第7話 地と空の獣
決戦の日。藍色の空の下、獣たちが蠢いていた。
足音以外の音はない。車輪が音を立ててもおかしくないにも関わらず、風の神殿のふもとまで辿り着いていた。
その音が鳴らないのは、ティラが車輪の軸受けなどに施した“防音”のコーテイングの賜物のようだ。パッカーや《スパイク》にも同じのを施してあるため、機械音が聞こえたのは、天を仰ぐわずかな音だけであった。
(ついに来たわね)
ティラはエクレアと目を見合わせ、無言で頷き合う。
そしてカルラの方を向くと、彼女は白い歯を見せながら胸前で拳を掲げた。
音を立てないのは当然なのだが、それ以外にも理由がある。
耳の穴を指差し、互いにそこを確認し合う――それは、“遮音”のコーティング済みの耳栓なのだ。
コボルドやカルラたちも装着している。
彼らが無言で手を振るのを背に、遺跡への第一歩を踏み出したその時、ティラはパッカーが動いていないことに気づいた。頭部の黒い面は、森の中のある一点をじっと見つめている。
(いったいどうしたの?)
ティラはパッカーに接続すると、やっと気づいたようだ。
画面に『No Problem』と表示すると、すぐに第一歩を踏み出した。
ティラは小首を傾げた。一瞬であったが、パッカーの視界に、白い二重丸が映っていた気がしていた。
遺跡まで緩やかな坂道が続く。トレントがいた場所から見た印象とは違い、結構な距離を登らねばならなかった。
遺跡もまた広く、複雑だった。
階段が“だまし絵”のように入り組んでいれば、瓦礫の向こうにゆくだけで、三ステップを経なければならないほどだ。それはまるでパズルのようで、パッカーの“指示”がなければ、一夜をここで明かさねばならなかったと思えた。
その道中、雲と同じ目線で眺めた日の出は、思わず感嘆の息を吐くほどの輝きをしていた。
《ヒポグリフ》の気配を察知した時は、目下三十メートル近くまで近づいた時である。
エクレアにここで待機するよう、ティラは人差し指で地面を指差した。彼女は指で輪を作り、了解の意味を示す。そして、頑張れと胸を叩く素振りをした。それに笑みを浮かべ、親指を立てて返す。
眼下の森の木は、豆粒のように小さくなっていた。
足がすくみ上がり、膀胱が痛くなりそうなのを堪えながらゆっくりと歩を進めてゆく。
またこの頃になると、空気をが震えているのを感じられた。ふいごのような寝息だ。
それだけでも巨大だと分かる。ティラはぐっと顔を引き締め、そっと近づいて行った。
(め、めちゃくちゃ大きいわね……)
目で捉えられる場所まで来ると、その巨大な鳥の姿に圧倒されてしまっていた。
馬のようにゴロンと寝そべり、気持ちよさそうな顔で寝息を立てている。
瓦礫の裏に潜むティラは、『どのタイミングで行くべきかしら』と、様子を窺う。するとその時……うっかりと足元の小石を蹴ってしまった。
蹴ったと言うより、当たった程度だ。それなのに、目の前の鳥と馬のモンスターは、黄色い目を一杯まで開き、上半身をむくりと起こして周囲を窺い始めた。
(随分と神経質な鳥ね……。
心配性のエルメリアの方が、まだぐっすりよ)
睡眠不足になるわよ、と胸の中で毒づいた。
しかし、この状況はかえって都合が良い。
《ヒポグリフ》は何か違和感に気づいたのか、くるる……と喉を鳴らしながら身体を起こし、ティラの方に向かってゆっくりと近づいてくる。
前半分は鳥で、後半分は馬だ。チャッチャッと鳥の鉤爪の音と、カッカッと馬の蹄の音が入り混じる。
背中に気配を感じた時、ティラはゆっくりと両腕を伸ばした。耳の奥に聞こえるのは、自身の心臓の鼓動だけである。
「――さぁ、いくわよッ!」
生暖かい鳥の吐息が頬にかかった瞬間、ティラは瓦礫からサッと躍り出た。
その一瞬、《ヒポグリフ》は目を丸くして首を引いたが、目の前にいるのは脆弱な、丸腰のヒトだと分かるや、すぐに両翼を目一杯まで広げる。
目は捕食者のものに変わり、「ケェェーーッ!」と甲高い鳥の哮りをあげ、前脚となる鳥の脚を高くまで持ち上げた。
ティラは恐怖を強く押さえ込みながら、力強くそのモンスターを睨み付ける。
「アンタに恨みはないけれど、少々オイタが過ぎたようね! 覚悟なさい!」
一度、二度羽ばたき、威嚇の咆哮をあげながら身体を浮かび上がらせる。
地面から数センチ離れた、その瞬間だった――。
「今よッ、パッカーッ!」
鳥の背後から、ブースターから炎を噴き出しながら、鉛色の塊・パッカーが突っ込んだ。
ズンッ――と、重い衝撃が全身を襲い、鳥の嘶きをたなびかせながら下の階へ落ちてゆく。
ティラは急ぎ、遺跡の縁から地表を確認した。
眼下に坂道を登る獣たちが映る。
配置につくまで、短くとも十五分はかかるようだ。
なので、それまで《ヒポグリフ》をここに引きつけておかねばならない。
そして、ティラのすぐ下――二層目では《ヒポグリフ》が頭を振り、そのすぐ正面にはファイティングポーズを取るパッカーがいる。
《ヒポグリフ》は地面に叩きつけられ、怒っているようだ。両翼を広げ、耳栓をしていても聞こえる猛り声をあげた。そして翼をはためかせ、獣の身体をふわりと浮かび上がらせた。
羽の中に入った小石が、パラパラと落ちてゆく。
だが、二階層目は屋根があるため、そう高く上昇できないようだ。
これが狙いであった。《ヒポグリフ》は、高くから猛スピードで滑空してくるのが脅威であるため、それを封じられてしまえば、ただ巨大な鳥獣となる。
鋭い鉤爪を振り回すしかできない鳥獣を、出来るだけこの空間に留めておく――作戦の第一段階はそれである。
無論、倒せることに超したことはないのだが……。
鳥の爪を弾き、隙を見てパッカーのクローアームが攻撃を行う。
しかし、それは空を切るばかり――空気の流れを読んでいるのか、アームが振られる瞬間には身体を反す。
互いにダメージを期待できない応酬がしばらく続いた。
(そろそろ。ね)
ティラはパッカーと接続したままであり、視界を共有している。
緑の海を背景に、ひっきりなしに動く映像は酷く頭が痛くなるものだ。
時おり頭を振りながら、じっと緑の大地の様子を窺い続けた。
獣たちは既に遺跡に入っている。配置についたと狼煙が上がれば、すぐさま次の段階に移った。
予定の時間はとうに過ぎている。
《ヒポグリフ》も距離を取り、隙を見ては体勢を立て直そうと離脱する構えを見せる。
まだもう少しなら時間が稼げる――その時、視線の向こう……トレントのいる方向から、細い煙が伸び始めていた。
「ようやくスタンバイできたのね!
パッカー、“水”と“磁力”のコーティングいくわよ――ッ!」
ティラは両腕を突き出した。
それに合わせるように、パッカーも両腕を突き出していた。
◇ ◇ ◇
その頃、遺跡の入り口付近では――。
晴れ渡った空から突然、スコールのような大量の水滴が振り落ちてきていた。
「――よしッ! お前らッ、構えろーッ!」
それを見るや、カルラはゴーグルを装着し、自身の造ったバリスタのレバーに手をかけた。
計四台。横に連なる残りの三台には、ゴーグルをかけたコボルドたちがついている。
緊張とつかの間の静寂に包まれたそこに、大きな影が右から左に流れてゆく。
それは雲ではない。ごう、と突風が起こった。
「まだだぞ、まだだぞ――!
風よこいこい、鳥よこいこい、ここに来いッ――」
カルラの髭は、わずかな風の流れの変化を感じ取った。「今だッ!!」
「撃てェッ!」との号令と共にレバーが引かれ、無数の矢が宙に向かって飛び出した。
そこだけで見れば、ただ眼前の森に向けて矢の雨を降らしただけだ。
しかし――まさに今、そこを、白い巨鳥が横切った!
流れゆく白い身体が、ドッ! ドッ! ドッ! ドッ! と木の矢を次々と受け止めてゆく。それと時を同じくして、『ゲァァァァーーーーッッ!』と、“遮音”の耳栓をも貫く、濁ったカラスのような鳴き声が響き渡った。
バランスを崩し、山の岸壁に向かって一直線。向こうから、ずぅんと音を立てた。




