第7話 鉄の蛇(1)
一段一段、ゆっくりと階段を降りてゆく。
先にある不安がそうさせるのか、ステップを踏む足音が段数を数えてしまう。これまでは意図して作っていたのか、すべて十三段……今回はそれよりも長い階段が続いている。
この階段の十三段目にさしかかると、そこには一体の石像が静かに佇んでいるのが分かった。
(オークの兄貴分か……この形相からして、不意打ちだったようね)
ティラは顔を引き締めた。
ハサンが送り込んだ兵士たちもその先にいたが、どれも同じ形相をしている。
今にも叫び出しそうなほど生々しく、彼らはずっとその恐怖を味わいながら、時間と共にゆっくりと朽ちるのを待つのだろう。
彼らを視線の外に移し、ティラはゆっくりと闇の中に足を踏み込んだ。
何とも言えない気持ちだった。エルフもまた、千もの長寿を嘆き、いつ来るのか分からぬ死を待つ。
喧騒を嫌う彼らがゴーレム・ファイトに沸くのは、一時的にそれを忘れられるからなのかもしれない――ティラはそう思った。
小さく息を吐き、闇の向こうを見据えた時、
(闇が、うねってる……?)
直感的に、その先が異様な雰囲気に包まれているのが分かった。
しかし、遠視モードに切り替えても階段下のフロアが見えているだけだ。白いサークルも表示されない。
なのに、ティラの眉間にはチリチリとした静電気が走り、首筋の裏が強張っている。
――何かが見ている
一方的にこちらを捉えている。そう思った時であった――
(鉄粉……?)
何かがパラパラと降り落ち、視界にその正体が表示された。
このような古い場所だ。ホコリや土が降り落ちてもおかしくないだろう。
だが妙だ。砂ではなく、鉄粉しかないのである。それも微弱ではあるが、磁力を帯びている。
思えば、道中も降り落ちてきたものも鉄粉だった気がする。
『何でまた――?』
ふと見上げたそこに、黄色い何かが光っていた。
なつめ型をしている。両端からは赤い筋が網のように這い、中央に集まっていた。
目が合った。
ティラは真っ先に『充血した眼』を連想した。それがモンスターだと理解したのは、そのすぐ後だ。
しかし、その時には黄色い眼がぐわっと広がり、中央の瞳孔が開いていた。
『な゛――ッ!?』
魔法の衝撃波が襲う――パッカーには効かないはずであるが、ティラは反射的に腕を盾にして顔を覆っていた。
これが〈ペトラ・アイズ〉だ。受けた者はたちまち石になり、それを見ていた者は、何が放たれているのか分からないと言う、謎が多い魔法である。
命からがら逃れた者は『眼から体内を凍らせに来た』と話したのが定説となっているが、それは言葉足らずであると分かった。衝撃波を飛ばすことで、同時に皮膚を石化させる魔法を浴びせかけているのだ。
パッカーはゴーレムであるため石化はしない。腕をほどき睨み付けると、それは忌ま忌ましげに目を細めた。
同時に《ゴルゴン・ヘア》について分かったことがある。
巨大な蛇の姿をしていて、天井を這い回るのだ。
『待ちなさいッ!』
勢いよく階段を駆け下りると、そこはがらんとした空間が広がっていた。
中央には無残な鉄くずの山――それが突然、ぐらぐらと揺れ動き出す。
ティラは唖然としていた。地には金属片一つ落ちず、逆にふわふわと浮かび上がっては隙間を埋めてゆくのである。
次第に何かの形を造り出してゆくそれは、あまり想像したくなかった。
『ゴーレムにはゴーレムを、ってことね……ッ!』
ティラは身構えると、それもぐんと身構えた。
人型をした全高三メートルほどの金属体――剣や槍の穂先、鉄製の具足から穴の空いた鍋までもが密集しただけの存在だ。
これだけであれば、ただ身体を大きく見せるだけのハッタリに捉えられる。しかし、明らかに“彼”専用とも言える胸当てが、それはその場しのぎのものではないと語っている。
(まさか《ゴルゴン・ヘア》を使って、ゴーレムもどきを造ろうとしてたんじゃないでしょうね……)
視界に映し出されたパッカーの“査定”によれば、《ゴルゴン・ヘア》はボール型の霊体。それを中核として幹枝を伸ばし、人間のような骨格を形成しているようだ。
オークの弟分が言っていた『胸にある目が本体で弱点』とはこのことだろう。ゴーレムもどきの頭に据えられたやや豪華な兜から、黄色い瞳をギョロギョロと動かしている。
明らかにここが弱点だ、と言わんばかりの動きに、ティラはあえて乗ってやることにした。
『覚悟なさいッ、目玉のお化け!』
ティラは真っ直ぐにその瞳を見つめながら、一歩大きく踏み込み、駆けた。
しめた、とでも思ったのだろう。《ゴルゴン・ヘア》は目を細めると、やや緩慢な動きで右腕を高く振り上げ、腕を真っ直ぐ前に伸ばした。
『甘いわ――ッ!』
ティラは左腕でその腕を弾くと、《ゴルゴン・ヘア》の右腕はぐにゃりと歪んだ。
その勢いのまますかさず懐に飛び込むや、身体をくるりと一回転させ、左肘を腹部に叩き込む。そしてそのまま胸部へとストレートをたたき込んだ。
予想していなかったのか、『ギィーーーーッ!?』と悲鳴のような叫びと同時に、騒々しい金属音が鳴り響いた。二歩、三歩とよろめくと同時に、金属片がバラバラと落ちてゆく。
しかし、ティラの手にはあまり手応えがなかった。
(芯のない奴ね……)
モテないわよ、とつい胸の中でボヤいた。
言わば“軟体動物”だ。それぞれの部品が分散、バラけることで衝撃が吸収されてしまう。
いきなり胴体を狙ってきたことから、相手も弱点を知っていると分かったのだろう。
見下したような目は一転し、敵対心に満ちたものへと変わっている。
(胸部の鉄板もめちゃくちゃ頑丈だし……マウントからの上から貫くべきか)
そう考えた時である。突然《ゴルゴン・ヘア》が両腕を広げ、目を大きく見開いたまま、上半身をぐるんと反時計回りに振った。
『いったい何を――きゃあぁぁ――ッ!?』
その瞬間、パッカーの身体が突然地面に浮き、世界が流れた。
ガンッと金属音が鳴り、ティラの視界が大きく揺れる。
《ゴルゴン・ヘア》が回転した方向……二メートルほど向こうの壁に叩きつけられたと理解するには、少し時間を要した。
かぶりを振ったのもつかの間、今度は《ゴルゴン・ヘア》の腕が時計回りに振られると、今度も同じ方向に叩きけられる。
距離が長い分その衝撃が大きく、ティラの目が回り、吐き気のようなものを覚えていた。
その衝撃による痛みはないが、パッカーと同化しているせいかどこか痛みのようなものを感じてしまう。
(ごめんね、パッカー……)
一瞬意識が飛んだのか、接続が遠のいてしまったようだ。
自身の横にエルメリアが肩に手を添え、身体を支えてくれていることに気づいた。
どうやら片膝をついていたようだ。心配を極めオロオロしている親友に、思わず苦笑してしまう。
すっくと立ち上がって体勢を立て直そうとした時――耳に賑やかな声が聞こえて来た。
ティラは『何だ』とその方向に振り向くと、地下のパッカーもその方向を向き、《ゴルゴン・ヘア》もつられてその方向を見た。
「遠くから見えましたが、や、やられたんですの!?」
「やられてなんか――って、きゃああああッ!?」
視界が急に動き、また反対側の叩きつけられていた。
「く、ぅぅ……」と頭を振るティラに、エクレアが叱咤するような声をあげる。
「な、何をやってるんですの! 反撃をしなければ――」
「できたらやってるわよ!」
すると、その視線の向こうからまた、酒瓶を手にしたカルラがやって来るのが見えた。
「おーおー! やってるなー!
ふむふむ……ああー、《ゴルゴン・ヘア》の磁力にやられてんのか」
「へ? い、今なんて……?」
「磁力だよ磁力。
アイツは追い詰められると磁力で鉄とか石とか浮かばせて、投げつけて来るんだ。
で、相手が回避行動とっている間に逃げる――ま、ポルターガイストってやつだな」
カルラが見せた仕草は、それとまったく同じ動きをしていた。




