ナイフを持った人に襲われた
ニューヨークでの生活も約5ヶ月が過ぎ、ただの語学留学で経験できるようなことは大体できたかな、と思っていた。以前にも書いたが、ニューヨークは「勝負」する場所であって、「努力」する場所ではないと丸山ゴンザレスさんがご著書の中で書かれていた。本当にそうだと思う。それはニューヨークに限ったことではないだろうけれど、海外に出るなら「勝負」しに行った方が(きついことも多いだろうけれど)面白いだろうし、色んな経験ができる。たかだか語学留学では限界がある。こちらで仕事して日常生活を営むだけでも、「努力」の一つである語学留学以上の経験ができることは想像に難くない。日常生活を営む以上に、こちらでの「勝負」は多くの経験ができることも想像に難くない。(いずれ書こうと思うけれど、語学の勉強だけなら日本で十二分にできると思う。)
しかし、語学留学だけでも海外にいれば色々なことが経験でき、自分を相対化する作業が起こり、そこから学べることもあると思う。(あくまでそれは「勝負」する場合に比べればはるかに限定的なものであるけれど。)もちろん、より多くを経験するためには自分でより多く動く必要がある。私の場合はその一つがホームレスとの会話だ。アメリカ人でもアメリカのホームレスとは滅多に話すことはないだろう。
前振りが長くなったが、今から話すのは、色々な意味で、自分の想定の範囲外で起きた事件である。まず、「ただの語学留学で経験できるようなことは大体できたかな」、なんて思ったのは大間違いだった。次に、この事件は「努力」か「勝負」かは全く関係ない。そして、経験を得るために自分でアクションを起こした結果での事件ではなく、突発的に起きたものである。
事件の概要はすごく単純だ。夜に道を歩いていたら、背後からいきなり攻撃されて、振り向いたらナイフを持った人がいて、脅されて、財布とスマホを奪われた。怪我はなかった。文字として書けば、これだけの話だし、日本でも起こり得ることだ。しかし、私は幸いなことに人生においてこういう経験をしたことがなかった。他の人から見ればどうということはないかもしれないことでも、当人からしたら衝撃が大きいことはたくさんあるだろう。この事件はそういう類のものの一つだと思う。
もう少し詳細に書こう。私が今住んでいるのはマンハッタンにあるチャイナ・タウンやイタリア人街 (リトル・イタリー)のすぐそばだ。昼間は活気があって、大勢の人がいて、人通りも多い。たしかに夜は人気も少ないのだけれど、ここに約10年住んでいる私の大家さんが言うにはこの付近でそんな強盗に遭ったなんて話を聞いたことないらしい。それくらい安全な地域と思われている場所だ。深夜0:15に私は寝られないので、自分の学校に勉強をしに行こうと思った。私が今通っている語学学校は大学附属であり、大学の施設が利用できる。大学キャンパスは24時間開いていて、深夜でも大学生がラウンジのようなところで勉強している。私も頻繁にそうしていた。家の中だと勉強できないタイプなのだ。それに今部屋にある椅子が本当に腰に悪い。すぐに腰痛になる。そんなわけで、いつも通り、深夜に学校に向かった。イヤホンを入れていると強盗に狙われやすいと聞いていたから、私は深夜に出歩くときはイヤホンをつけることはなく、その日もそうしていた。ただ真っ直ぐに前を向き、歩いていただけだ。早くもなく、遅くもないペースで。
家から出て、数分、2ブロックの離れた所で、急に背後から衝撃を受けた。そこは中学か高校の前の通りで、だから深夜に人もいないし、そこは他に比べると暗い。でも、そこは大通りのすぐそばだ。また、あとから警察の方や刑事さんと現場検証したが、監視カメラはついていなかった。犯人がそれを知っていたのかどうかは分からない。
なんにせよ、そうした場所で背後からいきなり衝撃を受けた。リュックを背負っていたので、背中を直接攻撃されたわけではないが、結構な衝撃だった。そもそもその瞬間は自分に何が起こったのか全く分からない。いきなり背後から衝撃があったということしか分からず、それが人為的な攻撃だったというのは振り返った時に気が付いた。そこにはナイフを持った人が立っていた。
私はパニックになっていた。後退ろうとしたらそのまま後ろに倒れた。リュックに入っていた荷物がかなり重かったというのもあるが、単純にビビって足がすくんでいた。もう何が何だか分からず、ナイフがただただ怖かったのだ。冷静さなど全くない。本当に恥ずかしいが、冷静さなどなく、何もできずただただ仰向けにすっ転んだ。そんな倒れている私に対して、その人は上から“WALLET!!!”と叫んだ。私はすぐさま財布をポケットから取り出して渡した。そして彼は“PHONE!!!!!!!”と叫んだ。私はなぜか“PHONE?”と聞き返して、なぜかすぐにスマホを渡さなかった。自分でもなぜか分からない。深層心理でよっぽどスマホを渡すことが嫌だったのだろうか。すると彼は改めて“PHONE!!!!!!!”と叫んだ。そして今度はすぐにスマホを手渡した。
彼は財布とスマホを私から奪うとすぐさま走って逃げて行った。
私は怪我なく終わったのですぐさま立ち上がった。家からすぐの場所だったので、すぐに引き返して、深夜だけれども大家さん(日本人)に相談して、電話をお借りして、警察に電話した。
この続きは次回に書こうと思う。ただ、ここまでの話で、私が一つ気をつけて書いていることに触れておきたい。私は事件の状況について詳細に書いたつもりだ。でも、一つだけ、それも大きな所で、読者の方の想像力に委ねている部分がある。あるいは、読者の方が読んでも分からないままでいるところがある。それは犯人像についてだ。私は犯人を「人」あるいは「犯人」としか書いていない。ここまで読んでくださった皆さんは、その犯人像をどう思い描いていらっしゃっただろうか。
まず性別は男だろうか?女だろうか?おそらく皆さんが思い描いたのは男ではないだろうか。そして実際に男だった。
次に身長はどうであろうか。大男だろうか?中肉中背だろうか?実際は170センチにも満たない男だった。
でも、私が犯人像を描くのを避けたのは、性別や身長が一番の理由ではない。人種の問題だ。人種差別の問題に関わるからだ。(もちろん、性別も差別に関わる。でも、一旦ここでは人種差別に焦点を当てたい。)読者の方は犯人を白人として想像しただろうか?チャイナ・タウンの近くと書いたから、そこから中国人を想像しただろうか?
実際には黒人だった。この事件を他の人に話して、「やっぱり黒人か」と言う人がちらほらいた。控えめに「こんなことを言ってはいけないのだけれど」と添える人もいたが、それでも「やっぱり黒人か」というところには変わりない。私は自分の書いたものでそうした印象や感想を惹起することが嫌だった。黒人だから犯罪者だという印象があるとしたら、それを再強化するようなことに加担したくなかった。だから、慎重に書かなければいけないと思った。でも、「人」と書くだけではそれもそれで違うと気もする。あまりに情報が捨象されすぎている。単に「男」と書いても良かったけれど、いっそのこと「人」と表現して、こうして補足説明を行うことにした。
黒人差別の現状をここで私が説明するよりも、「キャパニック 警察」とネットで検索してもらったり、Netflixで「修正13条」というドキュメンタリーをご覧になっていただくのが良いと思う。アジズ・アサンリという芸人さんが人種差別をスタンドアップ・コメディで取り扱っていて、それもNetflixで見ることができる。これは人種差別の問題を扱っているのだけれど、笑いの要素もすごくあって、海外のお笑いにはこういうのもあるんだ、と思った。
話を戻すと、「やっぱり黒人か」という言葉が私にはすごく気持ちが悪かった。黒人差別の議論をここでするのではなく、もっとシンプルに「やっぱり日本人か」と言われたと想像したい。何かネガティブな、あるいはマイナスなことが起きて「やっぱり日本人か」と海外の人に言われたら、私はすごく嫌だ。
物事には統計に基づく傾向性が確かにある。それを否定する気はないけれど、一定の認知的バイアス(bias)で「人」を見たりすることは、実際には「人」を見ているのではなく、統計上の「数字」を見ているにすぎないか、単なる(そして時として誤った)偏見(prejudice)である場合もある。(私は、バイアスという用語を「誰にでもある物の見方の偏り」という中立的な意味で使っている。)
要するに、たまたま今回僕を襲った人は黒人だったけれど、黒人だから犯罪者だというような偏見を助長したくなかったから、こういう長い補足説明を書いた。書きながら、物事を表現するという営みは本当に難しいと改めて思った。