NYの地下鉄と日本の「臭いものには蓋をせよ」
〈NYの地下鉄〉に対するイメージというのはどういうものだろうか。荒れて近寄れないというイメージなのだろうか。ネットで言われているように今は安全だ。何十年も前は違っていたらしい。でも、少なくとも今は荒廃したイメージとはかけ離れている。もちろん、私も最初深夜に乗るときは用心した。でも、怖い思いをすることなく終わった。ただ、女性から聞くと、一部の路線は怖いそうだ。特に何かされたわけでもないようだが、雰囲気が怖いのだろう。それにNY市と言っても広く、特定のエリアは危険と言われていて、そういう所は私もそんな積極的に近づかないようにしているから、その辺りの地下鉄の雰囲気はもしかしたら違うかもしれない。なんにせよ、観光客が使う範囲なら深夜でも危ない思いをすることは少ないと思う。(当然、海外なのだから100%の保証なんてないのだけれど。それに日本でも完全に100%安全と言い切れることは生きている限りありえない。)
さて、今日はそんなNYの地下鉄と東京の地下鉄の違いについてである。
⑴清潔度
NYの地下鉄は汚いと言われる。まあ確かに綺麗ではない。でも、汚いかな?東京メトロは異様に綺麗で、それに比べれば汚いけれど、深夜に強烈に水を噴射して、多分薬品も使って清掃しているから、そんなに不潔・不衛生ではないと思う。この辺はもう個人の感じ方の違いで、別に東京に比べたら汚いけれど、(私が無神経なせいか)別にどうとも思わなかった。でも、多分私の感じ方は少数派だろう。ただ、古いとか、ボロいと表現するのなら同意する。特に磁気式のメトロカードはひどい。慣れないと何度も自動改札口でスワイプさせる羽目になる。この点に関して言えば、日本のSUICAとかタッチ式の方がはるかに圧倒的に便利。あと、改札を飛び越える人とか無賃乗車の人は結構見る。
⑵混雑
アメリカ人もNYの地下鉄は混んでいると言うし、ヨーロッパからの留学生もそう言うけれど、東京であの通勤地獄を戦っている人たちからすれば、別にどうということはない。おしくらまんじゅうみたいに隣の人と触れ合うのが当たり前という感覚からしたら、NYの地下鉄の混雑など恐るるに足らず(笑)隣の乗車客と身体が触れ合うほど混んでいることをほとんど経験したことがない。私が使っている路線がそうなだけで、他の路線は違うかもしれないけれど、でも概ね、東京よりははるかにマシだと思う。そもそも人口は東京の方が多いし。
あと、これは肌感覚の話で、私の勘違いかもしれないけれど、東京の通勤電車の乗車客はNYの人たちよりイライラしているように思う。ビッチリとスーツを着て、ぎゅうぎゅうに詰められていたら、当然ストレス半端ない。イライラして当然である。ああ、書いているだけでも思い出してストレスだ。
ちなみに時刻表はあてにならない。24時間動いているのだけれど、深夜帯とか蒸し暑いプラットフォームでひたすら待たされたりする。
⑶パフォーマンス
まず日本の車内ではお見かけしないパフォーマンス。これがニューヨークでは日常茶飯事だ。さすがに朝の満員電車のときは来ないけれど、お昼時、車両間を通り抜けていける程度に空いているような時は数分パフォーマンスを行う。数分さっとパフォーマンスをして、次の車両に移ってまたパフォーマンスを行う。ギターを弾いて歌う人もいれば、車内のポールや手すりを使って筋肉アピールダンス(?)をするマッチョもいる。日本の感覚からしたらさらに不思議なのは、こうしたパフォーマンスを乗車客も受け入れているということだ。 “Shut up!”とか言ってキレている人を見たことがない。それだけでなく、割とそのパフォーマンスに対する対価を支払う人がいる。車内だけではなく、駅構内でも演っているし、それをドーベルマン連れた警察が何も注意しない。見向きもしない。新宿駅で同じことをしようものなら、すぐに追い出されるだろうし、「うるせー!」とキレられるだろうし、まずそんなにお金をもらえないだろう。そして、パフォーマンスのクオリティは決して低くない。むしろ、その高さにビビったこともあった。「歌、うま!!」って。
こちらの人たちはエンターテイメントに寛容だ。例えばストリートアートとか。エンターテイメントが生活の一部になっている。少なくとも、エンターテイメントが日常生活で占めている領域は日本より広いと思う。
⑷物乞い
パフォーマー同様に日本ではまず見かけないのが、物乞いの人たちだ。NYの地下鉄には物乞いの人が「1ドル下さい」「小銭を下さい」と歩いて回ってくることが結構ある。結構、演説みたいに叫んでいる人もいる。多分、自分がなんでお金がないのかを説明している(んだろうけれど、私の語学力ではわからない)。そして、さらにそれに応じる乗車客も割といる。日本だと汚いとか臭いとかそんな感じで嫌がられるだろうし、まずそもそも目を合わせないだろう。こうした人たちって別に危険人物や暴漢ではないのだ。多分、酔っ払いの方がよっぽどたちが悪い。
⑸席を譲る
老人に対してさっと席を譲る。日本でもこれは目にすることがあるけれど、NYの方がより「さっと」譲っているように見える。でも、これは私が変にNYに対して肩入れしているかもしれないから話半分に聞いて欲しい。ただ、明らかに違うのは、子供や子連れの親にも「さっと」譲ることが圧倒的にNYの方が多い。子供に譲ったりすることはあまり日本では見ないと思う。というか、日本だと子供は立ってろって思っている人って結構いるんじゃないかな。ベビーカーを引いたお母さんに席を譲ると何が良いかって、ベビーカーの子供がお母さんの目線と近くなることだ。子供はより近い距離でお母さんと戯れられる。
席を譲るというシチュエーションで一番驚いたのは、(ちゃんと聞こえたわけではないけれど、)「あそこにおばあさんが立っているから、あなた譲ってあげて」って感じで立っている女性が、座っている屈強な男性に伝えていた時だ。男性もすぐに老婆に席を譲っていた。わざわざ老人が立っていることを、見ず知らずの人が、見ず知らずの人に伝えるということはあまり日本では見ないと思う。32年間東京にいて、私はそうした場面を見たことがなかった。これと似たようなことはNYでは他の時にも目にした。
ネットで検索すれば、こうした指摘をしている人は多いだろうし、NYの人の方が親切だと言う人もいるだろう。実際に私もそう思わないでもない。私はNYに来たばかりの「お上りさん」だから、NYが過度に良く見えているのかもしれない。でも、控えめに言って、電車という公共空間での振る舞いが東京とNYでは全然違うように思う。東京は見ず知らずの人とはなるべく関わらないことが、もっと言えば無関心こそが「マナー」なのだろう。電車に限らず、一般的に言っても、日本では無関心が「マナー」なのではないだろうか。そうだとすれば、人と関わることが基本的に億劫だと思っている私にはその「マナー」がラクで助かる。時にはそれこそが「マナー」であると思う。お節介な奴には無関心という「マナー」を守って欲しいと思う。
だから、私は日本の「マナー」がNYより劣っているとか、ニューヨーカーの方が優しいとか、そういう一般論で優劣をつけたくはない。だいたい、たかだか4ヶ月で、そんな優劣をつけるほどNYを知っているわけではない。
ただ、公共空間において、物乞いが無関心や、もっと言えば排除の対象となるのは、日本の何かを象徴しているように思う。私はいつか自分がそういうある種「弱い」立場になるかもしれないという恐怖心が少しある。ちゃんとしてないからね。でも、多分、世の中の立派な社会人の人はそうは考えないのだろう。私にとっては物乞いの人は他人事ではないけれど、ちゃんとした人たちにとってみれば、それは他人事なのだろう。もしかしたら、さらには、「自分は毎日クソ通勤電車に乗って、毎日クソ上司の目の色をうかがい、毎日、毎日嫌なことに耐えてやっているのに、この物乞いは努力もせず、クソが!」とさえ思っている人もいるかもしれない。(いないかもしれないけれど。)
そうなのだ。そうしたちゃんとした人たちは本当に立派なのだ。そうした我慢が「当然」「普通」とされてしまうけれど、私みたいなちゃんとしていないクズから見れば、ちゃんとした人たちは凄いのだ。私はちゃんとしてないからそんな我慢できない。飲食店のバイトが忙しすぎて、1日(というか3時間)で辞めたほどのクズだ。だから、ホームレスを見ても、「明日は我が身」と思うのである。
多くの人が色んなことを我慢して、毎日イライラしながら電車に乗らなければならないこと自体も日本の病理に思えるし、どういう理由であれ(前回書いたような肝臓を壊して働けない人であれ)ホームレスはそうしたちゃんとした人たちからは見えないところに追いやられていることも日本の病理に思える。自分のキツさは他人のキツさを見えにくくするのかもしれない。
確かにNYでは物乞いが車内を歩き回っていて、可視化され、それに対してお金を払っている。でも、アメリカに病理がないと言いたいわけではない。次はボストンで出会った物乞いの話をしたいと思う。あれはまさにアメリカの病理を象徴していた。