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クロッシング  作者: 柏木椎菜
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一話

 冬の寒さでも鬱蒼とした森の中。陽光がわずかにしか差し込まないここは、昼でも底冷えがするほどの寒さが覆っている。頭上からは時折、鳥の声が響いてくるが、それ以外の生き物の気配は感じられない。二人の少年をのぞいては。

「そっち、あったか?」

「ないよ。レオンは?」

「ない」

 木の幹の茂みを手探りながら、レオンはせわしなく視線を動かす。その少し離れた背後でも、彼の幼馴染みで親友のミコラスが、同じように茂みの奥を探っていた。

「ここにはなさそうだ……どうする?」

 振り返ったミコラスはレオンに聞く。

「どうするったって、見つけるしかないだろ」

「そうだけどさ……もう少し先に行ってみる?」

 そう聞かれて、レオンは森の奥をいちべつする。

「……この辺りを探し尽くしたら、その時は行ってみよう」

 ミコラスはうなずくと、レオンと共に場所を移動していく。二人の少年が歩くたびに、その口からは真っ白な息が吐き出されていた。

「それにしても、こんな寒い日に使いを頼まなくたっていいのに」

 不満をあらわにするレオンを見て、ミコラスは苦笑いを浮かべる。

「本当、今日は僕の家で遊ぶ予定だったのに……ごめん」

「何で謝るんだよ」

「だって、薬草採ってくるように言ったのは僕の親だし……」

「親だからってミコラスは悪くないだろ。頼まれたものはしょうがないよ」

「うん……」

 ばつが悪そうな顔をするミコラスの背中を、レオンは軽く叩いて笑いかける。

「叱られないように、早く採って帰ろう」

「……そうだね」

 二人は白い息を吐きながら、再び茂みの中を探り始める。

「でもさ、エルバってこの時期に採れる薬草だったか?」

「本当は秋の終わりだけど、冬に採れることもあるらしいよ」

「じゃあ旬は過ぎて、数は少なそうだな……今日中に採れるのか?」

「わかんないけど、こんなに探して見つからなかったら、正直に言うしかないよ。親には代用の薬草を使ってもらって――」

「え、代用って、エルバじゃなきゃいけないんじゃないのか?」

「質にこだわるならそうだけど、作ってるのは頭痛薬だからさ、代用できる薬草はいっぱいあるんだ」

 これにレオンは拍子抜けしたように溜息を吐いた。

「なあんだ、絶対に必要ってわけじゃないのか」

「でも、エルバなら他の薬草よりも効果が上がるから、だから欲しいんだと思う」

 そう言ったミコラスを、レオンはちらりと見やる。

「ミコラスは薬草とか薬に詳しいよな」

「僕は「風」が操れないから、その分、親とか本から薬の作り方を勉強して特技を作らないと」

「昔よりは風、操れるようになったろ」

「まあ、レオンが教えてくれたおかげでちょっとだけ……。でも、もう自覚してるんだ。僕には風使いの素質がないってこと。レオンは木を揺らすほどの風を操れるのに、僕は未だにろうそくの火を揺らすことしかできない。だからもう見切りをつけた」

「そうか……じゃあこれからは薬師を目指すのか」

「うん。レオンの怪我と病気は、僕の薬で治してあげるよ」

 ミコラスは少し得意げな口調で微笑んだ。これにレオンも笑みを返す。

「ミコラスが診てくれるなら、安心だな」

 へへっ、とミコラスは照れた笑顔を浮かべる。その表情に、レオンは胸の中でほっと安堵した。

 彼らは森の中で暮らす風使いの一族であり、その名の通り、風を自由に操る術を持っている。外界とは一切交わらず、自分達の力だけで生き、独自の掟を守りながら暮らしていた。しかし、風使いの一族だからと言って、全員が同じように風を操れるわけではない。上手い者もいれば下手な者もいる。だがそんなことで差別する者はおらず、下手なことも一つの個性という考えで、風を操れない者は自分の別の才能に気付いていく。野菜作りだったり、大工だったり、裁縫だったり……。そんな彼らがいるおかげで一族の暮らしは安泰だった。風を操れる以外にも一族にとって大事なことは山ほどあるのだと彼らは教えてくれる。だから下手な者を見下す意識は誰にもなかった。

 しかしミコラスは一時、風を操れない自分に自信を失っていた。風使いの一族に生まれながら、なぜ上手く操れないのかと、親友のレオンに幾度も相談し、教えを乞うていた。無理に操ろうとすることはないと、レオンは今の自分を受け入れるよう言い続けてきたが、その甲斐あって、ミコラスはようやく別の才能を見つけ、風使いへの未練を断ち切ったのだった。これでやっと共に進める――そんな感覚があって、レオンはミコラスの笑顔を見て、安堵を感じたのだった。

「あっ、やっぱりさぼってる!」

 非難を含んだ声が聞こえて、二人は同時に振り向く。そこには灰色の外套に革の手袋をはめた、同い年のマルファが立っていた。その丸い紫の目は、二人を交互に見つめる。

「何でマルファがいるんだよ」

「二人がいつまで経っても帰ってこないから、ミコラスのお母さんに頼まれて見に来たのよ。……ここでずっとさぼってたの?」

「さぼってないよ」

「嘘。今おしゃべりしてた」

「しゃべりながら薬草探しちゃいけないのかよ」

「手が止まってたじゃない。探してるようには見えないけど」

「来たばっかりのやつに何がわかるんだよ。俺達は寒い中、向こうのほうからずっと探しながら歩いてきたんだ。なあ、ミコラス」

 返事を貰おうと隣を見ると、ミコラスなぜかうつむき、視線を泳がせていた。

「ほら、ミコラスは正直だから、嘘の返事なんてできないのよ」

 マルファは二人の元へ、つかつかと歩み寄る。

「隠したって私にはわかるんだから」

「さぼってないって言ってるだろ」

 向きになるレオンに、マルファは口角を上げて微笑んだ。

「大丈夫よ。このことは黙っててあげるから」

「だから、俺達は――」

「私も探してあげる。確か、エルバよね?」

「いいよ。お前は頼まれてないだろ」

「三人で探したほうが早いじゃない。……ミコラス、そっちはもう探した?」

 近寄ってくるマルファに、ミコラスは身を固まらせ突っ立っている。

「う、うん、こっちはもう、見たから……」

「そう。じゃあその向こうを探しましょ」

 歩いていくマルファの後ろを、ミコラスはぎこちない動きで付いていく。それを見ていたレオンは確信する。やっぱりミコラスはマルファのことが好きなんだ――

 というのも、一族の村の中で、ミコラスはたまにぼーっと突っ立って何かを見ていることがあった。その視線の先を追うと、そこには必ずマルファの姿があったのだ。レオンは最初、それがどういう意味なのかわからず、ミコラスに聞いたりもしたが、どぎまぎした笑顔しか返されず、毎回ごまかされていた。だが子供とは言え、十三歳にもなれば、マルファを見つめる視線に何が込められているのか、レオンも察することができた。そして、その予想はたった今、確信に変わった。

 二人は横に並んだ位置で、足下の茂みを探っている。草をかき分けるたびに、マルファの長い金髪が揺れていた。村にいる子供の中では、マルファの容姿は確かに際立っていた。周りの大人からも頻繁に、可愛いだの美人だのと声をかけられているのをレオンは見かけていた。そんな彼女にミコラスが惚れるのも無理はない。レオンにとってマルファは、口うるさくお節介な友人でしかないが、ミコラスにとっては恋する相手なのだ。

 ここは親友として、気持ちを汲んで手伝ってやりたいと思ったレオンは、さりげなく言った。

「ここはなさそうだから、あっちのほう探してくるよ」

 レオンは二人の空間を邪魔しないよう、静かに離れようとした。が、その時、慌てた声が呼び止めてきた。

「ちょっ、ちょっとレオン、どこ行くんだよ!」

 ミコラスが焦った様子でレオンの側まで駆けてきた。その顔は若干赤い。

「俺はあっち探すから、ミコラスはマルファと探しててくれ」

「それは、駄目だよ……」

「何で」

「何でって……二人だけじゃ……」

 もじもじするミコラスの声が尻すぼみになっていく。

「……とにかく、俺はあっち行くから」

 ミコラスには構わず、レオンは一人森の奥へ歩いていく。

「ぼ、僕も一緒に行くよ」

 ミコラスが後ろを付いてくる。それにレオンは溜息を漏らす。

「来なくていいから。手分けして探そう」

 再び歩くレオンだったが、すぐ後ろからはミコラスの足音が付いてくる。

「ねえ、二人とも、どこ行くのよ!」

 今度はマルファがやってくる。せっかく手伝ってやろうとしたのに――がっかりした気持ちでレオンは足を止めた。

「……薬草、見つけたか?」

「まだだけど。奥へ行くの?」

「この辺りは探し尽くしたから」

「そう……でもあんまり行き過ぎると――」

「わかってるよ」

 ぶっきらぼうに言うと、レオンは森の奥へ向かう。

「村から離れ過ぎちゃ駄目だからね」

「わかってるって言っただろ」

「何よ、その言い方。……ミコラスも何か言ってよ」

「う、うん……」

 そう言いながら、ミコラスは黙ってうつむく。その顔はより赤みを増していた。この分じゃ気持ちを伝えるのにも時間がかかりそうだ――レオンは胸の中でそう思った。

「この辺りを探すか」

 森の奥へ入ったところでレオンは足を止める。周りの景色は何も変わっていないが、少し薄暗さが濃くなっただろうか。凍える空気が支配する中を、三人は手分けして薬草を探していく。

「……どこにもないな」

 かがめた体を伸ばし、レオンは次の茂みへと移動する。もう旬の過ぎた薬草だ。これだけ探したのだから、やはりないのかもしれない。諦めて帰ってもいいだろう――そんな思いを抱きながら、茂みを見下ろした時だった。

「……足音?」

 動きを止め、レオンは耳を澄ます。枯れ葉の溜まった地面を踏み締める、わずかな足音が聞こえた。もちろんミコラスとマルファのものではない。彼らのいる場所とは違うほうから聞こえてくる。時々、パキッという枯れ枝を踏んだ音もする。そんな足音が徐々にレオンの元へ近付いてくる。

「レオン、どう? 薬草はあった?」

 背後から突然ミコラスに話しかけられ、レオンはしっ、と人差し指を立てる。

「……どうか、したの?」

「誰かいるんだ」

「誰かって、俺のことかな」

 半分笑った声に、二人は弾かれたように振り向いた。

「へえ、ガキが二人……向こうの村のガキか?」

 大きな木の後ろから現れたのは、みすぼらしい格好の痩せた男だった。だがその腰には錆びたナイフが差してある。その姿から、レオンもミコラスもこの男が何者か、瞬時にわかっていた。

「こんなところで何してた。かくれんぼか?」

 ゆっくり近付いてくる男を、二人は見つめながら身構える。

「そう怖がるな。殴ったりなんかしねえよ。ここで何してんのか聞いてるだけだ」

 うすら笑いを浮かべて聞く男に、二人は警戒の眼差しを向けこそするが、答えることはない。するとこれに男の目が吊り上がった。

「こっちが聞いてんだよ! さっさと答えねえか!」

 怒声に二人は息を呑む。と、その時、背後でがさりと音がして、男の視線がそちらへ向いた。

「……ほお、まだガキがいたか」

 はっとした二人が振り向くと、木の陰から怯えた顔でのぞくマルファの姿があった。

「お前もあの村のガキだな。見たことあるぞ、その金の髪……」

 そう言いながら男はマルファに近付いていこうとする。

「マ、マルファに近付くな!」

 上ずった声のミコラスは男の前に立つと、その胸を両手で押し返そうとする。

「何してんだお前。俺に触れていいと言ったか!」

 左手を振り上げた男は、ミコラスの横っ面目がけ、勢いよく打ち払った。パシンと乾いた音が響き、ミコラスの体は男の前から吹き飛ぶ。

「あーあ、殴っちまった……邪魔するからだぞ」

 男の視線が再びマルファに向く。それにレオンは咄嗟にマルファの前に立ち塞がった。

「……ん? お前も殴られたいらしいな」

 にやりと笑う男は、恐怖を煽るようにゆっくりと近付いていく。大人と子供では、どうしたって力では勝てない。逃げるにしても、この距離ではすぐに捕まってしまうだろう。そうなれば一体どうなってしまうことか……。

「レオン……」

 すぐ後ろからマルファの震える声がした。この場を切り抜けるためには、この方法を使うしかない――レオンは意を決すると、迫ってくる男に意識を集中させた。だが直後、レオンはマルファに肩をつかまれる。

「風は駄目、掟を破っちゃ駄目……」

 紫の目はひどく怯えているのに、声は力強かった。マルファはレオンが風を操る気配を感じ、咄嗟に止めたのだった。何で止めると言い返したいのをこらえ、レオンは唇を強く噛むしかない。その間に男は目の前まで迫っていた。

「俺は後ろのガキに用がある。どくなら今だぞ」

 見下ろしてくる男を、レオンは懸命に睨み付ける。どうすればいい、どうすればいい――思考をぐるぐると巡らせていた時だった。

「どうやら殴られ――っな!」

 急に男の体が傾き、地面に倒れ込んだ。

「二人とも、逃げて!」

 そう言ったのは男の背中に抱き付くミコラスだった。男を押し倒し、背中にしがみ付いて懸命に動きを止めていた。

「このガキ、なめた真似しやがって……」

 もがく男の力は、今にもミコラスをはねのけようとしている。

「早くっ……僕が、押さえてるうちに……」

 必死な形相でミコラスは早口に言う。その左頬は真っ赤に腫れ上がっていた。

「でも――」

 レオンが一歩近付こうとすると、後ろから腕を引かれた。

「逃げて、村の誰かに知らせなきゃ」

「……マルファ、放せよ」

「私達だけじゃどうにもできないでしょ!」

「ミコラスを見捨てるのかよ!」

「僕は、いいから……早く……!」

 押さえ込まれた男は、背中に乗るミコラスに執拗に肘打ちを繰り出し、その体を引きはがそうとしている。避けられないミコラスは痛みに耐えていたが、押さえる手から次第に力が抜けていくのが見て取れた。もう押さえきれない――

「逃げよう!」

 マルファはレオンの手をつかみ、走り出す。だがレオンの足はそれを拒む。ミコラスを、親友を見捨てて逃げられない。逃げることなんてできない――頭の声はそう言っていた。だが、背中にしがみ付くミコラスが引きはがされたのを見て、その声は瞬時にかき消された。

「レオン!」

 マルファは手を強引に引っ張り走り出す。レオンはもうそれを拒むことはなかった。ミコラスに背を向け、マルファと共に森を駆け抜ける。男に捕まったら殺されるかもしれない――恐怖に急かされたレオンは、ただひた走るしかなかった。

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