第5話 真実を黙する者
翌朝、ティラはエルメリア両親と朝食を共にすることになっていた。
案内された場所は家族用のダイニングのようで、想像していたような大広間の中で、橙色に灯りに浮かぶ長テーブル……と言った貴族的なものではなかった。
それでも十分に広く、全員が席についてもまだ半分ほどの席が空いている。
ティラはその先の中心・簡素でありながら高級感漂わせる椅子に座る女性に目を向け、すっと頭を下げた。
「おはようございます。ティラミア様――よく眠れましたか?」
青髪をした女性が、ティラに優しく微笑みかけた。
「は、はいっ……!」
ティラは舌をもつれさせながら、短く返す。
目の前に居るのは、エルメリアの母親――ラクアの街を治める領主・ユリアである。
エルメリアの綺麗な青髪は、きっと母親譲りなのだろう。清流のように美しく流れる髪をしている。
また召し物は流れゆく川と若草をイメージしているのか、光沢のある青いシルクを大部分に、襟元や袖口の萌木色が美しく映え、女としての憧れを抱かずにはいられなかった。
その横には、同じく青い髪をした壮年の男が座る。こちらは紺のシルクローブの下に、袖の長いチュニックを着ているらしく、ローブの袖から金糸で刺繍が施された赤い袖口を覗かせていた。ティラは、こちらにも興味を抱かずにはいられなかった。
「ティラミア、と言ったね。そんなに堅くならずとも良いぞ。
エルメにこのような良き友が居て、我々は非常に喜ばしく思っている」
「い、いえ、そんな!」
ティラは目の前にある丸いパンに手を伸ばすと、さっと自分の皿に載せた。
このような格式高い席は初めてであるが、萎縮している大きな理由は、エルメリアの父親が結構なイケメンだからである。恥をかくまいと、極力自分を殺しているのだ。
その様子にユリアはコロコロと笑い、娘のエルメリアに目を向けた。
「エルメは学校のことをあまり話さないのです。
どのような生活をしているのか、食事はちゃんと摂っているのか、ご学友とは仲良くしているのか、それがもう心配で心配で……。
そこに突然、学校からの連絡……ああ、この国の行く末は、いやそれよりもエルメは大丈夫なのか……もう取るもの手につかず、無事を祈る毎日でありました……」
父親も同意するように、二度、三度頷いた。
「うむ。その通りだ。
しかし、私としてはそれよりも、悪い虫が寄ってきていないか心配でね……。
学校と言えば、やはりそのような色恋沙汰はつきものであるし、醍醐味でもある。
親としては、少しでも良い男の方が――」
すると、エルメリアは軽い反抗期のように言葉を尖らせた。
「も、もうっ! そんなの心配しなくていいの!
確かに、エクレア先輩のこととか、学校の授業に遅れてないかとか心配だけど……。
それより今は、ウンディーネ様の件を心配するべきなの!」
子がいるなら親がいる。エルメリアの心配性は、間違いなく両親の影響だ。
ティラは納得しながら、バターをたっぷりと塗ったパンにかぶりついた。
するとその時、ユリアは急に「あっ」と、何か思い出したような声をあげた。
「ティラミア様、お母様にお礼を申し上げておいて下さい。
あのような美味なイチゴは初めてでした! 帰りは是非、その御礼の品を――」
「い、いえっ、お構いなくっ!?」
次は家を売らねばならなくなる、と心の中で続けた。
それからしばらく談笑を続けていたが、全員の食事が終わったのを見て、ティラの父親は両肘を机の上に乗せ、ずいと身を乗り出した。
ティラはすぐに顔を引き締めた。その顔はこれまでの朗らかなものではなく、領主としての顔なのである。
「して、エルメより聞いたのだが――この街の“異変”を知る者がいる、との話はまことか?」
「は、はいっ……! 私も直に聞いたわけではないのですが、パッカー――私のゴーレムにコンタクトを取り、そう伝えたようなのです」
「ふむ……。あのゴーレムは興味深い存在だが、どうしてまた、我々ではなくゴーレムに……」
信用されていないのかと、不安げな表情を浮かべたが、ティラにはその理由が分かっていた。
――心配しすぎて、コトを荒立てるからだ
精霊も騒動にはしたくないのだろう、と。
「恐らく、我々に……第三者に見つけてもらいたいのだと思います。
直接聞き出さずとも、パッカーは見ただけでも粗方の調査もできますし、ウンディーネ様も水面下で処理してもらいたいのでしょう。水の街だけに」
領主である母親も「なるほど」と頷いた。
原因となった者を罰さねばならないが、穏便に済ませられるならそれに越したことはない。
すぐさま調査の許可を下そうとした、まさにその時――衛兵が血相を変えて飛び込んで来た。
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――バルドル家の娘が、ゴーレムと二体のオークを引き連れて来た
街は騒然としていた。
パッカーを引き連れて降り立ったティラと、エルメリアとその家族は、その光景に言葉を失っていた。
池の傍らで簀巻きにされたオーク二体と、奇抜な色のローブ着たエルフの女と、同じ色のゴーレムが一体、並べられているのだ。
「なーにやってんの、アンタら……」
ティラにはすべて、見覚えのある面々である。
「あ、貴女はッ……! お、お願いッ、誤解とこの縄を解いてくださいまし!?」
「おお、い、いつぞやのエルフ女だブッ!?」
「た、助けて欲しいんだブッ!?
我々は川の流れに身を委ねていただけなのに、いきなり釣り上げられたんだブッ!?」
エクレアはオークたちを強く睨み付けた。
「違いますわっ! こいつらは、わ、私のトイレを覗いたんですのよ!」
「あれは事故だブ!?」
「そうだブ!? たまたま見えただけ、だブ!?」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた“捕らわれ人”を前に、ティラは頭痛を覚えていた。
「アンタね……敵対宣言した所に乗り込んだら、こうなるに決まってるでしょ?
ノーアポなんでしょ? バカじゃないの」
「うっ……そ、そんなの、関係のないことですわっ……!
早く縄を解いて、エルメリアと話させなさいっ!」
エルメリアは名前を呼ばれ、ビクっと身体を震わせた。
「はぁ……パッカー」
『エクレアの心拍数および呼吸頻度上昇。嘘をついております』
エクレアはそれに、下唇を噛んで顔を伏せた。
「…………」
「目的があるなら、素直に口に出しなさいよ」
『彼女の目的は――』
「アンタは口に出さなくていいの」
ティラの言葉に、パッカーは黙した。
リスクを冒してまで、本人自らがやって来たのには相応の理由が必要である。
彼女を縛っている縄を解くと、エルメリアの方へぐっと押しやった。
二、三歩よろめいた後、じっと足下を見つめていたエクレアは、やがて顔を上げ、下唇を噛みながらエルメリアの顔をじっと見つめた。
「先輩……」
「……さい……」
「え……?」
「ご……ごめん……なさい……」
その言葉を発したと同時に、エクレアの想いが堰を切った。
「貴女は、何も悪くないのに、私は……ひぐっ……愚かなこと、をっ……」
「先輩、いいんです……」
エルメリアはエクレアの手を両手で包み込むと、小さく頷いて見せた。
「私は、先輩に何もされていません」
「で、でもっ……!」
「周りの人が、勝手に騒ぎ立てただけで、私たちの間には諍いなんて何もないのです。
ここにやって来たのも、街や家の騒動が起こったからではない。エクレア先輩個人として、ここに遊びに来てくれただけなんですから」
「う、うぅぅ……」
目元に涙を溢れさせたのを見て、エルメリアはそっと抱き寄せた。
その後ろでは、二体のオークも目元に涙を浮かべている。
……が、そんな彼らにティラは冷静に口を開いた。
「――アンタらは処刑でいいんじゃない?」
「よしっ、人食い魚の用意をしろ。二百匹ぐらいでいい」
「何でだブッ!?」
「処刑方法もアグレッシヴすぎるブ!?」
じたばたと身もだえするが、魔法によって強化された縄は容易く切れる物ではない。
もはやこれまでか、とうなだれるオークに、ティラは「そういえば」と、何かを思い出していた。
「パッカー。昨日、ウンディーネの不満云々って言ってなかった?」
『はい。『妾は、豚の身体や小娘の小便のために水を清めているのではない』と言ってました』
エクレアはハッと顔をあげ、ティラはオークの方を向き直った。
「アンタたち。さっき『あの女のトイレを覗いた』って言ってたわよね?」
「うむ。言ったブ」
兄貴分が何かを思い出しながら「天国だと思ったブ」言うと、弟分は「肉厚な貝が潮吹いてたブ」と、惚けたような顔をしながら続ける。
ティラはそれに呆れを通り超し、真顔になった。
「エクレア。聞くまでもないと想うけど……こいつら処刑したい?」
既にゴーレム・《スパイク》を起動しているエクレアは、その拳をガンッと叩き合わせた。
「み、見るつもりはなかったんだブッ!?」
「お、俺たちは、人間の地・【タルシャ】に行こうとしてたんだブッ!
だけど、いかだで川を渡ろうとしたら、制御できなくて……」
「川にドボン、そのまま流れに身を委ねていたら、なんか心が落ち着いてきたんだブ……」
その言葉に、エルメリアとその両親も「水は清浄・愛情の象徴だから」と苦笑する。
元から少なかった、オークとしての“邪な心”が、ウンディーネの加護を受けた水によって浄化されてしまったのだろう。
犯人が分かって納得したものの、まだ解けていないことがある。
「人間のところに侵略に行こうとして、迷い込んで……心が洗われたっての?」
「ち、違うブッ!
我々は、破壊や略奪、暴虐の限りを尽くす極悪非道なイメージを覆そうと決意し、集落を去ったんだブッ!」
「我々は正義のオーク集団・〔トゥエルブ〕だブッ!
タルシャの街は今、窮地に瀕していると聞き、助けに行こうとしてただけだブ!
あと、オークも最近は侵略を止めてるブよ」
「うーん……」
ティラは腕組みし、パッカーに判断を委ねた。
『嘘は申していません』
エルフの里において、オークは危険な存在である。
しかし、害をなさない、むしろ世のために行動しようとする彼らを切り伏せるのは、少し夢見が悪い。確かに襲われそうになったが、結果的にパッカーを得られたのだ。憎む理由としては弱い。
さてどうするべきか、全員が領主の方へ顔を向けた。
「な、なんでこんな時だけ!?」
「それがトップの宿命なのよ――どうする? 処刑?」
「私は処刑に票を投じますわ」
「え、えぇっと……血なまぐさいのもアレだし……。
こそこそっとエルフの里から出て行くなら……セーフ?」
それを聞き、オークたちは安堵の表情を浮かべた。
「あ、ありがとうだブッ……!」
「貴女は命の恩人、女神だブッ……!」
地面に頭を擦りつけるオークであったが、ふと何かを思い出したように言葉を続けた。
「ああ。じゃあお礼に、そこの池にいる奴をやっつけてやるブよ」
「池に……って、アンタら恩を仇で――」
「違うブ。その池の底に多分、《ランドタートル》が棲み着いてるんだブ」
それを聞いた全員がどよめきをあげた。
《ランドタートル》とは、その名の通り亀である。刃を受け付けぬ堅い甲羅と、鉄すらも容易く噛み切る、強靭な顎を持っているモンスターである。成体は三メートルほどにもなり、また繁殖力も高い。だがこの池に、とてもそのようなモンスターがいるようにも思えない。
住民たちは「何をデタラメなことを……」と首をすくめるが、その池の構造を知る者たちは、みるみる内に青ざめてゆく。
「ま、まま、不味いよそれ……!?」
「不味いって何が? 池はすり鉢状だし、そこまで浅くない――」
「ち、違うよ!?
そう見えているだけで、この池はあそこ……水の神殿の下にまで繋がっているんだよ!?」
「はぁっ!?」
そこに、ウンディーネが住んでいる。
もし《ランドタートル》がいるとなれば――街の管理不行き届き、心証は最悪である。
「で、でもなんで!? あんな大きなの、やって来たら普通分かるよ!?」
「確たるものはないけど、甲羅でごりごりと壁を擦る音がしたブ。
あれは成体になる時期に見られる、甲羅のフチにエッジをつける行動だブ」
「成体って……もしかして、ここで子供が大きくなったの!?」
エルメリアの言葉に、母親は想わず立ちくらみを覚えていた。
それに、ティラは『ん?』と何かが引っかかり、パッカーを仰ぎ見た。
『街の中に、真実を黙する者がいます』
「ウンディーネがそう言っていたのよね……って、まさか、この街の誰かが《ランドタートル》の、子亀を池に放ったっての?」
『その通りです』
街の者はざわめき、指を差しては眼前で手をぶんぶんと振っている。
エクレアは何が起きているのか分からず、ただ呆然と突っ立っていると――たった一人、スカートの裾を堅く握り締め、下唇を噛み、目に涙を溜めながら、必死で何かを堪えている女の子がいることに気づいた。
言いたくても言えない、どこか似た想いを味わった者だからこそ気づいたのだろう。
「ティラミアさん。あの子なのですが――」
エクレアが指を差し、ティラやエルメリアがそこに顔を向けたと同時に……女の子は突然、大きな声をあげて泣き始めた。




