8・恨む理由
「ルネ。そんなすぐにアルフォンス殿下の部屋へ戻らなくてもいいじゃないの。お昼はまだなんでしょう? ここで食べて行けばいいじゃない。どうせ、殿下は他の侍女が見てくれてるんだから」
「でも」
「アルフォンス殿下の侍女として一ヶ月以上続いた勇者の話を皆が聞きたがってるのよ。ほら!」
フィニアス殿下の執務室からの帰り道、私は腕を引っ張られ、半ば強引に使用人達の食事部屋へと連れ込まれてしまった。
当初は好奇の視線に晒されていた私が、なぜこうも他の人から親しげに話しかけられているのかというと、単純にテュルキス侯爵が何も言ってこないからである。
私の雇用に関しては陛下の許可があったからなのだが、王家が軽んじられているということもあり、王城の雇用に関してはテュルキス侯爵も目を光らせているのだという。
陛下に反発している貴族にとって好ましくない人物は、何らかの理由をつけて解雇されてきたらしいので、一ヶ月以上働いている私はどちらの派閥にとっても敵ではないと判断されたのだ。
大多数の貴族は国王派、もしくはテュルキス侯爵を始めとする陛下に反発している貴族達に別れているが、王城内の使用人も例外ではない。
表立って対立はしていないものの、どちらかの派閥に属している使用人は絶対に目も合わさないのだ。
だから、来たばかりの私がどちらの人間なのか、使用人達は探っていたというわけ。
こうして、食事部屋へと連れ込まれた私は、陛下に反発している貴族達を支持している使用人達に囲まれてしまっていた。
「で、アルフォンス殿下はどんな方なの?」
「無闇に魔力を暴走させてるって噂は本当かい?」
「気に入らないことがあると、すぐに癇癪を起こすって聞いたぞ」
で、どうなの? と皆が私に問いかける。
どこの世界でも人間というものは噂が好きなんだな、と私は苦笑した。
「アルフォンス殿下は大人しい方よ。無口で話すことはあまりないし、最低限のお世話だけしかしてないから、言えることはこれぐらいしかないけど」
私の話を聞いた皆は、な~んだ、と言いながら前のめりになっていた体を元に戻した。
一年前の出来事から一切姿を見せなくなった第一王子がどうなっているのか、使用人達は興味津々なのだろう。
そして、先ほど言った私の言葉は八割が嘘だ。
侍女として配属された当初は、確かにアルフォンス殿下は無口な方であった。
けれど、今は違う。
私と話をしてくれるようになったし、よく笑うようにもなった。
なのに、なぜ私が嘘をついたかというと、目の前の使用人達が陛下に反発している貴族を支持している人達だから。
どちらが正しいのか分からないけれど、アルフォンス殿下の命を狙っている以上、この人達は敵ということになる。
敵にバカ正直に情報を与えるなんて愚かなことはしない。
「あ~あ。有益な情報だったら、テュルキス侯爵に褒めてもらえるかと思ってたのに、つまんない」
私を食事部屋に引っ張り込んだ女性使用人は、残念そうに口にした。
褒められたいから、私から情報を得たいなんて正直にもほどがある。
それだけ、私は彼女から警戒されていないということだし、いてもいなくてもいいフィニアス殿下に雇われたということで、自分達よりも格下であると思われているのだ。
でも、警戒されていないということは、うっかり口を滑らせてくれるということでもある。
私はフィニアス殿下やテオバルトさんからしか、この国のことを聞いていないので、できれば色んな人から話を聞きたいと思っていた。
だからこれは絶好の機会だと思い、私は不自然に思われないように女性使用人に向かって話しかける。
「……そんなに、テュルキス侯爵に褒められたいの?」
「当たり前よ。陛下に反発している人達は皆、テュルキス侯爵に憧れてるんだから。あの方は貴族だろうと平民だろうと差別なさらない平等な方だし、あのクズ鉱石が魔法鉱石として使われるようになったのもテュルキス侯爵の功績だし。それだけ国のために動いているのに、陛下はあの方を無視して褒美も与えない。今の王家は間違ってるわ」
国王派の人に聞かれたら不敬罪で捕まりそうなことを言ってのける彼女に、私は大丈夫なのかと慌てる。
「ちょっと、誰かに聞かれたら」
「大丈夫よ。今の時間は味方しかいないから。国王派とは時間が分けられてるの」
「え? そうなの?」
「そうよ。どうして同じ部屋であいつらと食事をしなきゃいけないの? 本当に邪魔。早くテュルキス侯爵が王になられればいいのに」
今の彼女の言葉から王位継承権を持つフィニアス殿下、アルフォンス殿下のことはすっぽりと抜け落ちている。
「ってことは、テュルキス侯爵は、王様になりたいの?」
「ご自分ではっきりと仰ってはいないけどね。でも私達はそうだと思ってる。あの方は王家を恨んでいるもの」
「ルネはそこら辺の事情を知らないのか?」
「……ええ。私はナバートから来て日が浅いから、この国の事情を知らなくて……。フィニアス殿下からも聞かされてないし」
私の説明に、皆は納得したように「あぁ」と口に出している。
それにしても、国を滅ぼそうとしているテュルキス侯爵の考えを知らないということは、あの人は他の人には言ってないということなのだろうか。
人の口に戸は立てられないって言うし、誰かに言えばどこかから噂として出回るはずなのに、それがないってことは、そうなんだろうな、と考えていた私に真正面に座っていた男性使用人が声を掛けてくる。
「だったらフィニアス殿下よりも、テュルキス侯爵に付いた方が身のためだぞ」
「……それって、どういうこと?」
「あの方が陛下を玉座から引きずり下ろしたら、王家の方々の命はない。フィニアス殿下に付いていても先はないということだ」
フィニアス殿下からも王家はテュルキス侯爵から恨みを買っているとを聞かされていた。
詳しい事情は第三者から聞いて欲しいと言われていたこともあり、ちょっとした好奇心が湧き上がる。
「……どうして、テュルキス侯爵は王家を憎んでいるの?」
途端に皆は、こいつ本当に何も知らないんだな、と言いたげな表情になる。
その中でも、事情を知っていそうな男性が私に顔を寄せて小声で囁きかけてきた。
「今から約五十年前の話だ。隣国との大きな戦争があって、うちはその戦争で勝利し、隣国の領土を全て我が国の領土にした」
「勝ったのなら、良い話なんじゃ?」
「ところが、話はそう簡単じゃない。その勝利があったのは、先々代の国王陛下が当時は辺境伯だったテュルキス侯爵様のお父上を捨て駒にして、奇襲を仕掛けたからなんだよ。結局、捨て駒にされたテュルキス侯爵様のお父上は戦死して多数の兵を失った。先々代の国王陛下は、跡を継いだテュルキス侯爵に領地を与えて侯爵の爵位を与えたけど、失ったものが多すぎた。他にもかなり優遇されたと聞くが、十歳かそこらで爵位を継いだテュルキス侯爵様のお気持ちを考えるとな」
話ながら感極まったのか、男性は涙ぐんでいる。
他の面々も悲しげな表情で頷いていたところを見ると、この話は有名のようだ。
敵からの話なので、全てを信用するのは危険だけど、真実であればテュルキス侯爵が王家を恨むのも納得できる。
だからって、アルフォンス殿下や王妃様を殺そうとするのは間違っていると思うけど。
私がそんなことを考えていると、真正面に座っていた女性の表情が険しくなる。
「あのときの戦争の件があって、王家はテュルキス侯爵様に感謝しなければならないのに、エルツの件で褒美も与えないっていうじゃない。先々代から王家は腐ってるわ」
エルツの件、という言葉を先ほどから聞いて、私はアルフォンス殿下の説明を思い出した。
『ある人物がクズ鉱石に魔力を込めて魔術式を組み合わせた』
今の話から察するに、ある人物とはテュルキス侯爵で間違いなさそう。
「それにしても、テュルキス侯爵も人が良すぎだな。フィニアス殿下の教育係を押しつけられた挙げ句、その殿下は自分で考えることができず、愚かで王の素質がまったくないときた。フィニアス殿下を王にして裏で操ろうにも、エルノワ帝国の皇女殿下と婚約が決まったユリウス陛下があっさりと王位に就いちまったんだからな」
「おまけに、フィニアス殿下は今の争いを傍観していらっしゃる。どちらにも属さず、ただ見ているだけなんて、本当に卑怯な方よね」
本当よね、と使用人達が頷き合っているのを見て、私の心がざわつき始める。
確かにフィニアス殿下は隠し事をしていたりするけれど、決して卑怯な人ではない。
心の底から信用しているわけじゃないけれど、国のためになんとかしようと動いているのは分かっている。
見てもいないのに勝手なことを言うなんて。
「……私には、そんな風に見えませんでしたが」
本当はフィニアス殿下は卑怯者ではないと言いたかった。
でも、言い返すなと言われているので、口にすることはできない。
今の言葉は私にできる精一杯の反抗だ。
だというのに、使用人達は顔を見合わせると、大きな声で笑い始めた。
「あんた、いくらフィニアス殿下の顔が綺麗だからって、馬鹿を言っちゃいけないよ」
「見た目に騙される使用人は、これまで沢山いたが、中身を知ると全員手のひらを返すんだよな」
「かろうじて王族というだけで、何の権力もないわよ? 贅沢なんてできないんだから、諦めなさい」
と、私の隣に座っていた使用人が肩をポンポンと叩いてくる。
フィニアス殿下を狙っていると勘違いされていることに私は慌ててしまう。
「随分と休憩が長いのね。よほど暇なのかしら。それとも無能なだけ?」
そういうことじゃない! と反射的に言いそうになった私は、その場にいない女性の声が聞こえたことで動きを止めた。
同じテーブルの使用人達も同じように動きを止めている。
「声が大きい。内容が下品。どうしようもないわね」
吐き捨てるような声を聞いて、私はそっと視線を声の主である女性に向ける。
目の前には、やや赤みがかった長い茶髪で青い目をした無表情の美少女が立っていた。
私の記憶に間違いがなければ、彼女はフィニアス殿下の執務室にいた女性である。
無表情なので、感情が読めないが、口にした言葉から怒っていることは窺える。
抑揚のない話し方で辛辣な言葉を彼女は口にしたのに、使用人達は誰一人として反論しない。
ずっと下を向いている。
「こんなところで油を売ってないで、さっさと持ち場に戻るのね」
黙ったのを見て満足したのか、彼女はさっさと立ち去って行った。
「……今の方は?」
こちらの声が聞こえないところに行ったのを確認した私は、小さな声で使用人達に尋ねると、彼女達はバツが悪そうな表情を浮かべながら口を開く。
「ジルヴィア様よ。ジルヴィア・ペルレ様。ペルレ伯爵のご令嬢よ」
「……そうなんだ。でも、今の時間にこの部屋にいたということは、彼女も陛下を良く思っていないということなの?」
「恐らくな。父君であるペルレ伯爵は表立って陛下と対立していらっしゃるし、よくテュルキス侯爵と一緒に行動されているから、ジルヴィア様もそうなんだろう。それにジルヴィア様をフィニアス殿下の監視として秘書官にした、という噂もある」
「そう。ありがとう」
言い方は辛辣ではあったが、ジルヴィア様が来てくれて助かったかもしれない。
あのままだったら、多分、絶対に言い返していたと思うもの。
ジルヴィア様に注意をされたし、アルフォンス殿下を待たせるのも悪いと思った私は、話を切り上げて部屋を後にした。
アルフォンス殿下の部屋まで歩きながら、私はテュルキス侯爵のことについて考えていた。
使用人達の話を鵜呑みにするなら、ある意味、正しいのはテュルキス侯爵となる。
やり方は絶対に間違っているけど、そうしたい気持ちも理解はできた。
理解はできるけど、やっぱり国を滅ぼすとかいう話は受け入れられない。
だからといって、私にテュルキス侯爵を説得するのは絶対に無理だ。
そもそも会ったこともないのだから、侯爵本人を見つけられるわけもない。
結局のところ、当事者であるフィニアス殿下しか私には知り合いがいないのだ。
テュルキス侯爵が勝ってしまえば、王家の人達の命はない。
そうなったら、多分、私の命もない。
これからどうしよう、と途方に暮れていた私は、いつのまにか全く知らない場所を歩いていたことに気が付いた。
「うそ! 道を間違えた!」
誰かに聞こうにも、時間帯のせいか人が見当たらない。
「とりあえず、来た道を戻ろう」
私は振り返り、戻ろうとしたが、足がもつれてよろめいてしまい、咄嗟に花瓶が置かれている台に手をついた。
私が手をついた振動で、置かれている花瓶が左右に大きく揺れ、落ちそうになっている。
「ぎゃ~! 待って! 待って!」
高価な物だったら弁償しなきゃいけなくなる!
私は慌てて、両手で花瓶の取っ手の部分を持った瞬間。
バチッ!
と、静電気がきて、驚いた私は花瓶から手を離した。
幸い手前に引いていたので倒れなかった花瓶を見てホッと息を吐いた私は、さっきの静電気を思い出して自分の手のひらを見た。
「今の何だったんだろう? 花瓶を触って静電気がくるなんて聞いたことないよ。金属でもないのに」
本当に静電気だったのか、それとも違うものだったのかを確認するため、私は恐る恐る、もう一度花瓶に触れてみた。
が、今度は何も怒らなかった。ということは、やはり静電気だったのだろうか?
そういえば、アルフォンス殿下の部屋を最初に掃除したときも、同じように静電気がきたことがあった。
あのときは、軽い感じで静電気かな? としか思わなかったけど、今回は違う。
明らかに痛みがあったし静電気だとしか思えない。
「もしかして、帯電体質になっちゃったとか? それか魔力の反発とか?」
色々と考えてみるけど、前にフィニアス殿下に聞いたときは彼も知らないような口振りだったし、今回も彼に聞いたところで同じ答えが返ってくるに違いない。
「う~ん。まあ、特に体の調子が悪くなったとかはないし、やっぱりただの静電気かな?」
体に変化もないし、まあ、いいか。
「って、部屋に戻らないと!」
ずいぶんと道草を食ってしまい、交代した侍女に怒られてしまうかもしれない。
戻っている途中で誰かいますように! と願いながら、私は元の道を戻っていった。
しばらく歩いていると奇跡的に人が通りがかり、涙目になった私はその人に事情を説明してアルフォンス殿下の部屋の近くまで連れて行ってもらったのである。
ちょうど人が通りがかって本当に良かった。
助かった、と思いつつ、私は部屋の前に待機していた侍女にお礼と遅れたことの謝罪をして部屋へと入る。
部屋の中にいたアルフォンス殿下は遅くなった私を見て、頬を膨らませていた。
「申し訳ございません」
「べつに……」
そっぽを向いたアルフォンス殿下は小声で「もう、帰ってこないのかと」と言ったのを聞いて、私は遅れたことを申し訳なく思った。
同時に、やっぱり私はテュルキス侯爵の考え方は受け入れられないと再確認する。
あの人が国を手に入れてしまえば、アルフォンス殿下は殺されてしまう。
この人を死なせるわけにはいかない。
母親に会いたいと泣いたアルフォンス殿下を私は助けたいと強く思った。
だから、どうか、フィニアス殿下の方が正しいことをしようとしていますように、と願わずにはいられない。