19.猫の無い嗤いアイ -前編-
優月さんたちと出会ってから、定番となりつつある優月さんの夢の世界。
その城の中にある一室で、今夜もわたしたちは集まっている。
今日のわたしの服装は、お気に入りのうすい桃色のワンピース。
優月さんも、初めて会った時と同じ黄みがかったニットに黒のロングスカートだ。
「そんな訳で、俺の名前はスカイだ。よろしく頼むぜ」
白いクロスが敷かれたテーブルの上で、一羽のワシが優月さんたちに向けて挨拶をしている。
ワシと言っても頭の上半分は金属で、体も要所要所が機械に置き換わっている、少し大きめなワシ。
生身の部分は全体的に茶色で、くちばしは肌色に近い。
大きかった時に背負っていた機械は今は見当たらず、印象は奇妙なワシに収まっている。
「私の手違いで八重咲様のエスコートを出来なかったが為に、こんな事が起こるとは」
「ウート。もっと厳重に世界の誘導をしないと、また増えそうよ、これ」
「犬猫を拾ってきたみたいな感じメアね」
「た、確かに中学の頃は何回か拾ったことはあるけど、スカイはそういうのじゃないから!」
拾ったのは主に子猫で、その度に美友ちゃんたちに泣きついて里親探しをしていた。
どうにもたった一人でいる人には弱いのだ。
「それで。この鳥はどうするつもり? 話を聞く限りじゃ単独でも戦えそうだけど、オネロス居てこそのポベトルよ」
「その辺り何だが、八重咲じゃ駄目なのか? 一人一体とか決まってるのか?」
スカイの疑問にわたしも同意見なので、ウートさんに目線を向けて答えを待つ。
一人より二人。
二人よりも三人と、人手は多い方が良いと思う。
「問題事態は無いかと。希にその手の噂はお聞きしますし。ですが……」
「駄目メア! そんな事したらメアが捨てられるメア。嫌メア、スカイと一緒とか肩身が狭いメア!」
テーブルの上でくつろいでいたメアが、ウートさんの話を聞いて慌ててわたしに飛び付いてくる。
甘える子猫みたいで可愛いのだが、唐突に捨てるとか言われても、そんなつもりは一切ない。
わたしの腕の中で服にすがりついて離れない姿は、子どもそのものだろう。
スカイは半分口を開いた状態でメアを見てるし、ウートさんは肩をすくめて次の紅茶の準備をしている。
優月さんは頬をうっすらと染めてすぐ目をそらしたけど、ティーカップを持ったままじっとメアを見ていたと思う。
「大丈夫だよ、メア。捨てたりしないよ。それに二人と契約したらもっと凄いことになるかもしれないんでしょう?」
「いや、俺はそんな無理して八重咲を選ぶ気は無いけどな。まぁ、八重咲が良いって言うならやぶさかじゃない」
後半が妙に嬉しそうなのは何だったのだろう。
わたしもスカイと契約は良いのだが、メアがこうだと素直に頷きにくい。
「メア様の言うことは分かりますよ。この中で一番力が弱いのはメア様ですからね。弱者が廃されるのは、世の常です」
「自然発生タイプの欠点よね。基本的に数で行動するから、ポベトルになるとこうなりやすいみたいよ」
「私が珍しい方ですからね。ポベトルの主力は元人間が中心だと聞きます」
考えてみれば、当然だろう。
ドッペルによって入れ替わり、現実に戻れなくなった人がドッペルを恨むのは自然だ。
そういう人たちが、オネロスになる人と心を通わせて、今も戦っている。
それとは別に自然発生のドッペルは、動機がまばらでぶれやすく、入れ替わった人たちと比べればどこかふんわりしてしまうのは、どうしようもないだろう。
直接の被害者と、それを遠巻きで見ている人では、想いの強さには差が出てしまう。
「まぁここは一旦落ち着けメア公。俺と八重咲の場合がどうなるか分からねぇ以上、俺を予備として置いとくのはどうだ。もしお前に何かあった時の備えとして、俺に待機させておくんだ」
「それって自分の方が強いとか思ってるメアか? そんなの嫌メア」
「だから聞けって。俺が八重咲の近くに居るのは俺の相棒を見つけるまでだ。それまで我慢してくれ。というか、何も八重咲だけじゃないだろう。ほら、明日見とかもいるし」
メアを説得しようと優月さんにまで声をかけるスカイだったけど、彼女は何か渋い顔をして考えている。
優月さんもウートさん以外では抵抗があるのだろうか。
変な事をしていない限り、優月さんはウートさんのことを信用しているみたいだし、やっぱり二人組の方が良いのだろうか。
「貴方バランス悪そうなのよね。音速を超えて飛ぶんでしょう? どう考えてもモルフェスに特化していて私には合わないわ」
「そうですね。相性、といった点ではスカイ様と八重咲様は抜群だと思われます。ですが、メア様は力が弱い分バランスが良い。あくまで予想ですがお二方で変身した場合、負担が大きすぎるかと」
最悪、変身する度に現実にまで体へ大きな負担がかかるとまでウートさんは告げる。
わたしたち三人は目を合わせる。
いくら何でもそれは出来ない。
予想だとしても、本当の本当に最後の手段として残しておくべきものだ。
「ウプウアウトの予想もある事だし、さっきの案で納得してくれ、メア公」
「……分かったメア。頑張ってナデカがスカイと変身しない様にするメア」
「わたしは一回ぐらいなら良いと思うんだけど、駄目かな」
「駄目メア。ナデカはメアとでさえ無理をするメアから、そんなことをしたら死んじゃうメアよ」
どうやら日頃の行いも含めて嫌がっていたみたいで、ちょっとわたしとしては複雑だ。
メアは、夢の世界でずっと力を貸してくれた大事な友達。
スカイは、あの青い空を教えてくれた先生みたいな人。
その二人がわたしを心配してくれるのは嬉しいし、その思いに応えたい気持ちはある。
「死なないから大丈夫だよ、メア。今まで大丈夫だったでしょう?」
「次は無理かもしれないメア」
「そこは俺も同意だ。俺の時もそうだったが、あの戦い方は見直した方が良い」
乾いてきた喉を、ウートさんが淹れてくれたミルクティーで潤す。
真剣に、真っ直ぐに、混じりけのない瞳がわたしを見つめる。
見たことのある目。
それをわたしは、いつも……いつも……
「八重咲様の戦い方については、また後程。ただ話せば済むことでも無さそうですし、そろそろお嬢様のお言葉を拝聴致しましょう。何やら、引っ掛かりがあるそうです」
「そんな大袈裟なものじゃないわよ。出来ることなら杞憂で終わって欲しいわ」
「引っ掛かり? もしかしてドッペルでも現れたの?」
不機嫌な顔で優月さんはメアを見る。
それに流されるようにわたしたち全員の視線がメアに集まり、当の本人であるメアはわたしたちを見回す。
「メ、メア!? メアは何もしてないメア。悪戯もつまみ食いもしてないメア」
「悪戯はともかく、メアは物を食べられないでしょう」
仮に悪戯をしたとしても、優月さんの世界に強く関われるほどメアの力は強くない。
それだけメアの力は弱いのだ。
なら、優月さんの疑問はいったい何なのだろう。
「ナイトメアの事よ。あの厭らしい笑いをする奴が、何もせずにメアという格好の人質を帰すと思えない」
「メア公、人質とか言われるような状態になってた時あったのかよ」
「そうだけどメア、メアに何もないメア。でもそう言われると気持ち悪いメア」
「何もなかったから気にしなかったけど。確かに、何もないこと自体がおかしいよね」
誰もいない夜道で気配がするような、そんな寒気が背中に走る。
何も無いから、問題がある訳が無い。
でも、何かをする人が何もしないのは、違和感がある。
「そうですね。では――」
ウートさんが咳ばらいをする。
緩まった目が鋭く細まり、落ち着いた声に冷たさが混じる。
「ナイトメア様。もしいらっしゃるのなら、出て来ていただけないでしょうか」
空気が重くなり、揺れる黄色の炎の音だけが聞こえる。
誰も一言も発さず、あの笑い声が聞こえない事を祈りを捧げる。
どれくらい待っただろうか。
頬を伝う冷や汗を拭って、深く息を吐こうとした時、凍り付いた表情がわたしに集まる。
その理由はすぐに分かった。
『――はいはいどうも、遅いけど早かったね。こんばんは、悪い夢を見てるかな』
わたしの目にも映る暗色の炎が、顔の左半分を包み込む。
左目は視界が狭くなったけど、十分に見える。
聞こえてきた声で、わたしに被せられたものがあの仮面だと分かったし、言い様のない気持ち悪さで気持ちを隠し切れない。
すぐに離れて欲しい、いなくなって欲しい。
そんな嫌な気持ちが、とめどなく溢れてくる。
『ほらほら頑張ってナデカ。まぁどうでもいいか。君たち敵意バリバリだねー、仰る通りこうやって発信機的な物を付けさせて貰ったよ、コイツに』
いくら剥がそうとしても、へばりついて離れないナイトメアの仮面は、わたしの努力を他所に話し始める。
聞きたくなかった声が、間近でペラペラと喋っていく。
『これはあくまで分身で、倒しても意味無ーし。ポーンをとってもチェスが終わらないのと同じ。それにそれに私がいるってこーとーはー。何もしなくても良いのかな?』
「こいつっ……!」
「お嬢様、早急に準備を」
「ナデカ!」
「八重咲、よく分からねぇが変身しろ!」
みんながみんな、ナイトメアの言葉に慌てて動き出す。
優月さんは鍵を取り出し、ウートさんは優月さんの前に出る。
スカイは翼を広げて、メアは桃色に光り始める。
そして――
わたしたちが立っていたはずの床が、ぽっかり大きな穴へと入れ替わる。
猫のない笑いが作る、ウサギのいない穴。
『それではそれでは、ご案内。どうぞ不思議な世界をご堪能あれ』
外れて燃え消えるナイトメアの仮面が、最後に落ちていくわたしたちを見送る。
アレの言っていることは、意味のない言葉。
だってここはすでに夢の世界なのだから。
*
いつの間にかつぶっていた目を、背中全体に来た痛みで開ける。
沈んだ気持ちと同じ灰色の空からは、チェスの駒とトランプのカードが落ちて来ている。
ここはどこだろうと思う前に、分かってしまう。
背中の痛みを我慢して、倒れていては駄目だと無理にでも起き上がる。
一面に広がるのは、終わらない白と赤のチェス盤。
「みんな、大丈夫!」
「私は何とか。ウートが下敷きになったから」
「これも下僕の役目。中々の味わいでした」
「俺もメア公も大丈夫だ」
「スカイはいい加減離すメア」
「おお、わりぃ」
優月さんはウートさんが庇ってくれたみたいで、無事なようだった。
メアはスカイが足で掴んでくれたらしく、わたしとウートさん以外は大丈夫みたいだ。
「懐かしいですね。泣きじゃくり傷付いた私に縋りつくお嬢様を思い出します」
「そうね。無様にやられる駄犬を思い出すわ」
立ち上がる二人は言葉では軽く言っているものの、その声は低く思い出を蘇らせては奥歯を噛みしめていた。
「こうなったらやるしかないわ。先にアイツを見つけて――」
『またまたこんばんは。泣き虫お姫様』
「……ッ! お嬢様!」
意気込む優月さんの隣にいたウートさんが、突然吹き飛ばされる。
目で追う暇もなく、暗色の影とウートさんはわたしたちから離れていく。
さっきの声からすると、アリスさんだろう。
「美人に跨られるのは光栄ですが、銃を突きつけられて喜ぶ趣味は御座いませんね」
『なら剣にするかい? それとも爆弾が良いかい? どっちにしろ悦ぶ暇無く昇天しな』
右足でお腹を押さえて、右手に持った青い銃をウートさんの顔に突き付ける藍色のエプロンドレスの少女。
ナイトメアの笑う仮面をかぶった、アリスさんだ。
「その程度の速さ、俺が見逃す訳ねぇだろう!」
『そうかいそうかい。速さ自慢は余所でやりな』
「ぐっ……!」
旋回して突撃をするスカイを、アリスさんはウートさんを膝で蹴った上で簡単に避ける。
変身前でぎりぎり追い切れる速さのスカイを、見もせず避けるアリスさんはそのままウートさんから距離を取る。
アリスさんはまだ宙に浮いているのに、右手の銃を構えて引き金を引く。
連続で放たれる青の銃弾を、ウートさんは転がって避けていくが、アリスさんが着地した時点でその体からは青い粒子がうすく漏れていた。
「――開門。月食よ、閉ざせ」
鍵を使い即座に変身する優月さん。
変身が終わりまだ金色の光が消え切らない内に、パンタスを使い始める。
「拘束、支援」
点々とマス目に合わせて灯された黄色の炎から鎖が伸びる。
着地をして姿勢を屈ませていたアリスさんの体を縛り付けて、さらにはウートさんと鎖があわい黄色の光に包まれる。
「有り難う御座います、お嬢様。――いざ!」
地面から弾かれるようにアリスさんへ走り出すウートさんは、ためらいも無く右こぶしを打ち込む。
拘束されたアリスさんの体を貫いて、右手は反対側にまで到達してた。
『バーカ』
アリスさんの体はトランプのカードに変わり、地面へとばら撒かれる。
残されたのは、空中に浮くナイトメアの仮面のみ。
わたしの時にも使った、アリスさんの瞬間移動。
徐々に顔に近づいて、あのにやついた笑い声を聞かせようとするのは、本当にいらだってくる。
『これで、一人目』
「ナデカ」
「――変身」
無慈悲な声が、優月さんの方から聞こえてくる。
視線だけが、後ろから優月さんの頭に銃を突きつけるアリスさんを捉える。
反応が遅れる体だけど、たった一言で心と体が繋がっていく。
散りきる花びらを待たず、わたしは地面を蹴りつける。
そんなことはさせない。
その銃声が聞こえるよりも先に、貴女の下にたどり着いてやる。
空間に出来た壁を突き破る。
わたしがいた場所から後ろには衝撃波が走り、アリスさんまでの道のりに赤い直線が描かれる。
迷ってはいられない。
後先考えずに、握りしめた拳を彼女の顔へ叩きつける。
『……大胆な嫌がらせだねぇ、アリス。避けずに私で受け止めるとか』
ぶつかり散った桃色の光の先には、ナイトメアの仮面をかぶったアリスさんの横顔。
微動だにせず、わたしの拳を受け止めた彼女の指は、まだ引き金を引いていない。
今気が付いたとでもいうのか、ゆっくりとこちらを向くアリスさんは、仮面の笑い顔と目が合うか合わないかで動き出す。
体は右側に、左手をわたしの右腕より外側に残したまま迫って来たアリスさんは、瞬く間にわたしの顔を細指で掴み、地面から離れる。
口をふさがれ、喋れもせず優月さんから離されるわたしは何十メートルも先で叩き伏せられる。
後頭部が痛いし、メアの悲鳴も聞こえた。
それでも上げる声はくぐもってしまう。
「んーっ! んーぅっ……」
『紅蓮に凍て付け――ClubNightmare』
「――……ぅんっ!」
にじんだ血みたいに赤い氷がわたしの顔の下半分を覆っていく。
地面とくっ付いているのか、顔が動かせなくなる。
『ナデカ、大丈夫メアか! そんな氷すぐ解かすメア!』
アリスさんがわたしの顔から手を放し、立ち上がる。
パンタスを意識しながら氷に触れると、どんどん手の感覚が無くなっていく。
水色の煙が上がっているのが見えるけど、何も変わらない。
立ち上がったアリスさんはわたしを見下ろして、何かを考えている。
その脇からは、アリスさんに攻撃を仕掛けようとしているウートさんとスカイ。
ウートさんはまだ距離があるが、スカイは避けられた後に上昇したのか、空高くから落ちてくる。
『抉り裂け――SpadeNightmare』
アリスさんのポーチからスペードのカードが浮き上がり、炎の尻尾に焼かれ溶けていく。
燃え広がった炎ごと尻尾を振るうと、右手の銃から放たれるべき青い弾丸が数え切れない量で放たれる。
それは夜空に咲く花火ではなく、強い拒絶で走り抜ける流星群。
スカイは何もできず撃ち落され、ウートさんは両手を交差させて防いでいたけど、それも束の間。
アリスさんが彼の胴体を狙って引き金を引く。
最後に残ったのは、乾いた音一つのみ。
(――また。またわたしは、見ているだけ……)
揺れる暗色の猫の尻尾に、気持ちが煽られる。
『何だ。思った以上にあっさり終わったねぇ、ナーデーカー』
アリスさんは振り向かない。
けれどもナイトメアの声がわたしに油を注いでくる。
ナイトメアとは対照的に、この背中は何も言わない。
正面から向けられるのは、冷たくて息が止まりそうな想いだけ。
なんでこんなことをするの?
どうして簡単に人を傷付けられるの?
わたしの胸に燃える怒りは、憎しみよりも分からない気持ちで燃えていた。




