9・ブレスレット
3話と5話にブレスレットの記載を追記しました。
ジルヴィア様との出会いの翌日、昼食を終えてた私がアルフォンス殿下の部屋へと戻ってくると、いつも殿下の腕にジャラジャラと付けられているブレスレットがなくなっていて、初めて見るブレスレットがはめられていた。
「……他のブレスレットはどうなさったのですか?」
アルフォンス殿下は、いつも魔力制御の装飾品を身につけているので、ひとつしか身につけていないなんて珍しいと思い、つい私は聞いてしまった。
聞かれたアルフォンス殿下は、とても嬉しそうに誇らしげに腕に着けられているブレスレットを頭上に掲げている。
「これは父上から頂いた、新しい魔力制御のブレスレットなんだよ」
「陛下から? それはようございました」
「うん。さっき、ルネが部屋から出て行った後で、代わりの侍女が父上からの贈り物だと持ってきてくれたんだ。今まで身につけていた物とは相性が悪いと言われて、外さなきゃいけなかったんだけどね。でも、これはひとつでも効果があるって言ってたから」
そっか、陛下が直接持ってきてくれたわけじゃないんだ。
陛下と会えて良かったですね、とか下手なことを言わないでおいて良かった。
「父上からの贈り物は本当に珍しいから、すごく嬉しいんだ。父上が僕を気にかけてくれたことは、この部屋に来てから一度もなかったから」
よほど嬉しかったのか、アルフォンス殿下は眠るまで何度もブレスレットに視線を向けて、触ったりしている。
いくら魔力が暴走したからといって、陛下にとっては実の子供だもの。
アルフォンス殿下のために、より良い物を作るところを見ると、愛情はあるのだと思う。
私はフィニアス殿下に、アルフォンス殿下が喜んでいましたよ! と伝えたかったが、週に一度の報告は終わったばかりだったし、私の部屋にも来なかったことから、翌週まで言えないままでいた。
けれど。
「え? 今週は報告をしなくてもよいのですか?」
「はい。フィニアス殿下は他領地の視察に一ヶ月ほど参りますので、報告は来月で、とのことです」
「かしこまりました」
では、と私に伝えに来てくれた使用人が立ち去って行く。
そうか。フィニアス殿下は、しばらく王都から離れるんだ。せっかく、アルフォンス殿下が喜んでいたことを伝えたかったのに残念。
きっとフィニアス殿下も喜んでくれただろうになぁ。
使用人との会話を終えた私が部屋に戻ると、机の上に地図を広げていたアルフォンス殿下が顔を上げて、こちらに視線を向けた。
「ルネの出身は、この地図のどこになるの?」
「え? その、私の出身ですか?」
唐突に言われた言葉に、私はどう答えようかと言葉に詰まる。
一応、南にあるナバートという国から来たことになってはいたが、詳しい場所までは分からない。
どうしよう。
…………そうだ。文字の読み書きができないって言ったら、上手く切り抜けられるんじゃない?
そうと決まれば。
「あの、申し上げにくいのですが、実は私は外国からこの国に来て二ヶ月ほどしか経っておりませんので……。言葉は問題ないのですが、文字の読み書きができないのです。ですから地図に書かれた文字が分からないのです」
「外国から? どの国から来たの?」
「……ナバートです」
「ナバート……。南の島国だと教わったことがあるよ」
すごい。六歳でもうそんなことを教わってるんだ。
さすが、王族だと私が感心していると、アルフォンス殿下は申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「ごめんね、ルネ。この地図はベルクヴェイク王国の地図だから、ナバートまでは描かれてないんだ」
「え!? これ、ベルクヴェイク王国しか描かれてないんですか!」
机に大きく広げられていたから、てっきり他国の分も入っていると思っていたけど、違うんだ。
「ちなみに王都はどこになるのでしょうか?」
アルフォンス殿下は、ここだよ、とやや東の方を指差した。
うん。すぐには書かれている文字を読めない。
「もしかして、これも読めなかったりするの?」
「ゆっくり考えながらでしたら……。毎日勉強してはいるのですが、中々」
日中はどうしてもアルフォンス殿下の世話があるので無理だし、部屋に戻って寝るまでの時間も長くはない。
言い訳にしかならないが、文字の読み書きは最初の頃からあまり上達はしてない。
そもそも、単語を教えてくれる人が身近にいないからという理由もある。
やっぱり先生がいないと、辞書もないのに独学で異世界の言葉を学ぶのには限界があるよね。
私は教えてくれる人、と考えたところで、アルフォンス殿下へと視線を向けた。
が、さすがに先生になって、なんて図々しいし失礼すぎて言えるわけがない。
地道に勉強していくしかないんだろうな、と考えていた私の袖をアルフォンス殿下が引っ張ってきた。
「どうかなさいましたか?」
「僕が文字を教えてあげようか?」
「よろしいのですか!」
嬉しいアルフォンス殿下の申し出に、私は先程までの考えを投げ捨てて、あっさりと飛び乗った。
あまりの即答振りにアルフォンス殿下が引いているように見えるが、気にしない。
「そんなに喜んでくれるなんて、嬉しいけど……。僕も読み書きが得意というわけじゃないから」
「いえ、助かります。大助かりです。よろしくお願い致しますね。先生」
アルフォンス殿下に先生と呼びかけると、殿下は照れ臭そうな笑みを浮かべた。
その日から、私はアルフォンス殿下に文字の読み書きを教えて貰うことになった。
勉強の時間を設けたことで、私は暇を持て余すことがなくなったのである。
つまり、ずっと立っている時間が減ったということだ。
足が疲れないというのは、なんと素晴らしいことなのかと感動していた。
「アルフォンス殿下、本日も文字の読み書きを教えていただき、ありがとうございました。それでは失礼致します」
一礼し、私はアルフォンス殿下の寝室から退室する。
出入り口でオスカー様に挨拶をして、私は自分の部屋の扉を開けると、部屋の椅子に座っている人物を見て、慌てて中へと入った。
「フィニアス殿下! 私じゃなかったどうするんですか!」
私は椅子に座っていたフィニアス殿下に声をひそめて詰め寄る。
「しばらく裏で待っていたのですが、帰ってくる様子がなかったので、お邪魔させて頂きました。それに、今日の警護はオスカーでしょう? 彼には、たまにルネの部屋に行っているという説明をしてありますから、覗かれる心配はありません」
待って、その説明は色々と誤解を招かない?
まぁ、オスカー様は他者の魔力を察知するのが得意って言ってたし、事前に話をしておかないと、部屋に入って来てしまう。納得したけど、それでも心臓に悪いことに変わりはないよ。
「部屋に来るのが遅れたのは申し訳ございません。ですが、誰が入ってくるか分からないのですから」
見られでもしたら大変じゃないですか。
フィニアス殿下とどうこうなっているという噂が出たら、嫌でも目立っちゃうし。
「ルネを困らせるつもりはなかったのですが……そうですね。次はもう少し遅い時間に来ますね。それと一ヶ月程、留守にして済みませんでした。まだ、こちらの生活に慣れない貴女を一人にするのは不安だったのですが……。何もありませんでしたか?」
「私に関しては、敵側の使用人達から色々とお話を伺う機会があった程度で、特に何もございませんでした」
他の使用人の話も聞きたいかな? と思って私はチラリとフィニアス殿下に視線を向けるが、彼は特に興味がないのか「続けて」と先を促した。
「それと、アルフォンス殿下に関してですが、ちょうどフィニアス殿下が視察に向かわれた辺りで、陛下から魔力制御のブレスレットを贈られて、喜んでいらっしゃいました。ひとつでも効果があるって言ってましたよ。凄いですね」
「陛下が? 珍しいこともあるものですね」
フィニアス殿下の様子を見ると、アルフォンス殿下の言う通り、陛下は本当にあまり贈り物をしない人らしい。
「贈られたブレスレットを見て、笑顔を見せていらっしゃいました」
「そうですか」
当初よりも明るくなったアルフォンス殿下の様子にフィニアス殿下も目を細めている。
「それから、もしかしたらフィニアス殿下には怒られてしまうかもしれないんですが、実はアルフォンス殿下から文字の読み書きを教わっているのです」
「アルフォンス殿下からですか?」
「はい。私の出身地はどこかと尋ねられて、正直に文字が読めないので地図に書かれた文字も読めないと言ったところ、なら自分が教えると」
詳しく説明をすると、フィニアス殿下は顎に手を当てて、なるほど、と呟いた。
これから怒られるかも、と思った私は緊張で体が硬くなる。
「そのように緊張せずとも大丈夫です。平時であれば、なんということを、と怒らなければなりませんが、他に見ている人もおりませんし。それにアルフォンス殿下が自ら申し出たのですから、怒ったりはしませんよ。ただ、他の人に見られないようにして下さいね」
「……はい」
今回は特別なのだと強調され、私は緊張したまま返事をする。
怒られなくてホッとしたが、見逃してもらっただけだ。
私に求められているのはアルフォンス殿下の侍女としての仕事なだけで、友達ではない。
そのことを肝に銘じなければならない。
ということを考えたところで、私はまだフィニアス殿下にお帰りなさいと言ってないことに気が付いた。
「あ」
「どうかしましたか?」
「フィニアス殿下、お帰りなさいませ。お仕事お疲れ様でした。長旅で大変でしたよね?」
一ヶ月ほど視察に出ると聞いていたが、今は三週間になろうかという辺り。
王城でのことが心配で、急いで仕事を片付けてきたのだろうということに思い至り、私は頭を下げた。
フィニアス殿下は突然の労りの言葉に面食らったようで、目を丸くしている。
「ええ。ええ、ただいま帰りました」
けれど、すぐに笑みを浮かべて私に言葉を返してくれた。
私とフィニアス殿下は色々と情報を交換した後で、彼は本棚の裏からアイゼン公爵邸へと戻って行く。
一人になった私は、アルフォンス殿下から今日教わった単語とその意味を紙に日本語で書いていく。
要は手作りの辞書を作っているのだ。
辞書というにはまだまだだけど、いずれ私の役に立ってくれるはず。
それから、日中にフィニアス殿下の執務室へと報告に行ったり、アルフォンス殿下から文字を教えてもらったりして過ごしている内に、私がこちらに来て二ヶ月半が経っていた。
前日、遅くまで勉強していたので起きるのが大変だったけど、ささっと身なりを整えて、アルフォンス殿下の部屋まで向かう。
扉の前のオスカー様にいつものように挨拶をして、部屋へと入り、朝食の準備をした後で寝室の扉をノックした。
「失礼致します」
そっと扉を開けると、こちらに背を向けて寝ているアルフォンス殿下の姿が目に入る。
いつもなら自分で着替えまで済ませているのに、まだ寝ているなんて珍しいな。
「アルフォンス殿下。朝です。朝食の準備が整っております」
声をかけるが、アルフォンス殿下の反応がない。
何だか様子がおかしいことに気付いた私は、失礼しますと良いながらアルフォンス殿下に近寄ると、彼は胸を押さえて苦しそうに呻いていた。
「殿下、大丈夫ですか!」
あまりに苦しそうな様子に驚いて、私は身を乗り出してアルフォンス殿下の肩を掴んだ。
その瞬間、手にピリッとした刺激を感じると同時に、肩を掴んだ手のひらから何かが私の体に流れこんでくる感覚がした。
徐々に気持ち悪くなり、視界がぐるぐる回っていく。
なのに、アルフォンス殿下から手を離すことができない。
まるで接着剤でくっつけられたようにびくともしない。
冷や汗が出てきて、立っていられなくなり私はベッドに膝をついた。
その間にも、手のひらから何かが私の体に流れ込んできている。
胃の辺りが気持ち悪くて、吐き気がする。
しばらくは耐えていたけれど、どうにも我慢ができなくなって、私はアルフォンス殿下のベッドに倒れ込んでしまう。
ようやくアルフォンス殿下の体から手を離せたというのに、気持ち悪さは回復しない。
苦しい状態のまま、次第に目の前が真っ暗になっていき、そこで私の意識は途切れてしまった。