変異フェンリル
「イエロー・ロッドって誰だ?」
この突然のテロ行為に対しての俺の最初の反応はそれだった。イリアも知らなさそうだったが、バリスが答えてくれる。
「そうか、君たちは旅人だったな。バザールの召喚術師のギルドだ。最近裏でこそこそ何かやっていると思ったらこんなことを企んでいたとはな」
「我らの要求はただ一つ! イエロー・ロッドの者がバザールの領主となることです! 皆さんにはそのための人質となっていただきます! 無駄な抵抗をしなければ危害は加えません!」
仮面男は観客に向けて叫んでいる。
なるほど、観客の命を盾に領主を脅迫するのか。それともこちらに注意を惹きつけて何かするのかもしれないが。
「ちくしょう、あんな奴らに……」
バリスは唇を噛む。嫌な奴ではあるが悪い奴ではなかったようだ。まあ、単に領主が奴らになれば今のブラックロータスの地位が危うくなるということを恐れているだけかもしれないが。
「ちなみに我らに逆らった者はこうなります!」
仮面男がパチン、と指を鳴らすと背中からナイフで一突きにされたグレゴールの死体が姿を現す。観客はこの場で一番の魔法使いが暗殺されたことにどよめきをもらす。ちなみに横には昏睡させられたと思しきユーリも横たわっている。
「くそ、あの野郎……」
バリスは唇を噛む。
「ねえ、あなたは客席の方を何とかして」
イリアが小声でバリスに耳打ちする。
「お前ら、もしかして手伝ってくれるのか?」
「当然でしょ。何が悲しくてあんな奴の言いなりにならないといけないのよ」
「と、当然だ」
俺もここぞとばかりに便乗する。俺たちの言葉にバリスはほお、と感心するような顔つきになる。
「恩に着るぜ」
そう言ってバリスは客席に姿を消す。
そしてしばらくしてから、おもむろに俺は立ち上がる。するとイリアが仮面男に向かって叫ぶ。
「あーあ、こんなところで足止めくらうなんてありえないわ。早く帰りたい」
「そうだな。という訳でさっさと自首してくれよ仮面男」
俺は強キャラっぽい笑みを浮かべながら歩いていく。くそ、これをこの大観衆に見られていると思うと顔から火が出そうなんだが。
「おいおい、この私に歯向かうなんて観客の命がどうなってもいいっていうのかい?」
「別にいいが? 俺この街に昨日来たばかりだし、ブラックロータスはクソみたいな集団だし、勝負に応じてやればこんなクソな目に遭わされて愛着も何もないしな」
大丈夫だろうか。こんなこと言って観客が殺されたら一生トラウマものだぞ。俺は内心ヒヤヒヤする。
「そうか、たかが試合に勝って自分を万能と勘違いしているのか! 哀れな! ならば現実を教えてやろう、カモンフェンリル!」
そもそも仮面男が観客を人質にとったのは俺たちへの脅迫のためというよりは領主への脅迫のためだからこんなところで観客を殺しはしないか……しないよな? 一応そういう打算があってやっているのだが、観客のことはバリスに任せるか。どうしようもない。
それはさておき、俺相手に人質を使わない理由はおそらくもう一つあった。仮面男の号令とともに目の前に巨大な狼が現れた。身長は三メートルほどあり、鋭い爪と牙は触れただけで俺の身体を軽々と斬りさきそうだった。しかも頭の上には虹色の毛が生えており、冠のようになっている。目つきは獰猛で、今すぐお前を喰らい尽くしてやるという意志を感じる。すごいフェンリルなのだろうか。
要するに、人質で脅さなくても俺なんてこいつでひとひねりだし、観客に自分たちの恐ろしさを見せつけておくという意志もあったのだろう。有力ギルドとの魔術試合で勝った俺を打ち破れば実力の証明にはもってこいだろう。
「気を付けて、あれはフェンリルの変異種よ」
イリアが耳打ちしてくれる。
「何か最近変異種多くね?」
というか今のところ変異種打率十割なんだが。まあ二回しか打席に立ってないせいなのだろうが。
「知らないわよ。とにかくあいつは通常のフェンリルと違うわ。おそらくあの虹色の毛は魔力が変質したもの。通常種と違って魔法を使ってくるわ」
さすが秀才様は違う。見ただけで詳しい解説を述べてくれる。
「詳しいですね! さすが筆記試験満点の方は違います! ついでに私に歯向かうことの愚かさも教えてあげてくれませんかね」
仮面男はなぜかこちらを煽ってくる。フェンリルはこちらを見るとぎろりと睨みつけてくる。思わず腰が引けてしまいそうだ。そして頭の上の毛がぴかりと光ったかと思うと、魔法の光が飛んでくる。
「バリア!」
俺は思わず練習しまくっていた魔法を唱える。カン、と音がして魔法が弾かれる。七色の光は霧散した。
それを見て仮面男の表情が変わる(変わったような気がしただけで実際は仮面の下だから分からないのだが)。
「そんな初級魔法で我が変異フェンリルの魔法を止めただと!?」
まあ一応最強硬度にしようと思って使ったからな。俺はもらった魔符の中から最強のものを選ぶ。魔符を手に取ると地属性なのか、巨大な岩の雨がフェンリルに降りそそぐイメージが湧いてくる。
「くらえ、ロックレイン!」
俺が唱えると魔符は消滅して上空で一筋の光となる。その光に向かって競技場内に落ちている大小の小石が舞い上がっていく。
そして小石だけでなくロックゴーレムも。まあ、大きさが違うだけで奴らも石みたいなものだからな……いや、自分の魔法に俺もドン引きだが。やはり俺は実は強かったのか?
そんな訳で、気が付くと上空には岩の塊が大量に飛び交っていた。さすがの仮面男もあせり、フェンリルに命令する。
「行け、フェンリル、先手必勝だ!」
「バリア!」
カキン!
フェンリルがとびかかってくるが、その爪はバリアで呆気なく弾かれる。フェンリルも一瞬あれ? という顔になる。
そして次の瞬間。ガラガラという物凄い音とともに大量の岩がフェンリルとついでに仮面男に降りそそいだ。ただの岩ならいざ知らず、ロックゴーレムまで含まれているのだからたまらない。
「グアアアアアアアアアアァーッ」
フェンリルは恐ろしい断末魔を上げてその場でぺしゃんこになった。一方仮面の男も防御魔法を張ろうとするも威力が足りずに、巻き込まれていた。