1.初めて見ちゃった明晰夢!
目を開ける。
ふわふわと、宙に浮くような感覚が消える。
全身には確かな重さ。
ドクンドクンと心臓の動きを感じ、上げた右腕も視界に映る。
「ここは……」
顔を横に向ける。
そこはとても不思議で、とても歪な世界。
キツイ赤や青に緑の絵の具で塗り潰された空に、甘い香りのするビスケットの地面。
生えている草や木々はどれも固そうな飴たち。
「わたし、どうしてたんだっけ」
ぼうっとする頭で考える。
名前は、八重咲撫花。
16歳の女の子で、高校生。
うん、これは覚えてる。
「確か、学校が終わって家でご飯食べて。課題を終わらせて――」
そうだ。
お風呂の後に眠ったんだよね。
「……? じゃあここはどこ?」
見渡した世界は未だ変わらず、首を傾げる。
とりあえず立ち上がり、体には何も異変はなく格好もそれほどおかしくはない。
眠ったときの格好ではなく、お気に入りの洋服。
うすい桃色のワンピースで、靴は歩きやすいスニーカー。
色々と謎だが、この世界以上に不思議なことはない。
「んー」
興味本意で、ビスケットの地面を削る。
表面は堅いけど軽く小突く程度でヒビが入り、できた欠片を口に含む。
「甘いような、そうでないような」
不味くはない。
口の中で溶けて、広がる風味はビスケットなのだが、イメージより甘味は抑えられたものだった。
その流れで、生えていた緑の飴細工でできた草を食べてみる。
パキッ、と良い音で折れた飴は口の中で溶けていくが、予想外の出来事に思わず吐き出す。
「うぇ……! 何これ、甘過ぎ。何で作ったらこうなるの」
言うならば世界中の甘味料を混ぜた飴か。
吐き出してしまった飴は、少し目を離した隙に跡形もなく消えていた。
「よくよく考えたら、知らない所でこんな事しちゃ駄目だよね」
万が一にも誰かに見られたら、日頃から物を口にいれる癖があると思われるかもしれないし。
「うーん」
どうすれば良いのだろう。
知らない場所。
周りには何もなくて、でも何も起きなくて。
――これは夢。
そう考えるのが自然なのだろうか。
眠った後になっているのだから、そうなのだろう。
記憶にある限り、こういった事は体験したことが無いのでよく分からない。
メイセキ夢というものが有るらしいが、これがそうなのだろうか。
「漢字、どう書くんだっけ」
残った飴の草で、焼き菓子の地面を削り文字を書く。
メイセキの字が思い出せない。
たぶんメイは明だと思うんだけど。
「セキは、左に日曜の日。真ん中に木曜の木。右に近いのシンニョウを抜いたやつメア」
「あっ、こうか。ありがとう」
明晰夢。
うん、確かに見たことある字だ。
わたしは改めてお礼を言うために顔を上げる。
声は中性的で性別は分からないけど、たぶん同じくらいの年だろう。
勉強できる人なのかな。
「教えてくれてありがとう」
「いえいえ。これぐらい何てこと無いメア」
満面の笑みを浮かべたわたしは、そのまま動きを止める。
夢であることを再び認識、いや明確になるものが目の前にいた。
宙に浮く二足歩行の猫のぬいぐるみ。
いちご色でデフォルメされたその姿からは、はっきりと先程の声が聞こえてきた。
「夢だと気付くのが早いと思ったけど、理解が早い訳では無いメアね。一先ず敵では無いことを分かって欲しいメア」
「かっ……」
「怪物というのは間違ってないメア。ただの動物では無いのは確かメア」
「かわいいー!」
「……メア?」
そう言ってわたしは力一杯にいちご色のぬいぐるみを抱き締める。
まず、両腕をぬいぐるみの後ろに回して飛び付く。
顔の部分に頬擦りしながらも、後頭部から右手を伸ばして頭を撫でたり、左手でお腹の感触を確かめたりする。
「ちょっまっ、待つメア! メアはぬいぐるみじゃないメア!」
「メアって言うんだ。メアちゃん可愛いなー。このもふもふ良いなー」
「メアはどっちかと言うとオスよりメア!」
「メアくん? まぁどっちでも良いかー」
そうしてわたしがぬいぐるみを撫で終わる頃には、メアと名乗るぬいぐるみはぐったりと力尽きていた。
「メ、メア……。もういいかメア」
「うん。いいよ」
わたしは膝を抱えて座り込む。
膝とお腹の間にメアを抱え、頭を撫でつつ返事をする。
抵抗はもうしないようで、さっきとは違いゆっくりとその柔らかさを堪能させてもらう。
「とりあえずここが夢の世界で、メアはぬいぐるみじゃないことは分かってもらえたメアか?」
「うん。メアが本物の猫みたいに暖かいし、そんなぬいぐるみも、こんな光景も実際にはあり得ないからね」
「呼び捨てメアか」
「だってどっちか分からなかったもん」
もふもふしている最中に確かめたけど、性別の証であるものが無かったから、それで良いだろう。
なんか腕の中のメアが少し引いている気もするけど、気にしない。
「それでメアはいったい何なの?」
「メアは"ポベトル"っていう生き物メア。人間の視る悪夢を食べる悪夢。いわゆる獏というやつメア」
「悪夢って食べられるんだ」
「人間には無理メア。――で、君にはその悪夢を食べる手伝いをして欲しいメア」
「悪夢を?」
「メア以外メア」
悪夢を食べる悪夢なのだから、メアも悪夢だろうと両手を万歳させて遊んでいると、冷たい声で否定された。
つまりは悪夢退治。
で、良いのかな。
「食べる手伝いって、わたし料理下手だけど」
「料理の前の段階メア。いや、できるならして欲しいけど、そこまで求めないメア」
「んー、食材調達」
「面倒くさいので直球で言うメア。狩猟。狩りメア」
「えっ」
狩り。
途端に血生臭くなってきた。
わたしのイメージはなんか黒い物体があって、それを取り除くみたいな感じだと思ってたのに。
「体を動かすのは好きだけど、血が出るの嫌だなー」
「それは相手次第メア。とにかくメアみたいに形を持った悪夢を倒す。それだけメア」
「そんなことできる力は無いんだけど」
「人間にそこまで期待してないメア。ちゃんと力はあげるメア」
まとめると、メアから力を貰って、悪夢を倒す。
なるほど。
やることは簡単だ。
まぁ、せっかくの夢なんだし。
難しく考えることはないよね。
「うん、分かった。じゃあやってみようかな」
「よろしくメア。えっと――」
「撫花。八重咲撫花だよ。メア」
「よろしく、ナデカ」
メアが少し元気になる。
それと同時にとてつもなく甘い臭いが漂い始める。
それは虫たちを誘い出す甘ったるい香り。
吸えば吸うほど眠気に近い感覚に襲われるその臭いは、すぐ後ろから発せられていた。
『おヤ』
その声が無ければ眠ってしまっていただろう。
意識が揺らいだ数瞬のうちに、周りの殺風景は色鮮やかなお菓子の建物が並ぶ童話の世界に変異していた。
『おヤおヤおヤ。招カれザるお客サマがお見えダ』
メアと一緒にゆっくりと振り替える。
夢の中だと言うのに、嫌にはっきりと鳴る心臓。
わたしたちの後ろにいたのは、お菓子の巨人。
クッキーの皮膚に飴の接合部。赤い果物の瞳が光り、割れるお菓子の口からは紫のジャムが滴り落ちる。
『こんバんハ、お嬢サん。甘い物はお好きカナ?』
甘いもので誘い、人をダメにする悪魔。
それが、わたしが初めて出会った悪夢の印象だった。