第6話 迷宮と豚
タルシャの城の裏に、地下通路への入り口がある。
ティラたちはすぐそこに向かった。
しかし、向かったのはティラとエルメリア、ハサンだけで、エクレアやカルラの姿はない。カルラが『いま大事な所なので、少し《スパイク》の修理に集中したい』と言い、持ち主と共に残ったのだ。
入り口に設けられた朽ちた格子扉に手をやると、蝶番が重い軋みをあげた。するとすぐに、埃と砂が堆積した階段が視界に飛び込んでくる。
幾多もの足跡があるのは、先発した兵やオークたちのものだろう。闇の底に向かって真っ直ぐ伸びる階段を前に、全員の顔が強張った。
「ティラ、本当に大丈夫……?」
エルメリアは心配を極めた表情で、ティラの顔を覗き込んだ。
今回ばかりは、確たるものがなく気弱になってしまう。
「う、うーん。どうだろう……。
パッカーの言うことだから、多分大丈夫だと思うけど……」
「申し訳ありません。我が国の失態を、あなた方に任せてしまって……」
ハサンの申し訳なさそうな声に、「まったくね」とティラは言う。
「神の思し召し、ではないけれど私たちの間では『窮地に立たされた時、天から遣いが送られる』と言われてるわ。いわゆる運命ってやつね」
「では、あなたが……」
そう言うや、ハサンはエルメリアの方を見た。
すると彼女はまんざらでもない様子で、頬を染めながら顔を伏せる。
ティラは思わず「おい」と声をあげた。
「前線に赴く奴じゃなくて、何でそっちなのよ……。
まぁ、アンタにとっちゃ女神様だからしょうがないけどさ」
ぶつくさと文句を言いながら、ティラは相棒のパッカーの方を向いた。
「私への遣いはアンタなのかしらね」
『ゴーレムは使われるために造り出されました』
「意味が違うわよ。
ま、そろそろ行きましょうか――パッカー、準備はいい?」
『はい。いつでも大丈夫です』
ティラは目を閉じると意識を集中し、両手を前に突き出す。
落ち着いてやるのは初めてだ。眉間に意識を集めるように、とエクレアよりアドバイスをもらったおかげか、すっとパッカーに入り込めた気がした。
そっと目を開けば、目線がずっと高くなっており、広い視界の左右には様々な数字や記号が映し出されていた。
「よし、できたわね」
手足や首、腰などが自由に動き、「よっ、ほっ、ほいっ!」と体操をすれば、パッカーはその通り動く。
これは以前、エクレアと戦闘した時にしたものと同じである。
――マスターとリンクし、地下に降りるのです
見る者すべてを石化させるような存在が相手だ。
それも、真っ暗闇が続く狭い地下通路である。闇に乗じて奇襲など受ければ、あっと声をあげる前に彫像が出来上がってしまうだろう。
その上、パッカーにはゴーレムと戦えない制約が存在する。
厳密には『ゴーレムのような形をとるだけ』であり、ゴーレムそのものではないのだが……万が一も想定しておかなければならない。
ティラはまるで悪魔が口を広げているような階段を眺め、喉を小さく上下させた。
「よ、よしっ……」
ティラは第一歩を踏み出した。
「てぃ、ティラっ!? 貴女は足を出さなくていいのよ!?」
「え、あ、そ、そっか……っ」
パッカーの視界で動いているが、感覚はまるで自分の手足であった。
腰には生存者に与える水袋がぶら下げられているが、その重みは感じない。
ずん、ずん、と視界を揺らしながら、階段に足をかけた。もうここまで来れば後戻りはできない。
五段ほど降りた所で、ティラは一度だけ躊躇うように振り返った。
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そこは、地下通路と言うより“地下迷宮”であった。
平積みにされたブロック壁が、闇の奥に向かって果てしなく伸びている。
いったいどのようにして作られたのか、天井と床は継ぎ目のない石の通路である。それは固い岩盤を真四角にくり抜き、作り上げかのようにも見受けられる。
ティラは“高い目線”で周囲を観察し続けた。
(トロールや巨人族になった気分ね)
パッカーの“目”はこのように見えているのか。
光が一切ない真っ暗闇の中でも、五メートルほど先までハッキリと見渡せた。
目を凝らせば更に倍の距離が見渡せるものの、目が疲れる上、輪郭までぼんやりとしてしまう。一長一短であるようだ。
敵を警戒するように、視界の中では白いサークルが忙しく動き回る。
『あまり、おかしなものターゲットしないでよ』
ティラは頼むような声で言った。
パッカーは動くものに反応するようだ。何もない宙を、白いサークルがふらふらと追うたび顔を引きつらせてしまう。
複雑に入り組んだ通路であるが、横に地図が表示されてため遭難することはないだろう。
全体で六層の構造らしく、底に向かって四角錐状に狭まってゆく形となっている。
(これ、一介の城が持つような地下道ではないわね……。
この瘴気からして、きっと遙か昔……何か封じていたはずよ)
タウロスだろうか、とも考えていた。
それが討伐されたか、必要が無くなったので遺棄されたのだろう。
残された瘴気、志半ばで倒れた無念、討伐されたモンスターの憎念……悪霊が住み着くには格好の場所である。
二層、三層と深みに足を踏み入れるにつれ、視界に表示される温度がどんどんと下がってゆく。
四層目あたりまで来ると、あちこちで奇妙な石塊が目につくようになっていた。
『破片をつなぎ合わせたら何になるか……あまり考えたくないわね』
そう言うと、ティラは地上に意識を戻した。
「そろそろいいかしら」ティラは頭を横に向け、地上にいるエルメリアの方を見た。
「てかこれ、どっちが正しい視界か分からなくなるわね……」
石壁を透視しているような感覚に、ティラは顔をしかめる。
エルメリアは用意していた広く浅い鍋に水を張ると、その縁に両手を乗せ、さするように前後に揺り動かし始めた。
微振動に水面が波打ち始め、眩いばかりの陽の光を反射していたそれは、次第に光を飲み込む漆黒に染まってゆく。
「すごい……」
そう感嘆したのはハサンであった。
魔法とは縁のない種族であるので、とても珍しいのだろう。
ハサンはエルメリアの肩越しに、食い入るように見入っている。彼女もまた気恥ずかしげにそこに目を向けた。ティラは迷宮の壁を少しえぐり取った。
鍋の中は、いつしか黒いインクで満たされたかのように真っ黒になっている。
しかしそれは、ただ黒くなっただけではない。
「――よし、じゃあ灯りをつけるわよ」
パッカーのアームの中央・リボン穴からぼうっと火が浮かび上がった。
すると同時に鍋の中にも、ぼうと橙色の灯りを映し出した。光の輪がゆらゆらと揺れ、それが転がっている石像の頭部を浮かび上がらせる。
「旧式の兜……これは私が送った兵ではありません」
ハサンは言い淀みながらも、淡々とそう口にした。安堵した自分が恐ろしくなったのか、ぶんぶんと頭を振っている。
灯りが消え、パッカーの足は更に奥へと進み始めた。
石像を見つけてはそれを照らし、鍋の中に映し出す――エルメリア曰く、これは“遠水”と呼ばれる術であるらしく、水晶玉で遠視するのと同じものだと言う。
誰もが扱えるわけでもなく、言わばラクアに伝わる秘術のようなものだ。
そして、五階層に足を踏み入れた時――白いサークルが闇の向こうを捉えた。
『ひッ!?』
ティラは思わず小さな悲鳴をあげた。
遠くを見渡そうと視野のモードを切り替えた途端、突き当たりの丁字路に、光る獣の目が映ったのである。
向こうは耳がいいのだろう。闇に阻まれて見えないはずだが、じっとこちらの方を見ていた。
薄ぼやけてハッキリとした姿が見えない。向こうも警戒しているのか、身構えながらゆっくりと近づいて来る。
背丈はパッカーの半分ぐらいで、得物は所持していない。
(ハッキリと相手が捉えられる距離まできたら、即座に切り替えて……先手必勝よ!)
と、相手を待ち受け、身構えたその時である。
「これで終わりかブ……」急にへたり込み、両手を地につけてうなだれたのだ。
まさかの出来事に、ティラは呆然とそれを見つめていると……白いサークルの横に、何かが書かれていることに気づいた。
『おーく……オーク!? アンタ、あの時のオークなの!?』
「へ……? ま、まさかその声!
あの時の、エルフのワルモノだブか!?」
『誰がワルモノよ!!』
ティラは目くじらを立てながら、火で周囲を照らし出した。
橙色の輪の中に、半泣きのオークの顔が浮かび上がる。
「お、おぉ……た、助かったブ!
もう、終わりかと思ってたブ……」
『あれ? アンタ、相棒は?』
「……やられたブ……」
『そう……』
「暗闇の中で、黄色い血走った目が見えた瞬間、〈ペトラ・アイズ〉だブ……。
俺はアニキの背中にいたから大丈夫だったけれど……アニキは一瞬で石になってたブ……」
〈ペトラ・アイズ〉とは、目を通じて石化させる魔法である。
コーティングを施したゴーグルをしていたとしても、それを破壊されてしまえばお終いだ。
パッカーで来て正解だった。ティラはそう思った。
「お嬢ちゃんが行くのは不味い……って、あれ? お嬢ちゃんはどこにいるだブか?」
オークの弟分はキョロキョロと周りを見渡し、鼻をすんすんと鳴らしている。
『私は地上よ』
「痴女?」
『誰がこんな状況で自己紹介するっての!!
地上よ! ち・じ・ょ・う・っ!!』
「ああ、なるほどだブ。
ゴーレムを送るとは考えたブね。奴はこれと同じぐらいの、鉄の塊だったブ。
普通に挑んだらまず勝てないブよ」
『私もそう思っているわ……。で、敵は《ゴルゴン・ヘア》って奴で間違いないわね?』
「知ってるだブか。
奴は目が弱点だブが、頭にあるのはほぼダミーだブ。
ホンモノは胸部にある……そのゴーレムの腕で、装甲ごとぶち抜けばいいブよ!」
後は任せたと言わんばかりに、弟分はすっくと立ち上がった。
「ここを右に折れて、ぐるっと回った階段に下にいるブ。
アニキが途中で石になってるブが……出来れば壊さないであげて欲しいブ……」
『分かったわ……』
静かに眠らせておきたいのだろう。
歩き始めたオークの背は、ずいぶんと寂しく見えていた。




