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クロッシング  作者: 柏木椎菜
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五話

 何だか寒い。が、暖かくもある。これは一体何だろうと感じて、ミコラスの目はうっすらと開いた。辺りは暗い。しかし横から暖かい空気と共に眩しい明かりが照らしていて、ミコラスは首だけをゆっくり動かしてみる。そこには、赤く揺らめく火があった。時々パチッと薪が弾け、火の粉が舞っている。それを見て、今自分は暖炉の前に横たわっているのだと知った。

 手を動かそうとして、それが上手く出来ないことにも気付く。ミコラスの全身は何枚もの毛布でぐるぐるに巻かれた状態だった。そこから顔だけがわずかにのぞいている。だが、こんなに毛布にくるまっていても、体はまだ寒さを感じていた。何でここまで寒いんだろう――その理由を思い出そうとしていた時だった。

 ガタン、と大きな音が聞こえて、ミコラスは周囲に視線を送る。しかし、暗い上に毛布に巻かれた姿勢では十分に見渡すことができなかった。その内に足音らしきものが近付いてくるのがわかり、ミコラスは思わず息を潜めた。木の床のきしむ音が徐々に迫ってくる。すると次の瞬間――

「……起きたか」

 ミコラスの真上から顔が見下ろしてきた。暖炉の火に照らし出されたのは、灰色の髪にひげ面の、少し気難しそうな中年の男性の顔だった。その知らない細い目と合い、ミコラスは緊張に身をこわばらせた。

「駄目かと思ったが……子供のわりにしぶといな」

 そうぼそりと言うと、男性は起きられるかと聞いて、ミコラスの背中に手を添え、上体だけを起こした。

「あの、あなたは――」

「食事持ってくるから、食えるだけ食え」

 言って男性は離れていく。しばらく待っていると、再びやってきた男性の両手には皿とコップが握られていて、呆然と座るミコラスにそれをぐいと差し出した。

「ほら」

 有無を言わさない雰囲気に、ミコラスは毛布をめくっておずおずとそれを受け取る。皿には豆と肉の煮込み、コップには温かい茶が入っていた。正直、食欲のないミコラスだったが、男性に見られ、仕方なくスプーンを握って一口食べる。味は見た目通りの質素なものだった。

「もっと食いたきゃ言え。持ってきてやる」

 食べたのを見届けると、男性は立ち去ろうとする。

「あの、待ってください」

 咄嗟に呼び止めると、男性はじろりと振り向いた。

「あなたは、誰ですか? 僕はどうしてここに……」

「……憶えてないのか」

「はい……よく、わからなくて……」

 男性は側まで戻ると、腕を組んでミコラスを見下ろした。

「お前は、そこの川辺で倒れてたんだ」

「川……!」

 それを聞いてミコラスは瞬時に思い出した。自分は山賊から逃げ、川を下り、そして滝を飛び降りたのだったと。寒いのはそのせいかと一人納得する。

「じゃあ、あなたが僕を助けて……」

 わかりきったことを聞くなとでも言うように、男性はミコラスをいちべつすると、さっさと部屋を出ていこうとする。

「待って。名前を聞いても……」

 男性はまた、じろりと振り向く。

「その前に、まずは自分が名乗れ」

「そ、そうですね……。僕はミコラスと言います。あなたは?」

「レビナスだ。……どこから来た」

 聞かれてミコラスは返答に詰まった。自分が風使いの一族だと知られることは掟に反してしまう。村の存在も位置も、外界の者に知られるわけにはいかなかった。

「川の……上のほうから……」

 これにレビナスは、ふっと笑った。

「だろうな」

「ここには、レビナスさん一人で住んでるんですか?」

「そうだ」

「家族は、いないんですか?」

「都に娘がいる」

「一緒に、住まないんですか?」

「都の空気は、どうも性に合わなくてな……ここで気ままに暮らしてる。お前にも家族はいるんだろ」

「はい」

「きっと心配してる。調子が戻ったら早く帰ってやれ」

 愛想のない口調でそう言うと、レビナスは部屋を出ていった。

 こんなことになって、村の皆はミコラスのことを心配してくれているだろう。だが、ミコラスもまた村の皆が心配だった。特にレオンとマルファだ。あの後、山賊に見つからなかっただろうか。抵抗したことで追われなかっただろうか。村も、そのことで報復を受けなかっただろうか――心配すればするほど、ミコラスの中に不安が募っていった。

「……急いで、帰ろう」

 ミコラスはスプーンで皿の中のものをかき込む。それをコップの茶で流し込み、そして毛布をはぎ取った。そこでミコラスは自分の格好に気付く。だぼだぼの厚手の上着とズボンを着ていたのだ。おそらくびしょ濡れだった服をレビナスが着替えさせたのだろう。では元の服はどこにと視線を上げれば、暖炉の上に通された紐に、小さめの上着とズボンが丁寧にかけられていた。ミコラスはそれを取り、着替えていく。まだ半乾きだったが、そこは我慢する。

「これ、ごちそうさまでした……」

 皿とコップを手に、ミコラスは隣の部屋へ行く。広い部屋の中央には大きな机があり、そこでレビナスは椅子に座り、本を読んでいた。

「……もういいのか」

「はい。助けてくれて、ありがとうございました」

 ミコラスは皿とコップを机にそっと置く。

「体は大丈夫なのか」

「何とか歩けますから……帰ります」

「そうか……。そろそろ夕方だ。行くなら急いだほうがいい」

「はい……お世話になりました。それじゃ……」

 礼を言い、ミコラスは玄関の扉を開け、外に出た。途端に冷たい冬の風に吹かれ、半乾きの服を通して寒さが全身に走る。

「このままじゃ風邪ひきそうだ」

 鳥肌を立てながら、ミコラスはとりあえず歩き始めた。

 辺りを眺めるが、初めて見る景色しかなかった。乾いた土の地面が続き、その両脇には雑草が生い茂っている。遠くには森も見えたが、ミコラスがよく知る森とはどこか違う。村の周辺しか歩いたことのないミコラスには、ここが一体どこなのか、わかるはずもなかった。

 考えたミコラスは方向転換すると、川音のするほうへ歩き出した。山賊に川へ投げ落とされた場所は、まだ村からそれほど距離が離れていなかったはずで、その川を流されてここに来たというなら、その流れをさかのぼっていけば、いずれ投げ落とされた地点まで戻れるはずだった。そこへ戻れさえすれば、きっと見知った景色も見つかるだろう。

 ミコラスはレビナスの家の裏手を流れる川に近付いた。広い河原があり、水の流れは緩い。ここに自分は流れ着いたのか――そんなことを思いながら、ミコラスは川の上流を目指して歩き始めた。

 だがそれもほんのわずかだった。五分ほど進んだところで、目の前に川の合流地点が見えてくる――川は、二本に分かれていた。

「……どうしよう……どっちに行けば……」

 ミコラスに流されている時の記憶はなかった。川幅も、周りの景色もわからない。ただ水の冷たさだけが体に残っているだけだ。

 悩んだ挙句、ミコラスは右の川をさかのぼることにした。理由は単純に、こちらのほうが山に近かったからだ。木々の間を流れる川を、ミコラスは自分の勘を信じて突き進んだ。

 しかし、山に近かった川は、次第に望む方向からそれていく。空も日が陰り、辺りはどんどん暗くなっていた。これ以上進んだら簡単には引き返せないかもしれない。自分の勘に見切りをつけるなら今しかなかった。

 コンコン、と玄関の扉を叩く音に、レビナスは読んでいた本を置く。

「誰だ」

 大声で聞くが、返事はない。それに溜息を吐きつつ、面倒そうに玄関へ向かい、その扉を開ける。

「……またお前か」

 申し訳なさそうに、上目遣いにミコラスは言った。

「もう一度、お世話になってもいいですか?」

 レビナスは少し呆れたように、だが薄く笑顔を見せてミコラスを家に入れた。

 辺りは日が暮れて、漆黒の闇に包まれていた。窓の外を見ても、ガラスに映る自分の顔しか見えない。その横の台所では、レビナスが野菜や缶詰を使って料理を作っていた。ミコラスは椅子に座り、その様子を黙って眺めていた。

 レビナスは黙々とミコラスの世話を焼いてくれた。どこから来たのかもわからない、川辺に倒れていた見知らぬ子供なのに、彼は詳しいことは何も聞かず、ミコラスを助けた。

「夕食だ。残さず食えよ」

 無愛想に置いた二人分の料理を、ミコラスとレビナスは同じ机で食べる。何も会話はない。フォークと皿が時々触れる音がするだけだ。その四分後、一足早く食べ終えたレビナスに、ミコラスは何気なく聞いてみた。

「あの、都ってどんなところですか?」

「大したところじゃない。……食ってさっさと寝ろ」

 レビナスとの会話はそれで終わった。夕食が済み、暖炉の部屋に促されると、ミコラスはそこで毛布にくるまって眠りについた。愛想はまったくないが、でもそこに垣間見える気遣いがミコラスは嬉しく、ありがたかった。

 玄関を叩く音が聞こえたのは、寝入った深夜のことだった。

 ドンドンと響く音に、ミコラスは寝ぼけ眼で顔を上げた。何の音だとのっそり起き上がり、部屋の外をのぞいてみる。すると、レビナスもちょうど寝室から出てきたところだった。暗い中、ミコラスに気付くと、小さく手を振って部屋に戻るよう促す。それにミコラスは素直に従った。

「……誰だ」

 レビナスが玄関に向かって聞く。その様子をミコラスは壁越しにうかがう。

「人捜しをしてる者だ。ちょっと聞きたい」

 若そうな男性の声が答えた。こんな深夜に人捜しというのも怪しく、レビナスは鍵を外すと、慎重に扉を開けた。

「こんな時間に悪いが……いいかい?」

 わずかに開けた扉の向こうには、お世辞にもいい風体とは言えない男性が二人立っていた。

「……何だ」

「そんなに警戒しないでくれ。一つ二つ聞くだけだから」

 少しおどけたような軽い口調――ミコラスの記憶からある姿が浮上した。聞き覚えのある声に、まさかという恐怖がよみがえる。

「それなら早くしろ。こっちは眠いんだ」

「悪いね。……人捜しってのは、子供を捜してるんだが――」

 子供という言葉に、ミコラスは息を呑む。あの、山賊の二人に違いない。川をたどって捜しに来たんだ――そう確信した。

「これくらいの、小さな金髪のガ……いや、男の子なんだが」

 男性は片手で、その男の子の背の高さを示す。

「……あんたの子供か?」

「そうじゃない。従兄弟の子だ。川の上のほうではぐれちまってな。こっちまで来てるかもしれないと思って捜しに来たんだ。見てないか?」

 従兄弟なんかじゃないとミコラスは胸の中で叫んだ。そしてレビナスにも聞こえない叫びを送る。信じないで。そいつらは嘘を言ってるんだ。僕がいることを教えないで――心臓が激しく打つミコラスだったが、次に聞こえた言葉で一気に血の気が引いた。

「ああ、見た」

「何? 本当か!」

 レビナスは嘘の話を信じてしまった――ミコラスは壁に背を付き、ずるずるとしゃがみ込んだ。また捕まってしまう。レビナスが呼びに来る前に、早くここから逃げ出さないと――焦るミコラスが部屋を見回し、カーテンの閉められた窓に目を留めた時だった。

「もう死んでたがな」

 聞こえてきたレビナスの言葉に、ミコラスは動きを止めた。

「死んでた? どこでだ」

「そこの川だ。ずぶ濡れの上に、頭に大きな傷があった。これは川に流されて、途中岩に頭をぶつけて死んだんだとわかった」

「そ、そいつの死体はどこだ」

「埋めるのは面倒だし、そのまま放っておくこともできないから、また川に流した。どこかに引っかかってなきゃ、今頃海に出てるだろ」

 二人の男性は言葉を失い、お互いの顔を見合う。

「もう少し早く捜しに来てくれればな……悪いことをした」

「い、いや、覚悟はしてたんだ。川に流されたんじゃないかって。結果は残念だが、生死がわかっただけでもよかったよ。従兄弟は悲しむだろうが……」

「……もういいか」

「あ、ああ、ありがとう。起こして悪かったよ」

 レビナスは扉を静かに閉め、鍵をかけた。外の男性二人の気配が家の前から遠ざかっていく。それが十分離れたところで、レビナスは振り向いた。その先には、部屋から顔をのぞかせるミコラスがいた。

「倒れてたお前の両手は縄で縛られてた。何か悪いことに巻き込まれてるのは予想できた。その悪いことっていうのが……あの男達だな」

 ミコラスはうなずく。

「追われてるのか」

「はい……」

「そうか……それなら、家にはまだ帰らないほうがいいかもしれない」

「どうして……?」

「あの二人が俺の話を信じたかはわからない。疑ってたら、まだお前を捜し回るかもしれない」

「じゃあ、僕はどこへ行ったら……もう捕まりたくない……」

 沈んだ表情のミコラスをしばらく見ていたレビナスは、おもむろに歩き出すと、棚から紙とペンとインクを取り出し、机に置いた。そしてランプに火をつけると、ミコラスに来いと手招きする。

「……何ですか?」

「俺がかくまってもいいが、あの二人がまた来ないとも限らない。だからお前は都へ行け」

「都? でも僕、行ったことが――」

「簡単だ。そこの道を真っすぐ下っていけば三、四時間で着く。迷うことはない」

「どうして都なんですか?」

 レビナスはペンに黒いインクを付けると、紙に何か書きながら言う。

「お前のことと地図を書いてやるから、娘にかくまってもらえ。都なら人が多くて紛れられる」

 カリカリと手際よく書いたレビナスは、ペンを置くと紙をミコラスに見せた。

「これは娘の家までの地図だ。わからなければ通りすがりの大人をつかまえて聞け」

 地図を受け取り、ミコラスはまじまじと見つめる。

「明日、日が昇ったら出発すればいい。今夜はしっかり眠っておけ」

「はい……そうします」

 レビナスはランプの火を吹き消すと、さっさと寝室へ戻っていった。ミコラスは貰った地図を丁寧に折り畳み、ぎゅっと握り締めて暖炉の部屋へと戻った。レビナスの元にいたいという気持ちもあったが、明日に備えて毛布にくるまる。助けへの感謝と、見え始めた希望を感じながら……。

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