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第3話 青い女神と赤い馬鹿

 ターゲットにされた女神像は、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。

 青く澄んだ水が流れ落ち、噴水の池を満たしてゆく。街の者たちはそれを目にするや、地に膝をついて感謝の祈りを捧げ続けた。


「女神様」「女神様」


 夜になると、街の者は口々にエルメリアをそう呼ぶようになっていた。

 彼女は『そんな畏れ多いものじゃないです!?』と、顔の前で手を振り続けるも、その美貌も相まってか、すがりつこうとする者が後を絶たない。

 これには、パッカーが指示した<経口補水液>も関係していた。その効果はすぐに現れないものの、『女神からの施し』との気持ちが、明日を生きようとする希望を取り戻させたのだ。

 水源が枯れたのはこの街だけではない。なのでこの一件は、街だけに留まるはずがない。

 城に『女神が降臨なされた!』との(しら)せが届けられるやいなや、たちまち国中の期待感が高まったのである。

 ティラたち一行は気づくはずもなく、夜明けと同時にそれが押し寄せてきた――。


『女神はいづこに!』


 早朝。空がまだ白み始めた頃にもかかわらず、幾多もの馬車の音がかしましく街に響く。

 宿屋に泊まっていたティラたちは、『何事か』と飛び起き、血相を変えて飛び込んできた従業員の言葉に驚きの声をあげてしまった。


 ――国王の使者が参られました!


 一行は慌てて階段を駆け下り、人混みを掻き分け昨日の騒動のあった噴水へ向かった。

 どよめく街の者を傍目に、噴水の近くまでゆくと――そこには数体のゴーレムと、多くの兵たちが隊列を組んで並び立っていた。地肌の上に革の胸当てを装着し、下半身は布製のズボンと金属板を貼り合わせた腰巻きとすね当て姿と、砂の地ならではの兵装である。

 彼らも顔色が悪いものの、エルフの女たちを見るなり色めき立った声を漏らした。


「――ん? わ、わわっ!?」


 真っ先にエルメリアが気づき、慌てて胸元を隠した。

 起き抜けの姿のまま、肩から胸元が大胆に広いた薄手のネグリジェ姿のままなのだ。

 兵士たちはおろかその先頭に立つ指揮官ですら、粛然とした態度を忘れてしまっている。

 対して、ティラやエクレアはさほど気にした様子を見せず、大あくびを浮かべるだけだった。


「まーた、大所帯で来たわね……ふぁ、あぁ……」

「ふぉうふぇすわね……」


 それに指揮官はハッと我に返り、姿勢を正してエルメリアの方を向くや、片膝をついて頭を垂れた。周囲の兵士たちも、それに続いて膝をついてゆく。


「ふぇ!? あ、あのっ――」

「女神よ! どうか、どうかっ、我が国をお救い下され……っ!」


 仰天したエルメリアに気づかず、指揮官は乾いた砂を見つめながら言葉を続けた。



 昼を大きく回った頃、城門をくぐった少女たちは凄惨な光景を前に絶句していた。


「こ、これほぼ全員……!?」


 リザドの街のみならず、タルシャの城下町、果ては城の中までも乾きに喘いでいた。

 衛兵たちは特に重症だった。立つこともままならず、壁にもたれ掛かったままぐったりとしている者が殆どである。また、女官や使用人たちの姿も見えず、明かりが落ちた暗闇の向こうから、小さくか細いうめきが聞こえるだけだ。

 その様は“砂上の楼閣”にも見え、もしこの状態で攻め入られたら……と、危惧するティラたちの傍らで、パッカーだけは唯一冷静に周囲を見渡していた。


 ――どうか城を、この国をお助け下さいッ!


 街にやってきた指揮官は、地に手をついてエルメリアに嘆願した。

 城の地下に流れる水もついに途絶え、ごくわずかしか残っていない。国王は惜しまず街の者・特に子供に与えるよう指示したが、それは焼け石に水……ほんの数時間生きながらえる程度だ。

 もはやこれまで、覚悟を決めようかとしたその時――『女神降臨』の報せが城に舞い込んだ、と言う。


 それを聞いたティラたちはすぐ、タルシャ側が用意した馬車に乗り込んでいた。

 縁もゆかりもない地であり、人間の国がどうなろうと関係のない話だ。助ける道理はない。

 しかし、唇が渇き衰弱しきった子供たちの姿を見れば、そんな言葉は言い出せなかった。

 水を得たと言えど、二日もすれば再び乾きが襲うだろう。『それ以降は自分たちでどうにかしてください』では、いつまでも後ろ髪を引かれ続けてしまう。首を突っ込んだ以上、根本からの問題解決を図るしかないのだ。

 だから望まれるまま城までやって来たのだが……ティラには納得のゆかないことが一つあった。


「おかしいでしょ! 何であの子ばかりなのよ!?」

「この国の者は、完全に“女神様”に心酔しきっておりますわね……。

 まぁ、あの顔とスタイルで、絶望から救ったのですから無理もないですわ」


 それは、【エルメリアとその仲間たち】になっていることである。

 国王との謁見が許されたのも彼女だけで、『お共の方は別室でお待ちください』と、適当な部屋に放り込まれた。部屋の隅に大きな木箱や樽などが置かれているところからして、食料品などの貯蔵庫だろう。ティラはこれに憤慨していた。

 対するエクレアは、「よくあることですわ」と、どこか達観した様子で首を振った。おもむろに腰にぶら下げた布袋から、<アクアゼリー>を取り出すと、ひょいと口に放り込む。味はラクアで食べたものとまるで違う。薄くて塩気のあるそれに眉を寄せながら、くっと喉を鳴らす。

 一拍おいて、「ふう……」と不満げなため息を吐いた。


「やはり、“ひとごこち”はつけませんわね。葡萄酒やライム水が懐かしく思えますわ……」

「ま、<経口補水液>だからね。

 果実を混ぜたブランデーの<アクアゼリー>だったら、っていつも思うわよ」

「あら、それいいですわね」


 彼女らが手にしているのは、リザドの街で作ったものである。

 街から水を運び、到着と同時に城下町から城の者に与えることになったものの、水そのものを運んでいては、運搬にも投与にも時間がかかる。

 そこでエルメリアが、『これで<アクアゼリー>と同じのを作ろう』と、提案したのだ。

 おかげで、運搬効率がぐんと上がった。


「しかし、あのゴーレムの手はいったいどうなっているのか……謎ですわ……」


 エクレアは親指、人差し指、中指の三本を立て、カニのようにわきわきさせた。

 袋や容器にコーティングするのはティラの役目で、それに詰め込むのはパッカーの仕事である。その手際は実に鮮やかで、エクレアは『あの三本爪のアームでどうやって』と、首を傾げた。


「まー、アイツに関しては持ち主である私も謎だらけよ」


 ティラは小さく息を吐くと、よっと声を出しながら立ち上がった。


「どこにゆかれますの?」エクレアは片眉を上げ、言葉を続けた。

「我々は招かれた身。勝手に出歩くのは、あまり褒められる行動ではありませんことよ」

「言われなくても分かってるわよ。

 パッカーの所へ、コンディションはどうか訊きに行ってくるの。すぐ戻ってくるわ」


 そう言いながら、部屋を出たその時であった。


「あ……!」


 ティラの右肩に、どんと何かがぶつかった。

 感触からして人だ。ティラはすぐに謝ろうと顔を向けると――


「おお、すまんすまんっ! 前向いて歩いていたらぶつかっちまった!」


 突然の明るい声に、ティラは謝ることも忘れ呆気にとられた。悪いのはこちらの方なのに。

 そこにいたのは、茶褐色の肌をした赤毛の女だった。ハーフパンツにタンクトップ姿で、口ぶりは男っぽいが、胸には適度な膨らみがある。

 彼女の“正体”にはすぐに気づいた……が、それとは“差異”がありすぎている。

 じろじろと見るティラに対し、赤毛の女も「んー?」と顔を覗き込んだ。


「ふむふむ? 綺麗な顔にとんがり耳……おおっ、エルフか!

 いやーっ、こんな所で我らドワーフの天敵、お上品族と会うとはなー!」

「や、やっぱりアンタ、ドワーフなのね!?

 ……にしては背高いし、ヒゲもないけど……ひょっとして、人間とのハーフ?」


 ティラは今一度、足から顔までじっくり見た。

 つま先に鉄板が埋め込まれているブーツを履き、そこから膝の上のハーフパンツの裾まで、褐色肌をしたしっかりした脛がすっと伸びている。背丈はティラよりも低い160センチ程度だろう。だが平均140センチほどのドワーフに比べれば、随分と大きい方だ。

 そして、ショート丈のノースリーブシャツから、割れた腹筋とヘソを覗かせている。

 顔は絹のように滑らかな肌に包まれており、尖ったあごにドワーフの特徴とも言える“ヒゲ”がなかった。


「ああ、よく言われるんだよ。

 脚が長くてヒゲがないのは、アタシが北方のドワーフだからさ!」

「北方……って、め、めちゃくちゃ遠いじゃないの!?」

「んー、それにはワケがあってな。これがまた笑っちゃう話で――」


 聞いてと言わんばかりに、猫がこまねくように手をパタパタ振った時であった。

 入り口でワイワイとしている二人の下に、エクレアが「いったい何を」訝しみながら近づいきた。


「……って、か、カルラですのッ!?」

「おー? その真っ黄色の髪と服は……おおっ、電撃ねーちゃんか!」

「エクレアですのっ! で、でも何で、カルラがこんな所におりますの!?」


 カルラ、と呼ばれたドワーフの女は「急な仕事でなー」とケラケラと笑った。

 どう言う繋がりなのか。交互に目を向けるティラに気づいたエクレアは、「ああ」と、口を開いた。


「この方が、ラクアの街で話した方――ゴーレムマイスターのカルラ・アイドゥンですわ」

「え、えぇッ!?」


 思わぬ紹介に驚くティラを前に、カルラは「ティラ……ティラ……」と覚えるように何度も呟き続ける。


「よし、覚えた! よろしくな、テ……ラッ!」


 強引に手を掴まれると、ぶんぶんと上下に振られた。

 まだ理解が追いついていないティラであったが、『こいつは底抜けのバカだ』ということは理解していた。

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