第1話 人間の住まう地へ――
次なる目的地・ドワーフの国【エルデルク】までは、十日ほどの旅路となる。女たち一行はまず、エルフの森を抜けた先にある、人間の領【アースワン】に繋がる橋を目指した。
ティラたちがラクアの街を発ったのは、騒動を終えてから三週間後のことであった。
思わぬ長期滞在となってしまった理由、その旨を報された双方の親から、『どうぞ煮るなり好きにしてください』と、快諾の手紙が届けられたためである。なので、徹底した魔法訓練を受けることとなってしまった――。
その甲斐あってか、全員の魔法技術は著しく向上したものの……。
「魔法はさておき、花嫁修業の成果はいつになるのかしらね……」
「あのような可憐なお方が、実は一番怖い……身をもって知りましたわ……」
ティラとエクレア。ゲンナリとした様子で肩を落とす二人に、エルメリアは苦笑いするしかなかった。
「あ、あはは……お母さん、心配性な上に凝り性だから……」
それは、歩き方から毎日の服の選び方、掃除洗濯料理……『水の術の極意は優雅さにある』と、淑女のあり方や立ち居振る舞いなどまで仕込まれたのだ。(果ては夜伽の心得まで教えられかけた)
普段から貴族生活を知るエクレアには問題なかったものの、庶民の暮らししか知らないティラにとって、これは地獄のような毎日であった。
特にテーブルマナーなど、拷問そのものだ。
少しでも迷おうものなら、フィンガーボールやグラスから、“水の弾”が飛んでくるのである。これがとてつもなく痛い。
ティラに課せられたのは、“保護魔法”の底上げ強化すること――。水の保護術〈水の盾〉を始めとした“保護魔法”をユリアから徹底的に教え込まれ、それで“水弾”を防ぐよう指示されていたのだ。
「ますます家業継承に近づいてる気がするわ……。
今なら、滝に打たれても水濡れしない服とか作れそうよ……。」
「ど、どっちもよく弾けてたよ? 昨日とかもう完璧だったし!」
「その弾かれた水弾が、私に飛んできましてよ……!」
眉間に残った赤く丸い跡をさすりながら、恨みがましくティラを睨み付けた。
先の〈水の盾〉が原因だ。これは水を形状変化させることで、相手の攻撃を防御または緩和する魔法だ。
本来の水の魔法は、大気中の水蒸気を集めて使用する。
ティラはまだその段階に達しておらず、汗しか浮かばないため、水筒などの水を利用するしかない。
「でも、エルメリアの水の魔法には驚かされたわ。
簡単に、“水弾”じゃなくて、“水塊”を作っては飛ばすしさ」
「うーん、昔から遊び道具がそれだった、からかな?
確かに、前より強力になったのは実感できるけど、それ以外はまだ全然だよ。“水弾”の方が難しくて、未だに撃てないもん」
エルメリアは顎に人差し指をあて、澄み渡る青空を見上げた。
思案するように一つ唸ると、荷車を引くゴーレムの方を向いた。
「パッカーちゃん。私の“査定”をお願いしてもいいですか?
実は私、あまり“保護”の魔法が得意じゃなくて……」
『発生8:保護2 ユリア様の力を強く受け継いでおられます』
「あー、やっぱりそうなんですね……。
私、どちらかと言うと“保護”の魔法の方が好きなんだけどなぁ」
見た目に反して攻撃的だったことに、少しガッカリした様子を見せた。
するとティラは唇を尖らせ、羨ましげにエルメリアを見た。
「私は“発生”の方がいいわよ」
「あ、あはは……でもティラって、何であんなに“発生系魔法”が不得意なんだろう?」
『マスターは発生0:保護10 全振りしています』
その言葉に、全員が足を止めた。
「な、何だってぇッ!?」
ティラは素っ頓狂な声をあげた。
『ご両親であるアリーシャ様・エイス様。どちらも極端に偏っていたのが原因です』
「偏ってると言っても……。
あ、あれ待てよ? そう言われると、どっちも“発生”を使ってるところ見た記憶が……」
『アリーシャ様は発生1:保護9、エイス様は発生1:保護9
どちらも小数点以下を切り上げているので、1となっています』
「小数点以下を切り上げ……信用できないわね……」
するとエクレアは「おかしいですわ」と、パッカーに疑問を投げかけた。
「たとえ相性が良くとも、魔法の特性が極端に偏った者同士の婚姻は奨められないはず。
なのに、どうしてティラのご両親はその、一緒になられたのです?」
『肉体の相性が合ったと出ています。これはアリーシャ様も申しておりました』
エクレアとエルメリアは、ティラに同情的な目を向けた。
昔は悲恋として引き裂かれたものも、近年では肉欲で覆すケースが増えているのだ。
表向きでは『愛は運命を打ち破る』と言われているが、実際は婚前交渉によって既に孕んでいる場合が多い。体裁を気にするエルフにとって、これはあまり褒められることではなので、何とか言い繕っただけだにすぎないかった。
ティラは「親の恋愛事情なんて聞きたくなかったわ……」とガクリと肩を落とす。
「物事には理由があった、と言うことですわね。で、では私は――?」
エクレアは期待するような目をパッカーに向けた。
『発生6:保護4 両親の平均値で、父方から“操作術”の才を継いでおります』
「ふむ……数値はまぁ、あまり納得いきませんわね」
だが『才がある』との言葉に、その顔は嬉しそうである。
チラりとティラに目をやれば、ムギギ……と奥歯を噛みしめている姿が愉快に映っていた。
「私は“雷”の魔法に長けていると思いましたが、まさかそちらにも長けているとは、おっほほほ!」
「ぱ、パッカー! こんな奴にお世辞なんて使わなくていいのよ!」
『私には“嘘”と言うものは分かりません。
エクレアが“雷”の魔法に長けておられるのは、<サンダー・ストーン>を秘所に押し当て、感電死しかけたことがきっかけで――』
「わーわーわーわーッ!?!?」
「ふぅん、そっちにも長けていたってわけね」
顔を真っ赤にして俯くエルメリアの傍らで、ティラはニヒヒとあくどい笑みを浮かべた。
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人間領へと渡る橋にさしかかるまで、約二日の時を要した。
幅広い川を眼前に据えた頃はもう日暮れに近く、夜明けと共に人間領に渡ろうと決め、手前の森でキャンプを張る。女たちの旅は順風満帆で、これと言ったトラブルのない和気藹々としたものであった。
エルメリアやエクレアたちはアウトドアの経験がないため、手慣れたティラが旅の陣頭指揮を執っていることが関係している。おかげで意見の相違と言ったもめ事が何一つ起こらないのだ。
この日も煌々と輝く炎を眺め、ティラは故郷の方角を仰ぎ見た。
そこに家族を置いてきたが、特別想うことはない。なので、携行食を齧りながら涙することもない。
ドワーフの国にゆくのは気が進まないものの、後ろで控えているパッカーの整備や、その他ゴーレムの技術、そしてこの友人たちと人間の世界を横切ってゆくことが楽しみでしょうがなかった。
……が、これからの旅は必ずしも安全とは言えないのが気がかりだ。
(人間たちは、エルフのヘタレと違って容赦なく襲ってくるから、気を引き締めなきゃね……)
傍らではエルメリアがすぅすぅと寝息をたてる。
火の番をしていると言ったエクレアも、いつしか船を漕いでいた。
旅路には狼と物取りに細心の注意を払わねばならない。人間領では特にそうだ。
女たちに魔法訓練をさせたのは、後ろで控えているパッカーだけでは難しいと判断したのだろう。
ふう、と小さく息を吐いた時、パッカーが顔を向けた音がした。
『マスター、疲労値45%を越えています。お休みになるべきです』
「ふふ、分かってるわよ。もうすぐしたら休むけど……今は、郷里の念にかられてみたいの」
『分かりました』
「アンタも、もう少し気の利いた言葉でも言えたらね。
ああ、そう言えば……人間界のデータは入ってるの?」
『はい。得たデータの他に、メモリーにも入っています。ですが――』
パッカーは顔をあげ、川向こうを眺めた。
このような仕草をするのは珍しく、ティラは静かに言葉を待っている。
『各人から得たデータとメモリーを擦り合わせましたが、過去と現在に差異が生じています』
「差異……? それは何なの?」
『不明です。ですが、人間が喘ぎ苦しんでいることは確かです』
「そう。穏やかな旅路といかなさそうね」
『なので、十分なパフォーマンスを維持することが必要と判断しています』
「はいはい……。アンタはご主人様想いね」
休めと言っていると分かり、ティラは衣擦れの音を立てながら毛布にくるまった。
パッカーの黒い面は、チラチラと踊る火を映している。
彼は何を思っているのか。それを目に残しながら、ティラはゆっくりと眠りに落ちた――。




