いい加減
パウロにタクシーを捕まえてもらい、カバーニャ要塞が目的地だということも伝えてもらった。パウロは私のことを友達だと運転手さんに紹介していたらしい。運転手さんは「友達なんだろ?」と言ってきた。「え、さっき会ったばかりだけど?」、「なんだ」という会話があった。なんかいい加減だな(笑)運転手さんは「要塞の前で18時に待っているから帰りも俺のタクシーに乗ってくれ」と言った。値段交渉もすでにしていたので、「分かった、約束する。他のタクシーには乗らない」と伝え、要塞の前で私は降りた。
以前書いたように私はオードリーの大ファンであり、若林さんのキューバ旅行エッセイも読んでいた。そのタイトルが『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』だ。裕福な家庭で育てられるけれどその枠内にしかいられない表参道のセレブ犬と、貧しいながらも首輪をつけられずに自由に生きていけるカバーニャ要塞の野良犬を対比したタイトルだ。私はカバーニャ要塞それ自体もさることながら、カバーニャ要塞の野良犬を見に行ったところが強い。
要塞をぐるーっと歩き、目の前に広がる海を観て、新市街の方に沈む夕陽を堪能した。だが、残念ながら野良犬をついぞ見ることはなかった。そして私は要塞をあとにして、タクシーを待っていた。しかし、ここで一つ問題に気がつき、一つ問題が生じた。
まず、私がいたのはモロ要塞であった!入り口の看板にモロ要塞と書いてある。確かにホテルを出るときに確認した地図を思い浮かべると、モロ要塞が海沿いであり、カバーニャ要塞は海沿いではない。私がいる要塞から見えていた要塞がカバーニャである。私は確かにカバーニャに行きたいと言ったぞ、パウロ!!!しかも予報によればその次の日から雨であった。晴れた日に行けるカバーニャ要塞のチャンスだったのに!!!いい加減だな!!!!
次に、タクシーが来ない!約束しただろ!!!お前が金になるから持ちかけてきた約束だろ!!!!いい加減だな!!!!!夕陽が綺麗だったので20、30分は待っていたが、ついぞタクシーは来なかった。結局、そこに止まっていたタクシーと価格交渉を行ってホテルに戻った。
このいい加減というのは前回書いたキューバで経験した4つの特徴に加わる五番目の特徴だ。
少し仮眠をとって、予約していたキャバレー トロピカーナというショーを観に行った。日本のキャバレーとイコールではない。芸人の東野さんと岡村さんがされている「旅猿」という番組の中でも出てきたショーだ。このショーは有名だそうで、ガイドブックにはもちろん、ネットにも情報が出ている。しかし、残念ながらそのショーも退屈極まりないのだった。ショーの内容自体はどうやらキューバにおける奴隷の歴史を描いたもののようだったので野暮なものではなかったのだが、ショー自体は音楽に合わせてハイグレのダンサーが踊ったり、マッチョの男が踊ったりして、クオリティが低い訳でもないが、斬新さはないし、わざわざ見るような価値のあるものとは思えなかった。もっと言えば、前時代的な、過去の遺物を見せられた気分だった。逆に言えば、こんなものしか観光としてアピールするものがないのであるろう。ハバナクラブがボトル1本付いてきたが、一人でそんなに飲めるわけがない。ウンザリしてホテルに真夜中戻った。
翌朝は予約していたウォーキングツアー&クラシックカー乗車があった。昼食込みでトータル4、5時間くらいだったと記憶している。キューバの日常はすでに垣間見ていたが、ちゃんとした観光らしい観光はしていない。英雄ホセ・マルティの像を見たり、旧国会議事堂を見たりしてから、歴史的な建物が残っていたり、現地の人が娯楽・買い物・銀行・病院等で集まっているするエリア(オビスポ通り周辺)を歩いた。とはいっても、少なくとも私にとってはとりわけ魅力的に感じられるものはほとんどなかった(革命博物館くらい)。でも、これはハバナがつまらないことを意味しない。旧市街の栄えているエリアがどんな感じなのかを知るにはいいツアーだった。街の雰囲気に触れられた。家の二階と通りで大声で野球談義をしている人がいたり、人間っぽい感じがした。また、徒歩だから土地勘を少しだけ得ることができたし、マストで行くべき建物が特にないことが分かったこと自体もある意味で大きな収穫だった。だから、もしハバナに行かれるならウォーキングツアーに参加することをお勧めしたい。特定の何かを見に行くというよりも、街の雰囲気を見に行くというスタンスの方が良いと私は思う。
植民地時代に建設された建物は、建築物が好きな人は好きなのかもしれない。そうした歴史的に価値があるのであろう建物が今はホテルなどとして使用されているそうだ。ノーベル賞作家ヘミング・ウェイが利用していたホテルは改装中かなんかで入れなかった。彼が足繁く通ったと言われるバーの前を通ったが、お酒を基本的にはもう飲まないようにしているので、それもふーんと行った感じだった。ラーメンなどの日本食を提供している日本人が経営しているお店の前を通った。ガイドのヨルダンさんが挨拶していたので、私もその日本人のおばちゃんに挨拶をした。
ヨルダンさんは日本語上手くて、歩きながらキューバの歴史や英雄について簡単に説明してくれて、それは満足度が高かった。彼は少し裕福だったのかもしれない。なぜかランチをご馳走してくれた。でも、日本食の店だった(笑)そこはさっきのおばちゃんの店とは違う店で、日本人のスタッフもいないかった。私は観光客キューバ人が普段行くようなお店に行きたいとヨルダンさんにお願いして店を選んでもらった。でも、それはキューバの料理でという意味だった。実際にそこの日本食屋はキューバ人も使うのかもしれないが、そういうことではなかった。それでも、「キューバで食べる日本食ってどんなだろうと」も思ったので私はヨルダンさんに従った。カツ丼を食したけれど、可もなく不可もないちょっと盛り付けが雑なカツ丼だった。
ウォーキングツアーで見て印象に残ったのはキリスト像と配給所、銀行の三つだ。キリスト像はローマ・カトリックの教皇がキューバに来た時、正式に認めなかったらしい。その理由は、その製作者(女性)がキリストの顔は自分の彼氏の顔をベースにし、履き物は自分のサンダルをベースにして制作したから、キリスト像と呼ぶに値しなかったからだそうだ。本当にいい加減だ(笑)
配給所の棚には物資がほとんどなかった。何を配給するのか、というより、何を配給できるのだろうか、という感じだった。配給されるのは米、豆、塩などだ。配給所の中ではのんきに猫が座っていた。(ちなみに私は猫アレルギー…)
銀行にはたくさんの人が並んでいた。ヨルダンさんによれば、キューバ国外に出稼ぎに行った家族からの送金を待っている人たちらしい。その光景が貧困国の経済、そして経済に規定される家族の在り方を表してるように思える。
ウォーキングツアー中にでっかいおばさんが笑顔でやってきて、「写真を撮ってくれ」と言った。よくわからないけれど、セルフィーを撮ることにして、写真をおばさんと私に向けて撮ろうとしたら、いきなり左頬にブチューーとキスをされた。ほっぺたベトベト、、、最悪だ。そのセルフィーには私がものすごく嫌がっている顔が残されている。そして、おばさんはこともあろうかチップを要求してきた。1CUC札がなく、しょうがなく3CUC札を渡した。最悪。。。ヨルダンさんは「バカな日本人だな〜」なのか「迷惑なキューバ人だな〜」なのかわからない微妙な表情をして見ていた。
人気のアイスクリーム店があるというので、二人で食べながら歩いた。ランチをなぜかご馳走になっているので、食後のデザートは私のご馳走だ。そして革命博物館の前を通ったので、折角なら入りたいと行った。こういうときに当然ガイドのヨルダンさんの分を支払うつもりでいたのだけれど、ヨルダンさんはCUC(観光客用の通貨)ではなくCUP(キューバ国民用の通貨)で払うから良いと遠慮した。1CUC=25CUPなのだが、CUPで支払うと断然安く済む。使う通貨によって価格が全く異なる。
革命博物館は元々独裁政権であったバティスタが使用していたらしい。だから革命軍がこの建物を襲撃した時の弾痕が今尚残っている。革命当時の様子を伝える生々しいものだ。奥に行くと大きなボートがガッチリと透明なガラスに囲われて展示されている。このボートはそうした厳重な展示に値するものだ。だって、ゲバラやカストロたちはこのボートに乗って、メキシコからキューバに入り、革命を起こしたのだ。映画「チェ」の中でもそのシーンがあるからすぐにピンときた。
その後、クラシックカーに乗って新市街の方をぐるっと回り、革命広場にあるホセてマルティ記念博物館という塔とその向かいの内務省の壁のチェとカミーロのモニュメントを見た。日本ではチェ・ゲバラとフィデル・カストロが有名にように思うが、キューバでは彼ら二人に加えて、カミーロ・シエンフェゴスの3人がキューバ 革命の英雄と見なされているように思う。
私は乗り物に熱くなるタイプではないが、見る人が見ればクラシックカーは垂涎ものなのかもしれない。もちろん燃費は悪く、有害物質を撒き散らしているだろう。しかし、環境のためにこれらクラシックカーの使用を禁止すれば、キューバはさらに貧困に喘ぐ人が増える。環境が大切なのは疑いようが無いが、環境を最優先することによって生きることが困難になる人たちが目の前にいると思った。紙の上では経済と環境の関係について知っていても、やはり不利益を被る人たちを自分の目で見ると環境問題の難しさのリアリティは増す。いい加減は許されない。




