図書館の前のホームレス
NYに折角来たのだから特別な経験をしたいと思っていた(し、今もそう思っている)。観光ガイドブックに載っている通り一辺倒のことはすでに大体したが、それは低い基準で見たら「特別」なことなのだけれど、もう少し高い基準で見たら、観光客が誰でもやっている当たり前のことであり、決して「特別」ではない。しかし、「特別」なことというのはなかなかに難しい。何をすれば「特別」になれるのだろうか。
例えば出会い系アプリのTinderをやってみた。海外で国籍や人種の異なる方々とお酒を飲んだり、セックスしたりすることは「特別」感が増すと思ったのだ。実際にNYで男性の美容師さん(日本人)に髪を切って頂いている時に、そういう「特別」な経験について話していたら、Tinderを通じたセックスのことを話されていた。しかしながら、私のTinderでのアピールの仕方が悪かったこと、どうやら(その美容師さんに教えてもらったのだが)Tinderは今そんなに人気ではないということ、私のルックスの問題等々があって、結局Tinder作戦は何の成果もなく終わった。(ちなみにアメリカでは出会い系が別にごく普通のものであり、特に怪しいものだという認識のされ方はないらしい。)
私が超お金持ちなら多分天井知らずのアメリカでは「特別」なことが山ほどできると思う。でも、残念ながら私はその超お金持ちではない。もっと普通に、飲みに繰り出しに行くという手もあった。でも、私はお酒を絶っているし、そもそもバーに行ってウケを取るほどの語学力もないし、クラブとか苦手すぎて日本でも行かない。それに加えて、結構語学学校の勉強も大変だった。もちろん海外に来たばかりだから、それなりには毎日が刺激的だった。でも、とりわけ「特別」なこともせず、NYに来てから3ヶ月が過ぎようとしていた。
そんな中、7月の中旬くらいに私の数少ない友達のBくん(日本人)と食事をする機会があった。その前に会ったのは1年前で、それは日本で行われた共通の友人の結婚式の時だった。1年ぶりの再会がまさかアメリカになるとは思わなかった。私と違って彼は大変に優秀な人で、こちらで語学学校に行っているとかではなく、アメリカで働いているエリートだ。私の住む世界とは全く異なる世界で活躍しており、私は彼のことを心から尊敬している。そんな彼との食事の時間は本当に刺激的だった。
彼との食事を終えてから、私は改めて、「このアメリカで、あるいはNYで何か特別な経験を得られるだろうか」と考えた。その時、Bくんはエリートで、私はしがない学生であるという対照性(というか圧倒的な格差)に真剣に向き合った。もしエリートがこの世界を「上」から見るのなら、私は「下」から見よう。そう思った。その方法がホームレスと話すことだった。
ホームレスと話したことがある人はどれくらいいるだろうか。定かではないけれど、そんなに多くはないと思う。そういう人から話を聞くことで、「本当の」アメリカが見えてくるのではないだろうか。それは観光客ならまずしない「特別」な経験になるのではないだろうか。そう考えたのだ。
そうしてそれを二日後に実行に移した。NYには有名な公立図書館がある。(ちなみにここもマンガ・アニメ『BANANA FISH』の聖地。)私は時々そこを利用していた。そこに向かっていると一人の初老のホームレスの男性が図書館のそばで座って、お金を求めていた。求めていたと言っても、声を出すわけでもなく暑い中、じっと座って、通行人が小銭や1ドル札を入れてくれるのを待っているだけだ。私はまず水のペットボトルを2本買ってきて、彼にその水と5ドルを渡した。アメリカでは1ドル札をホームレスや物乞いの人に渡すことはよく見かける。でも、5ドルはなかなかいないし、それに水のおまけつきだ。彼は私に感謝の意を示した。私は「質問してもいいですか」と聞いた。彼は「なんだい?」と言った。
「どうしてホームレスになったんですか」
本当に失礼な質問だと思う。彼のプライバシーに立ち入った、そして触れられたくないかもしれない部分について、単刀直入に質問したのだ。私はそれが失礼だと分かりながら、自分の「特別」な経験のためにそれを行ったのだ。5ドルというお金を払っている。その失礼を行うためのお金を払っている。けれど、でも、やっぱり、私は失礼なことをしていると思う。お金を払ったなら何をしても良いって考え方にはなれない。下から世界を眺めるためにしていることなのに、そんな傲慢な気持ちでいたら、なんのために話を聞いているのか分からなくなる。それに言ったって、たかだか5ドルなのだ。
私は怒られたり、拒まれたりすることを覚悟していた。でも彼は凄く親切に話してくれた。私は彼と一緒に地べたに座った。立って上から見下ろすように見るのはやめようと思った。上から見る限り、彼は心を開いて話してくれはしないだろうと思った。彼は元々仕事をしていたのだけれど、肝臓の病気になって激痛で仕事ができなくなったそうだ。お腹をさすっていたけれど、あれは太っているからではなく、腹水が溜まっているのだと思う。彼はいっぱい話してくれた。「マックを恵んでくれる人がいるけれど、病気のせいでマックは食べられないんだ、フルーツとかなら食べられる」とか、「この国のことは好きだよ、どんな国だって悪い部分はある、アメリカにもある、それだけのことだ」とか。私の乏しい語学力では間違って理解したかもしれないけれど、「クスリは普通に買えば高くて買えないけれどけれど、ホームレスの支援団体のおかげで安く買えている」みたいにも言っていたと思う。マンハッタンのど真ん中で、観光客が少し変な目で私を見ていることに気がつきながらも、私は彼とそうやって話していた。確証はないけれど、ホームレスの人は話相手がたくさんいるわけではないだろうから、ある種コミュニケーションに飢えているのかもしれない。彼はいっぱい話をしてくれた。
私は最後にお礼の意味も込めてまた追加で5ドルを渡した。そして「一緒に写真を撮ってくれないか」とお願いした。彼は快く応じてくれた。その時の写真の彼は急にキリッとした顔をしていて、今見るととてもホームレスには見えない(笑)当たり前だけれど、彼との写真はTwitterでアップしたりはできない。なぜなら彼のプライバシーがあるから。でも、私にはその写真はすごく想い出深い大切なものだ。私はこの出来事をきっかけに何人かのホームレスに話しかけている。このエッセイでも今後何回か言及すると思う。ホームレスにも色んな事情がある。
こうして私の「特別」な経験が始まった。すなわち、世界を「下」から眺めて、「本当の」アメリカを知り始めた。
でも、あくまで私が立ち入った失礼な質問をしているという自覚は持ち続けていようと思う。
[補記]
ホームレスの全員が危険人物だと思うのは単なる偏見だが、単純に見ず知らずの人は警戒する必要がある。夜に話しかけるのはリスクが大きいから避けている。またクスリをやっている可能性も頭に入れておかなければならない。そしてここはアメリカだ。銃を持っていてもおかしくない。あと、これはもう直感的なものだが、目がおかしくなっている人も私は避けている。ホームレスではなく、物乞いだったのだけれど、一回怖い思いをしたことがあった。それについては必ず近いうちに書こうと思う。