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『やるじゃん』

「が、ふ」


 なんの遠慮もなく突き出された拳に文字通り鼻っ柱を折られて速坂はよたよたと後ずさる。だくだくと鼻血が溢れて、自然と目尻に涙が浮かんだ。痛ぇな、ちくしょう。


『うわー、カッコイイー』


 ヘラヘラと煽るツクモの言葉を意識的に無視して、見やるは憎き三人組。速坂を殴ったのは金髪ピアスの男だった。


「は、はやさかくぅん……!」


「大丈夫だって! こんなやつすぐぶっ飛ばしてやるから!」


「あぁ!?」


 情けない声を上げる井本にそう叫ぶと、今度は正面から怒号だ。確かコイツがバスケ部の桑野だ。見事に一発入れられてしまった。意識していないとどうやら速坂の動体視力は普通のままのようだ。まてよ、ならどうやって使えばいいんだ?


『おいおい何やってんだよ、相棒。まずは止血だ、そのみっともない鼻血を早く止めちまいな』


 そんな速坂の内心を汲み取ってか、ツクモはそう呟いた。だが、そうは言われても、


『力の使い方は簡単だ、使えばいい。自分の体を動かすのにやり方もクソもないだろ? 無意識でも刺し傷を治癒したんだ、むしろ今キミは力を塞き止めてるんだよ』


「塞き止めてる──? なんだそりゃ、どういう」


「何ぼーっとしてやがる!」


 突然声がして、ハッと顔を上げると再び拳が振るわれていた。思い切り横っ面を打たれて速坂は転がる。悲鳴が上がった。友人が身を案じて何かを言った。桑野が嘲った。だが、それは速坂の耳には届かない。


「…………」


 全ての雑音を意識外に押しやって、なるほど、と。その投げやりな説明に速坂は納得した。この力は使おうという意思に反映する。ならば、頭の中でそんなことなるわけないなんて常識がある内は、使えないのは道理だ。ならなおさら、『常識』の呪縛から抜け出す必要がある。


 確か、鼻血は興奮する際に出るアドレナリンで止められるハズだ。なんて知識を引っ張り出してみる。上手く言えないが、意識の補助のような感じだ。そうやってイメージすると、実際そのようになった。止まるのだと思えばその効果は訪れた。口の中の傷も、同じ要領で解けるように消えていく。

 余裕をかましてこちらを見下ろす視線を睨み返せば、沸き起こる緊張感と共にあの夜のような目の冴えが感じられてくる。


「なるほどな……いい練習だ。あの時に比べれば、怖くもなんともないぜ」


「何ブツブツいってんだー? てめえ」


 若干震える拳を握りしめてそう強がると、桑野はニヤケ面で再び拳を振るった。それが、よく見える。体を倒す。避けるための最善の動作を取る。


「あ!?」


 軽く身を躱して、今度はこっちの番だと。速坂は握りしめていた右拳を腰の位置に引き絞った。


 加減はしない。強く地面を踏みしめて、つま先と腰の回転で体重を乗せ、速坂は肩から打ち出すように低く拳を放つ。腹の底から張り上げた声で余計な思考を全て跳ね除けて、穿つは腹部。油断し緩みきったそこへ──渾身の一撃を。


「こんっの、ボケナスがァ──!」


 通り魔を吹き飛ばした時のような馬鹿力ではなかったが、速坂は確かな手応えを持ってして腹筋を貫通し内腑を揺らした。


「ご、ぇ……」


 桑野は意識を失いどうと倒れる。白目を剥き力なく倒れる様は、想像以上の威力だ。自分の手を見て、速坂はやはり未だ信じ難いその力をどうにか飲み込もうと苦心していた。


「あ」


『うひゃー、容赦ねー。ハヤサカ、お前それは酷ってもんだぜ』


 そんな折にツクモの言葉を受け、速坂は気づく。自分は今、手加減をしなくてはいけない側に立っているのかもしれない、と。


「な、にしてんだ……てめぇッ!!」


 びくりと体が跳ねる。叫んだのは末堂だ。ひたいに青筋を浮かべて、その造形だけは綺麗な顔を般若のように歪めている。その憎悪は、仲間意識かそれとも。


「ひ、人に日常的に暴力振るっといて、やられたら怒ってんじゃねえよ!」


 そんなどうでもいいものは全部無視して、速坂は人差し指と共に正論を突きつけた。若干声が震えているのが、至極マヌケではあったが。


「ぶっ殺す……!」


 先にキレてかかってくるのは東山だ。その姿は威圧的過ぎるほどに威圧的。その上先の桑野より一回りガタイがいい上に、もう油断してやしない。そんな彼から向けられる正真正銘の敵意に、速坂の心に不穏な影が落ちる。手加減だって? 思い上がりも甚だしいと言うものだ。


「シ──ッ」


 そんな決心の遅れを突いて、意識外の方向から衝撃が速坂を襲う。頬骨に一撃、顎だったら意識は飛んでいただろう。


「い゛──っ」


「チッ、うぜえな」


 とっさに顔を背けた速坂に舌打ちすると、末堂はバックステップで距離を測った。それを見て速坂も熱く痛む頰を抑えて後ずさる。

 そこに間髪入れずにタックルが入った。綺麗に体を浮かされて、硬いコンクリートの壁に叩きつけられる。息が詰まる。


「か、は──、」


 きっと、これは二人掛かりとか連携とかではない。恐らく二人とも気が立っていて、なんでもいいから速坂を我先にとブチのめしたいのだ。本当に、気性が荒い。


「ぐぅっ」


 すぐに立ち上がる。負傷を治すには少し集中する時間がいるのだ。それに、まだ扱いに慣れない速坂では、二人の相手と回復を同時に行うのは無理だった。今はこの痛みを我慢しつつやり合うしかない。


『おい来るぞ!』


 言われて、速坂は正面からステップインしてくる末堂の姿を捉える。風を切る音がする恐ろしく早い連打だが、全力の集中を持って攻撃を回避する。


「ちょこまかちょこまかうぜえなぁ……!」


「じゃなあ殴んのやめろやァ……!」


 上ずった声で叫びつつも、速坂の意識は加速していく。だが──、


『おいおい、避けてばっかじゃダメだろ!』


 うるさい黙ってろ。そんな事はわかってる。動体視力に集中してないと拳が見えないんだ。避けると言う行動以外に意識を割く余裕がない。あまりに速すぎる拳のキレは、さすが腐ってもインハイチャンプ。しかし、確かにこのままでは埒があかない。


「避けんじゃ──ねえよ!」


 理不尽を叫んで、末堂は渾身の一撃とばかりの右ストレート。それを、紙一重でかわしてやると失念していたであろう背後の壁に拳が炸裂した。

 苦悶の表情に、策の成功を速坂は口角を上げて実感する。それから、彼の動きを踏襲した右ストレートを、怯んだその鼻っ面に叩き込んだ。


「思い、通り動く──!」


 コピー能力ではないが、そんな感じの使い方だ。動体視力をもって観察した動きを、思いのままに動くこの体は体現してみせる。この力は色々なバリエーションがありそうだ。


「てめぇっ!!」


「──っ!」


 なんて、そんな期待に胸を馳せている暇はない。東山の大振りの右をおっかなびっくりかわして、速坂は再び拳を握る。それから、怒りに目を血走らせてタックルですらない突進してくるその顔面にジャブを入れて勢いを殺し、ガラ空きの顎へ右フック。これがまた嘘みたいに上手く決まって、案外軽い衝撃をもって巨体は力なく地面に倒れ伏した。


 まだ意識があるのは、末堂だけだ。もはや怒りは消え失せて、唖然とした様子で鼻血だらけの顔面を抑えている。


「僕の勝ちだ──!!」


 それに指を突きつけて、速坂は叫んだ。勝利宣言だ。


「次くだらないことしたら、許さないからな! このっ、このやろう……!」


『決まったな! ハヤサカ!』


 どこがだよ。そう言いたくなるが、満面の笑みには一切の含みはなくて、速坂はもう苦笑いするしかない。

 それに、たしかにそうだ。格好いい台詞は決まらなかったが、勝敗は確かに決した。


「これ以上何かをするなら、僕が何度でも相手になってやる。だからもう、こんなことをするな末堂。他の二人にも言っとけよな。──お前らも、次は無いからな」


 奥で我関せずみたいな顔をしている女2人にもしっかり釘を刺しておく。すると、心底不愉快そうに形だけ頷いていた。


「はや、さか……お、おれなんてお礼すればいいのか……」


「え──いや、いいよ。気にするなよ、僕が腹立ってやったことだし」


 それに見て見ぬ振りをしていたのだから、本当の意味では速坂は同罪だ。そんな言葉を、速坂ば飲み込んだ。今はそれをいうべきじゃないだろう。それに、その償いがやっとできた。これからはあんな思いをさせないし、したくもない。


「──お前、すげえよ!」


 なんて一息ついた時、どこからか声が上がった。


「ほんとほんと! 見直したぜ!」

「めっちゃカッコよかった!」

「びっくりしたよ、突然!」

「よく勇気出したなあ……!」


 誰かわからない声。それに、次々にと周囲が呼応して、やがてそれは歓声に変わる。大勢からの羨望、賞賛、感謝。それを一身に受けて、速坂は固まる。

 皆の熱が相対的に高まる。咽び泣く井本と怪訝な面持ちの和泉、そして憎悪に染まった眼光でこちらを見据える末堂のみを残して。


『見て見ぬ振りが賢いだなんて思ってた癖に、見ろよ手のひら返しだ。愉快だなあ』


 完全にバカにした声だ。しかし、喜びを感じながらもそれは速坂も同感だった。現に、咽び泣く井本には誰も目を向けていない。この歓声自体、本当の意味で速坂に向けられているものなのかさえも。

 結局、彼らは何も変わっていない。傍観を決め込んで、場の流れに準じているだけ。ならば、速坂自身はどうだろうか。


「──ぁ」


 そんな、煮え切らない感情。それが一瞬にして吹っ飛ぶ衝撃が、速坂を襲った。


「吉野──、」


 吉野玲奈が、こちらを見ている。じっと、羨望でも憎悪でも無い感情を静かに宿らせた瞳で、こちらを見ている。もの言いたげな眼差しだった。どこか不思議な感じがして、速坂はそれを訝しむ。


 だが、衝撃を受けたのはそちらのみでは無い。むしろ、もう一つの方に速坂は衝撃をうけたのだ。


「なに、しとるんだ……速坂」


「と、先生……」


 無理のある愛想笑いを浮かべた速坂に言い渡されたのは、暴力事件による二週間の停学処分だった。


 

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