第4話 根深い問題
「――ったく、心配性にもほどがあるわよ!」
「う、うう、ごめん……」
ティラは忌憚なく言うと、出された水菓子・<アクアゼリー>を頬張った。
そんな彼女を前に、鮮やかな青色のローブに身を包んだエルメリアはしゅんと肩を落とす。
ここは彼女の居室――ラクアの街を治める領主の邸宅の中である。
再会の挨拶も碌にせぬまま『さっさと歩け!』ティラに尻を叩かれ、どちらが捕らえられたのか分からない絵面のまま上がり込んでいた。
「でも……せっかくの再会なんだから、ちゃんとした挨拶ぐらい――」
「まだ一ヶ月も経っていないし、私たちの間にそんな水くさいことは不要よ。
仮に千年経っていても、私たちは『やあ、元気にしてた?』程度でいいの」
「そ、そうなの?」
エルメリアは顔をぱっと明るくした。
あまり友達がいないのもあるが、“領主の娘”と言う肩書きだけで距離を置かれてしまう。なので、こうして“友達”として見てくれることが嬉しくあった。
おっとりした顔を綻ばせるのを見て、ティラはさっそく本題を切り出した。
「で、あのバカ女に何されたの?」
「ちょ、ちょっと……声大きいよ!? 先輩に聞かれてたら……」
キョロキョロと周囲を気にするエルメリアに、ティラは呆れかえっていた。
「ここはアンタの国で、アンタの部屋の中でしょうが……。
あのバカ女の手先がどうやって聞き耳立てるのよ……」
「あ、そ、そっか……」
「はぁ……まったく……。
それで? 殴られたの? “巾着袋”にされたか、裸にひん剥かれでもした?」
「そ、そんなことされないよっ!? ただちょっと、面倒なことになりそうでさ……」
片眉を上げたティラに、エルメリアはポツリ、ポツリとそれを話し始めた。
「ティラが学校を出た翌日ね、激高したエクレア先輩が教室に乗り込んで『家ごと潰してやる』って言ってきたの……。
クラスにシャルルさんいるでしょ? あの人が『この人、ラクア領主の娘ですよ……』って伝えたら、先輩が途端に青ざめちゃって……」
「ま、待って!?
あの女の性格からして、とんでもなくヤバくなる状況じゃないのそれ!?」
エルメリアの言葉は、嫌がらせを受けた程度では済まない、予想を遙かに越えた内容であった。
相手の高慢さからして、自身の非を認め発言を撤回するとも思えない。
それも自分がナンバーワンだと思っている。相手が権力者だと分かった途端、尻尾を隠すような恥は晒せないだろう。狼狽し、言い淀むエクレアの姿が想像できた。
「そうなの……」エルメリアは頬に手をやり、困り果てたように息を吐いた。
「そこで言葉を濁して去った、まではいいんだけどね……。
すぐに噂が広まって、先輩のことをよく思っていない人たちが『ラクアを侵略するってマジなのですか?』とか、わざと聞いて、煽り立てたみたいなのよ……」
報復だろう、とティラはまず思った。
下唇を噛み、顔を真っ赤にして廊下を歩くエクレアの姿は、今にも何をしでかすか分からない状況であったとエルメリアが言う。
担任が郷里に帰すよう命じたのは、これを危惧してのことだった。
「下手すりゃ戦争、アンタの心配性がマッハになるわけね」
けらけら笑うティラに、エルメリアは「笑い事じゃないの!」とぷんぷんと唇を尖らせる。
「――ま、だから街があんな厳戒態勢をとってるってわけね」
「ふぇ? あれは普段通りだよ?」
「普段から住民の中に“手の者”を紛れ込ませているって……」
どーなのよ、とティラは呆れ返った。
「あんたの心配性が方々に伝染してる、とかじゃないわよね……?」
「わ、私はそんなに心配してないよ!?
あれやってるのお母さんだし。街の人が本当に心配しているのは、エクレア先輩とのイザコザじゃなくて、ウンディーネ様との問題が心配なんだから……」
「……ウンディーネ? って、水の精霊・ウンディーネのこと?」
新たに出てきたワードに、眉を中央に寄せながら訊ねた。
「うん。この街に良質な水が湧き出るのは、ウンディーネ様のご加護のおかげなんだけど……最近、どうしてか『水を汚す愚か者が!』って怒ってるの……。
この街の人は絶対に汚す真似なんてしないし、何とかその理由を訊いても『友を頼れ』としか返ってこなくて……」
ティラは<アクアゼリー>を手にしたまま、固まってしまった。
精霊が棲まう地は各所にあり、このラクアの街のように共存している場所もいくつかある。
……だが、彼らの機嫌を損ねた途端、そこは死地へと変貌するのだ。
「だからティラに相談したの」
エルメリアは困り果てたように息を吐いた。
街の存亡がかかっているであろう事態に、領主の娘はこんな場所で悠長にしていていいのか――。いやしかし、考えようによっては『遠方からすぐに駆けつけた』と、次期領主に向けてのアピールになるだろう。
天秤にかければ、どちらが効果あるか明白である。
ティラは顎に手をやりながら「うん」と一つ頷いた。
「あの女も、ちょうどいい時に問題を起こしてくれたものね」
「ふぇっ!? なんでいきなり鞍替えしたの!?」
エルメリアが驚きを隠せないのを横目に、ティラはゼリーをもう一口頬張った。
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陽がすっかりと落ち、水の街に群青色のとばりが降りた頃――。
エルメリアと豪華な夕食を堪能したティラは、屋敷の外のある建物に足を向けていた。
それは街から屋敷に繋がる階段を上がってすぐの場所にある。
彼女はそこから望むラクアの街を見下ろした。
橙色の街灯りを反射する中心の池から、この街に相応しい趣が感じられる。
心地よい夜風にそっと目を閉じると、エメラルドグリーンの髪をしばらく遊ばせた。
(こんな所で住んでいれば、のんびりした白魚にもなるわ)
森育ちの友達はまるで野生動物なのに、と苦笑いを浮かべた。
そして、視線の先にある建物にいるのは、それに相応しい相棒だろう。
ティラは足をそこに向けると、入り口に立っている衛兵に軽く頭を下げ「もう結構よ」と人払いした。
重い金属扉をぐっと押し開くと、そこから油の臭い混じりのむっとした熱気が漏れ溢れ、ティラは思わず顔をしかめてしまう。
「――具合はどう、パッカー」
『コンディション:良好です』
宙に浮かぶ明かりの魔法を受け、壁にパッカーの大きな黒い影が伸びる。
部屋には工具や油が染みこんだ布の類が散乱している。
ティラはそれらをざっと見回した後、再びパッカーの方に向き直った。
「やっぱ、素人整備じゃ至らない部分があるわね……」
ラクアの街に到着してから、パッカーはずっとメンテナンスを受けていた。
ここにゴーレムはいないが、整備技術を学んだ者がいると聞き、この機会にと診てもらうことにしたのだ。
『メカニックは学んだだけで、整備の経験は浅いようです』
「そう……」ティラはすぐ、パッカーは未だ完全ではないのだと察した。
そして「ちゃんとしたメカニックの整備を受けさせてやりたいけど……」と続ける。
これまでの整備と言えば、ホコリや汚れを落とすか、なけなしの金をはたいて購入した<ゴーレム用油>を差すなどの素人作業ばかりで、碌な整備ができていない。
すると、パッカーはコンと自身の胸を叩いた。
『古い知識を持つ彼でも、私の構造は見たことがないと仰っていました。
完全なメンテナンスを施す場合、ゴーレムに精通した者でなければならないと予想されます』
「うーん……となると、マイスターレベルか……。難しいわね」
どこが不調か、それはパッカー自身が述べることができる。
なので、それを修繕できる技術を学ぼうか、とティラは無謀な考えをしていると――。
『それと、つい先ほど、ウンディーネからコンタクトがありました』
「ウンディーネか……そいつの技術なら――って、えぇぇぇっ!?
な、なんで!? アンタって、巫女的なものまで持ってんの!?」
あまりに唐突な発言に、ティラはおののいてしまっていた。
精霊と交信するには、その地の領主か“交信術”を会得しなければならない、とエルメリアから聞いたばかりだったからだ。
『ゴーレムは元々は自然界の物質であるため、精霊がコンタクトできるのです』
「へぇ……。確かにゴーレムは本来、岩石や泥で造ってたからね……。
でっ、でっ、向こうは何てっ!」
『ふてくされていました。
豚の身体や小娘の小便を流すために、水を清めているのではないと』
「何それ……?」
『もう一つは、『真実を黙する者が街にいる』と話しておりました』
前者に関しては何となく分かるが、後者に関してはまるで検討もつかない。
「ま、とりあえず、それをこの街を統べる人たちに伝えに行きましょう」
『了解しました』
ティラはパッカーを連れ、建物を後にした。
◇ ◇ ◇
それよりも少し時刻を遡り、空が茜色に染まり始めた頃――。
ラクアの街に繋がる乾いた砂利道の上に、大小二つの影が長く伸びていた。
真っ黄色な派手なドレスを来たエルフの女、その横には同色の塗装が施されたゴーレムが一体、ガシャンガシャンと高い金属音を起こしながら併歩している。
「はぁ……」
それは、エクレアと《スパイク》であった。
彼女の足取りは重く、数十メートル歩くたびに鬱々としたため息を吐いた。
――行きたくない
彼女は<エルダー樹の花蜜>が入ったカゴを握り直した。
古木となり、最後に咲かせる花を絞ったもので、タルタニアでも滅多に手に入らない、正規で購入すれば小瓶でも金三枚は下らない超高級品である。それが五本も入っている。
とは言え、いくら我が儘を言ったところで始まらない。
いや、始まってはいるだろう。しかもそれは、最悪の結末に向かっている。
どこかで方向転換せねば、家まで跡形もなく消し飛んでしまう。
(結局、私はちっぽけな小娘にすぎないのかしら……)
それは、エルメリアに宣戦布告したことが原因だった。
喉元過ぎれば、と思い黙っているつもりだったのだが、噂話は迅雷の如く――クラスメイトに留まらず、何と両親にまで届いてしまっていたのだ。
バルドル家を快く思わない学校の誰かが、親に話したのだろう。
呼び出されるやいなや、『あの面倒……いや、繊細な街に宣戦布告するとは何事だ!』と叱咤されたのである。
初めて見た怒りの形相に動揺し、親に対しても非を認めず、食い下がったのが不味かった。
(まさか、ぶたれるなんて……)
それを思い出し、エクレアは左頬をさすった。
赤みは引いているが、その痛みはしっかりと刻み込まれている。
その翌日、エクレアは家を放り出されるようにして、赦しを請う旅に出された。
「遠いし、冷えるし、怖いし……」
空は藍色に染まり始め、ぶる……と身体を震わせた。
道中は木賃宿に泊まったが、今晩はいよいよ初めての野宿になりそうである。
すぐに《スパイク》が起動できる場所がいいと考え、周囲が見渡せる川辺に足を向けた。
初夏の頃とは言え、ひゅうと吹く風は冷たく、首筋を撫でられると身体もぶるりと震わせてしまう。
「か、川辺って結構冷えますのね……うぅ……」
同時に下腹部からの欲求に、エクレアは少し躊躇した。
このような開けっぴろげな場所では少し抵抗がある。しかし、『我慢しろ』と思うほど、そこからの欲求が強まってゆく――。
「う、うぅっ、だ、誰もいないですので大丈夫ですわっ!」
自分に言い聞かせるように、スカートの裾を大きくまくりあげた。
◇ ◇ ◇
そのまた一方で――。
「アニキ。流れに身を任せるってイイもんだブな……」
「そうだブなー……」
ラクアの街に繋がる川に、いつぞやの二体のオークが仰向けに浮かんでいた。
「まさか川を渡ろうとしたら、いかだが壊れると思わなかったブ」
「あの激流は、死ぬかと思ったブ……丸太があって良かったブ」
「“カルネアデブの板”にならなくて良かったブ」
「殴ったのは忘れないブ。
でも、オレ様は心が清らかになってるから、水に流してやるんだブ」
「流石、アニキだブー」
清らかな水のおかげか、二体の声音は柔らかく、またその表情も和やかなものであった。
じわじわとラクアの街が近づいてきた頃、弟分は川辺で動く何かに気づいた。
「アニキ、向こうから何か匂うブ」
「む? お、おぉこれはっ、だブ!」
オークは鼻が利く。二体は流れに身を任せながら、それがいる方に目を向け続けた。
数百メートル先の、エルフの女――数日ろくに汗を拭えていない、彼ら好みの匂いに加え、滅多にお目にかかれない“メスの香”がしているのに気づいたのだ。
そして、そこに差し掛かった時……派手な色のローブを着たエルフの女と目があった。
「…………」
弟分は何も言わず、口を半開きにしたままそれを見つめていた。
「…………」
兄貴分も何も言わず、女に向けてぐっと親指を立てた。
「…………」
女・エクレアは、満面の笑みを浮かべながら流れてゆくオークを、ただ呆然と見送っていた。




