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クロッシング  作者: 柏木椎菜
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三話

 ひどく殴られ、蹴られたミコラスは、しばらく気を失っていたが、ふと目を覚ますと、そこは暗い掘立小屋の中だった。物置場として使われているのか、壁際には積まれた木箱や酒樽、上等そうな織物や衣服が雑然と置かれていた。

 石の転がる地面に倒れていたミコラスだが、出口はどこだろうと上半身を起こそうとした時、全身の至る場所に痛みを感じ、思わず動きを止めた。そして慎重に体を起していく。

 レオンとマルファを逃がした後、ミコラスは押さえきれなかった山賊から執拗に暴行を受けたことを思い出した。腹や背中に何回も蹴りを食らい、服の下はおそらく痣だらけになっていることだろう。顔も殴られ、途中、口の中や喉の奥に血の味を感じたのを思い出し、ミコラスは自分の顔をまさぐってみる。すると、鼻の下と口の周りがざらざらしていて、それが乾いた鼻血だと気付き、袖でごしごしと拭き取った。

 鼻血が止まっているのを確認し、ミコラスは改めて小屋の中を見回す。窓のない小屋は暗く、むき出しの地面から伝わる冷気が寒い。だが粗末な板壁の隙間から外の光がわずかに差し込んできて、どうやらまだ昼間だということがわかった。つまり森で気を失ってからそれほど時間は経っていないらしい。ここに連れて来られて間もないということだ。

 暗くなって帰り道がわからなくなる前に、どうにかここを出ないと――ミコラスは痛みできしむ体を立ち上がらせ、正面にあった扉に近付いた。取っ手をつかみ、押したり引いたりしてみるが、当然鍵がかかっていて開かない。もろそうな板壁だから、硬い物で叩き続ければ壊せそうだったが、そんなことをすればすぐに山賊に見つかるだろう。

「どうしたら……」

 考えながらミコラスは隅々を見渡す。早く逃げなきゃ殺されるかもしれない――そんな焦りが冷静な思考を邪魔する。

「――て、ここにとりあえず入れといたんだけど」

 その時、山賊らしき声が小屋に近付いてきて、ミコラスは思わず息を潜めた。

「何で殺さなかったんだよ。頭の許可なくさらってきたら怒鳴られるぞ」

「そうなんだけどよ、ガキだったからさ、何となく殺しづらくて……」

 悪逆無道の山賊の中にも、そんなことを思う者がいるのかとミコラスは驚く。

「代わりに殺してくれってか?」

「……やっぱり、殺すしかないか?」

「当たり前だろ。ガキなんか何の役に立つんだよ」

「そうだよな……そうするしかないよな」

「逃がせば村のやつらになめられる。あいつらに甘い顔は見せられねえ」

「……本当に、他の方法はないか?」

 ミコラスを散々殴っておきながら、この山賊は命を奪うことはどうしてもできないようだった。怪訝に思うミコラスだが、一方で、もしかしたら命だけは、という小さな期待を抱き始める。が、すぐに馬鹿な思いだと消し去った。山賊はそこまでお人好しではないと思い直す。

「そうだな。殺すか、後は……頭に言って、奴隷にしてもらうって手もあるが……」

「奴隷? 今までそんなやつ、いたか?」

「いねえよ。頭は身内以外、信用しねえからな。話しても聞いてもらえる可能性は低いだろう。……どうする」

「見込みがないんじゃ、仕方ないか……」

「てめえでやれよ。俺は手を貸さねえぞ」

「わかってるよ……」

 やっぱり山賊はまともな心など持っていないのだとミコラスは思う。そして、やっぱり自分は殺されるのだと戦慄する。ここに逃げ場はない。目の前の扉がいつ開かれるのか、ミコラスは自分の速まる鼓動を聞きながら待つしかなかった。

 壁板の隙間を人影が横切ると、次にはガタッと音がして、ミコラスの体は思わず跳び上がりそうになる。扉はまだ開いていない。どうやら鍵を開けているようだ。金属のガチャガチャした音が、何もできないミコラスの恐怖を煽る。

「よう、聞いたぜ。ガキ連れてきたって?」

 すると、二人とは別の山賊の声がして、足音と共に近付いてくるのがわかった。

「……何だよ、お前、話したのか?」

「別に構わねえだろ。頭じゃないんだ」

「まあ、いいけどよ……で、何の用だ」

「ガキはここにいるのか? どうすんだ?」

「これから始末するところだよ。まさか手伝ってくれるのか?」

「ただ始末するのは、もったいねえと思わねえか?」

「思わせ振りはやめろ。何が言いたい」

「ふふん……俺に一つ提案がある」

「提案?」

 ゴンゴン、と扉が叩かれ、ミコラスは声が出そうになったのをこらえる。

「この中のガキが、金になるとしたらどうする?」

「……都で売ろうってのか」

「そうだ。ただ殺すより、少しでも稼げた方がいいだろ」

「都の奴隷商人のことは知ってるが、やつらは働き手になる人間しか買わないって聞いてるぞ。力のなさそうなガキなんか相手にされないさ」

「それがだな、俺のつてによると、ガキを買ってくれるやつもいるらしいんだよ」

「本当か? がせじゃねえのか?」

「んなわけあるか。都じゃガキの需要もあるらしいぞ。何させるのか知らねえが」

「……マジなんだろうな」

「ああ。嘘じゃねえ。……いい提案だろ?」

 しばし間が開いた。そして――

「……もしガキが売れなかったら、お前が始末しろよ」

「その心配はねえよ。じゃあ、決まりだな」

 楽しそうな山賊の声に、ミコラスは困惑していた。どうやらここで殺されることはなくなったようだが、その代わり、奴隷として売られることになったらしい。奴隷という言葉は知っていたが、ミコラスはそうなった人間の辛さを知らない。ただ今は、自分の身がどうなってしまうのかと、先の見えない不安を感じていた。

「売れたら俺に半分、くれるだろ? 話持ってきたのは俺なんだ」

「半分? ……まあ、やるよ。でも金の前に、どうやって都に連れてく気だ。かなり距離があるぞ」

「それも心配ねえ。段取りは考えてある。まずは西の隠れ家まで行って、そこの荷車に適当な荷物と一緒に載せて運ぶんだ。ガキの口はちゃんと塞げよ。都の門番に怪しまれたら面倒だ」

「商人とはどうやって会えばいい」

「俺の知り合いのやつに伝えといてやるから、そうだな……南門近くの酒場知ってるだろ。そこで待たせておく」

「わかった。……それじゃ、頭に知られる前に、連れ出すか」

 再びガチャ、と金属の音がする。そしてカチッと解錠された音が続き、扉はとうとう開かれた。暗い小屋の中に外の光が入り、ミコラスは慣れない明るさに目を細める。

「起きてたのか。寝てればいいものを……」

 歩み寄ってきたのは、ミコラスを殴った山賊だった。その痩せた体は目の前に立つと、威圧的にミコラスを見下ろした。

「逃げようとしたり、暴れたりしたら、また同じ目に遭わすぞ。いいな」

 怯えながら、ミコラスは小さくうなずく。

「こいつが入る袋と、縄はあるか?」

「縄はほら、持ってる」

 腰に吊るしていた縄を山賊の一人が放ってよこす。

「袋は持ってきてやるよ」

 もう一人の山賊がどこかへ袋を取りに行っている間に、ミコラスは手足を縄で強く縛られていく。

「この袋で入るか?」

 しばらくして戻ってきた山賊が麻袋を広げて見せた。幅も深さもある大きな袋だ。

「ああ。ちょうどいいな」

「これを口に噛ませとけ。うるさくないようにな」

 袋と一緒に薄汚れた布を手渡された山賊は、まずはその布をミコラスの口に巻き、猿ぐつわを噛ます。そして声も動きも封じられた小柄な体を持ち上げ、他の二人の手を借りながら麻袋の中へ押し込んだ。

「……よし。これでいいな」

 袋の口をつかむと、山賊はぐいと担ぎ上げた。ミコラスは膝を曲げた状態で、仰向いている姿勢で袋の中に収まっていた。後ろ手に縛られた両腕が自分の体に押し潰されて痛かったが、宙に浮いた袋の中では身動きするのも難しかった。

「見事売れたら、酒おごれよ。じゃあな」

 山賊が一人、小屋から離れていく。

「お前も用はないだろ」

「西の隠れ家にちょっと用があるんだよ。そこまで一緒に行こう」

「ふーん、それなら、じゃ行くか」

 二人の山賊は小屋を出ると、袋に入れたミコラスを担ぎ、どこかへと歩き始めた。袋の中で揺られるミコラスには当然外の景色は見えない。わかるのは布越しに聞こえる様々な音だけだった。鳥の声、風に揺れる枝葉、地面を踏む足音、そして山賊の他愛ない会話……。どの方角へ向かっているのかまったくわからない。だが村からどんどん離れていることは感じていた。次第に揺れる葉の音が遠ざかっていたのだ。つまり二人は森を出ている。村のある広大な森から。

 山賊の足音が砂利を踏む音に変わった頃、ほど近いところから水の流れる音が聞こえてきて、ミコラスは山賊が川の側を歩いているのだと知る。その川の音で引き起こされたわけではないが、この時ミコラスは強い尿意を催していた。この寒い中、薬草採りからずっと冷気にさらされ、しかし山賊に捕まって用を足す自由もなかった。今は猿ぐつわを噛まされ、袋の中から訴えようにも、相手にはうめき声にしか聞こえないだろう。無理に暴れれば大人しくしろと殴られるかもしれない。そんな恐怖にミコラスは動くことができなかった。だが生理現象を我慢するのにも限界がある。もじもじと足を動かし、耐え抜こうとしてみても、尿意は強くなるばかりだった。もう、駄目かもしれない――ミコラスは泣きたい気持ちで強く目を瞑った。

「……何か、臭わねえか?」

 袋を担ぐ山賊が辺りを見ながら言う。

「臭うって、何が」

「変な臭いっつうか……しねえか?」

「はあ? 変なって、何だよ」

「何となく……とにかく臭う気がして……」

 ミコラスを担ぐ山賊は怪訝な顔で自分の周りの臭いを嗅ぎ出す。それを見てもう一人の山賊も、漂っているという臭いの元を探し始める。と、その目がある一点に留まった。

「……おい、袋から何か垂れてるぞ」

 言われて、痩せた山賊は肩から袋を下ろし、目の前に持ってくる。見れば袋の底部には何かで濡れた染みが広がっており、そこからは透明な雫がぽたぽたとしたたっていた。

「まさか……」

 痩せた山賊は険しい目付きで、その染みに鼻を近付けてみる。直後、むわっと漂う臭いに顔をそむけた山賊は、砂利道に落とすように袋を置いた。

「このガキ、漏らしやがった」

「ははっ、仕方ねえなあ」

 笑う山賊を横目に、痩せた山賊は袋の口を開いてミコラスの顔を出した。猿ぐつわを噛まされた顔は、羞恥と怯えで固まっていた。

「ションベンなんかしやがって……汚ねえガキだな!」

 襟首をつかまれたミコラスは力任せに袋から出されると、地面を引きずられどこかへ連れて行かれる。

「隠れ家まで、こんな臭えやつ担いでいけるか!」

 そう言いながら山賊は川辺までやってくると、そのままミコラスを川の中へ放り投げた。バシャンと大きな水しぶきが上がり、ミコラスの全身は冷たい水の中に浸る。

「溺れさすなよ。そいつは売り物なんだからな」

「大丈夫だ。溺れるほど水かさはねえ。……しっかり洗えよ」

 一睨みした山賊は川から離れると、もう一人に休憩だと言って岩に腰かけ、懐から酒の小瓶を取り出し、飲み始めた。二人は川のほうには目もくれず、笑いながら話し始めていた。

 ミコラスはその様子を見ながら、とにかくこの冷たい川から出ようと体を起こそうとするが、手足を縛られた状態ではそれもままならなかった。幸い川は浅く、流れも緩い。溺れることはなかったが、横向きに倒れたミコラスの体は半分が水に沈んだ状態で、このまま浸かっていたら体温を奪われ、じき動けなくなりそうだった。歯を食い縛り、懸命に手足を動かすが、やはり体は起こせない。せめて両手が使えれば――そんなことを思った時だった。

 後ろ手にされた腕を、前に持ってこられないだろうか――ミコラスはふと思い付き、両腕を自分の尻の下に持ってきてみる。腕で作った輪の中に尻をくぐらせると、そのまま足先まで抜ける。すると両腕はあっさりと胸の前にやってきた。ミコラスは今ほど自分の体が小さく、柔らかいことに感謝したことはない。これで川から出られる――と思いかけて、両手が使えるこの状態は、もしかしたら絶好の機会なのではと気付く。

 そろりと山賊達を見ると、二人はまだ話を続けていて川を見ていない。今のうちにと、ミコラスは川にとどまりながら、足を縛る縄をほどきにかかった。硬い結び目に加えて、冷たい水に濡れた指先はかじかみ、思うように力が入らない。しかしそれでも逃げるなら今しかないと、ミコラスは寒さに震えながら縄をほどく。そして――

「……そろそろ行くか」

「ああ。ガキ、連れて来いよ」

 休憩を終え、痩せた山賊が川に目を向けた。そこには川の中に座って、やってくる山賊を見つめるミコラスがいる。

「しっかり洗ったか?」

 面倒そうに言いながら来る山賊を、ミコラスは息を呑んで見つめる。

「……ん、お前、その腕――」

 異変に山賊が気付いた瞬間だった。ミコラスは立ち上がると、勢いよく川の下流へ駆け出した。

「あっ、ガキ、てめえ……!」

 慌てた声が後を追ってくる。だがミコラスは振り返らず、自由になった足で川の中を駆け抜けていく。バシャバシャと派手な音が響き、体にしぶきがかかる。今は寒さに構ってはいられない。少し息苦しさを感じ、未だ縛られたままの両手で口の猿ぐつわを引き下ろす。

「逃げられると思ってんのか!」

 凄んだ言葉が飛んでくる。山賊はミコラスを逃がすつもりはない。ミコラスも捕まるつもりは当然なかった。寒さで鈍い体を必死に動かし、流れの強くなった川を無我夢中で下っていく。

「……はっ」

 だがミコラスは急停止した。その足下には川底がなかった。あるのは真下へ落ちる高い滝――

「ガキ! そこ動くな!」

 二人の山賊が迫っていた。ミコラスに選択の余地はなかった。ここを行くしかない――

「ただじゃおかねえぞ!」

 走ってくる山賊をいちべつすると、ミコラスは大きく息を吸い、滝つぼへ飛び降りた。その小さな体は宙を舞い、白く波立つ水面を叩いて、滝の轟音と共に水中へと消えていった。慌てた山賊がすぐに上からのぞき込んだが、ミコラスの姿を見つけることはなかった。

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