第9話 心配になる街
会議は女たちの談笑の場に変わり、それからしばらくした頃である。
『ユリア様っ、た、大変でございますっ!?
ウンディーネ様がお呼びだと、あ、あのゴーレムが……!』
使用人が血相を変え、飛び込んできたことで、その場の空気は一変して張り詰めたものとなった。
全員が椅子を鳴らして立ち上がり、急ぎ神殿のある方へと駆けた。部外者の侵入は禁止なのだが、どう言うわけか『女たち全員来るように』との指示が出ていた。
皆がこれに不安の色を浮かべた。とりあえず行かねばと神殿に向かうも、その足取りは重くなる一方だ。
<イラッシャイマセ>
神殿の最奥に青白く光る環状の泉があり、そのほとりでパッカーが待っていた。
眼前に広がっている泉は、まるで巨大なクリスタルのようで、まさに精霊が住むにふさわしいものに思える。
「奇麗……」ティラはうっとりと声をあげると、エクレアも同意するように頷いた。「このようなものが、この世界に存在しているなんて……」
「ところで、肝心なウンディーネはどこなの?」
「様をつけなさい、様を!?」
水面を見守り続けるも、揺らぎ一つ起こらない。
一向に出てこぬ精霊にエルメリアと、その母・ユリアは不安の色を見せ始めた。
「――パッカー。アンタが『呼んでこい』って聞いたのよね?」
ティラはパッカーを仰ぎながら訊ねた。
パッカーは黒い面を上下に動かした。『これから呼びます』と言うと、大きな足を泉の縁にかける。
いったい何をするのか、皆が思ったその時――パッカーは膝を曲げ、身体を大きく沈ませた。
「ちょっ、アンタ何を――!?」
まさか。ティラが言い終わるよりも前に、パッカーはジャンプした。
誰もが絶句していた。この“静寂の間”において、それは信じられない行為だからだ。
パッカーは、宙に浮くと同時に身体を横に倒し横ばいの格好のまま、いわゆる“フライング・ボディ・アタック”の姿勢のまま落ちてゆく。
――ミルクを張った容器に水滴を落とすと、そのミルクが美しい王冠を形成する“ミルククラウン”と呼ばれる現象が起こる。
今この目の前で起こったのは、それとはほど遠い“水面爆発”であった。
「あ、ぁぁ……」
びちゃびちゃっ、と振り落ちた水滴が地面を叩く。
領主であるユリアは膝から崩れ、“終わり”を覚悟した。水底から、猛烈な勢いで浮上してくる“水の怒り”を感じとったのだ。
揺らめく泡は小さくなるどころか、沸騰したようにボコボコと沸き上がる。
先の《ランドタートル》とは違い、水しぶきは噴き上がないが――
『クルぁぁぁぁぁぁぁぁ――ッ!!』
泉から間欠泉の如き水柱が噴き上がり、遅れて飛び込んだパッカーが出てきた。
水はすぐさま美しい女の形を取ったが、それとは真逆の言葉に、皆が茫然自失となっている。
<イラッシャイマセ>
『何さらしてくれるんじゃお前ェッ!』
『メモリーを辿れば、これがゴーレムの慣習であるとありました』
『“悪しき慣習”じゃボケェェェッ!
お前らは昔から、妾の泉にプランチャしおってからに! 普通に呼べ、普通に!』
水浸しのパッカーは立ち上がると、ゆっくりとエルフの女たちに身体を向けた。
『水の精霊・ウンディーネを呼びました』
「呼びました、じゃないわよバカッ!?」
初めて目にする水の精霊であったが、その感動に浸っている余裕なぞなかった。
それは“水”そのものであり、目に見えているマーメイドのような姿は、あくまで仮初めにすぎない。何も知らない者が見れば、それはスライムにも見間違えそうだ。
そして、無表情であるが目の部分には、明らかに怒りの色が浮かんでいる。
『ったく……人形と化した存在となっても、本質は変わらぬな!
まぁよい、呼ぶように言ったのは妾じゃ、手短に用件だけを伝えるとしよう』
不承不承に言うウンディーネを前に、女たちは初めて自分たちは立ったままであることに気づき、慌てて胸の前で腕を交差して片膝をついた。エルフの最敬礼の姿である。
『うむ』ウンディーネはまず、領主・ユリアの方へ目を向けた。
『ユリア・ラクア・フラウエル――此度の一件、上手くいったかはさておき、よく対応にあたってくれた』
「も、申し訳ありません……! すべて、私の監督不行き届きでございます……!」
『よいよい。丸く収まったものじゃし、あえて波を立てる必要もあるまい。
……あの幼子のケアだけは、決して怠らぬようにな……』
短く返事をすると、その視線が外れたことにユリアは安堵の息を吐いた。
そして次は、ティラが小さく息を詰める番となる。
首の裏に冷たい何かが這い、喉がカラカラに渇いてゆくような錯覚を覚えていた。
『あのゴーレムをちゃんとしつけよ、阿呆』
「も、申し訳ありません……っ!」
『まぁしかし、あの試作型がああも機能しておるとは驚きじゃ』
「え……?」
ティラは反射的に顔を上げていた。
『む。何じゃ、知らなかったのか?
奴は現在の主流となったゴーレムの先祖、人間、エルフ、ドワーフたちが協力して造り上げた、言わば“ぷろとたいぷ”と言うやつじゃ。
確か、目的は核の代わりとなるモノの開発――しかし、これがある大失敗と惨劇を招いた。
直接魔力を必要とする型では、使用者が限定されてしまう……それを改善するために開発された。じゃったかな』
今の主流は、コアの部分に魔法石を使用することで魔力を得て動かしている。
パッカーはそこに行き着くまでに造られたのだろう。道理でゴーレムを取り扱う書籍に載っていないはずだ、と納得した様子で何度も頷いた。
そして、ウンディーネの視線はエルメリアに移される。
『さて、次はエルメリアじゃが……お主とはチョイチョイ会っておるし、特に言うこともあるまいな。
水は愛情の象徴。すべてを包み込む慈愛の心を見せたのは見事。しかし……次なる主ともなれば、時にはすべてを押し流す激流となることも必要じゃぞ。
誰とは言わんが、あの電気ショックは利いた。すごく利いた』
エクレアはぎくりと身体を震わせた。
「しょ、承知致しました……!」
『ま、それよりも先に、魔法の腕を磨くべきじゃな。
先の《ランドタートル》との一戦を見る限り、ユリアもまだまだ席を空けられん。
おろおろせず、自分が何としてやるような気概を見せい』
「う……」
『と言うことで、妾からの課題じゃ。
ユリアよ、この者たちが出立するまで、ティラミアとエルメリアをビシビシしごいてやれい。
いや、よしとするまでこの街から出すでないぞ。練習相手には、その目の痛くなる服を着てる女を使え、よいな?』
ティラミアには“水の保護術”を、エルメリアには“水の発生術”を教えよ、と続けた。
まさかの言葉に、当事者たちは口をあんぐりと開けたまま、そしてそれらの指南役を命じられたユリアの顔は、みるみるうちに不安に染まってゆく。
「あ、あぁ、どうしましょう……娘とその友に厳しくあたらねばならないなんて……。
怪我をせぬよう、防具を……ああ、訓練場所には柔らかいマットも用意せねば……いや、そうしたら訓練には……ああでも、もし万が一怪我なんてしたら……。
そう言えば、薬箱の中を見たのはいつかしら、いやそれよりも備品室の鍵はちゃんとしてたかしら……ああ……」
その姿に、ウンディーネは頭痛を覚えたように頭を押さえた。
『……娘が生まれてからと言うもの、お主の心配性が日に日にスパークしておるのう……。
領主がそんなのじゃから、街の者まで同じ様になってきておるし。まぁ、悪しき心を持つ者も『捕まったらどうしょう』と行動に起こせないでいるので、ダメなことばかりではないが……』
階段に手すりをつける、段差をなくすことは、『エルメリアが転んで怪我なんてしたら』との親の心配から始まったことであると言う。
それを聞いたティラは、「一つ質問が」と手をあげた。
『何じゃ?』
「ウンディーネ様は、この街の行く末についてどうお思いですか?」
素直な疑問を訊ねてみると、ウンディーネはしばらく間を置き
『心配でしょうがない……』
と、答えた――。




