23.出来る事、諦めない事
左腕に袋を取り付けられるという、違和感のある状態で今、わたしはお風呂場にいる。
それ自体は雑菌対策と考えれば不思議はない。
問題はここは優月さんの家のお風呂で、今のわたしは優月さんに背中を流されていることだ。
「……なんでこんなことに」
「母さんと入るよりマシと思いなさい」
原因は優月さんのお母さんである、有輝さん。
わたしが治療を受けている間にお義母さんへ連絡をしていたらしく、本来ならすぐに家に戻されて叱られるところを、優月さんが説教しているという事で、家での叱咤は後回しになった。
そのままお泊まりという形になったのだが、やたらとわたしに話しかけてくる有輝さんから逃げる口実で、お風呂を選んだのだが、それでも腕が心配と一緒に入る流れになったのだ。
そこで助け船を出してくれた優月さんだったんだけど、一人は駄目とか説教とか、色々な妥協とかがあり。
説教がてらわたしたちでお風呂に入ることになった。
「有輝さんとかぁ。色々採寸とかされそう」
「……撫花って、元不健康児のわりに肉付き良いわよね。肌荒れどころかしっかり張りもあるし、髪の艶も何これ。体調不良でこれとか、私が言えることじゃないけど、ふざけてるわ」
「えっとー、これってあまり変わらない?」
綺麗に整った指でわたしの体を撫でていく優月さん。
二の腕とかお腹をふにふにしたり、滑らせたり。
実際は優月さんの方が見た目だけでも良いと分かるけど、彼女の言う通り昔のわたしを考えたら頷ける。
「美友ちゃんと出会ってからは皆が皆、わたしにあれ食べろこれをしろ次はこれだって。色んなことをやったらこの通り」
「必要な筋肉はしっかり付いてるけど、それだけって感じね。だから運動出来なそうな見た目してるのに、最低限の事はこなせるのね」
「優月さん、お母さんに似てるって言われない?」
「そりゃ言われるわよ。親子なんだから」
そういうことじゃないんだけど、ここは言わないでおく。
こういうのを好奇心旺盛って言うんだろうか。
わたしよりも綺麗な子に、ここまで言われるのは不思議な感じだ。
「それと、これ」
「――ひゃぁっ!」
肌の感触を確かめていると思ったら、急に両手がわたしの胸をわし掴んでくる。
泡立てたボディソープを付けたままのせいか、変に滑るし全身で確かめようとしているのか、いつのまにか優月さんは背中にぴったりくっ付いていた。
わたしよりもスベスベしてる肌を持つ優月さんの体が、背中をこする。
直接体温が伝わってくるし、息が当たってこそばゆい。
しかも胸を一度ではなく、色んな形で揉んでくる。
「何でしっかり栄養を摂ってた私に胸が無くて、断続気味だった撫花があるのよ」
「そっ……そんっぅ……そんなこと、言われても……んぅっ……」
優月さんの口からは理不尽な恨み言が出ている。
それとは別に、手の動きは優しいけど丁度弱いところを狙ってくるので、変な声が出てしまう。
背筋に当たる息と髪で、尚更だった。
「……その。あんまりそういう声を出されると、何て言うか……」
「んぅぅ……なら、その手を……ぁんっ……止め……ぁっ……」
「虐めたくなったから、もう少しやるね」
「――……っっっぅん!」
これ以上にないくらい満面の笑みを浮かべる優月さんに、わたしは足腰が立たなくなるまで遊ばれる。
半泣きになりながらわたしは体を洗い流して湯船に浸かる。
息を整えている間に優月さんは自分の体を洗い、湯船に入って来たのでさっきのお返しとしてわたしの腕の中に収める。
優月さんは頭一つ身長が低いので、丁度よく収まった。
「さっきのお詫びに、優月さんはお人形になっていてください」
「ごめんごめん。あんまりいい反応するからつい」
抱きしめる優月さんの体は、どこを触れてもそういう芸術品とばかりに触り心地が良かった。
雪のように元の色が映えるきめ細かい色白の肌、腕は細く手なんかもこじんまりとした綺麗な形をしている。
足も細い印象があるけれど、ふとももとかはぷにぷにしている。
お腹や腰は服を着ている時は落差が無い様に見えたけど、こうして見るとほんのりメリハリがついている。
赤みを帯びた撫で肩から自然と目が行くうなじに、ほんの少し目線をそらすと見える火照る頬。
タオルでまとめられた髪は艶が良く、光沢ができている。
さらに言えば膨らみかけと言える小さな胸も、この体からすればささいな事だと思えてくる。
触っていると時々こっちを見てくる吸い込まれそうな瞳は、濁りのない宝石みたいだ。
「反応と言えば、髪を洗ってる時も私の手にすりついてくるの、猫みたいで可愛かったわよ」
「あ、あれは気持ちよかったから、つい……」
「気持ちよかったって……」
後ろを振り向いた優月さんと視線が合う。
ふと優月さんの胸を触ってしまい、顔が熱くなっていく。
真っ赤になっているのが自分でも分かるほどで、心臓の動きも早くなる。
わたしの考えることが分かってしまったのか、優月さんも顔をイチゴみたいに赤くしていく。
目を逸らしたくても、何故か逸らせない。
触れている胸からは、鼓動が速くなっている音が伝わってくる。
それからはお互いにこれと言って喋ることもなく、お風呂から上がることになった。
*
「ねぇ、優月さん」
「何?」
「オネロス、辞めないよね」
「……さぁ?」
一緒のベッドに入ってから少し経ち、無言に耐え切れなくなったわたしはもう一度疑問を口にする。
返って来たのは、素っ気無い声。
何か嬉しくなってしまって、横へ視線を向ける。
すでに目をつぶっている優月さんは、わたしが見ているのに気が付いたのか、薄目を開ける。
「わたしは撫花が辞めるべきだと思うわ。貴女が落ち込むと、心配する人が大勢いるでしょう」
「優月さんだって、そこは変わらないよね」
「……そうね」
誰かと繋がっている限り、わたしたちには危険なことを辞める理由が沢山ある。
でも、繋がりがあるからこそ辞められない理由もある。
どちらか片方だけを選んで、もう片方を捨てる。
そんな選択をできるわたしたちだったら、いったい今頃どうなっていたんだろう。
美友ちゃんやお義父さんたちを選んだら、わたしは何もない毎日を送れていたのかな。
メアやスカイを選んでいたら、たくさんのドッペルと出会ってはこの拳をぶつけ続けてたのかな。
「思い返したら、確かにわたしが辞めた方が良いのかも」
自分が嫌いで、誰かが好きで、怖いのが嫌で、暖かいのが好き。
夢を諦めれば、気負う事の無いいつまでも笑っていられる毎日が戻ってくる。
大変な時もあるだろうけれど、この手で繋いだ皆の力を借りることできる。
現実なら、わたしは一人じゃないから。
「私はたぶん、現実が嫌い……なんだと思う。だから……」
はっきりとした答えではない。
オネロスを続けるのか、辞めるのか。
そのどちらであるのかも、最後まで音になることは無かった。
けれども、理由には思い当たる所があるのか、一つ一つ言葉を並べていく。
「誰もが何でも出来ると言ってくれる。母さんも、父さんも、出会った人全員が。手先が器用だって。――だからなのかな。出来るのが嫌なの。何かある度に私に声がかかって、無理だと言ったら勝手に怒って。出来るのは当然だとばかりに、自分勝手な想いを押し付けてくる」
わたしには羨ましくて、一生かかっても分からない想い。
何もできないから、諦めずに皆の手を取って歩き続けたいわたしとは、反対。
何でも一人でできてしまうから、繋いでいた手が離れてしまう。
何かをする度に人が離れて、何もしないとできるのにやらないと後ろ指を指されてしまう。
「だから私はあの世界が良いの。何もかも決めるのは私自身で、頼りになる隣人がいて。余計な事が何もないあの世界が」
「優月さんは、皆が嫌いなの?」
「……嫌いじゃ、ないはず。でも好きとは、言えない」
「なら、わたしは?」
視線が合う。
一度逸らされたけれど、深い瞬きの後に再び合う。
「馬鹿ね。嫌いなら、貴女がここにいる訳ないでしょう」
「わたしは、優月さんのこと好きだよ」
「知ってるわよ。そんなこと」
寝返りを打って背中を向けてくる優月さん。
暗がりだから確かとは言えないけれど、耳が少しだけ赤くなっている気がする。
「とにかく撫花は辞めるのなら、今よ」
「そうだね」
それ以上は、言葉が続かなかった。
お互いに答えは胸に秘めて、目を閉じる。
わたしたちの小さい寝息と共に、夜の暗い闇はより黒く、より深く落ちていく。




