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第2話 砂の大地

 人間領・アースワンに渡るとすぐ、エルフの一行は東に位置する砂漠の街・【タルシャ】に向けて歩き出した。

 砂漠と言うだけあり、街へと繋がる街道にはきめ細かい砂が積もっていて、等間隔に立てられた朽ちた道しるべだけが唯一の頼りとなっている。

 緑、青、黄とそれぞれのフードを目深に被り、ひたすらに砂地に浅い足跡を残し続けた。

 出発当初の和気藹々とした空気は薄れ、時間と共に口数が少しずつ減ってゆく。


「エルメリア、大丈夫?」

「う、うん……」


 返事とは対照的に、頷く力は弱い。

 それは、人間界に足を踏み入れたことによる心労が大きな原因であった。

 旅路を往くのはエルフの乙女たちだ。エルフの中では醜女と呼ばれていても、人間界では“美女”として通用するほどの差がある。

 この中では、エルメリアは最も美人だろう。一国の長と言うだけあり、エルフの里においても相応の身分の相手が選択肢に入るに違いない。

 続いてエクレアも体型はややふっくらとしているが、顔つきとのバランスが取れている。性格とセンスの問題だ。

 そんな者たちが世界を旅すれば、たとえ聖人であっても、彼らの道徳に期待することが難しくなる。

 特に心配性のエルメリアは気が休まることを知らず、常にパッカーの傍に立っていた。

 ティラは唇を尖らせながら、自身の身体に目を落とした。


(なーんか、色気がないのよねぇ……)


 乾いているな、と自身で思う。

 胸も身体の肉付きも悪くない、と自信を持って言える。顔も化粧っ気のないものだが、自信がある方だ。

 乾いているのは今歩いている道が原因だ、とも責任転嫁を試みてもみたが、考えるほど空しくなった。


「それにしても、ティラのコーティングって凄いね。

 こんなギラギラした日差しでも、全然平気だもん」


 そう言ったのは、エルメリアであった。


「当然よ。昔から日焼け止めクリーム代わりに使ってた魔法なんだから。

 日焼け止め、虫除け、防臭は夏に欠かせないわ」

「さすが、“保護”全振りの女ですわね……」


 ロクな使い方をしていない、とエクレアは呆れたようにため息をついた。

 強い日差しの中、女たちが平然と歩き続けられるのは、ティラの“日焼け止め”のコーティングのおかげであった。

 これは、エルメリアの母親の特訓により、その効果が以前より増しているのもある。特に、“日焼け止め”の下には“遮熱”の二層コーティングを施したことで、日差しだけでなく熱の上昇も防いでいる。

 ティラはどうしてこのような器用なことができるのか。

 それは言うまでもなく、昔から日焼け止めクリームなど買う金をケチっていたからだ。


「この道の先に、タルシャって街があるんだよね?

 砂漠に住むなら水は必須なのに、何でこんな水の気配が弱いんだろう……。

 人間の世界って、自然が急速に失われてるって聞くけど、こんな不安定なのかな……」


 きめの細かい真っ白な肌を撫でながら、エルメリアは不安げな顔つきで砂の道の向こうを望んだ。

 するとその時、彼女の背後についているパッカーが答えた。


『何かが水脈を狭めています』


 皆が仰天し、足を止めた。


『原因は不明です。一キロ先の水脈は太く、街に向かって急激に細くなっています。

 この近辺が乾いているように思われるのは、それが原因です』


 その言葉に全員が顔を見合わせた。


 ――街で何かが起こっている


 パッカーが感じていた“差異”とはこのことなのか。

 ティラの足が速まったのにつられ、他の二人もいそいそと追いかけた。


 ・

 ・

 ・


 その不安は的中し、街に足を踏み入れた瞬間、一行は言葉を失っていた。

 まず出迎えるのは、道脇に放置された獣の死骸だ。完全に干からびているのか、ハエがたかっていても腐臭は漂っていない。

 それは一つだけでなく、犬や猫、鶏などがあちこちに散乱しており、大きな物では牛のようなものが身体の半分を砂に埋もれさせていた。そこから細長い五本の何かも覗いていたが、皆はそれを見なかったことにした。

 ティラたちは街の中心部へと向かっていた。黄土色の藁レンガを積み上げた建物が並び、軒先には日よけの(ほろ)がかけられている。昼過ぎの最も活気づく頃にもかかわらず、街は死に絶えたように人気がなかった。

 しかし――


<イラッシャイマセ>


 パッカーが音声を発すると同時に、ティラが身構えた。

 遅れて二人も身体を強張らせながら、周囲に注意を払った。


「こいつらが、原因……ってワケじゃなさそうね」


 ティラは腰から短刀を抜きながら、建物の間から姿を現した男たちを見据えた。

 全部で四人。すり切れたシャツやズボンを纏い、ユラユラと身体を揺らしながら近づいてくる。

 顔が汚く黒ずんでいるため年は分からないが、年配のように見受けられた。


「い、いつかは遭遇するって思ってたけど……」

「エルメリアさん、私の傍から離れぬよう」


 いつでも魔法が唱えられるよう、エクレアは手のひらに魔力を集めている。

 相手は場慣れしていないのか、それともゴーレムだけを警戒しているのか。賊たちは魔法の射程圏内で足を止めた。


「へ、へへ……マヌケな奴らだ……」

「お、おう、服か、ぜ、全部置いてゆきな……」

「命、命だけは助けてゃ、やるからよ……っ」

「ん、んだん、だっ!」


 ティラはその賊に違和感を覚えた。

 口が渇いているのか舌がもつれている。手にしている得物もスコップやカマ、木の棒などと貧相であり、その顔色も身体も立っているのがやっとの状態だったからだ。

 あと一歩近づけば、とエクレアが火の魔法を唱える準備に入っている。それを手で制止、警戒を緩めないまま口を開いた。


「アンタたち、人襲ったことないでしょう?」

「なっ……! そ、そんなこたあねぇっ!」

「そう? じゃあ、パッカー――」


 くいと顎を向けると、パッカーがそれに応じて一歩前に踏み出す。

 ティラの思惑に気づいたのか、普段とは考えられないほど荒々しく地面を踏みつけたため、小さな地響きが起きた。

 すると、賊たちは途端に震え上がり、悲鳴と共に地面にへたり込んだ。


「ひ、ひひ、ぃぃぃ――ッ!?」

「はぁ……やっぱりね。この街の具合からして、食うに困ってでしょうが……」

「お、おねげぇですっ……! そ、その水を、その水を恵んで、だせぇッ……!」

「水?」


 賊の一人が腰の辺りを指さし、ティラはすっと目を向けた。

 そこには革の小さな水袋が一つ、ぶら下がっている。細くなっている近郊の水脈、街の入り口にあった乾いた獣の死骸……考えられることはそう多くない。


『この街の者たちは皆、脱水症状を起こしています。

 塩と糖の混合水を四時間に一度、体重1kgあたり100ml与えてください。

 嘔吐した場合は、吐き出したと同じ量を。下痢の場合はそのたびに、10mlほど与えてください』

「ま、待って……アンタ今、“街の者”って言わなかった?」

『はい。ここ【リザド】の人口800人、全員が乾きに喘いでいます』


 絶望的な数字であった。

 携行している水は、全員合わせても前の四人に行き渡ればいいほどなのだ。

 水をやったとしても、それは一時の安らぎでしかなく、すぐに絶望が押し寄せてくる恐れもあった。


「お、お願いですっ! おれたり、は罰をうけて、も! こ、子供たちを……!」

「そ、そうは言われても……与えたら……」


 騒動を聞きつけたのか、街のあちこちから人の気配が差している。

 狼狽するティラの後ろで、エルメリアは一歩前に踏み出しパッカーの方を向いた。


「必要な塩と糖、水の量はいくつですか」

「え、エルメリア――ッ!?」

『当面はその噴水の水一杯で十分です。

 湯冷まし1Lに対し塩3gと糖40g、レモンなどを入れると飲みやすくなります』

「分かりました」


 エルメリアは女神像のオブジェが立つ噴水を見つめ、力強く返事をした。

 そしてすぐに手の甲にもう片方の手を重ね、水平にしたまますっと胸の前に掲げる。

 そのまま目を閉じると――


「大気に散らばる水よ――今我が呼びかけに応え、ここに集え――」


 途端に周囲に涼が走り、街の者たちは驚愕の声をあげた。

 ポツ……ポツ……と水滴が浮かび始め、それが合わさり、一回り大きな水滴を作る。

 そしてそれがまた合わさり、また大きな水滴を作る――やがて、エルメリアの周りには、赤子の頭ほどの水が大量に浮かぶようになっていた。


「女神様、この街の者のため……どうかお許しください……」


 エルメリアは申し訳なさげにそう呟くと、両手を広げ、くるりと身体を一回転させた。


「〈スプラッシュ〉――ッ!!」

『77点です』

「アンタのその採点基準は何なの……?」


 気の抜けるティラとパッカーのやり取りの横で、エルメリアの水塊は、次々と女神像に飛び向かってゆく。

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