構違っていた。
「姉、ね。アリス……藍花をコピーしたドッペルが撫花で、それを人間にした奴がいたから、今の撫花がいると。ややこしいわね」
「本当にややこしいメア。ナデカがナデカにくっついているとか、ややこし過ぎるからさっさと離れるメア!」
わたしとお姉ちゃんの間に割って入ろうとするメア。
けれどもメアはお姉ちゃんに簡単に捕まり、以前と同じく冷たい視線を向ける。
体を掴んだ両手には力が込められ、必死にもがいているメアを離す様子は無い。
笑ってないし、本気の目だ。
「……死にたいのならそう言いなさい、ぬいぐるみ。撫花に近寄る悪い夢は、いつでも狩ってあげる」
「メア、メア! 離すメア! ナデカ助けるメア!」
「お姉ちゃん待って待って! メアをいじめちゃダメー!」
わたしが抑えてようやくお姉ちゃんは手を離す。
メアがわたしの後ろへ隠れて手を出せないようにして、やっと諦めてくれた。
「口が悪い時があるのは、きっとナイトメアのせいね」
「ええ、恐らくそうでしょう。――しかし中々、アリス様のあの視線はそそるものがあります。いつも穏和な八重咲様があの態度と思うと、自然とかしずきたくなりますね」
「止めときなさい、駄犬。洒落にならないわよ絶対」
メアに向けていたお姉ちゃんの視線は、いつの間にか優月さんの結われた髪へと移っていた。
黄色か桃色か、どちらのヘアゴムを見ているのかは分からないけれど、アゴに手を当てて何かを思い出している。
「……何よ。私はアンタを許す気はないわよ」
二人の目線はいつまでも合うことは無い。
お姉ちゃんの淡々とした視線から、優月さんはずっと目をそらし続けている。
「撫花のコピー元っていうことで、仕方なくここに居させてあげているだけ。今でも一発ぐらい殴りたい気分だわ」
「別に良いよ、殴っても。――むしろ殴って欲しいくらい。撫花の側に居られるのなら、それぐらい無いと私も気が済まない」
「あっそう。じゃあ遠慮なく」
椅子から立ち上がり向かい合う二人。
それからわたしが止める間もなく、乾いた音ともに優月さんの平手打ちが、お姉ちゃん左頬を赤く染める。
メアも開いた口が閉じず、ウートさんは静かに目を伏せている。
「……グーで良かったのに、"ゆーちゃん"」
「アンタにその呼ばれ方を――いや、えっ、待って」
不機嫌だった優月さんは黄色のヘアゴム側の髪を触れられた途端に、あからさまな動揺を始める。
お姉ちゃんは頬を叩かれたにも関わらず、寂しそうに苦笑している。
「忘れているのなら気にしなくて良いよ」
「ちょっと待ちなさい。もうちょっと、もうちょっとなの。ああもう、アンタ何か知っているなら教えなさい!」
「じゃあ……」
「きゃっ……」
軽々とお姉ちゃんをお姫様だっこするお姉ちゃん。
気が動転しているのか、優月さんは猫のように腕の中に収まっている。
現実なら絶対に無理な事を、お姉ちゃんが言うにはモルフェスで何とかしているらしい。
続けて部屋の意匠に合わせたソファーを作っては、中央に優月さんを座らせる。
お姉ちゃんは向かい合ったまま、目線が合うように腰を下ろす。
そのまま優月さんの両手を取り、結った黄色のヘアゴムの部分を持たせると、頭を撫で始める。
心なしか表情が柔らかくなっている。
「思い出した?」
「――……"あーちゃん"。これで良いでしょう、もう」
顔を真っ赤に染めた優月さんは、手に持った髪の束で口元を隠して縮こまる。
二人とも口には出していないけれども、おそらく優月さんに黄色のヘアゴムを渡したのはお姉ちゃんで、その時の再現をしてようやく思い出せた、と言ったところだろう。
メアもウートさんも静かに見守っているのだが、二人を見ていてわたしの心の中は、少し……
ほんの少しだけ、靄がかかった。
前にも何度かあった覚えがある。
美友ちゃんとはるちゃんが、他の友達とわたしの知らない話題で盛り上がっていたときもそうだった。
大切なものがどこかへ行ってしまうのではないかと、そんな訳が無いのに心が濁る。
「ナデカ? どうしたメア?」
わたしは立ち上がって、頬を少し膨らませながら優月さんの隣へ座る。
場所はピンクのヘアゴムで結っている、彼女の右側。
縮こまっている彼女の右腕に抱き着いて身を寄せる。
「お姉ちゃんだけズルい。わたしも"ゆーちゃん"って呼びたい」
「ちょっと撫花、待って。――って、アンタも何やってるの!」
「撫花がそっちに座るのなら、私はここに座るのが丁度良いかなって」
まだ顔が赤い優月さんの左側へ、お姉ちゃんは静かに座る。
わたしみたいに腕に抱き着いたりはしていないけれど、肩をぴったりに寄せている。
黄色のヘアゴム側にはお姉ちゃんが、ピンクのヘアゴム側にはわたしが。
優月さんの両手を取るように――
「名前、優月って呼んでいい? 私は藍花で良いから。……流石に私も"ゆーちゃん"は恥ずかしい」
「当然よ、当然。だーかーらー、撫花は離れなさい。貴女は本気でその呼び方するでしょう!?」
「ダメ、かな……」
優月さんの目が泳いでいる。
わたしを見たり、お姉ちゃんを見たり。
ウートさんへ向けられた時もあったけれど、ずっとウートさんはニコニコ笑ったまま。
何か暴れているメアを物音立てずに抑えている。
「――人前では言わないでよ、それ」
「やったぁ! じゃあ三人の時に呼ぶね、ゆーちゃん!」
肩を落とす優月さんに今度は腕じゃなくて、体に抱き着く。
自然と目が合って、笑いかけると耳まで真っ赤に染まる。
止まらない心の音につられて、少しずつ少しずつ動きが重なっていく。
「ねぇ、優月」
「何よ、藍花」
「私もそれ、やった方がいい?」
「……止めて。アンタにまでやられたら心臓が持たない」
「……そう」
静かに相槌を打つお姉ちゃんが、優月さんに抱き着いているわたしの頭を軽く撫でてくれる。
そのまま席を外すかと思ったら流れる動きで優月さんの頭も撫でて、少し冷め始めていた赤い果実にまた熱が灯される。




