貧困は人々の品性まで貶める
ロレンソたちにお金を渡して解散し、雨ですることがなかったのと、変な精神的な疲れで、その日は基本ホテルにいた。ただ、現地の人たちが食事をするようなお店にはまだ行けていないから、食事だけはホテルではなく外でしようと思った。まずは情報を集めなければならない。でも、私だけでなく、キューバ人の多くの人が英語を得意とはしていないようなのでコミュニケーションを図るのが難しい。もちろん、観光ガイドブックに載っているようなところではダメだ。だから、まず前日にヨルダンさんに教えてもらった日本人がいる日本食のお店に向かった。
私はそこに行く途中、若くとっぽいあんちゃんから「へーい!どっから来たの?うちでランチ食べない?」と話かけられた。私は「日本人だよ、ごめんね、行かないわー」とさくっと断って日本食屋に歩を進めた。
そこではランチでカツカレーを食べた。ただ日本人のスタッフに会いに行って、話を聞くのは失礼だからとりあえずそれを注文した。私の向かいには日本語のガイドブックを熱心に読んでいる日本人観光客と思われる男の人がいた。他に中国人や白人系の人がいた。キューバの日本食屋で多国籍の客層で何か不思議な感じだった。
お会計を済ませた後に、日本人のおばちゃんに「ここ現地のキューバの人が行くご飯屋さんってどこになりますか?キューバ人の方が普段食べているものを食べたいんです」と尋ねた。おばちゃんは「この通りと並行して走る向こう側の通りを少し行くとジョリーという店があるからそこがいいよ」と親切に教えて下さった。(ありがとうございました。)
ランチの後はまたホテルでだらだらしていたが、夜はそのジョリーに向かった。雨が強く、人は本当に少なく、街も暗かった。ジョリーの前はひさしがあり濡れずに済むからだろう、昼間話しかけてきた呼び込みのあんちゃんがたむろしており、「おう!また会ったな!うちで食べて行かないか?」と話しかけてきた。私は「ここ(ジョリー)で食べるんだ」と告げた。そうするとそのあんちゃんは「俺、今腹減ってるんだよー奢ってくれない?」と言ってきた。安く食べれると予想がついていただけではなく、どれを食べればいいのか分からないから教えてもらうためにも、「じゃ一緒に食べようか」と言って、そのあんちゃんと店に入った。「キューバ国民の支援」が目的で来ているし、こういう旅の偶然を楽しみたいと思っていたので、何も問題がなかった。
注文は彼に任せた。それが功を奏した。丸い皿の真ん中に白米が盛られ、周りにはキュウリやレタスといった野菜類だけではなく、豚肉を炒めたようなものが乗っていた。それに黒い豆のスープがセットになっていた。食べると結構美味しい。キューバの食事は美味しくないと言う人も多いようだけれど、私はその肉の味付けも、スープも、割と好きだった。(ただ、この頃の私はNYの美味しくない食事に慣れてしまっていたかもしれない。思い返すと、NYに行ったばかりの時は食事が微妙と言っていたが、8ヶ月もいればそんなことあまり言わなくなっていた。)そして支払いは二人合わせて4CUC強で、激安だった。定食を食べて250円いかないと考えるとさすがに日本の物価よりも圧倒的に安い。
お腹もいっぱいになり、私はホテルに戻ろうとした。もちろんあんちゃんの分も払っている。そのあんちゃんと別れようとした時、そいつが「喉渇いたから1ドル(1CUC)ちょうだい」と言い始めた。「飯奢ったじゃん」と私が言うと、彼は自分の喉を両手で締めて、「喉渇いた〜〜死ぬ〜〜〜1ドルくれ〜〜〜」と言った。もうあまりにふざけた舐めた態度だったけれど、もう1CUCで揉め事を起こしたくない。1CUC渡してその場を離れた。
このようにして3日目を終え、4日目を迎えた。4日目もお昼時天気が良くなかった。曇りの中、私はサン・ホゼ民芸市場に歩いて向かった。私の親が旅行系YouTubeを見て、その市場を知ったらしい。そこでキューバの正装のシャツと民芸品を買ってきて欲しいと連絡してきたのだ。そのシャツの特徴は多くのポケットがついていることで、元々武器をたくさん入れるためだったらしい。ホテルからその市場まで徒歩20分強。道はずっとアパートのような長屋が続いているのだが、やはり全体的に老朽化が進んでいた。
民芸市場は倉庫のような場所で、その中に小さい店舗がいくつも並んでいる。親が教えてくれたようなシャツも複数の店舗で販売していた。他にも木製の置物を売る店、ビレバンでも目にするようなチェ・ゲバラのTシャツなどを売る店、野球のキューバ代表のユニフォームを売る店、カバンや財布を売る店などがずらりだった。他にもフルーツジューススタンドのようなお店もあった。私は父親へのお土産としてそのシャツを購入した。同じ素材・同じ色の生地でワンピースがあったので、それは母親へのお土産として購入した。他にも木製の置物やゲバラTシャツなどを買った。
帰りは雨が降っていたが、それでも強くはなかったので歩いてホテルに戻った。そしてあえてゲバラTを着て観光客丸出しで歩いて出ることにした。すると、たまたままたロレンソに出くわした。最初に会った場所と同じところだったので、おそらくロレンソはそこで勧誘をしているのだろう。ロレンソは「ヘ〜イ」とフレンドリーに、いや、馴れ馴れしく話しかけてきた。
私は「ヘイ」と挨拶をした。ロレンソが近寄ってきた。正直、なめるなよと思っている。「この前タクシーに乗って行ったの、カバーニャ要塞じゃなくて、モロ要塞だったぞ」と不機嫌そうに伝えた。ロレンソはさすがに私がムッとしているのを察したようだ。「え〜ほんと〜?ごめんよ〜 スペイン語でモロもカバーニャって言うから間違ったんだよ〜」と言った。(おい、流石に舐めすぎだろ。モロはモロだし、カバーニャはカバーニャだろ。テキトーこいてんじゃねーよ!)と思ったが、そんなこと言ってケンカしても何の意味もない。仲間呼ばれたら私がボコられて終わりだ。「あーそうなの?OK、OK」と言って、その場を立ち去った。
ちなみに帰り道、再度、パウロに会ったのだが、その時「怒ってる〜?」と聞いてきた。舐めた返答されていたから怒っていたけれど抑えて、「少しね」と控えめに言った。「怒ってないよ」とは流石に言えなかった。すると、“Hey, my friend, sorry~~~”と言ってきた。何がマイフレンドだよ。でも、そこでモメても仕方がない。“All OK. No problem”と言って立ち去った。
そしてマレコン通りまで出た。マレコン通りは海外沿いの堤防に沿っている。雨こそ降っていなかったがそれまで天気が悪買ったせいか波が激しい。その波はマレコン通りの車道まで来ている。普通にバッシャンバッシャン波が車道に入ってきているのだ。もっと天気が悪い日なら通りを運転するのはかなり危険だろう。
そんなマレコン通りに着いた時、いきなりギターで演奏している男と、マラカスを持った男がわーっと私の横にやってきた。このマラカスを持て、と男は迫ってきた。もうお金をとる気満々なのは分かるので一旦断ったのだが、ゴリ押しがすごい。断れきれず、全然楽しくないけれど、マラカスを持って振った。そのマラカスをよく見ると、マラカスではなく、ペットボトルにコメを入れて、マラカスっぽくしただけのものだった。そして演奏が終わると、「15ドルくれ!お釣りはあるよ!!」とぎゃーぎゃー言っていた。ほっぺたにキスでベトベトにしてきたババアよりもたちが悪い。最悪なことに彼らの仲間のような連中も近くにいた。本当に嫌々20CUC渡して、5CUCをお釣りでもらった。完全に観光客を狙ったタカリである。ゲバラTなんて着た見るからに観光客は狙い撃ちといったところなのだろう。
しばらく歩くと今度は自分の誕生日をアピールしてくるおっさんがいた。そして、ゴチャゴチャ言って、私の手にコインを握らせてこようとした。そんなものを握ったら、またお金を要求されたのであろう。絶対に嫌なので今度はおっさん一人が相手だったので、頑なに断って、その場を離れた。
情に訴えかける商売の方がまだマシなのかもしれない。キスババアも、マラカス野郎も、コインおっさんも、タカリっぷりがひどい。真っ当なサービスの提供ではないのだ。キューバは観光を主要産業に据えようとしている。しかし、このタカリっぷりは観光客の満足度を著しく下げるものであるだろう。パウロは旧市街の一般人の生活を見せてくれたし、ロレンソはバーとロブスター屋を紹介してくれた。彼ら二人はサービス内容や料金設定が事前には分からず、不明瞭極まりないが、それでも何かしらのサービスを私のニーズに一定程度合わせて提供している。しかし、このタカリたちはもう一方的なのだ。結構、腹が立つ。
しかし、このタカリをキューバの国民性だとか、キューバの悪しき文化だとか言うつもりはない。タカリをキューバ的なるものに還元するのは、事実の問題としても、道徳的な問題としても間違っている。
タカリは単純に貧困が原因なのだ。そして、まともに手に色がないからだ。もしキューバが豊かな国になったら、こうしたタカリは圧倒的に減るだろう。彼らが車を所有して、ドライバーライセンスを持っていたら、タクシーの運転手をするだろう。日本語が話せるのならヨルダンさんみたいに日本人相手のガイドをするだろう。逆に、今裕福な国の人たちが観光客にタカリをしていなくても、貧しくなったらするであろう。だから、タカリはキューバの文化の問題ではなく、単純に経済の問題だと私は思う。
そうであるならば、タカリをキューバの文化の問題と非難することは、キューバ人への偏見、時には差別を助長するという道徳的な過ちを犯すことになる。もしキューバが豊かになった時、それでもなお同じようにタカっていたら(そうでないと思うが)、その時初めてタカリがキューバの国民性だと言えるだろう。何にせよ、現時点ではそうしたタカリをキューバの国民性に還元するのは時期尚早である。
ただ、無駄にタカられるのは気分が良いことではないことはたしかだ。彼・彼女らが好き好んでタカっているわけではないとしても、喜んでタカられたいとは思わない。
そして、タカリ自体、品が良いことではない。それでもなお、その品が良くないことを貧困にある人々は行わざるを得ない。また、それが良くないことであるという意識さえ、もし当初持っていたとしても、いつか後退していくかもしれない。
貧困は空腹や劣悪な住宅環境を人々に強いるだけではなく、人々の品性まで貶める。




