指の無い人との握手(前編)
前回は私がニューヨークの地下鉄で思ったことを通じて、私が思う日本の病理について書かせてもらった。もう一度簡単に書くと、日本(私は首都圏しか知らないから正確には少なくとも首都圏)の多くの人があんなだけイライラしながら毎日通勤・通学しなければならないこと自体が病理だと思うし、少なくともニューヨークに比べたら東京ではホームレスが不可視化されていて、ホームレスは努力を怠った二級市民として排除されて当然とさえ思っている人がいるかもしれなくて、もしかしたら自分のツラさは他人のツラさを見えにくくしているのかもしれない。どこからどこまでも病理に蝕まれているようにさえ思えてくる。そんな風なことを前回書いた。
だからといって、私は「アメリカ最高だぜ!フゥ〜!!」と言いたいわけではないし、全くそうは思わない。NYのど真ん中 タイムズ・スクエアでバイクのバックファイア音が鳴り響いて、それを銃声だと誤解した人たちが逃げる様子をネットで見た。この国ではいちいち銃声に怯えないといけない。銃声と間違うからという理由で花火も(独立記念日を除いて)NYの州法で規制されていると聞いた。実際に銃乱射も起こっている。今年7月、私が住んでいたブルックリン地区でも銃の乱射で1人の方が亡くなっていた。その現場は私が住んでいるところから10キロもない。昨年こちらに来る前に読んだニュースは、「NYで週末に銃関係での通報がなかった」ことを報じていた。いや、なくて当然では?これがなぜ報じられるのか。なぜなら、それが25年ぶりの出来事だったから。いや、おかしいだろ。
銃の乱射事件はNYだけでなく、アメリカ全体で問題になっている。その詳細を今ここで云々するつもりは無いけれど、少なくとも私はアメリカが自由の国だなんて大嘘だと思う。たしかにある意味での「自由」に関してはそうかもしれない。でも、「身体の自由」がこんなにも脅かされているのだ。それは「アメリカが自由の国だ」という命題に対する反証として十分ではなかろうか。日本人が平和ボケしていると批判する人もいるけれど、平和ボケできるくらいに治安が良くて、私は本当に良かったと思う。
私はこうした「身体の自由」に関するアメリカの病理を幸いなことにまだ直接体験しないで済んでいる。銃声とか聞いたこともない。(このままそうであり続けることを願う。)でも、私は別の病理を直接見ることがあった。それは戦争あるいは(元)兵士という現実だ。
8月に旅行でボストンに行った時のことだ。ホテルを探して街を歩いていると突然話しかけられ、振り向くと上半身裸の目がギョロリとして私より少し身長が高く、歳は30代半ば〜後半くらいの男性に、突然、手を差し出され、握手を求められた。しかし、指がない。たしか親指だけはあったと思う。小指を詰めたとかではなく、人差し指、中指、薬指、小指の4本がない。正直、私は一瞬そこで怯んだと思う。いきなりその展開は想像のはるか上をいく。それでもすぐに私は握手に応じた。
彼は私のTシャツを見て、「お前、ロックが好きなのか」と聞いてきた。その日私は2017年のRising Sun Rock FestivalのTシャツを着ていた。「そうだ」というと「誰が好きなんだ」と聞かれたので、下手な英語で「Rage against the Machine」と応えた。彼は「俺も好きだぜ」みたいなことを言っていたのだと思う。そのあと、彼は語り始めた。彼は私に警戒されないように紳士的に話そうと努めていたが、それでもかなりの威圧的で、全然オラオラ感が拭えていない。私が完全に聞き取れたわけではないけれど、彼が言わんとしていることはこうだ。
「俺はアフガンに戦争に行って、右手の指を失った。左手の指は完全に動かない。政府は何にもしてくれはしない。金をくれ。」