第7話 もしもし亀よ(2)
「来ますわッ!」
水面に黒い岩山が突き出たかと思うと、白い飛沫を舞上げ、黒く濡らした石畳の上に巨大な影を落とした。
わずかに遅れて、その勢いでエクレアの《スパイク》は、腕を池に浸けた姿勢のまま、重い音と共に背中から後ろに倒れた。
「こ、これが……!」
初めて見る巨大な亀。ティラだけでなく、全員が絶句していた。
縦横高さは一メートル半といった所であるが、甲羅はトゲのようなものが飛び出し、そのふちは鋭いエッジを効かせている。
黒々とした顎はまるでペンチであり、その足から飛び出す爪は大木槌のようであった。
たじろぐエルフたちの横で、オークたちが一歩前に躍り出た。
「これはまだ成体になる前だブッ!」
「甲羅が柔らかいから、一気に叩いてやっつけ――弱らせるブッ!」
先手必勝。オークたちは水を蹴り上げ、腕をぐるぐると回しながら駆けた。
彼らは恐れ知らず。敵と見なした者にはなりふり構わず叩き潰しにゆく。その様子から、『オークには“死”と呼ぶ概念がない』と、言われている。
だが、これを別の言い方で表すと――
「おブッ!?」
「あびィッ!?」
ただの無策・無謀、である。
くるりと回った《ランドタートル》の樹の幹のような尻尾をぶち当てられ、二体のオークが容易く吹き飛ばされた。
弧を描きながら宙を舞い――やがて、どぽんと音をたてて池に落ちる。
だいたいの予想がついていたので、ティラはそれほど驚きはしなかったものの、すぐに厄介な問題が起きた。
エルメリアを始め、この街の住人たちが得意とする水の魔法をぶつけたのだが、それは忙しく眼球を動かす《ランドタートル》の身体を濡らすに留まっていたのだ。
エルメリアの父親は憎々しげに呪詛を吐いた。
「――くそッ! やはり水の魔法ではダメかッ!
甲羅を突き破るぐらいの氷か、地の魔法を唱えねばッ!」
母親のユリアは少し躊躇いを見せたが、すぐに腰元で両手のひらを構え、魔力を込め始めた。白い光が集まり、すぐさま冷たい空気があふれ出す。
地面から巨大な氷柱を発生させる〈アイス・スパイク〉の魔法だ。
それに気づいたティラは、ハッとエクレアの方を向いて指示を出した。
「アンタ、電撃の魔法が使えるでしょ!」
しかし、エクレアは派手な頭を左右に振った。「先ほどやりましたわ!」
「厚い皮膚と甲羅に阻まれ、私の魔法ではまったく通用しませんの!」
「なら、ゴーレムは! あれなら感電させられるでしょ!」
「さ、先ほどの電撃で、しょ、ショートしてしまったようですの!」
「な、何ですってぇッ!?」
危険を察知した《ランドタートル》は、既にユリアを正面に捉えていた。
大きな魔法を放つ場合、術者はあまり大きく移動できないデメリットが生じる。
なので、唱え終わるまで術者を物理的に護るか、“保護”の魔法で障壁を発生させなければならない――魔法を解除したとしても、執拗に狙われ続けるだろう。
《ランドタートル》はさせじと地面を蹴る。
「あなたッ、エルメの後見……お願いしますッ!」
「お母さんッ!? ――ダメッ、お父さん離してッ!」
亀の脚とは思えないほど速い。
一方で白い光の輝きはますます増し、放つまであと僅かまで来ている。
このチャンスを逃せば次は無い。もし己に何かあったとしても、娘がいる――ユリアは領主としての覚悟を決め、顔を引き締めた。
となれば、後は放つタイミングだけだ。ギリギリまで引きつけよう、とぐっと脚に力を込めた。
まさにその時――女の子がその間に割って入った。
「グーちゃんッ、ダメェェェェェェェェ――ッ!!」
短い両腕を目一杯広げながら、自分の“家族”を真っ直ぐ見据えた。
僅かにスピードが緩んだようであるが、モンスターとしての足まで止められない。
その子の親も駆けつけようとするが、間に合わない。女の子はぐっと目を瞑った。
<イラッシャイマセ>
少女は真っ暗の中で、感情のない音声を聞いた。
「行けぇッ、パッカーッ!!」
霞む世界の中、女の子は背中から火を噴きながら、暴走した“家族”を殴り飛ばすゴーレムを見た。
<スプーン カラ ドラゴン マデ 、 ナンデモ パックイタシマス>
大きく仰け反った《ランドタートル》を前に、パッカーは両腕をぐっと構える。
左前足と後ろ足を浮かせたが、倒れるまではいかない。ずぅんと重い地響きを起こしながら姿勢を正すと、目の前のゴーレムに向け、は虫類のような叫びをあげた。
(ああ、間に合って良かった……)
ティラは気づかれぬよう、小さく息を吐いた。
“保護”の魔法が得意であれど、“障壁”などはまだ取得していない。
なので、咄嗟にパッカーに“耐火”のコーティングを施し〈アトミック・ファイア〉を使用させたのである。
「さぁ、パッカー! やっちゃい……じゃない、懲らしめちゃいなさいッ!」
主の命に、パッカーは石畳を蹴った。
対する《ランドタートル》は口を開く。赤いひし形の口内を露わにしながら、パッカーの脚に噛みつこうとした。
甲羅にはどれほど長い首が埋まっていたのか。ぐうんと黒い肌が伸びるその様は、まるで蛇である。
しかし、その頭が振り下ろされた時にはもう、パッカーは横に飛び上がっていた。
直後、鈍重な音が鳴り響く。
パッカーが浮いたのは、ほんの一メートルほどだ。
だがその高さから、自重をかけた右腕を思い切り振り下ろされ、《ランドタートル》の頭が強く石畳に叩きつけられた。口から粘液状のものを吐き出し、一瞬意識が飛んだかのように足をバタつかせる。
パッカーはすぐさま左腕アームを開くと、がっちりと頭部をホールドして押さえつけた。
「――ティラミア様ッ! ゴーレムを横に向けて下さい!」
背後からの声に、ティラは《アイス・スパイク》を撃つのだとすぐに理解した。
ティラが命じるよりも早く、パッカーは悶える《ランドタートル》の頭を抑えながら、身体を横に開く。――それと同時に、“白い風”がティラの脇を走った。
肌を裂くような凍てつく風は、濡れた地面を瞬時に凍らせながら《ランドタートル》へと向かってゆく。その足下に到達した時、巨大な氷柱が打ち上がる。
――はずだった。
「な゛っ……!?」
これがモンスターの本能なのか。
押さえつけられている頭を支点に、尾を石畳に突き刺し、鈍重な巨体の半身を持ち上げたのだ。
その光景に、ティラだけでなく全員が驚愕としていた。
《ランドタートル》の目は、『甘い』と、嘲笑っているかのようにさえ見える。
身体を横に立てたその脇を、今まさに“白い風”が走り抜けてゆく。これでは氷柱が天を射すだけだ。
――失敗した
誰もがそう思ったその時であった。
パッカーは右腕のアームを開いたと同時に、大地を走る凍てつく風が、アームに吸い寄せられるかのように、急に方向を変えたのである。
「――――――ッ!!」
突出した太い氷柱に首の付け根を貫かれ、《ランドタートル》は甲高い断末魔をあげた。
傷口からダラダラと赤い血を噴き出し悶絶する亀を前に、女の子が「グーちゃん……!」と悲鳴のような声をあげた。
<パッキング ヲ カイシシマス>
いつぞやの夜のように、パッカーの胸部が開いた。
「ちょっ!? パッカー、待ちっ――」
ティラが言い終わるよりも早く、《ランドタートル》は光に飲み込まれようとしていた。




