黒幕
部屋に入るなり強烈な異臭が鼻をつく。生ごみを一週間捨てずに家の中に放置してもこうはならないだろう、というような腐臭だ。しかもその中には濃厚な血の臭いも混ざっている。
石造りの地下室にはたくさんのベッドがあり、死体が寝かされていた。腐食防止の魔法がかけられているのか、死体のはずなのにまるで死んでから間もないかのようにきれいなままである。
だが、さらにおぞましい光景がその奥には広がっていた。部屋の隅の方にはいかにも“実験で使い終わったので用済みです”と言わんばかりの死体が積み上げられていた。
頭を切り開かれ、脳を摘出された血だらけの死体が。
「ごほっ、おええええ」
傍らでイリアが嘔吐した。俺も胃の奥から酸っぱい物がこみあげてくるのを感じる。よく見ると室内には外科手術の道具以外に魔術実験の器具や魔符の材料と思われるものもあったが、もはやどうでも良かった。この部屋の主がこれを使ってどのような陰謀を企てていようと、これに比べれば些末な問題ではないか。俺はこの光景を見てそんな気持ちに襲われた。
「あーあ、全部見られちゃったか。勝手に他人の家に侵入するなんて、やっぱり冒険者は野蛮ね」
あまりに衝撃的な光景が広がっていて気が付かなかったが、ふと隠し扉から一人の人物が降りてくるのが見えた。この家の主である宮廷魔術師メリアその人である。メリアは相変わらず目の前の光景には不似合いな黒のゴシックドレスを纏っていた。
「メリア……」
こいつが、普通の人の皮を被ってこのようなことをしていたというのか。目の前の人物とこの惨状がすぐには結び付かず、俺は呆然とする。が、そんな俺にさらに追い打ちをかけられる。
「まったく、もうちょっと早く来てくれよ。危うく僕一人でこの二人を斬らないといけなくなるところだったよ」
「は?」
急に王子が訳の分からないことを言いだす。いや、待てよ? そもそもこの王子はメリアと親しかったし、合鍵も持っていた。俺たちはそもそも一連の事件の犯人がメリアかどうかすら確証がなかったが、メリアが犯人だと仮定すればこいつが共犯なのは自然な流れである。
「おいおい、察しが悪いなあ。僕はずっと魔術通信器で君たちの様子をメリアに生中継していたんだよ。せっかくどうでもいい部屋を調べて時間を潰そうとしていたのにそちらのお嬢さんのせいで滅茶苦茶だ。でも間に合って良かったよ」
そう言って王子はポケットから宝石を取り出すと手で弄んで見せる。そうか、そういうことか。それでメリアの帰宅を待ち、二人で俺たちをどうにかする予定だったのだろう。
「で、一体何を企んでいるんだ?」
俺はやっとのことでそう尋ねる。すると王子は真剣な顔つきになり話し始めた。
「確かに、それについて話さないといけないね。突然だけどこの国は腐っている。君たちはそう思わないかい?」
「いや、知らないが」
「まあ、思わなくもないわ」
イリアは頷く。これじゃ俺が馬鹿みたいじゃないか。
「学園でも、結局貴族の生まれだと優遇されたわ。もちろん表向き成績至上主義にはなっているけど、高価な魔道具を与えられたり、先生の指導を受けられたり。不正とまでは言えないけど露骨に贔屓されていたのは間違いないわ。もっとも、私はそういうのとは関係なくはぐれものだったからどうでもいいけど」
やはりどこの世界でもそういうのはあるのか。ちなみに俺が育った村には身分の高い人物などいなかったのである意味皆平等だった。せいぜい村長一家が多少優遇されていたぐらいだろうか。
「そう。この前街であった少年も言っていた通り、単純な構図だ。王族や貴族は富と権力を持っている。だから自分たちの富が子孫に続いていくように権力を使う。平民は生かさず殺さず、日々の営みに忙殺させて余計なことを考えないようにする。不満が高まれば魔物討伐軍などを起こして気をそらす。その繰り返しさ」
忙殺されていたかはともかく、確かに余計なことは考えていなかった。それ自体が問題とでもいうのか。
「いや、それが何でこれに繋がるんだ?」
俺は目の前の光景を指さす。
「僕の母上は平民出身でね、僕も王族ではあるけど継承権は第三王子なのに叔父さんより低かったりするしね。僕は身分の違いに鈍感に育った。お忍びで街に出て平民と会うことも多かったけど、平民にも優秀な人は多い。彼らが政治に参加出来れば政治は変わる。僕はそう思った。だが王族の中にその考えに耳を貸す者はいない。みんな自分の既得権を犯されるのが嫌だったんだ」
「なるほど」
世襲で転がりこんでくる権力を自分から手放す者はなかなかいない。
「最初は僕も政治的に変革を実現しようとした。平民出身の賢い者を僕の権限で要職につけたりもしたよ。もっとも、彼はすぐに讒言で失脚させられたけどね。それに『今の状況は良くない』て言う人もいてくれてはいたけど、みんなそう言うばかりで自分で動こうとはしなかった。やっぱり自分が何かして睨まれるのが嫌なんだろうね」
そう言えば最初に会ったとき王子は野次馬という存在に敵意を向けていたように感じた。それはそういう経緯があったからだったのか。
「そんなとき、僕はメリアと出会った。彼女は言った、そんなことをしても時間の無駄だし当人が不幸になるだけだと」
「ちなみにメリアは平民出身なのか?」
「私は平民出身だけど有能な魔術師だったから、子供がいない貴族の家に養子に入ったわ。だから一応貴族の一員として認識されている。それに、貴族のお眼鏡にかなうように差別主義的な言動をすることもしてきたし。本当に反吐が出る」
そんな過去があったのか。確かに処世術とはいえ心にもないことを言って生きるのは嫌だろう。
「だから私は彼に教えてあげたの。国を変えたいなら自分で王になりなさい、とね」
「さて、僕は王になる方法を考えた。継承権が僕より高い人を全員暗殺して回るとかね。ただ、それは難しい。それよりも、僕は民に人気があってね。おそらく僕が決起すればある程度の民はついてきてくれると考えている。だから僕は軍事的にクーデターを起こそうと思った。そのためには兵士さえ排除すればいい。そこでメリアに頼んで悪い奴らに魔符をばらまき、王国各地で騒動を起こしてもらったという訳さ。後は兵士がいなくなった王都で決起するだけ」
「お前、そのためなら各地で人々が苦しんでいてもいいって言うのか!? 第一こんなことが許されると思うのか?」
俺はこの部屋に広がる光景を指さす。さすがにそれを見ると王子はバツが悪そうにする。
「まさか僕もここまでとは思っていなかったよ。これは初めて見た」
「人聞きの悪いことを言わないで欲しいわ。私は死者の遺体を回収していただけよ。殺しはしてないわ。自分の気に入らない者の首を平気で刎ねる貴族よりはよっぽどましよ」
「仮に誰も殺してなかったとして……やっていいことと悪いことがあるだろう!」
俺はつい声を荒げてしまう。だがずっと計画を進めていた二人に対して今更この程度の反論は届かないようだった。
「何度も言っているように、僕は現状を悪いと思っていながら何も行動しない人間が許せなくてね。もちろん最善の方法とは思っていない。でも何もしないよりはずっとましだろう?」