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Ωneiloss -夢の世界で変身!-  作者: 薪原カナユキ
4章 -花咲く月下に嘲笑は踊る-
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16.撫子の庭園

 日が沈み、黒に染まるはずの店内を白で満たす照明。

 漂うのは焼けるお肉の臭いと、煮えるソースの香ばしい匂い。


 カウンター越しに料理が出来上がっていくのを、わたしは椅子に座ってまだかまだかと待ち続ける。


 反対側のキッチンに立つのは、エプロンを着けたわたしのお義父さん。

 八重咲(やえざき)義和(よしかず)


 オールバックの髪を決めるお義父さんは、身長もあってか始めて会う人には怖がられる。

 髭を剃ったり、顔のマッサージをして表情を柔らかくしたりしているが、それでも誤解される。

 ネクタイは着けずに首元を緩め、飾らずYシャツとズボンで揃えた姿は、わたしはカッコいいと思う。


 そしてもう一人。

 新しい友達として紹介した優月さんが、着てきたラフな格好の上にエプロンを着けて、お義父さんの手伝いをしていた。


 本職のお義父さんの指示に戸惑わず、一言二言だけで補佐に回っている。


「腕が良いねぇ、明日見さん。良かったら暇なときにウチで働かないかい。バイト代、弾むよ」

「アナタ、娘の友達を口説かないの」

「悪ぃ悪ぃ。こうも良い仕事をする美人はそういないもんで」


 朗らかに笑うお義父さんを、優しく叱る声がわたしの後ろから聞こえる。

 八重咲(やえざき)紗枝(さえ)――わたしのお義母さん。

 長い髪をバレットでまとめ上げ、穏やかだけど色々動き回る人で、お祭りの時などに着た浴衣はとてもよく似合っていた。


 お義母さんは、お客さんのいなくなったテーブルを拭いて回り、乱れた調味料やメニュー配置を整えている。


「いやぁ、働くって言うのは満更でも無いぞ。何せウチにいるのは客引きと、たまに来るウェイター二人だからな。キッチンに一人欲しいと思ってたところだ」

「客引きって、撫花の事ですか?」

「ああそうだ。娘は本当に不器用で、危なくてキッチンには立たせられない、客の注文を取りに行って戻ってこない、掃除でテーブルの上を全部ぶちまける。まだまだあるぞ」 

「思ってた以上に酷いわね」


 優月さんの冷ややかな目と合わせないために、お冷やを飲みながら視線をそらす。


 お互いにパンタスの強さから予想は立てていたが、その差は歴然だった。


「ナデちゃんはたむろっているお爺さんお婆さん相手なら、無敵なのだけど」

「その点は凄いぞ、撫花は。あの何も注文しない爺婆に可愛がられて、いくつもの注文を握ってくるからな」

「そんな孫にお菓子買う感覚で、定食屋の注文します?」

「するんだよ、これが。サイドメニューだろうが、注文は注文だ」


 確かにナデちゃんは綺麗だと、近所のお爺ちゃんお婆ちゃんから言われて、これをお食べと何故か注文される。

 その注文はだいたい他のお客さんにその人たちが流すか、美友ちゃんとはるちゃんの賄いになっている。


 昔の印象もあってか、今でも注文される。


「ほらよ、上がったよ。二人は先に食っちまいな」


 お義父さんはそう言って、二人分の定食をわたしの目の前と左隣に置く。


 優月さんと料理をして機嫌が良いのか、いつも以上の出来で品も一品増えていた。


 ごはんに野菜と豚肉の炒め物。そして鮭の切り身にひじきと豆のゴマ和え、なめことワカメの味噌汁。

 そこに追加で小さなロールキャベツが小鉢に入っている。


「明日見さんも後は俺たちの分だから、気にせず食べな」

「分かりました、有り難うございます」


 手を洗い、かけたエプロンを畳む優月さんはわたしの隣の席に腰かける。


「貴女の父親、最初は怖い人かと思ったけど、外見だけね。うちと交換して欲しいぐらい」

「そうだね。でも交換とかは無理だよ」

「それぐらい羨ましいって事。うちはとにかく物を送ってくる父親で、そこから好きなの選びなさいって言ってくるの」

「やっぱりお金持ちなんだ。家も立派だし」

「父は単身赴任で海外、母はアイドルプロダクションの社員。面倒なのは二人が家に帰ってきてからよ」


 いただきますと手を合わせて、食事を始める。


 聞くと優月さんの両親は基本的に家にはいないのだが、贈り物が多く連絡もよく来るらしい。

 問題は帰ってきた時で、そのほとんどが疲れきっていて家を出るまで優月さんが付きっきり。

 ひたすら甘えてくるそうなので、愛されている自覚はあるみたい。


 一人で生活しないと、二人を支えないと。

 そうやっている内に、何でも出来るようになったらしい。


「父親は良いのよ。贈り物は海外の本だったりと、私も嫌いじゃない物が多いし。だけど母が……」

「優月さんの母親って、アイドルのプロデュースする会社だよね」

「なるほど。そりゃぁ愛娘でその顔なら、当然の選択だな」

「月一でアイドル勧誘してくるのが、本当嫌なの」


 わたしだから知っていることだが、オネロスの変身状態は女神と間違うくらいには綺麗だ。

 そうでなくても、素材が良いので確実に映えるのが分かる。


 器用な優月さんなら、踊りも歌もこなせてしまうだろう。


「だから撫花。貴女はうちの母親に会わない方が良いわ。絶対勧誘される」

「ナデちゃんがアイドル? たぶん無理じゃないかしら」

「そうだなぁ。下町のアイドルにはなっても、金絡みのアイドルは無理だ。無償で愛想振りまいて、ゲリラライヴを始めちまいそうだ」

「それは、まぁ確かに」

「お義父さんたちひどい! 優月さんも納得しないで!」


 そもそもわたしにはアイドルみたいなキラキラしたのは、向いているとは思わない。

 オネロスの格好はそれっぽいと言われればそうだけど、あの格好でやっているのは、命のやり取りだけ。


 愛を振りまくなんて、できない。


「しかしそういう事なら、どんどん家に来てくれ明日見さん。明日見さん自身も楽をしたい時もあるだろう」

「気が引けるのなら、今日みたいにお手伝いっていう形でも良いわ」

「明日もお休みだし、どうせならお泊まりする?」


 複雑な表情を浮かべ、わたしたちの顔を優月さんは見渡す。

 お義父さんもお義母さんも、静かに答えが帰ってくるのを待っている。


 わたしも、優月さんが口に出すことを見守る。

 約束したから。

 わたしを助けてくれるから、わたしもわたしのできることで助けると。


「……それじゃあ、お願いします」

「やったぁ!」


 控えめに頭を下げる優月さん。

 嬉しさのあまり抱きついて、わたしは食べ終わるまで優月さんに説教をされた。



「……これは、酷いわね」


 全身にまとわりつく違和感に、目が覚める。

 柔らかく体で強く私の体を抱き締めてくるのは、泊まるのなら一緒に寝ようと提案をしてきた撫花。


 横を見ると、間近に顔が迫っており、規則正しい寝息がよく聞こえる。

 童顔の彼女の寝顔は、無邪気で愛らしく童話の眠り姫を彷彿とさせる。


 けれども一つだけ、私の中で納得がいかなかった。

 控えめではあるが、私よりも遥かにある胸。

 人を抱き枕にする寝相も酷いが、押し当てられているこの格差も酷いと思う。


「いや、それよりも。――ちょっとは離れなさい!」


 動きが制限された片手で、撫花の体を押してみるものの、さらに絡まれて動けなくなる。

 腕に絡まる猫か!と言いたくなったが、起こすのも忍びないので、どうにか起こさず離れる方法を考える。


(どうしよう。起こすのは抵抗あるし、かといって大人しく抱き枕になるのも、癪に障る)

「…………っぅん」


 思案しながら頬を触ってみると、それに反応して僅かに擦り付いてくる。


(何、思い出してるんだろう。何でこの子を見て、あの時の事を思い出したんだろう)


 頬に触れたまま、親指で目許をなぞる。

 ヘアゴムをくれた子がしてくれたように、ありもしない涙を拭い去る。


(撫花は私と違って、泣いても自分で涙を拭えるんだろうな)


 どんな時でも、前を向いて涙に構わず進んでいくのが目に浮かぶ。

 だから、不安も沸き上がってくる。


 この子はいつか、どこか遠い所に行ってしまうのではないのか。

 光だけが見える夜の恒星と同じ。

 一人きりで遠く輝く、星の光になってしまうのか。


(……寝よ)

「……さん」


 考えるのを止め、大人しく抱き枕のまま眠りにつこうとしたところで、寝言が聞こえる。


 うまく聞き取れなかったが、人の名前だと言うのは分かった。

 だけど、撫花からどころか誰からも聞いたことのない名前。


「テンシさん……」

(天使……何?)


 なぜ天使なのか。

 ドッペルの名前だとしても、そんな見た目の奴と会ったのか。


 もし敵対していたドッペルを、さん付けで、しかも寝言で言うほど交流していたとしたら、撫花らしいとは思う。


 たしか撫花の会ったことがあるドッペルは二体だった筈。

 それならば数は合うが、自然と次の予想が出てくる。


(なら次は、ナイトメア……)


 ドッペルの名前を呼ぶのなら、次はナイトメアだろう。

 もしかしたら、アリスかもしれない。


(少なくとも、聞きたい名前じゃないわね)


 眠りにつこうと、息を落ち着ける。

 気になりはするが、これ以上は私の気持ち的に止めた方がいい。


 撫花がどう思っているかは、本当のところは分からない。

 ナイトメアには苦手意識があるみたいだが、アリスに対しては何とも言えない反応が多い。


「……お姉ちゃん」

「……ぇ」


 心臓が跳ねる。

 寂しそうに呟かれた言葉に、言い表せない不安が押し寄せる。

 思わず声が出たけど、気にしていられない。


 聞き間違いでなければ、撫花は姉と言った。


「撫花、それって――」


 言いかけた言葉は、撫花の胸元まで引き寄せられて塞がれる。


 荒れる私の心臓の音が、撫花の心臓の音に合わせて落ち着いていく。

 母親の包容?

 それとも、悲哀を紛らわせる為の強がり?

 どうしてそう感じてしまう、さっきとは違う抱き締め方。

 まとまらなくなっていく思考と共に、意識も遠退いていく。


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