第3話 キャンプ
沈黙の森――そこは魔法が使用できぬ、封印の霧に満ちた一帯の呼び名である。
どうして魔法が封じられるのか。それは獣人とエルフの友好を築いた際、獣人側から『敵意を見せぬ証明をしてくれ』と、約束したのが始まりと言われている。
他には、『多くの獣人族のテリトリーに侵入するので、むやみに刺激せぬよう』と、の説もある。
いずれにせよ、獣人との関係はそこまで密なるものではないということだ。凄まじく広大な領地において、彼らはエルフ同士や人間・ドワーフに関してのイザコザには一切関与しない。
そしてまた、魔法を封じられたエルフほど弱いものはない。
たちまち脆弱な生き物と化すこの地に、一向が足を踏み入れるには相応の覚悟が必要である。
エルフの一行は、常に神経を研ぎ澄ませて森の中を進んでいた。のだが……。
「いやー、やっぱ肉はうめぇなー!」
ドワーフであるカルラは、こんがり焼けた兎肉に齧り付き、満面の笑みを浮かべる。
陽はどっぷりと沈み、辺りは耳が痛くなるほどの脆弱の闇に包まれていた。
ティラたちも合流し、それぞれ赤く揺れる火を囲みながら、思い思いの食事を摂っている。
「よくこんな所で獣を獲って、しかも堂々と食えるわね……」
軽く火で炙ったエルフの携行食・<フスマク>を囓りながら、ティラはカルラを半目で見た。
「ん? 奴らは弱肉強食だし、同族じゃなきゃ仕留めても気にしない奴らだぞー」
カルラはただテンションが上がって爆進していたわけではない。森に入って四時間ほどの場所で、既にキャンプを張って待機していたのだ。
長旅の初日は景気付け、と言うのが山のドワーフのしきたりであるようだ。兎や鳥などの肉を獲り、宴の準備まで完了していた。
それを見て、『ほう』と感心した声をあげたのは、武人のグランドゥルである。
「見事な腕前だ。この鳥は弓で?」
「そうだぞー!」
カルラは脇に置いてある短弓を掲げ、ヒラヒラと動かす。そして「一羽は投斧だけどなー」と金槌の先端を斧に変えたような、柄の小さい投擲斧を叩いた。
改めて武器の扱いに長けていると認識したのか、グランドゥルは「未来永劫、ドワーフとは戦争したくないものだ」と、願いにも似た言葉を漏らした。
ティラはそれを聞き、人間の盗賊たちにも『ドワーフを見かけたら逃げろ』と標語のように言われているのを思い出していた。
「にしても、陽の光とルーペで火を熾すとはね……」
「簡単だぞー? 一度にやるんじゃなくて、熱を蓄積させるのがコツだ」
真っ直ぐ伸ばした手のひらを何度も重ね合わせるような仕草を見せる。
魔法の使えない地において、野生児に近いカルラの知識は力強い。
感心しきったエルフの中で、一人だけ浮かない表情を浮かべているのにエクレアは気づいた。
「シャイア先生、どこか調子が悪いんですの?」
「え? い、いえ……」
頭を左右に振ったが、橙色に照らされたその顔は明らかに暗くなっていた。
それを見たグランドゥルは「なるほど」と声をあげた。
「魔法が使えず、己の無力さを痛感した――ってところですかな?」
「え、あっ、い、いえ! そんなことは!?」
「はっはっは! 隠さずとも良いですぞ。
我々でも新兵はまずここで訓練させ、それを思い知らせますからな。
エルフは魔法と書物に頼り切り、“技”と“体”を疎かにしてきた。
いざと言う時に生きるのはそれらを発揮できる“経験”だ、とね」
「う……」
「しかし、時には知識も必要となる。
私を初めとした軍人は、如何せん粗野になりがちで、感覚だけで生きようとするのです。
今、この子たちのテストを受けさせられれば、私も含めた兵士たちは、間違いなく全員落第でしょうな」
ティラたちに手を向けながら、グランドゥルは大きく笑った。
それにティラは、「現役でも落第寸前よ」と眉を落とす。
「シャイア先生の問題は難しいわ」
「そ、それは、貴女たちが勉強不足なだけです! ちゃんと授業を聞いていれば分かりますよ」
それにカルラは「エルフって回りくどいなー」と、二つ目の兎肉に齧りついた。
「どういうことです?」
シャイアの三角眼鏡の奥が鋭く光る。
「アタシは馬鹿だから小難しいことは分からない。
だから賢いのがいれば、そっちに頼るんだ」
「それが?」
「わっかんないかなー?
そのオッサンは馬鹿だから、オバちゃんの知識を頼りにしてるんだよ」
「え……」
「馬鹿だけど力がある、力がないけど賢い。いー関係じゃん」
夫婦にもってこいだ、とニヒヒと笑う。
すると、シャイアの顔が途端に赤色に染まった。火の勢いが増したわけではない。
カルラはそのまま兎肉を手に取ると、「たまには行儀の悪い世界を知るのもいい」と、シャイアの前に差し出した。彼女は躊躇いがちにそれを受け取ると、同意を求めるように周囲に目を向け、恐る恐るそれを口元に運ぶ――。
「美味しい……」
その言葉に、皆が笑みを浮かべながら頷いた。
・
・
・
二日、三日……と時が過ぎ、ティラたちは五日目の朝を迎えていた。
森の中は道がなく、目的地の方角に向かって突き進むしか方法が無い。
時おりコンパスが効かない場所に出くわすが、その時はカルラの勘とパッカーの”ナビ”が役に立つ。
『西に進路を取り、一キロ先で少し南下してから北に向かうとよいでしょう』
「急がば回れ、ってことね」
その指示通りに一行は歩を進める。
旅は順風満帆であったが、半分を過ぎた頃となると疲労の色が見え始めていた。特に体力のないシャイアは、パッカーの腕の間に渡したハンモックの上で過ごす時間が増えている。
「旅した時のように、荷車を用意した方がよかったわね」
ティラがそう言うと、カルラは茂みに目を向け「アルマジロ族の車輪ってどうだ?」と提案すると、茂みが猛烈な音を立てて離れて行った――。
既に獣人たちのテリトリーに侵入しており、好奇心旺盛な者はこうして一行を観察しているのだ。
カルラは続けて「ハリネズミ族は」と言うと、再び茂みが大きく揺れた。
「ちぇー……面白そうなのになー……」
「アンタ、無茶苦茶言うわね……」
「しかし、獣人たちの監視が強くなってまいりましたわね……用を足すのも一苦労ですわ……」
「監視と言うより、好奇心だろうけどね」
女たちの苦悩はそこにあった。
茂みのどこからかそれを覗き、ある者はその匂いを嗅ぎ情報を得ようとする。
これらは性的欲求を満たすものではなく、獣の習性・本能からであり、また幼い獣人などは純粋な好奇心から来ているため、女たちは邪険に扱えないのだ。
ただしゴーレムは怖いようで、パッカーや《スパイク》がいると近寄ってこない。
木漏れ日が差し込む鮮やかな緑の森の中を歩き、やがて小さな沢に差し掛かった。
そこで水を汲んで休憩しよう、と近づいたその時、川上の方から何やら賑やかな声が聞こえた。
『アニキ、また釣れたブっ!』
『おお、ニジマスかブ! もうちょっと釣って、塩焼きにするんだブ!』
遠くに見えるくすんだ灰色の肌のそれに、グランドゥルは剣に手をかけた。
エルフの天敵のオークである。二体ならばと、釣りときりもみで火起こしをしているそれらを睨み付ける。
グランドゥルが武人の目で見据える一方で、ティラやエクレアはまた別の目で彼らを見ていた。
「アイツら、なーにをやってるの……」
「タルシャで別れてから、こちらに来てましたのね」
シャイアとグランドゥルは驚きを隠せなかった。
「オークと顔見知りなのか!」と嫌悪を含んだ声に、ティラは「正義に目覚める悪者もいるようです」と、言葉短く答えた。
そちらに近づいてゆくと、オークたちもその姿に警戒を解いて立ち上がり、両手を広げた。
「おお、いつぞやのエルフだブ!」
「今度は獣人の地へ冒険だブか?」
「まぁそんなところよ。アンタたちも冒険の一幕なの?」
ティラが訊くと、弟分が釣り上げたニジマスを手にしながら、「獣人の村にあるトレントの様子がおかしい、との噂を聞いて来たんだブ」と、答えた。
ティラはそれに片眉をあげてしまう。
「――その噂の出どころはどこなの?」
「オークの仲間だブ。タルシャの帰りに集落を離れた奴らと遭遇して、『しばらく近づかない方がいい』って言われたんだブ」
「トレントに何かあると色々面倒くさいから、この反対側にある我々の集落も今はもぬけの殻だブ。だから快適だブ」
地元の者が言うのだから、異変が生じているのは間違いないだろう。
ティラは難しい顔で一つ頷くと、彼らが釣り上げたニジマスに目を向けた。
「その魚、何匹か貰っていい? 肉かクッキーばかりで飽きちゃったの」
「いいだブよ。イワナもあるだブ」
ここは穴場だから、とエラから笹を通した魚の束をティラに渡した。
そして、「獣人の地にゆくなら、オークの集落を通ると早いブ」と言って、木の板で作った簡素な通行手形も一緒に渡してくれたのであった。




