第5話 ゴーレムと灼熱の炎
その日の深夜、ティラはこっそりと寮を抜け出した。
木綿のローブにフードをしっかり被り、飛び出している手足には革の手袋とブーツ、と完全防備の格好だ。一見チンケな身なりであるものの、これらは“耐火”のコーティングが施された、強力な魔法防具なのである。
(今これを売れば、きっと金貨十枚は下らな――ああ、ダメダメっ!
いくら流行に乗れば楽に稼げると言っても、十年、二十先を見据えなきゃ……。
親の思惑にハマっちゃダメ! 私よ、耐えろっ!)
これらは、《ブレイズドラゴン》の噂を聞きつけた母親から届けられたものだ。
しかし、届けられた時点ではそれはまだ、“ただの衣料品”の段階だった。
となると、誰がそれに“耐火”のコーティングを施したのか?
(現実を見るな……現実を見るな……若者は夢を見るべき……)
それは紛れもなく、ティラの手によるものなのだ。
“発生系”の魔法はてんで駄目なのに……。しばらく自己嫌悪に陥ったほどの出来映えに、ティラはしばらく頭を抱えた。
不得手な“発生”の魔法学科に通っているのは、親にこれを知られたくなかったからだ。
もし知られなどすれば、すぐに実家の【魔法コーティング屋の権利書】と、エプロンが渡されてしまう。それだけはどうしても避けたかった。(とは言え、親にはほぼ気づかれているが――)
ティラはやりきれぬ気持ちを胸に、パルカ遺跡に向かって真っ直ぐ歩を進めてゆく。
灯りの落ちた街は寂としていて、森に出ることは容易かった。外を徘徊する者はまずいない。
街を囲う防護柵には当然、警備兵が立っている。だがこれも、小石でも投げて物音を立ててやれば、適当な理由をつけて持ち場を離れてゆく。
(……この里、本当に大丈夫なのかしら?
交流のために人間文化を受け入れるのは分かるけど、ここんとこ影響受けすぎではないの?)
悠々と柵をくぐり抜けられたものの、この体たらくには眉間に皺を寄せずにはいられない。
見張りはエルフの男たちの仕事だ。ギザったらしく、いけ好かないプライドの塊ではあるものの、昔はそれなりの高潔さと勇敢さも持ち合わせていた。
それが今では、見てくれを気にしてばかりのヤワな男ばかり――。
実に嘆かわしい。ティラはそんなことを考えながら、森の中を歩き続けた。
「うーん……シャイア先生の魔法が消えている、って本当のようね……」
異変にはすぐ気づいた。
街の近辺には、魔力で編んだの細い糸が張り巡らされているのだが、遺跡に近づくにつれて少なく、ある場所からは一本も見られなくなっているのである。
パルカ遺跡は、東に三十分ほど歩いた先にあるが、そこはもう、魔力の“ま”すら感じられないのだ。
いや……それどころか、木の葉を揺らす精霊すらも消えたと思えるほど、そこは微風すらも吹かない、静まり返った地となっていた。
ティラは真夏の夜にもかかわらず、身体をぶるりと震わせてしまう。
原因はすぐに分かった。それは《ブレイズドラゴン》の影響もあるだろうが、最大の原因は――
<イラッシャイマセ>
ティラは暗闇の奥に佇んでいたゴーレムを睨み付けた。
「やぁっと見つけたわよ!
アンタ、よくも私の魔力を吸い尽くしてくれたわね!」
節が目立たないしなやかな人差し指を突きつけると、ゴーレムの黒い頭部が僅かに上下した。
『申し訳ありません。
しばらく活動するために、こうするしかありませんでした』
先日の定型文とは違う、自然な音の響きにティラは目を丸くした。
『頂いた魔力から、言語取得を行いました』
「あ、アンタ……いったい、な、何者なのよ……」
『ゴーレムです。型式番号:SLY-00-A2』
「そんなの見れば分かるわよ」
『他に言葉が見つかりません』
ティラは「夢でも見ているのか」と漏らすと、ゴーレムは『健康状態:良好 夢遊病ではないようです』と答えた。
口にしたこと、訊かれたことはすべて答えるようだ。
試しに貝のように口を閉ざしてみると、ゴーレムはじっとエルフの女の顔を見つめるだけである。
「思考までは読めないみたいね」
『生ける者は幾万の言葉を生み出しますので、私には測りかねます』
「そう。ところで、アンタの制作者は誰なの?」
『メモリーが無くなっており、不明です』
「ふうん……」
ティラは少し残念そうに鼻を鳴らした。
先に述べた型式番号からしても、まるで知らないものだ。
調べる手がかりになるかと思っていただけに、落胆も大きい。
「名前はあるの? 誰かからこう呼ばれていた、とかさ」
『〔パッカー〕と、呼ばれていました。
パッケージ用に生み出されたからだそうです』
ティラは「なるほど」と口にし、その名を覚えるように再び口を動かした。
作業用として使われてきたとなると、やはり初期型よりも古い機体のようだ。
だがその時代に、言葉を操り、エルフと意思の疎通まで可能なモノを造りあげる技術を持っていたとは、到底考えられない。
いったい……と思うと同時に、ティラはあることを思い出した。
「アンタ、魔力で動いてるのよね?」
『はい。エネルギー残量35% 良好です』
「それの補充方法は、何と言うか……捕食、みたいなもの?」
『その通りです』
「てことは、この近辺の“探知”の糸を食べたのは……アンタ?」
『その通りです』
やはりか、と呟いた。
このエルフの里に《ブレイズドラゴン》がいるので、それは食べてはいけない――と、ティラが続けた直後であった。
『それなら百メートル先にいます』
パッカーは顔を大きく西に仰ぐと、闇の向こうで不気味な気配がうごめいた。
体が動いたのは、恐らく本能からだろうか。眉間に指先を近づけられたような、キン……とするのを感じたティラは、咄嗟にローブを大きく翻してうずくまっていた。
その直後――灼熱の豪風が背中を叩きつけた。
「――ッ!?」
背中から後頭部が燃えるように熱くなった。
ローブの中の闇が赤く照らされる。耳の奥がごうごうと音をたて、用意していた革袋の空気を震わせ続けた。
いくらコーティングを施しているとは言え、自分の魔法が、それも未知なる炎に対して通用するのか不明である。皮肉なことに、背中に感じる熱が自身の才能と“生”を教えてくれていた。
赤い光が消え、真っ暗闇が視界を覆う。背に感じていた熱が和らぎ、その華奢な身体に冷たいものが噴き出した。
音が消え、シン――とした静寂に包まれる。
“死”が囁いたのか。僅かに戸惑ったのもつかの間、自身の耳に飛び込んで来たのは、地響きと凶鳥のような叫びであった。
大地を蹴り、一直線に駆け寄って来ている――頭ではそうと理解していたが、身体が動かずにいた。
そして、己の身体を強く抱いその時、背後からドンと重く鈍い音がした。
遅れて、短い叫びが木霊する。
(な、なに――?)
ティラは恐怖を忘れ、ばっと立ち上がって振り返った。
そこには、今まさに左腕のクローアームを上から下に振り抜いたであろうゴーレム――パッカーの姿があった。
「ぱ、パッカー!? って、な、何これっ!?」
ティラはそれよりも、周囲の惨状に驚きの声をあげた。
自身の立っている所は、黒い川に突き出す島のようになっていたのである。
土の大地は半円状にえぐれ、茶色から黒く変色している。遺跡の白い台座も同様に、百メートルほど向こうまで遮るものがない。
あるとすれば、ゴーレムとトカゲのようなものが立ち塞がり、取っ組み合っている光景だ。
ティラは呆然とそれを見つめていた。
(これが、《ブレイズドラゴン》……?)
高さはパッカーと同じ三メートルほどだが、長さは八メートルほどあろうか。
首が長くなければ、手足が生えた蛇――と形容する方が早いフォルムであった。
地面を踏みしめる四本の脚は、大樹のように太い。
頭は横に広く、猛禽類のような鉤状に尖ったクチバシをしている。大きく裂けたその口からは、恐ろしいまで鋭利な牙がずらりと並ぶ。
その牙はあまり強くないのか、それともパッカーの装甲が頑丈なのか、腕に噛みついた歯が折れ飛んだ。
<イラッシャイマセ>
パッカーは身構え、感情のない音声を発した。
目の前のドラゴンはとてつもなく恐ろしい。……なのに、その光景に胸が躍るのはどうしてだろうか。
「――よしいけ! 左パンチから右、右、右、左!
相手の頭を抑えて、腕を叩きつけるのよ!」
ティラは両手を堅く握り締め、ゴーレム・ファイト以上の興奮を覚えていた。
それは憧れのゴーレム・ファイトの選手さながら、考えた通りに、指示する言葉の通りにパッカーが動くのだ。興奮して当然である。
しかし、《ブレイズドラゴン》も負けてはいない。
鎌首をもたげてはクチバシを鋭く突き立て、急旋回しては尾をしならせた。
流石のパッカーの装甲でもマズいと思い、クチバシは回避させたのだが、向こうはそれを読んでいた。横に飛び退ったと同時に、強烈な尾撃が金属の胴体に直撃した。
そして、追撃と言わんばかりに再びクチバシが飛んでくる。
「横に転がるのよ!」
パッカーの反応は早く、ごろりと一回転し、その反動で身体を起こした。
ティラは冷や汗を拭い、ふうと息をついた。そのクチバシは、堅い石の台座がスパッと裂けていたのである。ゴーレムの装甲でも、これを受けるのは不味い。
そのまま《ブレイズドラゴン》は躊躇せず、まだ片膝立ちのパッカーに向けて、そのクチバシを大きく広げた。
――ブレス
ティラはそれを直感したと同時に、先ほどの恐怖が蘇ってきた。
ローブに施したコーティングは、その炎のブレスを耐えた。
しかし、何度も耐えられない。身に纏っているそれの殆どが剥がれ落ちているので、次は浅く息をつく間しか耐えられないだろう。
周囲の焼け焦げた後からして、炎の太さは一メートルメートルほどだ。しかし、危険なのは炎だけではない。
厄介なのは、それによって焼かれた灼熱の空気である。
もしそれを吸い込もうものなら、たちまち肺がこんがりと焼き上がってしまう。
口内が光る直前、何よりも速く、パッカーの身体が動いていた。
真っ暗な夜空が、赤く裂けた。
赤い火柱が宙に向いて吹き上がっている。パッカーの左腕のクローアームが《ブレイズドラゴン》の喉元を挟み、目一杯押し上げたのだ。
大地を橙色に染め上げるそれに見とれていたティラであったが、龍の下顎の所に丸く膨らんでいる部分を見つけ、ハッと何か思い出した。
(あれって確か、授業で習った――)
《ブレイズドラゴン》の生態の授業で、唯一覚えている内容であった。
「パッカー! その喉にある膨らみ、“火袋”を引きちぎって!
そこが炎のブレスを吐かせる源泉なの!」
パッカーは右腕のクローアームを広げ、露わにされた膨らみに向けて突き立てた。
それと同時に火柱が大きく揺らぎ、短くなってゆく。そしてついに火柱が消滅し、周囲に再び闇が落ちた。
“弱み”を掴まれた《ブレイズドラゴン》は、明らかに嫌がる姿を見せている。
頭を大きく振り、首を上下左右に荒々しい抵抗を見せるが、押さえつけるパッカーのアームを振り解けない。
だん、だんと脚を踏みならし、尾を叩きつける。
“火袋”を掴む爪がより深く食い込んだ、その時――
「――――――――!!」
耳をつんざく、龍の断末魔が夜空に向かって伸びた。
初めて聞くそれであったが、ティラはブチリと引き契る音の方が耳に残っていた。
赤いのは龍の血か、それとも“炎の源”なのか。どこか残酷さすら感じながら、息を呑んで見守っている。
するとパッカーは手を離し、陸に打ち上げられた魚のようにのたうつ《ブレイズドラゴン》の頭を殴りつけ、真っ正面に見据えた。
<パッキング ヲ カイシシマス>
そんな音声が流れると同時に、ティラは我が目を疑った。
「な、何……パッカーのお腹が……!?」
ごうん、と音を立て鳩尾の部分が開かれる。
それだけではない。そこから眩い光が放たれるや、輝きが《ブレイズドラゴン》を包み込んでゆく。
――捕食
目の前で起こっていることなのに、ティラは理解出来なかった。
龍の身体が溶けるように崩れたかと思うと、光の収縮と共に、その姿が一瞬にして掻き消えたのだ。
『エネルギー充填完了 パッケージ:《ブレイズドラゴン》』
静まりかえった夜空の下には、パッカーの音声だけが響いていた。