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〈意図〉と〈受容〉の隔たり

 アメリカにおける差別の問題は根深い。黒人に対してだけではなく、ネイティヴ・アメリカンに対しても、日系人に対しても、ムスリムに対しても、LGBTQに対しても、その他の宗教や人種、セクシャリティなどに対しても差別がなされてきた。たしかにそうした流れは変わりつつあり、アメリカ人、特に白人・異性愛・男性は差別に敏感になっている。でも、そうした流れをコメディアンのアジズ・アサンリはスタンドアップの中で、キャンディ・クラッシュのポイント稼ぎのようだと揶揄している(Netflixで見られます)。要するに差別しないアピール・寛容であることのアピールをSNSで行い、いいねを稼いでいるという批判だ。また、逆に、そうした差別への問題意識のバックラッシュのように、トランプ支持者のような人たちが白人至上主義を掲げたり、移民への過酷な政策を支持したりしているという風潮も存在する(NYでは直接目にすることはないけれど)。

 黒人に関して、今、差別の変種の目線が向けられているかもしれない。NYで7年くらい働いている日本人女性が黒人に対して「黒人はすぐに差別されたと言う。それによってお金を得ている。」と批判していた。同様の話を別の日本人からも聞いたと記憶している。こうしたことが事実かどうかは私には分からない。直接見たわけでもないから。そして、仮にそういった手段でお金を得ているにしても、その「差別」が実際に差別なのか、あるいはお金を得るために大げさに言われた差別なのかも分からない。でも、この話の真偽いかんに関わらず、こういう黒人への眼差し、あるいは言説が人口に膾炙しているかもしれないということが、黒人への新たな偏見(prejudice)あるいはヘイトを生み出しかねないということはあり得るように思う。こうした黒人への見方が、私が話を聞いた人の特有な物であればいいのだが。

 「差別された」と言うことと、それに対するヘイトという問題は、〈意図〉と〈受容〉の隔たりという問題に関わるように思う。仮に金を稼ぐためにわざと差別だと囃し立てる「差別商法」とでも言うべきものがあったとしても、そうではなく、単に意思疎通の失敗のケースもあるのではないだろうか。発言をした人は黒人に対して差別の〈意図〉はなかったが、黒人は差別としてその発言を〈受容〉した。この隔たりがあるゆえに、「差別だ!」と黒人が怒ると、そんな〈意図〉はないのだから、「差別商法」に見えてしまう場合もあるかもしれない。

 こうしたことは別の事例でもあり得るように思う。「ハラスメントを利用して、あいつは他の奴を陥れようとしている」ということが言われることは想像に難くない。本当にセクハラやパワハラがあったかもしれないし、そうしたことはなかったかもしれない。全員が本当のことを言っているとは思わないけれど、本当にハラスメントが行われていることは多いだろう。ハラスメントの〈意図〉はないけれど、受け手はそれをハラスメントとして〈受容〉する。

 センシティブな問題だから、慎重に表現したいのだけれど、もちろん、ハラスメントの被害に遭われた人にとってそれは深刻な問題だ。私もハラスメントに近いことを被ったこともあって、それがハラスメントと認定されないとしても悔しい思いをし続けたことは間違いない。周りもハラスメントだったと言う人もいれば、グレーだったと言う人もいた。私は訴えることはしなかったので、真偽は不明のままだが、もうどうでもいい。実際、「ハラスメントに近いこと」と表現したように、私自身、グレーだと思っている。でも、その嫌な奴と疎遠になることができたので、もう関わりたくなかった。すごく嫌な思いはしたけれど。また、自分の体験だけではなく、ハラスメントを相談されたことをあるし、その現場を見たこともある。

 ハラスメントは耐え難い精神的苦痛を被る。見ているだけでも相当不快な想いをする。私が通う語学学校においてでさえ、そうした場面に出くわした。声が小さいアジア人女性の学生に 「ハァーーーーン????」と怒鳴るような大声で言って(活字だと伝わりにくいが、バカにしたような言い方)、「大きな声で話せ」と大きな声でみんなの前で注意していた。当たり前だが、声が小さいシャイな、ないし緊張している留学生に、身体の大きな先生がしかめっ面して怒鳴りつけたら、余計に萎縮して話しにくくなる。人前でそんな風に恥をかかせるようなことをする必要もない。(ちなみにその学生に対して他の先生は「もっと大きな声で喋って」と静かに促していた。)見ているだけで不愉快極まりなかったので、その先生に「あなたがやっていることはアカデミック・ハラスメントだと思うし、そうでなくとも不合理だと思う」と直接抗議した。ハラスメントという表現はこの場合は強すぎるかもしれない。ハラスメントというのはその認定が難しいことが多々ある。ギリギリセーフやギリギリアウトというハードケースも多いと思う。まあでも、このケースの場合は、ハラスメントでなくとも、大きな声で話させるという目的に対して、誤った不合理な手段であることは明白だろう。ちなみに、その先生は私の異議申し立てを聞き入れて、次の授業からは態度を改めると言っていたし、実際に横柄な態度をやめていた。ただ、「あなたのようなやり方がアメリカでの普通のやり方なのか」と聞いたら、そうではなくて、自分の性格は“enthusiastic”だからと言っていた。私の知っている“enthusiastic”の意味とは異なると思いながら聞いていた。

 要するに何が言いたいかというと、ハラスメントの問題はその認定のための判断が難しいこともあるが、ハラスメントが精神的苦痛をもたらし、不正義であることは自明だ。

 さらに、被害を訴える人が悪意を持って、虚偽を言っている可能性もゼロではない。そういうことが多いとは思わないけれど、ハラスメントを行ったと訴えられる人が、訴えられた時点で悪と決めつけることもできないように思う。痴漢冤罪を題材にした映画「それでも僕はやってない」という映画があったが、それと同様に、ハラスメントをしていないのにしたように仕立て上げられる可能性だってなくはない。もしハラスメントをしていないのに、したとして会社をクビになったら、その人の人生は間違った理由で壊されたことになる。ただし、ハラスメントを立証するのは難しいと言われていることも事実だ。

 そして、先のように精神的苦痛はあったが、ハラスメントと言えるかどうかが難しいケースだってある。だから、悪意がなくても、精神的苦痛を受けた人はハラスメントと〈受容〉し、実際に不合理な対応だったけれども、客観的に見れば言い方が少し強いがハラスメントとまでは言えないというケースもあり得るかもしれない。(精神的苦痛を与える行為が全てハラスメントだという考えもありうるが、精神的苦痛が完全に主観に依存するので良いのかどうかという問題がある。)

 別のケースも考えられる。先の黒人差別の話はこうだ。差別した側に差別の〈意図〉がなかったにせよ、実際に差別に該当する振る舞いがあったにもかかわらず、〈意図〉がなかったゆえに、「差別商法だ」と思われて、黒人へのヘイトが生じる場合もあるかもしれない。それと同様のことがハラスメントでも起こり得る。ある人がある行為をハラスメントと〈受容〉して、実際にその行為がハラスメントだったのにもかかわらず、ハラスメントの〈意図〉がないことが原因で、ハラスメントを訴える側が「ハラスメント商法」のように周りから思われてしまうケースもあるだろう。


 差別の話に引きつけて言えば、先ほど挙げた語学学校の先生を「アジア人蔑視だ」とか「女性蔑視だ」とか言うことができないわけでもない。でも、個人的には単に“enthusiastic”という先生のパーソナリティによるものだと思う。先生に差別の〈意図〉はないだろう。もしあるなら、他の学生にも別様に差別的な言動をしていただろうし、ゴリゴリのアジア人の私の異議申立ても聞き入れなかっただろう。多分、言われた学生もそうは〈受容〉していなかったと思う。でも、可能性の話をすれば、それを差別として〈受容〉することはあり得る。差別の問題の難しさはこういうところにもあると思う。

 差別とは少し異なるけれど、人種間あるいは国籍間における〈意図〉と〈受容〉の隔たりを意識して、思ったことを言わずに控えた経験をしたことがあった。ある韓国人の男性のクラスメイトは“Hey, dude”とよく言って、よく身体を触ってくる。触ってくるというのは性的な感じではなく、もっと親しみを込めたもので、叩くというわけでもないけれど、撫でるというわけでもないくらいの触り方だ。結構、触るし、結構“dude”って言う。そのクラスメイトの〈意図〉は明らかに親近感の表現だ。でも、正直言うと、馴れ馴れしい感じがする。アメリカ人の友達兼プライベートレッスンの先生はそんなことまず言ってこないし、ベタベタ触らない。あと、これは日本の文化的なものとか、個人的なもの両方あるけれど、そんなしょっちゅう身体に触られるのって正直、私は好きではない。パーソナルスペースを確保しておきたいというかなというか。なんにせよ、他のクラスメイトもそんな距離感ではないので、彼の距離感は近すぎるように思う。つまり、正直言えば、身体を触る(叩く)のを私はやめて欲しいと思っているのだけれど、それは単純に距離感が違うと感じているだけで、相手が韓国人だからと言う理由では一切ない。日本人でも距離感近すぎる人は苦手だ。そこに人種・国籍の問題は一切関係ない。

 しかし、それを伝えるのは難しい。ただでさえ言語の制約があるのに、昨今の日韓関係は最悪だ。もしそれを伝えることを試みて、「あ、ごめんね!」で済めばいいけれど、まあそうはいかないだろう。最低でも、言語の制約のせいで「この日本人は気難しい奴だ」と思われるだろう。ただ、その〈受容〉がおかしいものだとは思わない。でも、あえて極端な表現をするならば、「このチョッパリ、俺が韓国人だからってナメてんだろ!」とか「韓国人には触られたくないとか思うファッキン・ジャップだな!」とか、そういう国籍間のセンシティブな問題に引きつけて〈受容〉される可能性だってある。それは私の意図することではない。単に触られるのが嫌なのだ。挨拶の時にポンポンと軽く触られるくらいなら気にしないけれど、そんな会話の中でしょっちゅう触られたら、気になってしまうのだ。それだけなのだ。

 国籍は全く関係ない。でも、向こうの〈受容〉がこちらの〈意図〉と異なる可能性は大いにあるのだ。でも、私はクラスメイトとうまくやっていきたいし、その韓国人の意図がフレンドリーなものであることもよく分かっているし、彼は社交的でいい奴だし、彼の気分を損ねたくないので、結局何も言わないままでいる。彼は本当にみんなで仲良くやっていきたいと思って、積極的にみんなに声をかけるタイプで、いい奴なのだ。だから、その日韓関係に引きつけて、私の発言を曲解しないとは思う。でも、やはりそう理解されてしまう可能性を全くないと考えないと、それはそれでナイーブのように思う。

 コミュニケーションでは当たり前のことだけれど、〈意図〉が相手にそのまま〈受容〉されるとは限らない。それを人種や国籍の問題と合わさる形で経験した。

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