*拾玖
▼早苗
人というものは、何故自分から破滅への道を歩みだしてしまうのだろう。
昇降口に向かう長い廊下を歩きながら、私は考える。
かの詩人、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェはこう言った。
――「ああ、もう道はない」と思えば、打開への道があったとしても、急に見えなくなるものだ。「危ないっ」と思えば、安全な場所は無くなる。「これで終わりか」と思い込んだら、終わりの入口に足を差し入れることになる。「どうしよう」と思えば、たちまちにしてベストな対処方法が見つからなくなる。
――いずれにしても、おじけづいたら負ける、破滅する。相手が強すぎるから、事態が今までになく困難だから、状況があまりにも悪すぎるから、逆転できる条件がそろわないから負けるのではない。心が恐れを抱き、おじけづいたときに、自分から自然と破滅や敗北の道を選ぶようになってしまうのだ。
確かにそうかもしれないが、私が求めていたのはそういう結論ではなかった。
「わ、千石さんじゃん」
「どうかしましたか?」
私を見てすぐ声を掛けたのは穂香さん。
「今帰り?」
「そうですね。少し考え事してて」
「私は間宮さんと帰るところなんだけど」
「何を話しておられたのですか?」
「ごめん、内緒」
「内緒のこと、ですか。羨ましいです…それって、もう私が入る余地なんてないようなものじゃないですか」
その通り。私が入る余地なんて、どこにもない。そう、初めから、どこにも――
***
『早苗ちゃんっていうの?』
転校したてで、まだ誰も友達のいなかった私を引っ張ってくれていた彼女が、記憶の中で微笑む。
『私は莉乃、宮園莉乃。ここには慣れた?』
『…まだ、ですね。友達も、まだいません』
『そっかあ。じゃあ――』
彼女――莉乃ちゃんは私の手を両手で握りながら、確かこう言っていた気がする。
『私が早苗ちゃんの友達になるね!』
けれどそんな彼女は去年の夏頃に、誰かに斬りつけられて、そこから段々彼女の身体が血の色へと染まって、それからは――それからは覚えていない。印象に残っていないということではない。寧ろ、思い出したくない。
「…千石?」
その声で、現実に引き戻される。振り返れば生徒会長の駿河さんが、プリントを抱えて立っていた。
「駿河さん、何しに…」
「なんか顔色が凄いことになっていたけど、嫌なこと思い出したりした?」
「あ、はい…大体合ってます」
見透かされた。
この人ってそういう種族だっただろうか…いや、ハスターにそのような能力はないはずだ。それとも能力云々ではなくて、この人自身の洞察力が高いのだろうか。
「まあ何かあったら私達生徒会なり、学級委員の相方の…岸波とかに相談するといいよ」
「ありがとう…ございます。ではまた…」
帰り道への足取りが少しだけ軽くなる。その勢いで、悪い思い出にそっと蓋をした。