25.月が隠れるのは人の為
「ナデちゃん。しっかり怒られなさいね」
そう言い残してお義母さんは店の奥へと戻っていく。
カウンター向こうのキッチンで仕事をしているお義父さんは、特に何も言わなかった。
ただ黙って頭を撫でてくれただけ。
そんなわたしは今、お店の四人席で皆の小言を聞かされている。
しかもお店の一番角の席の上に奥側に座らされたので、逃げ場がない。
私の横にははるちゃんがいて、正面に美友ちゃん。
その隣に優月さんと完全に囲まれている。
「またカナデがやらかしたって聞いてきたら、何で髪の艶とかが良くなってるの」
「たぶん優月さんの家のシャンプーのせいだね。かなり良いの使ってたし」
「カーナーデー。はるも余計なこと言わないで、しっかり怒ってよ!」
「私はカナデの憑き物が落ちてるから良いかなーって。そこら辺は美友に任せるよ」
「たまには文句の一つでも言いなさいよ、それぐらいの事はしてるのよ、この子は」
あごに手を当てて考えるはるちゃんは、ずっとわたしの顔を見ては一本ずつ指を立てていく。
三つ目の指を立てたところで、意地悪な顔になる。
「じゃあカナデ。今から言う三つのことをやってくれたら、私はそれ以上何も言わない」
「やる、やるよ。それで済むならやるよ!」
「撫花、条件ぐらいは聞きなさいよ」
「まず一つ目は猫の鳴き真似をすること」
はるちゃんがよく分からないこと言い出す。
猫、ねこー?
そんなので良いの?
「にゃ、にゃー。これで良いにゃ? はるちゃん」
「よしよし。それじゃあ次はこれ付けて」
「? ワイヤレスイヤホン?」
話しているときに頬を触ってくるので、少し噛んでしまった。
その次はコードすら付いていないイヤホンを渡されて、言われたままに耳へ取り付ける。
その間にはるちゃんはスマートフォンを操作しており、どうやら何かを流すようだ。
待っていると、女の子の声が聞こえ始める。
人数は二人。
きれいな声だなーって思って聞いていると、聞きなれない音が混ざり始める。
「三つ目。それ聞き続けてね」
イヤホン越しにはるちゃんの声が聞こえてくるが、それどころではない。
熱を帯びた女の子たちの声が、水音を立てながら耳に響いてくる。
どちらも好き好きと言っており、どんどんわたしの顔が熱くなる。
意識は耳に集中して、入ってくる音を一つ残さず拾おうとしている。
ふと頬が軽く押し込まれる。
横目でその原因を見ると、はるちゃんが空いた手の指でわたしの頬を突いていた。
「はるちゃん!」
「かわいい顔ご馳走様」
「もう、またこんなの見つけてきて……」
慌ててイヤホンを外してはるちゃんを責めるけど、本人はどこ吹く風で注文したオレンジジュースを飲んでいる。
前から見慣れないものに興味を持ちやすいはるちゃんは、こうやって集めてはわたしたちで試して反応を見ることが多い。
今回は女の子同士の恋愛物だったけど、知らない事を知りたいみたいなので、はるちゃん自身にそういう傾向がある訳ではない。
あくまで話題提供程度のものだ。
「またはるは変なの見つけたのね」
「……何流れてたんだろう」
「私はこんなものかな。はい次、美友の番ね」
優月さんがわたしの聞いた音声を気になっているのを他所に、はるちゃんは美友ちゃんに手番を譲る。
そんなものを譲らないでと思うけど、今のわたしにそんなことを言える立場ではないので仕方なく受け入れる。
「改めて言われるとやりずらいんだけど、まぁそうね……」
美友ちゃんが考えている間に、高まった熱をお冷を飲んで冷ます。
はるちゃんなりに緊張をほぐしてくれたのだと思う事にするけど、いくら何でも過激だ。
だからそういう意図ではないのだろう。
「さっさとその極端な自分嫌いを何とかしなさいバカ。下を向くな真っ直ぐ人を見なさい、出来ないのならその手で誰かの手を取りなさい。何度も何度も言ったはずよカナデ」
病院で会った時から中学校で何かあるたびに言われた、わたしの誓いの言葉。
「カナデは誰かの為に遅くても歩き続けられるんだから、胸を張って先を見なさい。――以上」
涙を拭って前を向け。
行き場のない手は、傷付ける道具ではなくて人の手を握れ。
誰かを想い歩けるのだから、迷う事なんてどこにもない。
例え自分が嫌いでも、誰かを好きになれる自分がいるのを忘れるな。
「相変わらずその約束は無茶よね。精神論ばかりで」
「うるさいわね。あたしに現実的なアドバイスができると思っているの?」
「無理ね。そんな美友に影響を受けちゃったから、今のカナデがいる訳だし」
「……カナデの不器用さが、あたしのせいって言いたい訳?」
「まぁ、原因の一端ではあると思う」
「喧嘩売ってる訳ね、良いわよ買おうじゃない。頭でっかちなはるよりあたしの方が出来るって事、証明してやるわよ」
「いいけど、基本が出来てない美友が私に勝てたことってあったっけ?」
「何回かはあったでしょう!? こっちに来なさい。それを思い出させてあげる」
キッチンにいるお義父さんの下へ向かっていく二人。
わたしへの説教より勝負が優先になったらしく、優月さんと二人きりになる。
たぶん、美友ちゃんはあんな事を言っていたけど、少しは立ち直っていたわたしを見てこの程度で済ませてくれたのだろう。
「あの二人って、いつもああなの?」
「いつもというか、何か自然と競っちゃうんだよね。だいたいははるちゃんが楽しいからって美友ちゃんを煽って、勝負ごとにしちゃうの」
「まさか貴女への頼みごとの時にもやってる訳?」
「……たまに」
あの二人の競い合いは仲がいい証拠のようなものだから、わたしはそのままにしておくことが多い。
いくら喧嘩しても、どっちが勝っても負けても、最後には二人とも笑っている。
それが証拠に美友ちゃんも言葉では怒っているけど、口元が緩んでいる。
はるちゃんも、普段はしない腕まくりなんてしちゃっている。
結局わたしへの問い詰めは、お義父さん監修の料理勝負で流れていった。
*
涼しい夜風が吹く中で暗い空を見上げる。
わずかに流れが見える雲は星を隠すも、月明りはほのかに光を地上へ漏らしている。
柳さんと入野さんの料理対決が終わった後に話があると言われて、私は二人と店近くで話をする事となった。
「それで、話って言うのは何?」
「単刀直入に言うけど、明日見さん絡みで撫花が悩んでいる事って、何?」
本当に直球で聞いてきた柳さんの言う事に、少し悩む。
正直には言えない。
撫花がこの二人をドッペル関係の事に巻き込みたくない理由は、会えば会う程身に染みて理解できる。
柳さんはどう見ても、撫花の二の舞になるだろう。
一緒にいた時間は短くても、撫花の行動に近いものを彼女から見て取れた。
だとしたらドッペルの話をすれば、真偽はともかく積極的に関わってくるだろう。
入野さんはまずドッペルのことは信じないだろう。
だけど事実だと分かった途端に、頼もしい味方にはなるのは分かる。
それと同時に、撫花と柳さんのブレーキが無くなる可能性もある。
少し離れた位置で見ているから二人を止めることができる彼女を、同じ立ち位置に立たせるのは不味い。
撫花本人は友達を巻き込みたくない一心で言わないのだろうが、私からすればそれ以上に危険なことが増えると直感が告げている。
「詳細は伏せるけど、あの子の夢の事よ。夜に見る夢では無くて、目標とかの夢」
「……撫花がやりたいことを見つけた、って事? もしかして空に興味を持ち始めたのもそれ?」
「趣味になりそうなものを見つけたっていうだけだから、どうだろう」
「ああ、なるほど。確かに明日見さんなら色んなことを知っているだろうし、カナデのやりたい事の幅も増えるか」
それらしい嘘をついてみる。
夢であることには変わりないが、本来なら将来の夢ではなく悪夢。
柳さんが言った空に関しては、スカイ絡みだから適当に合わせる。
入野さんは三人の中では頭が回る方だとは分かっていたから、ある程度都合の良い方に考えを纏めてくれたのはありがたい。
「それでちょっと躓いたのよ。思った様に行かなくて、私がつられてへこんじゃったから、それで気を落としていたの」
具体的なことは言わない。
想像の幅を広げて、あくまでそれっぽい事をしていたように言葉を紡ぐ。
思う様に行かなかったのも、お互いに嫌な事が有ったのも事実。
思い出したくはなかったけど、アリスからされた仕打ちを無理矢理思い出して表情に乗せる。
「……納得いかない。それならあたしたちが手伝っても良いじゃない」
「その辺りは私も聞いていないわ。けど驚かせたいんじゃない? 二人の手を借りないでここまで出来たよって」
二人が顔を見合わせる。
もう二人の顔を見ることが難しくなってきた。
視線がずれるけど、せめて逸らさない様に顔の横を見て、それらしい見せ方をする。
目を合わせられない程、嘘を重ねていないって。
目の前の二人にではなく自分へ言い聞かせる。
「はるはどう思う」
「カナデのやりたい事が分かんないと、どうにも。明日見さんも口止めされているみたいだし、下手に詮索してカナデを怒らせるのも後味悪い。カナデが人助け以外にやりたい事が出来たって言うのなら、もう良いんじゃない?」
はっきり言って入野さんの言葉を信用できなかった。
嘘をついている人間が言えた事じゃないけれど、何だかんだ撫花を心配しているのだから裏で行動を起こしていてもおかしくない。
「じゃあ明日見さん、一つだけ約束して。撫花に何かあったら絶対に連絡して。お願い!」
「勿論そのつもりよ。あの子絡みは一人だと限界があるのはもう分かってる」
我ながらよくこんな嘘を言えたものだ。
もうすでに、この二人が連絡を望む何かが起きているのだから。
「じゃあ、しばらくの間撫花の事をお願いね」
「カナデがあまり無茶をするなら、むしろ明日見さんが相談に来そうだけど」
「流石に撫花でもそれは……あるか」
ようやく納得した二人が帰るのを、手を振って見送る。
その姿が見えなくなり、私の周りにいるのは暗い夜に染まった空間だけ。
胸を引き裂きたくなる嫌悪感が、溜まりに溜まって痛くなる。
胸元を掴み深い呼吸をしながら、再び空を見上げる。
早鐘を打つ心臓に吐き気が催し、一滴が頬を滑る。
「最低……」
口にした言葉がさらに嫌悪感を膨れ上がらせる。
眩しくも優しい光が、暗雲の狭間に呑まれるように……




