錬金術師は人間をやめる
「さぶい……」
がくがくと震える体を両手で押さえつけ、体育座りで目の前に置い二本のポーションと相対する。
何かを考えようとしてもとにかく寒さが勝ってしまって何も考えられない。
指先はもはや感覚がないし、それ以外の部分だって寒くてしょうがない。
空には星が上り、美しく輝いているが、この場所は酷く寒い。何が寒いかと聞かれれば風が冷たくて痛い。
谷間を吹き抜ける風が思ったより強く、夜になるとその恐ろしさが倍増してしまった。
気温がそこまで低くなくとも風に温度を奪われてしまえば結局は同じだ。
何が言いたいかというと要するに寒い。
ここまで長々と説明してからでなんだが寒い以外特に今思いつくことがないのだ。
その原因というのも、結局のところ目の前の青く光る液体を飲む決心がつかない事だった。
その見た目は青と言うには少し濃い。また、ほかのポーションとは違い今真上に見えている星空のようにいたるところにキラキラと輝く白い光の点が明滅しているのだ。
予想以上の凄まじいカラーリングに飲む勇気が薄れてしまった。
自分で作っておいてなんだが、何もないところから生まれた謎の液体に変な物とか入ってないだろうか。
「ふ、不安だ……」
本来俺は基本的にビビりなのだから仕方がない。昨日のバンデの時や、ワイバーンの時はむしろどうかしていたからできたと言える。
普段の俺ならば何も見なかったふりをして陰で震えていただろう。
「本当に、慣れないことはするもんじゃない」
とにかく今は過去の行いについて審議している場合ではない。
このままだと凍え死ぬ。
飲むしかない。
副作用があったら今ここで死ぬよりなら生きているだけましだとわりきってしまおう。
その決心を胸に夜空色とでも言うのであろう液体の入った試験管を持つ。
小さく深呼吸をするとともに試験管を持つ手に息を吐きかけてすこし暖めた。
あまり冷えたままではコルクをつまんで栓を開ける事すら出来なさそうだ。
ゆっくりとコルクを外し、息を止めてそのまま躊躇なく口の中に流し込んだ。
ゴクリ。
口の中から食道を通り、Sランクポーションが体の中に溶け込んでいく。すべて飲み終えて試験管をそん場に置く。
もう一本は―――もともとポーション入れにしていた上着はワイバーンから逃げる時に邪魔で捨ててしまった。少し心配だがポケットでもいいだろう。
体を見回してみるが、見た感じでは特に何も変わっていないように見える。
見た目の変化はあまり無いのだろうか?ならば内部の―――
ドクン!
そう思った瞬間心臓がひときわ大きく跳ねる。
その直後から全身になにか体の内から湧き上がるような感覚を覚えた。
心臓を中心に、胸・肩・腹・腕・下半身・掌・足先。熱い何かが段々と全身を廻っていく。
そのなにかが全身に回り切ると、体から青白い靄のようなものがにじみ出てくる。もしかしてこれが魔力というものなのだろうか。
体が何かを持て余しているような、人生で味わったことのない感覚だ。
これが俗に言う「力があふれてくる」という事なのかもしれない。
「ん?これは……」
突然の体の変化に驚いて気が付かなかったが、今まで感じていた寒さが嘘のようになくなっている。
温かくなったというよりは普通になった、というような感じだ。この気温に対応できるだけの体に変化したのだろうか。
どれも感覚が頼りな変化ばかりなのでどう言葉にしていいのかわからないが、とにかく一つだけわかることがある。
俺が―――人間をやめたということだ。
◇
しばらくすると体から発せられていた光は消え、元の状態に戻った。
このままずっと光りっぱなしだったらどうしようかと考えたが、元に戻ってくれてよかった。
しかし、このまま安心している場合ではない。
先程考えていた案を試さなくては。
Sランクポーションを飲んで見ていけそうならこの岩場から飛び降りて下を探索しようと考えていた。
そのまま上に登ってみてもいいとは思ったのだが、もしこの上でワイバーンが待ち伏せしていたりしたら一巻の終わりだ。
このSランクポーションを飲んだ後の体がどこまで耐えられるのかはわからないが、あまり無茶はしたくない。
何かで今どのくらい力が発揮できるのか試してみたいんだが―――。
そう思って周囲をみまわすと、ちょうど目の前の壁に小さなでっぱりがあった。
「まさか、な。まさか素手で岩は……」
自分でも流石にどうかとは思ったが、なんだかいけそうな気がしてしまった。
それだけ今体に流れている力のような感覚は強大だ。
なんというか、見た目は全く変わっていないのにゲームで言う能力値だけガン上げされたような不思議な感覚だ。違和感があって気持ちが悪い。
普通筋肉は筋繊維をトレーニング等によって切ることで、それを修復しようとしてさらに太くなる。その結果さらに丈夫な筋肉が出来上がり力が付く。
それを数値上だけでしかも一瞬で行ったからか、普段慣れた感覚との妙なズレを感じている。
「とにかくやるだけやってみるか」
痛めたらポーションで直せばいいだけだ。そう考えて無造作に拳を振るった。
バコンッ!
予想だにしていなかった大きな音に自分でやっておきながら自分で驚く。
「は、はぁっ!?」
そして目の前には衝撃的な結果があった。
岩が砕ける、というか目の前の崖の側面が抉れた。
「ど、どんなチートアイテムだよ……。ゲームバランスおかしいだろ」
驚きのあまりありもしないゲーム設定が口からこぼれてしまった。
あまりにもあり得ない光景に少し後ずさる。
まさかちょっと強めに拳を振るっただけでこんなことになるなんて思ってもみなかった。
この先の生活がちょっと不安になってしまった。
「どうしよう、俺元の生活にちゃんと戻れるのか」
などと俺がしょうもない不安に駆られていると地面が音を立ててひび割れ始める。
「しまっ、う、うああああああ!!?」
この岩場を支えていた一部が砕けてしまったことで、足元までひびが入ってしまったようだ。
それはあっという間に岩全体を覆い、砕けて下へと落ちていく。
もちろん上にのせていた俺も一緒に。
そのまま受け身もとれないまま下の川へと落ちていく。
近づいてすぐわかったが、川は川でもそこまで深い川ではないらしい。
深さは人の腰辺りまでしかなさそうだ。
大きな水しぶきを上げて岩と俺が着水する。川底に体をぶつけたが、慌てて体制を起こして水の上に顔を出せた。
「ぷはぁ!」
大きく息を吸い、酸素を取り入れる。
顔についた川の水を拭って状況を確認した。
後ろには大量の岩石が落ちている。どうやらこれ岩に押しつぶされるという最悪な結果は免れたらしい。
それに上からもこれ以上振ってくる気配はない。
「それにしても、これだけの高さから落ちたのに水の上とは言え痛みを感じなかった。外傷もない。それにこの川の水だって冷たさ感じるが寒くはない。どうやら俺は、本当に―――」
人間をやめてしまったらしい。