第3話 蓋を開けば……
ぶっ倒れていた女は、どうやらジョアンナと呼ぶらしい。
女の名前なぞ、ティラにはどうでもよかったが。
「あっついわねぇ……フード持ってくれば良かったわ」
ティラは額に手をかざしながら青空を仰ぎ、目を細めた。
昼食の時間に入り、他の学科の生徒たちもゾロゾロと教室から食堂、中庭など思い思いの場所に移動している。ティラのその手にも、昼食のサンドイッチが入った網カゴが握られている。そして、そのまま移動している。
だが、そこは食堂でも中庭でもない。ティラはパッカーと共に、黄土色の乾いたグラウンドの上にいた。
「パッカー、大丈夫?」
『問題ありません。あと41周 所要時間は33分です』
ティラは「そう」と言うや、サンドイッチを頬張った。
スライスされた生暖かいゆで卵が入っているが、気絶するほどのものではない。
「あのグロリアって女教師も、イジメ黙認どころか加害者側ってことね」
『首謀者の可能性98%です』
パッカーは短く発した。
教室内で腐った卵を射出され、不良女グループの一人・ジョアンナは医務室に運ばれた。恐らく“卵嫌い”の後遺症が残るだろうと予想している。
四限目はジョアンナの救出と手当て、掃除だけで終えてしまった。(教室もしばらく閉鎖というオマケ付きだ)
ティラたちがグラウンドにいる理由はそこにある。『その時間を潰した罰だ』と、担任のグロリアが“グラウンド百周”の罰を言い渡したのだ。そこに『ゴーレム操作の訓練なので、ゴーレムを使用しながら』と付け加えて――。これが誤算だった、と言える。
『職員室の中で、呆然としています』
「私も一緒に走れ、なんて言われてないからねー。
さしずめ、ゴーレム操作には不慣れだと思ったのでしょう。
こっちは遠隔操作でパッカーを動かして、モンスター退治までしてるってのに」
ティラはふふんと機嫌よく鼻を鳴らした。
パッカーの腕の間にハンモックを通し、旅をしていた時のようにくつろいでいる。
「そいや、このクラスの操作の腕って分かるの?」
『周囲のゴーレムを見て判断できます。精度は75%ほどです』
「それでいいわ。そうね……エクレアを5とした場合、うちはどう?」
『平均2.3です。トップはフロウラ・エイル・オーラス様の3です』
「フロウラ……ああ、顔は思い出せないけど、腰巾着のあれね。うーん……」
ティラは腕を組み、パッカーが百周走り終えるまでずっと思案に耽り続けた。
悔しさに顔を歪めるグロリアに、得意げな笑みを向けたのもつかの間、再び思案し始める。
(私は別に構わないんだけど……)
頭を悩ませるのは、パッカーの目的に関してだ。
《バルログ》と呼ばれる、暴走した初号機と戦うためにここにやって来たのであり、不良女や陰険教師を相手どった“英雄ごっこ”をしに来たのではない。
授業内容は至ってまともであるが、これからも不良女に絡まれ続けると思うと気が滅入る。
ティラは眉根を寄せ『地道に一人ずつ叩き潰すべきか……』と、物騒なことを呟きながら教室へと戻っていった。
(空席が三つ追加、か。残りの三人は優等生ね)
それとも、自分で判断できない受け身か……と座席に戻った。
不良女たちは戻ってきていない。仲間のジョアンナが腐った卵を浴び、救出した際に臭いなどが染みつき寮に帰ったらしい。
これで午後からの授業に専念できるかと思いきや、何やら緊急の職員会議とやらが始まり、午後からの授業は中止となってしまった。
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エルメリアが先に寮室に戻って待っていた。
「ティラがさっそくやらかした、って噂になってたけど、そんなことがあったんだ……」
「もう面倒ったらありゃしないわ」
「でも凄いな。不良みたいな怖い人でも真っ向から立ち向かっていくんだもん」
「勝てる見込みがあるからよ。そうでなきゃ、多勢に無勢なんて真似はしないわ」
やれやれとティラは首を振った。
不良と言えど、元はお嬢様育ちだ。いくらツッパったとしても、その期間たかだか親元を離れている間の数年――そんな彼女たちができることなぞ、たかが知れている。
ティラはそれを知っていたので、臆せず真っ正面から対立できたのだ。
「いざとなればパンチ。そして、裏からキックで解決!」
「正義も、最後は武力だよりなんだね……」
エルメリアは顔を引きつらせながら、苦笑を浮かべた。
「相手は女よ?
神の失敗は、女に口を与えたこと――って言われるぐらい、騒ぎ出したらうるさいんだから。
騒動になる前にボカン、の方が遙かに解決が早いわ」
「お父さんは『男はキスで黙らせるのだ』って言ってたけど」
「……親子揃ってラブロマンス病患ってるのね……」
「何で私も!?」
身に覚えが無いと言わんばかりのエルメリアをよそに、ティラはベッドに全体重を預け、一つ息をついた。
「久々の学校は疲れるわね」
「うん……私も、授業に全然集中できなかった。
旅してる時の自由が、ずいぶんと懐かしく思えちゃった。あはは……」
「自由、か。確かにそうよねぇ」
「だから、午後の授業無くなってくれてちょっと助かったかな」
エルメリアは悪戯な目で、舌先をチロリと出した。
旅の道中からそうであったが、ずいぶんと快活さが増した気がしている。
「そう言えば、緊急会議って何なんだろう?」
「うーん……ティラがいきなり問題起こしたから、とか?」
「ま、まさかぁっ! いや、いいところのお嬢様なら……ありえる?
でも、それならあのオーク顔が私だけを吊し上げるわよね」
ティラは上半身を起こし、腕を組みながら大きく唸る。
しかし、いくら考えても答えは出てこない――気がつけば時計が三時を指しており、「糖分を補給しよう」と言って、二人は部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
その頃、職員たちが集まる会議室では――。
ちょうど会議を終え、ぞろぞろと教師たちが部屋を後にしてゆくところであった。
そこには当然シャイアもいた。このような会議があると、教師の数は多いなと再認識する。
彼女はキョロキョロと誰かを探し、その者の元へと歩み寄って行った。
「――グロリア先生、少しよろしいでしょうか」
「ええ。構いませんよ、私も貴女とお話したかったですし」
グロリアは顎の肉を揺らしながら、腫れぼったい瞼から覗く醜悪な瞳がシャイアを睨み付けている。
「ふふっ……新入り、に随分と手を焼かれているようですね」
「ええ、まったく――とんでもない者を送って下さいましたよ。
あのヤルド家のご令嬢に、腐った卵をぶつけるのですから……とんでもない野蛮な娘ですわ。
持っているゴーレムも古くさい、しかもドワーフまでこの領に招き入れて……ったく!」
「私が受け持っていた時は、何人か髪や服を焼かれたものです」
シャイアは目を細め、どこか懐かしむような声で言う。
そして、「ですが……」と、ゆっくりと“本題”を口にし始めた。
「天性、と言うのですかね。何とよき友に恵まれているのか、と思います」
「友? ああ、バルドル家の――」
「ラクアの領主、ユリア様からより『バルドル家の方との仲立ちをして頂き、大変感謝しております。バルドル家はこの先、よき友として永く付き合ってゆくことになるでしょう。我が娘を預けるのは心配で心配でたまりませんでしたが、あのような元気でいい子が親友でいてくれると分かり、非常に安心しております。再入学後も、どうか彼女をよしなに――』と言われれば、我々も何も言えませんね」
「そうそう、ラクアの――な゛に゛ッ!?」
グロリアは驚きのあまり、大きく引き込んでしまったようだ。
げほげほと咳くたびに、その喉や胸を押さえる腕の肉が揺れ動く。
バルドル家と一悶着があったのは知っているが、その後がどうなったか不明のまま。このまま、じわりじわりと衰退してゆくだろうと予想したので、不良娘から反エクレア勢力を動かしたのだ。シャイアの口ぶりからすれば、和解……雨降って地固まった可能性が大いに考えられる。……となると、動かした者たちが全員、返り討ちに遭ってしまうではないか。
「それにあのドワーフの娘も、会議の前に『ラマザン王より言づてを預かってたの忘れてた!』と言われ、『あの小娘の行く道を阻む者は、誰であろうと容赦はせん』と仰っていたとか……何ともはや、後ろ盾を強力にして帰ってきたものです。
問題を起こせばまた退学、なんて容易に考えられなくなりましたわ」
「んぐっ!? ま、まま、まぁ何と……権力に屈したくはありませんが、おほほほ……」
「グロリア先生、汗が凄いですよ? 先ほどの咳といい、どこか優れないのでは?」
「い、いえ、大丈夫ですよ、え、ええ!」
グロリアは何とか平素を装うとしたが、傍目から見れば動揺しているのが丸わかりであった。
調査書を見れば、ティラはただの田舎の貧乏娘だ。懇意にしている不良娘の餌には持ってこいな存在のはずであった。
なのに……いざ【ティラミア・レンタイン】と言うパッケージの蓋を開けてみれば、そこからとんでもない名前が次々と飛び出して来るではないか。
ラクア領主一人ですら、あの不良娘の家で抑えられるかすら分からないのに、野蛮なドワーフの国王の名まで出てきた。あのけたたましい娘は、王の目と手も兼ねているのだろう。
ティラミアを餌にしようとすれば、とんでもない魔獣が姿を現し、こちらが餌にされかねない状況である。今すぐに不良娘たちを引っ込めねば、ますます立場が悪くなってしまう。
「――先生? グロリア先生?」
「あ、ああっ!? は、はいはい、何でございましょう!」
「本当に大丈夫ですか? 何なら休養なさって、私が――」
「い、いえ! 大丈夫で――」
しまった、とグロリアは自分自身を呪った。
『今なら引き返せる』と、手を差し伸べてくれたのに気づかず、『この女、出しゃばりやがって』と、口が先に拒否の言葉を述べてしまったのだ――。
それを聞いたシャイアは、ニヤりと笑みを浮かべた。
「そうですか? では無理はなさらないでくださいね」
「は、はひ……」
もう終わりだ。グロリアは心のどこかで、そう確信した。
「それと、今度の獣人の地へ調査に赴くのですが、何やらビスト地方の方が物騒になっているようなので、生徒の中から腕利きのゴーレムを選出して頂き――」
「だいひょうぶ、です。任せておいてくだひゃい、大ひゃいでも何でもやって選びまふよー、あ、ははは……なんでも、やりまひゅよー……もう、どうにでもなあれ……あははは……」
シャイアの『獣人の地に赴く』との言葉が少し跳ね上がったのに気づかず、グロリアは『私よ、今ここで高血圧で倒れろっ、今すぐにっ』と、命令し続けた。
だが、ノンストレスの暮らしをしているおかげで、彼女の身体は至って健康である。
◇ ◇ ◇
またその頃、パッカーが待機している倉庫では――。
エルフの女が二人、仁王立ちするカルラの前で尻餅をつき、あわあわと震え続けていた。
「――っと、言うわけで、だ。
パッカーはアタシの作品でもあるんだ。それを分かったかー?」
「わ、わわわわ……」
「分 か っ た かー? オォン?」
声は明るいが、女たちを覗き込むカルラの目は、笑っていない。
灰色の石畳の上、女の手もとにはハンマーやノミなどの工具が転がっている。
「わ、わかりまひたぁっ……!」
腰の辺りには黒い輪が広がりを見せ、床石のつなぎ目に沿って液体が流れていた――。




