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クロッシング  作者: 柏木椎菜
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十七話

 王国軍と反抗組織の戦いは、結果、王国軍の勝利で終わった。それにはもちろん、レオンとマルファの力も大いに貢献していた。風使いの力にあらがえなかった民衆は次々に捕らえられるか降参し、組織を指導していた者達も最後は追い詰められ、捕まった。彼らは厳しい尋問の後、皆揃って刑死した。アーロンも極刑を言い渡されたが、ユーリに切られた傷を悪化させ、獄死した。組織の主立った人間が死んだことで、民衆の抵抗意識は弱まり、不満を口にする者は少なくなった。皆、それでいいとは思っていなかったが、組織を失い、再び抵抗する力も意気もなく、民衆は決起以前の生活に戻る他なかった。こうして都は、再び平穏を取り戻したのだった。

「ただいま。帰ったよ」

 レオンは廊下を歩きながら、帽子と外套を付き人に渡す。

「お帰りなさい、レオン」

 奥の部屋から現れたマルファは、長い金の髪をなびかせ颯爽とやってくると、レオンの頬に口付けて迎える。

「これ、マルファに……」

 言ってレオンは上着のポケットから小さな箱を取り出し、渡した。

「え、何? レオンが買ってきてくれたの?」

「まあ……似合うかと思って……」

「嬉しい! 開けても?」

 レオンがうなずくと、マルファは笑顔で小箱の封を切った。蓋を開けた中には、青い宝石の付いたイヤリングがあった。

「わあ、素敵……」

 一つを取ったマルファは、自分の耳にそれを当てる。

「どう? 似合ってる?」

「ああ。よく似合ってる」

「ありがとうレオン。結婚披露宴で付けようかな」

 嬉しそうにイヤリングを箱にしまうと、マルファは跳ねるような足取りで部屋へと戻っていく。

「喜んでくれたようですね」

 背後に立つ、四十代と思われる付き人が笑って言った。

「言う通りに買って、よかったよ」

 振り向いて言ったレオンに、付き人は何よりですと笑顔を見せた。

 実はこのイヤリングを選んだのは付き人で、そもそもレオンは買うつもりもなかったのだが、たまには何かプレゼントしてみてはどうかと提案され、言われるままに買ってきたものだった。手頃な値段で決して高価なものではないが、喜ぶ顔にレオンは安心した気持ちになる。だがその一方で、ふと現実に気付く自分がいた。これは、偽りだ――頭の隅で、そう警告する声が聞こえる。

 戦いでの功労者とされたレオンとマルファは、正式に王国軍に入り、階級を与えられた。さらには都の中心部内に立派な家を与えられ、二人で住むことになった。使用人、料理人、それぞれ世話をしてくれる付き人まで付いて、二人が軍の任務に専念できるような、万全の環境が整えられていた。まるで貴族のような生活には何の不自由もなく、風使いの二人が特別視されていることがわかる。レオンもマルファも、この暮らしには十分満足していた。

 レオンが違和感を覚えたのは、新たな生活に慣れ始めた頃だった。休日に街へ出かけようとすると、必ず付き人が付いてきた。マルファが同僚と会うだけでも付いてきた。断ってもあれこれ理由を言われ、結局は強引に付いてくる。付き人の仕事とはそういうものなのかもしれないが、四六時中側にいられると少々疲れるものがあった。一人になれるのは自室だけだったが、そこから一歩出れば、付き人は常に待ち構えていた。

 そしてある日、レオンは気付く。上官であるユーリは二人の様子を見に、定期的に家へ訪れていたのだが、席を外していたレオンが部屋に戻ろうとした時、扉越しにこんな会話が聞こえてきた。

「――で、どちらも異常はないか」

「はい。至って普通に生活しています。現状に不満もなく、反抗心もないかと」

「そうか。引き続き頼む」

「わかりました」

 ユーリに答えていたのは、レオンの付き人の声だった。二人は面識はあっても、特に関係はないはずだったが、この会話からはそうではないことがうかがえた。ただ生活の様子を伝えるだけなら、不満や反抗心まで報告する必要があるだろうか。つまり、ユーリが聞いた異常とは、そういうことなのだ。風使いの二人に怪しい素振りはないか、王国を非難する言動はないか、それを付き人はユーリか軍の指示で監視していたのだ。

 そう気付いて、レオンは合点がいった。あらゆる外出に付いてくるのは付き人として仕事熱心なわけではなく、風使いの監視役として目を離すわけにはいかなかったからなのだ。そうなると、この不自由ない生活環境は、すべて自分達を囲い込むためのものとしか思えなかった。立派な家も、使用人達も、都に自分達をつなぎ止めておくため。もう二度と手放さないように……。

「レオン、お茶入れたわよ」

 居間へ行くと、ソファーに座ったマルファがティーカップに、ちょうど紅茶を入れ終えたところだった。その机の端には、あげたばかりのイヤリングの小箱が置かれている。

「ああ、ありがとう」

 レオンもソファーに腰かけ、湯気の立つ紅茶を一口すする。窓の外は灰色の曇天模様で、今にも雪が降ってきそうだった。そんな寒空で冷えた体を、紅茶は喉の奥から温めてくれる。

「……何か、嬉しそうだなマルファ。そんなにイヤリングが気に入ったのか?」

 視線を上げると、正面に座るマルファは紅茶を飲みながらも、ずっと笑顔を浮かべていた。

「それももちろん嬉しいけど……明日が楽しみで」

「明日?」

 首をかしげるレオンに、マルファは丸い目を向けた。

「この間言ったでしょ? 明日、結婚式のドレスを仕立てに行くって」

「そう言えば、そうだったな……」

「もう、忘れないでよ。レオンの準備は大丈夫なの?」

「多分……」

 振り向いた先の付き人に目で問うと、にっこりと笑みが返ってきた。すべて付き人に任せっきりのレオンには、準備が進んでいるのかどうかもわからないが、どうやら問題はなさそうだった。

「一生に一度の式なのよ? もうちょっと興味を持ってやってよ」

「大丈夫だよ。当日はへまなんてしないから」

「それは当たり前のこと。私が心配してるのは……レオン、本当に私との結婚、嬉しい?」

「何だよ急に。どうしてそんなこと……」

「何となく、聞いてみたかっただけ……。時々レオン、私と話してても、別のこと考えてるでしょ?」

 この指摘に、レオンは内心どきりとした。

「そういう時、不安になるの。本当は嫌なんじゃないかって……」

 うつむいたマルファは微笑んではいたが、それはとても心細いものに見えた。

「マルファ……」

 レオンは立ち上がると、マルファの隣に座り、その頭を優しく抱いて引き寄せた。

「嫌じゃない。俺は、マルファだから結婚したいんだ」

「そうよね……ごめんなさい。疑ったりして。神経質になりすぎたみたい」

 顔を上げたマルファは、白い歯を見せて照れたように笑顔を浮かべた。とても綺麗な整った笑顔――それをレオンは様々な思いを交錯させながら見つめていた。

 戦いが終わってからすでに五年が経ち、二人は二十三歳となっていた。大人になり、結婚を考えてもいい時期だったが、お互い、特にレオンは幼馴染みという見方を変えられず、二人の関係に変化が起こることはなかった。だがそれを変えたのは上官であるユーリの言葉だった。

「君達は恋人同士なのだろう? そろそろ一緒になったらどうだ」

 この時、レオンは否定も肯定もできなかった。マルファの気持ちを知っていたからだ。赤くなった顔でレオンを見つめるマルファは、どこか期待のこもった目をしていた。そんな彼女にきっぱりと否定できるほど、レオンは冷めた性格ではないし、もしかしたら心の底にはマルファを想う気持ちがわずかにあったのかもしれない。

 ユーリのお膳立てでデートを重ねるうちに、二人の気持ちと関係は変化した。そしてレオンからのプロポーズで結婚は決まった。式を挙げる日時や教会などは、ユーリが率先して決め、二人も式の準備に取りかかった。幸せの絶頂へ向かっているように思えた。だがレオンは監視されている現実をすでに知ってしまっていた。

 ユーリは理想的な上官だ。厳しさと優しさを上手く使いこなし、軍のやり方にまだ不慣れな二人には親身に助言してくれる。私生活でもそうだった。困っていることがあればすぐに手を貸し、面倒を見てくれる。今回のこともそうだ。二人の距離が近付くのを後押しし、結婚まで行き着かせた。その準備を手伝い、共に喜んでくれる――まさに恩人だった。しかし、レオンはもう一つの目でユーリを見ていた。それらは全部、彼の筋書き通りなのではないかと。

 都に風使いはレオンとマルファの二人しかおらず、親身になってくれるのはわかる。だが結婚に関しては、やけに積極的に主導していたように感じた。レオンもマルファも、ユーリに言われて無理矢理デートをしていたことはないが、今思えば、ユーリは言葉巧みに二人を誘導していたのではないだろうか。では何のためにと考えると、レオンには一つの予想が浮かんだ。風使いの力のため――監視がその理由なら、結婚も同じ理由に違いなかった。二人が一緒になり、やがて子を産み、純粋な風使いが増えて、王国の戦力となる……。

 こんな予想に、レオンは考えすぎかとも思う。ユーリは若い部下を思って動いてくれただけかもしれない。だが監視されている事実を知っている以上、彼のすべてを信じることはできなかった。マルファと結婚することになったのは彼の思惑で、愛しいと思うこの気持ちは、ユーリの誘導で作られたものなのではないか。正直レオンはマルファに対する自分の感情がわからなかった。彼女を愛していると思いたかったが、自信がなかった。ユーリの主導で押されるように結婚まで決まったが、この気持ちは果たして本物なのだろうか。レオンは何度も自問してきたが、答えは今もわからないままだった。

「……どうかした?」

 レオンの胸に寄り添うマルファが笑顔で見上げてきた。

「いや……何でもないよ」

 マルファの長い髪を撫でてレオンは微笑む――自分の気持ちがわからないなど、結婚を喜ぶマルファに今さら言えるはずもなかった。これがすべてユーリの思惑なら、彼の囲いから自分達はもう出られないのかもしれない。ここにあるのは見せかけの自由であり、王国軍の風使いとなった自分達の行動は知らずに誘導され、戦いの道具に変わっていく……。

『戦いの道具になっちゃ駄目なんだ!』

 頭の奥に忘れることのできない声が響いた。レオンはミコラスを思い浮かべるたび、胸に痛みを感じていた。ナイフを突き刺した感触は、今も手が憶えている。絶対に忘れてはいけないと思っていた。あの時、ミコラスが必死に止めようと発した多くの言葉は、時を経たレオンに深く突き刺さっていた。掟を破る意味、風で命を奪う意味……大人になって、それらがようやくわかったのだ。

 レオンは平和を取り戻すためには仕方がないと思っていた。だがその先に大きな代償があることを理解していなかった。暮らしは保証されても、本当の自由はない。軍に取り込まれ、その道具に成り下がろうとしている。風使いの強力な力は他にはない。手に入れた者がそう簡単に手放すわけがないのだ。それが軍や王国ならなおさらだ。戦いに駆り出され、終われば連れ戻される。そこに自由意志はない。風使いは反抗する者達を一掃する道具として使われるのだ。かつての歴史のように……。

 そんな未来を想像すると、レオンは猛烈な後悔にさいなまれた。自分はどこで間違ってしまったのか。あのナイフを握る他にも選択肢はあったはずだ。ミコラスの言葉に従う道、三人で都を出る道、握ったナイフを放り投げる道……。親友を殺す必要はどこにもなかった。ただあの時は現在しか見えていなかったのだ。やっと過ちに気付いても、監視によってすでに自由は奪われてしまっている。しかしまだ手遅れではないとレオンは思う。

「……ねえ」

 腕にしがみ付き、甘えた仕草でマルファが呼んだ。

「何?」

「私、すごく幸せ……」

 満面の笑みを浮かべるマルファを、レオンは薄い笑顔で見つめる。王国軍が出るような出来事は、あれ以来起きていない。自分達はまだ、虐殺の歴史から引き返せるところにいる。ミコラスのために償えることがあるなら、戦いの道具に成り下がる前に、ユーリの、ひいては王国の囲いから抜け出すことだろう。それなら、きっとまだ間に合う。

「……一緒に、生きてこう」

 マルファを強く抱き締めたレオンは、その青い目に力を込めて行く先を見据えた。この状況から抜け出すのは容易なことではないだろう。不審を感じ取られたら拘束されるかもしれない。だがそれでも、レオンは固い決意をする。気付かせてくれた親友のために、どんなことがあろうと、もう間違うことはできない。この過ちを正す。自分達のすべてが完全に奪われる前に――心の奥のレオンの意志は、揺るぎない。

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