表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/49

第45話 忘れ物

第四章にあたる【三日目 昼~夕方】パート6です。買出し組が陰謀論を展開している頃、正直者の二人が交わしていた言葉は。

  6  忘れ物


「アトリはこれからどうするんだ?」

 グラスを片づけていたアトリは、きょとんとしてジャスパーを見つめた。

「どうするって、何をですか?」

「アトリがアルディラさんに魔法を教わってたのは、妖精狩りと戦うためだろ。あいつはもうやっつけた。これからも冒険者を続けるのか?」


「……先のことはしっかり考えていませんでした。とにかく魔術を覚えることしか頭になくて、気がついたら倒してしまっていたような気分です。まだ少し信じられないというか……」

「それもそうか」

 ジャスパーは椅子の背にもたれ、天井を眺めた。

「一度にいろいろあったしな。オレも登録してから三日しか経ってないなんてピンとこない」


「あまり先のことは分かりませんけど、しばらくは冒険者を続けると思います。まだアルディラさんに何も恩返しができていませんし、この先何をするにもお金は必要ですから」

「……そういうのはルピニアが得意そうだな。まだ金に慣れてないだろうけど、そのうちあいつが財布を握るような気がする。変なとこで几帳面だしな。鍋なんて次の冒険のときでいいのに」

 呆れ顔のジャスパーにアトリも苦笑を返した。

「あるべきものが揃っていないと、落ち着かないのかもしれませんね。なんとなくルピニアさんらしいです」


「あるべきもの、か」

 ジャスパーが眉を寄せる。アトリはその表情に見覚えがあった。

「……どうかしましたか?」

 アトリはトレイをテーブルに置き、ジャスパーに向き直った。

 彼は今朝もこんな表情を浮かべていた。あの時はエドワードに割り込まれたが、ジャスパーが問おうとしていた内容も同じだったのだろう。彼は何か大事なことを口にしようとしている。


「背中の羽」

 ジャスパーは言いにくそうに口を開いた。

「よく分からないけど、隠すのって大変なんだろ。服とかいろいろ。これからも隠していくのか」

「……迷っています」

 アトリはわずかにうつむいた。

「今日だけでもたくさんのひとに知られてしまいましたし、もう隠しても意味がないかもしれません。でも、事情を知らないひとはもっと多いです。ちぎれた羽なんて見せられたら困ると思います」

「見せられたほうが困る? なんだそれ」

「ジャスパーさんは、たとえば腕や脚を失くしたひとを見たらどう思いますか? 何があったんだろう。どう接したらいいんだろう。どんな話題なら大丈夫なんだろう。そんなふうに気を使ってしまいませんか」


 ジャスパーはしばし考え込み、やがてうなずいた。

「ああ。最初はちょっと困ると思う」

「最初だけですか。ずっと困るのではなく?」

「そりゃ最初だけだろ。知らなくても困らないなら聞かないし、仲良くなったら気にしない」

「こっそり他のひとに聞いたりしないんですか」

「しない。知らないところで身体のことをひそひそ言われるのはいやだろ。オレだっていやだ。それくらいなら本人に聞く。オレもはっきり聞いてくれれば答える」


 アトリは目を細めてジャスパーを見つめた。

「ジャスパーさんは本当にまっすぐですね。そんなひとばかりだったらいいのに」

「エルムによく言われる。オレみたいな奴ばかりだったら世の中は平和になるって」

 ジャスパーが肩をすくめる。

「だけどエルムみたいな奴だって必要だと思う。あいつは何年も先のことを考えられる。オレなんか明日の食べ物くらいしか考えないぞ」

 アトリは吹き出しそうになり、慌てて口元を押さえた。

「ご、ごめんなさい。ジャスパーさんらしいです。本当にエルミィさんと仲良しなんですね」


 ジャスパーは複雑そうに眉を寄せた。

「難しいことはいつもあいつに頼ってる。本当はそれじゃいけないんだろうな。今だって言いたいことがあるのに、言葉が浮かばなくて困ってる」

「……わたしが羽を隠すことについて、ですよね。ジャスパーさんは反対ですか」

「反対っていうほど考えがまとまってないんだ。なんかすっきりしないっていうか」

 ジャスパーは腕組みしながらうなった。

「ずっと羽を隠して生きるつもりだった、って言ったよな。そのときは仕方なかったと思う。だけど今のアトリは違う。もうそんなのは違うだろって思うんだ」

「今は、違う……?」

「アトリは羽を失くしたんじゃない。生きるために自分で捨てたんだ。ひとがどう思うかなんて関係ないだろ。それに、アトリは羽がなくても強くなろうって頑張ってる。そういうのは恥ずかしくなんかない」


 アトリは息を呑んだ。心の深いところで大きな鐘が鳴ったかのように、力強い響きが胸を震わせた。


「自分でちぎった羽は傷じゃない。隠してたらいつまで経っても自信を持てない。そんなのは良くない。こうやって生きてきた、これからも生きていくんだって、みんなに見せてやればいいじゃないかって……ああもう、やっぱりうまく言えない」

 ジャスパーが苛立たしげに髪をかきむしる。

「……この羽は、わたしが自分で道を選んだ証ということですか?」

「そうなんだけど、もっとこう、ぴったりの言葉があるはずなんだ。それがどうしても出てこない」


 アトリは胸に手を当て、目を閉じた。

 力強い風が胸の奥まで吹き抜けていくようだ。心のどこかにかかっていた霧が晴れていく。その向こうから忘れていた何かが浮かび上がってくる。

 いつから見えなくなっていたのだろう。それは誰もが心に宿す、失くしてはならない輝かしいものだった。

「ああ……」

 深い息が漏れた。熱く湧き上がる思いが胸を満たし、透明なしずくとなってこぼれ落ちる。

 ――ずっと……ずっと忘れていました。こんな言葉がわたしの中にもあったんですね。


「あ、アトリ。ごめん、オレ何か悪いこと言ったか。だったら謝る」

「……悪いことなんて何もありません」

 アトリは頬をつたう涙をぬぐい、微笑んだ。

「分かったんです。この羽の意味も、わたしがこれからどうしたいのかも。ジャスパーさんのおかげです」

 濡れた瞳に確たる意志の光を宿し、アトリが穏やかに笑う。ジャスパーは慌てて両手を振った。

「結局オレは何を言いたかったのか、よく分からないんだ。オレのおかげとか言われても」

「大丈夫です。ジャスパーさんの言いたかったこと、ちゃんと分かりました。ありがとうございます」


 困惑するジャスパーに頭を下げ、アトリは足早に部屋を出ようとした。

 その足が不意に止まる。

 アトリはもどかしげに何度も首を巡らせた。その視線は扉とグラスを往復し、どちらにも止まりかねているようだった。

「……何かやりたいことがあるのか? グラスくらい代わりに片づけるぞ」

「ごめんなさい、お願いします!」

 アトリはジャスパーに背中を向けるや勢いよく扉を開け放ち、部屋の外へ駆けていった。




「……アトリもあんなことするんだな」

 ジャスパーは開いたままの扉を眺めて唖然とした。

 自分が何を伝えたかったのか未だにはっきりしない。そんな自分の言葉からアトリは何を受け取ったのだろう? 彼女が何か大切なものを見つけたのなら、自分も喜んで良いのだろうが……。

「たぶん、いいことしたんだよな」

 放置されたグラスを片づけながら、ジャスパーは何度も首をひねっていた。

パート7「もう一度」へ続きます。【三日目 昼~夕方】は次でラストです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ