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クロッシング  作者: 柏木椎菜
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十五話

 決起してから、王国軍との戦いは四日目に入っていた。

「少し痛むと思うけど、我慢してください」

「うっ……!」

 傷を負って床に座り込む男性の腕に、ミコラスはガーゼを押し当て、包帯を巻いていく。それを終えると、すぐに別の負傷者の元へ向かう。

「これは……縫わないと。その前に消毒しますから」

 側の机にあった消毒液を取ると、ミコラスはぱっくり開いた傷にそれをかけた。

「ぐうっ!」

 足に走る痛みに、男性はもだえる。

「ごめんなさい。しみますよね……肩を貸すんで、歩けますか?」

 ミコラスは男性の腕を自分の肩に回し、ゆっくりと歩かせた。手当の順番を待つ人達の間をすり抜けて、奥のベッドが並ぶ部屋に入る。

「すみません、この人の傷、縫ってあげてください」

 声をかけたそこには、流れる汗も拭えず、重傷者達の治療を一人でする医者がいた。

「そこで待たせといてくれ。こっちを終わらせたらやる」

 そう言われて、ミコラスは男性を部屋の壁際に座らせた。

「ここで待っててください。すぐに診てくれるそうですから」

 立ち去ろうとするミコラスの腕を男性は引き止めた。

「痛くてたまんねえんだ……痛み止めはないか」

 これにミコラスの表情が曇る。

「痛み止めは量が少なくて、重傷者に優先して使ってるから……」

 自分には使ってもらえないと知って、男性はがっくりと肩を落とし、押し黙った。ミコラスは何も言えず、静かに男性から離れる。

 決起した一日目、王政を批判する組織の者達は心を一つに、準備も気合いも十分に向かっていった。だが午後になると、隠れ家の一つであるこの治療拠点はすぐに負傷者で溢れてしまった。二日目、三日目と、その数はまったく減らず、ミコラスを含めた治療係は休む暇もなかった。しかも日を追うごとに重傷者は増え、もともと医療知識を持つ人間が少なかったせいもあって、治療は滞り、負傷者は部屋で待たされ続ける状況となっていた。その間に傷を悪化させたり、力尽きる者もいて、治療係は精一杯手を尽くしてはいたが、次から次へと運び込まれる負傷者に追い付くことができていなかった。

 そして、四日目となる今日も、負傷者は途絶えない。ここにいる唯一の医者は重傷者から離れられないため、他の治療係が運ばれる負傷者を診なければならなかった。

「……傷が開かないよう、このまま安静にしてください」

「ミコラス、終わったらこっちを頼む」

「うん、わかった」

 呼ばれてミコラスは次の負傷者の元へ足早に向かう。

「大丈夫ですか? しっかり……」

 壁を背に座り込んでいる男性は、ぐったりした表情でうつむいていた。その全身は無数の小さな傷を負っている。

「左腕、折れてるかもしれない……」

 自分の左腕を押さえながら男性は苦しそうに言った。確かに、肘の関節の辺りがわずかに腫れているようだった。

「わかりました。じゃあ……まずは、腕の傷から手当てしますから」

 ミコラスはピンセットを手に取り、男性の左腕に近付く。その表面に負った傷の大半には何かが突き刺さっていた。木の欠片、ガラス片、小石など……。どういうわけか、そういったものが皮膚に多く食い込んでいた。それらをミコラスはピンセットで一つ一つ取り除いていく。

 ここに運ばれる負傷者の半数は、この不思議な傷を負っていた。そしてその多くに骨折の症状が見られた。話を聞くと、全員が全員、強風に煽られて体を打ったという。異物が刺さった傷も、その時にできたものらしい。これを聞いてミコラスは違和感を覚えた。風に煽られて体を打つこと自体はおかしなことではないが、それにしては数が異様に多い。全身に負った傷も、普段なら考えられないものだ。風が吹いて木片が肌に刺さるなど、一体どれほど強い風が吹いたというのか。嵐以上の、とてつもない風が襲わなければ、そんなことにはならないはずなのだ。しかし、この隠れ家にはそんな気配は微塵も届いていなかった。となると、局地的な強風が吹いているとしか考えられなかったが……。

 ミコラスは男性の左腕に添え木を当て、包帯を巻いた。

「腕は応急処置ですから、なるべく動かさないように。じゃあ他の傷を――」

 バタンと音を立てて玄関の扉が開いた。また新たな負傷者が運ばれてきたかと振り返ると、そこには額から血を流す男性を抱えたアーロンの姿があった。

「誰か、こいつを頼む。意識が薄れかけてる」

 これにすぐ側にいた治療係が素早く男性の体を預かる。

「それと、ミコラスはいるか」

 呼ばれてミコラスは立ち上がった。

「ここに……」

 見つけたアーロンは手招きする。

「ちょっと話がある。来てくれ」

「でも、治療がまだ――」

「重要なことだ。今だけ他に任せてくれ」

 そう言うとアーロンは隠れ家の外へ出ていった。迷いつつも、ミコラスは治療していた男性に一言断ると、そそくさと玄関へと向かった。

「……あの、何ですか? 重要なことって」

 廃墟の並ぶ雑然とした路地に出ると、アーロンは腕組みをして聞いた。

「ミコラス、都には君の他に風使いはいるのか?」

「え? 何でそんなことを――」

「いるのか? いないのか?」

 ミコラスはきょとんとしながらも答えた。

「……いるとは、思えませんけど」

「心当たりはないと?」

 はい、とうなずくミコラスを見て、アーロンは険しい表情を浮かべる。

「……何か、あったんですか?」

「前線が……妙な風で数を削られてるんだ」

「風……負傷者の多くが言ってた風のことですね」

「ああ。報告じゃ被害はここだけじゃないらしい。各地区の班長も同じ状況のようだ」

「負傷者が後を絶たないんですか?」

「それだけじゃない。その風は、こっちが軍を押し返してる場所で、決まって吹いてくるんだ。もう少しで突き破れるっていうところで……」

 アーロンは悔しそうに茶色の髪をかきむしる。

「被害がこっち側だけというのもおかしいし、あまりに不自然すぎる。この時期にこんな風が吹くのも初めてのことだ。見たことも聞いたこともない。あれは、ただの風じゃない」

 負傷者の傷と話から、ミコラスも普通の風ではなさそうなことは感じていた。だが、風使いの一族である人間が、あの村から出ることは考えにくいことだった。長年森で暮らし、掟を厳格に守ってきて、それがいきなり都にやってくるなど想像しづらい。では、皆を苦しめる風は本当に自然のものなのかと問われれば、それも違うように思えた。自然でなければ一体何のか……答えは、ミコラスの考えにくいものにしかたどり着かない。

「アーロンさんは、それが風使いの操る風だと考えてるんですね」

「悪いけど、そうとしか考えられない。……ミコラスはどう思う」

「言った通り、都に僕以外の風使いがいるとは思えません。でも、そんな不自然な風が吹く理由を考えると、その可能性も絶対にないとは言い切れないかも……」

 息を吐き、考え込むアーロンだったが、おもむろに言った。

「……直接風を見て、それが風使いのものかどうか、わかるか?」

「はい、わかるかもしれません。操られた風は自然のものにはない、強い筋が現れるので」

「筋? よくわからないけど……そう言うなら今すぐ付いてきてくれ。もし風使いによるものだったら、その本人を見つけ出してほしい。同じ一族なら顔見知りだろ?」

「そう、なりますね……」

 そう言われて、ミコラスの中に一瞬緊張が走った。だがすぐにその可能性は低いのだからと言い聞かせる。都に一族の人間がいるわけがない。でももし風が操られたものだったら――複雑になりそうな気持ちをミコラスは努めて落ち着かせた。

「この先は危険になる。出来るだけ身を隠しながら俺の後に付いてきてくれ」

「わかりました」

 アーロンは腰に提げたむき出しの剣を確認すると、辺りの様子に目を配りながら小走りに移動する。ミコラスは姿勢を低くし、その後に続いた。

 ずっと治療に専念していたミコラスが、直に外の様子を見るのはこれが初めてのことだった。路地には物が散乱し、家の窓や扉は壊されていた。そんな中に時々、人が倒れているのも見かける。すでに息絶えて、そのままにされているのだろう。ぼろぼろになった建物を越えた先の通りからは、物騒な音や声が絶え間なく聞こえてくる。人々の怒声に、武装した兵士達が迫る足音。それに応戦する金属音、そしてうめき声……それだけで何が起きているのかがわかった。もうここは、戦いの最前線なのだ。

「向こうで戦ってる仲間は、手薄だったこっちの通りから中央へ攻め上がるところだった。でもさっき例の風が吹いてきて、数を削られたんだ。だから今は進路を変えて攻めてるわけなんだけど……これを向こうが見逃してなきゃ、多分もう一度――」

 アーロンの話の途中で轟音が頭上をかすめていった。これに二人は咄嗟に身を隠す。ミコラスが見上げた宙には、砂埃に混じって建物のがれきが高速で舞い上がっていた。

「この、風が……」

「やっぱり吹いたな……ミコラス、わかるか?」

 物陰に隠れていたミコラスは、頭上に吹きすさぶ風の筋を追って、狭い路地から広い通りへと出た。

「おい、あんまりそっちへは……」

 アーロンが注意する声も聞かず、ミコラスは空を見つめて風に集中した。操る力は弱くても、風使いとして生まれた者には、必ず風を読む目が備わっていた。それは筋と呼ばれ、言わば風の軌跡だ。自然の風は不規則に吹くため、軌跡はあってもごく薄いのだが、操られた風は風使いの意思で吹くので、その軌跡は力強く、はっきりと残るという違いがあった。

 そして、ミコラスは通り過ぎていった風を見て、すぐにわかった。

「アーロンさん……これは、操られた風です……」

「思った通りだ。風使いはどこから風を送ってる」

 ミコラスの緑の目が、慎重に風の軌跡を追っていた。それは建物にさえぎられることなく、二人の頭上から前方の高台へと続いていく。その先には上流階級の立派な屋敷がいくつも並んでいたが、軌跡はその一つの屋敷へとつながっていた。ミコラスはそこに目を凝らし、人影を探る。

「……いた! あそこに」

 ミコラスが指差した先を、アーロンも目を凝らして見つめる。

「どこだ」

「あの二階建ての、左側のバルコニーに三人……あっ、中に戻りました」

 ここでの仕事を終えたように、三人の人影は屋敷の中へと消えていった。

「また移動する気か……走れば間に合うかもしれない。ミコラス、離れず付いてこい」

「はい!」

 周囲に兵士の気配がないのを確認すると、アーロンは高台へ向けて走り出した。ミコラスも後を追い、懸命に走る。だがその胸には、なぜという疑問が渦巻くばかりだった。

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