20・別れのとき
エルノワ帝国を出立する日、私はお世話になった侍女の皆さんに挨拶をして、フィニアス殿下と共に皇帝陛下達に最後の別れをするため、謁見の間へとやってきた。
「今回は色々と苦労をかけてすまなかった。またエルノワ帝国に来てくれるとありがたい」
「いえ、こちらも自分のことを知ることができて良かったと思っています。今度は仕事ではなく観光で伺いたいと思います」
「では、新婚旅行で来るといい。我が国は観光地が沢山あるから、きっと楽しめるだろう」
新婚旅行、と聞いた私は思わずフィニアス殿下を見てしまう。
彼は表情を変えずに真っ直ぐ皇帝陛下を見ながら、そのときはお勧めを教えて下さい、と答えていた。
意識しているのが自分だけだと知って、私は赤くなった顔を手で扇いだ。
「結婚式には呼んでくれ。一応、秘密となっているが、ルネは俺の姪でもあるからな」
「はい、結婚する運びとなりましたら、ヴェレッド侯爵夫妻といらして下さい」
フィニアス殿下が側に控えていたヴェレッド公爵夫妻に向けて告げると、お二人は嬉しそうに頷いた。
「娘の結婚式ですもの。喜んで出席致しますわ」
「花嫁姿を楽しみにしています」
お二人はフィニアス殿下との話を終えると、ゆっくりとした動作で私に向き直る。
「元気でね。幸せになるのよ?」
「はい。ベアトリス様もお元気で」
「離れていても貴女のことをずっと想っているからね。あと、お手紙を書いてもいいかしら?」
「勿論です」
ベアトリス様は、ありがとうと呟くと満面の笑みを浮かべた。
その笑顔に私もつられてしまう。
「……リュネリア」
遠慮がちに名前を呼ばれ、そちらに視線を向けるとどこか気まずそうなヴェレッド侯爵と目が合った。
「正直なところ、私は君を娘として迎えたかったよ。けれど、子供の幸せを第一に考えるのが親というもの。けれど、もっと君と話をしたかったというのも本音だよ」
「……これから、いくらでも話はできます」
私の言葉にヴェレッド侯爵は、フッと笑う。
「そうだな。じゃあ、今度会ったときにでも話をしてくれるかい? 好きな食べ物、好きな色、好きな花。ああ、そうだ、友達の話も聞かせて欲しい」
「かなり長くなりますよ?」
「子供の話は長くなっても聞きたいものなんだよ」
「承知致しました。じゃあ、ヴェレッド侯爵のお話も聞かせて下さいね」
私の話? とヴェレッド侯爵は聞き返してきた。
だって、私はヴェレッド侯爵やベアトリス様、それにユルヴァン様のことをあまりよく知らない。
「私の実の父親がどういう方なのかをもっとよく知りたいのです。ヴェレッド侯爵だけじゃありません。ベアトリス様やユルヴァン様についても知りたいと思っています。リュネリアになることはできませんでしたが、きっと新しい関係を築いていけるはずだと思うんです」
「……そうか。そうだね。これから新しい関係を築いていこう。時間はたっぷりあるのだから。なあ、ベアトリス」
「ええ。こんなに素敵な子に育てて下さった方に感謝しないといけないわね。できれば、お会いして話をしたかったのだけれど……」
「リュネリアを育てて下さった方は異世界の方。転送の宝玉を使えば可能だろうけど、戻って来ることもできないからね」
「本当に残念だわ。これからもリュネリアをよろしくお願いしますと申し上げたかったのに」
ふぅ、と息を吐いたベアトリス様。
私もできることなら、両親に会いたい。
会って育ててくれたことへの感謝と、こっちにいることを決めたから、もう会えなくなるという謝罪をしたい。
それに、フィニアス殿下とお付き合いをしていることも話したいよ。
向こうに戻らなくても、どうにかして会うことはできないかな?
……う~ん。ダメ元でクレアーレ様に何か方法はないか尋ねてみるとか。
考え込んでいたら、フィニアス殿下から名前を呼ばれ、私は我に返る。
どうやら、出発の時間になっていたらしい。
私は皇帝陛下とヴェレッド夫妻に挨拶をして、王宮から馬車へと向かう途中で廊下にいたユルヴァン様と遭遇した。
気を利かせたのか、フィニアス殿下がそっと私の側から離れていく。
歩いてきたユルヴァン様は、私の正面まで来て足を止めた。
「色々と大変なこともあったと思いますが、またエルノワ帝国に遊びにいらして下さい」
「大変なことよりも、得たものの方が多かったので、良かったと思っています。今度、エルノワ帝国に伺うときは、ゆっくりと観光もしたいですね」
「そのときは、良い場所に案内します。帰る間際に引き留めてすみませんでした。どうかお元気で」
「ユルヴァン様もお元気で」
微笑み合いながら、私達は少しの間、静かにしみじみと見つめ合う。
けれど、先に視線を逸らしたのはユルヴァン様だった。
「時間でしょう。そろそろ行かないと、君の恋人に怒られてしまいますね」
「フィニアス殿下は、そのようなことでは怒りませんよ」
「どうでしょう? 好いた相手が他の男と二人でいるのを快く受け入れる者はいないと思いますよ」
「ユルヴァン様は私の兄ですし、さすがにそれはないのでは?」
私の言葉に、ユルヴァン様は複雑そうな表情を浮かべた。
「……私を兄と言ってくれるのですね」
血の繋がりがあるのだから、兄という認識だったんだけど、もしかしてユルヴァン様はそう思っていないのかも。
「ああ、否定的な意味で言っているわけではありませんよ。ただ、幼い頃から良く想像していたものですから」
「想像?」
「ええ。もしも、妹が生きていたら、と。可愛い妹に夢中になって可愛がるだろうか? とか。逆に意地悪をして泣かせてしまうだろうか? とか。友人の後を追いかける妹を見て、自分の妹もそうしてくれるだろうかと想像したら、あまりの可愛さに友人が羨ましくなったりもしました。ですから、妹である貴女から兄と呼ばれてこみ上げてくるものがあったのです」
穏やかに微笑むユルヴァン様。
もしも生きていたら、と想像して私のことを考えてくれていたなんて。
「……私も、実の両親がどういう人達なのかと考えることはありました。まさか兄がいるとは思いもしませんでしたけど」
「ガッカリしましたか?」
「いいえ。優しそうで格好良い人で、友達に自慢できるなって思いました」
おどけて笑って見せるとユルヴァン様は目を瞠った後で吹き出した。
「私も君が妹だったら自慢できたでしょうね。ですが、君はルネ・ドージマとして生きることを選択した。表立って兄だと言うことはできませんが、兄として、また君の友として、幸せを願っていますよ」
「ありがとうございます」
礼を言うと、ユルヴァン様は私の肩を掴んで後ろを振り向かせた。
「さあ、フィニアス殿下がお待ちです。次は彼の婚約者として会えることを楽しみにしています」
背中を押され、私は振り向くことなくフィニアス殿下の許へと向かう。
「では、帰りましょう」
私達の国へ、とフィニアス殿下に言われ、私は頷く。
そのまま私達は王宮内から馬車へと乗り込んだ。
「あれ? フィニアス殿下も一緒なのですね」
てっきり別の馬車に乗るものだと思っていた私は、乗り込んできたフィニアス殿下を見て驚いてしまう。
「途中の街までルネと離れているなんて、我慢できなかったので」
「そ、そうですか」
サラリと言われた言葉に胸をときめかせていると、フィニアス殿下がうっとりした目つきで私を見ていることに気付く。
「……本当に夢のようです。恋い焦がれていた貴女と、こうして恋人になれたことが未だに信じられません」
「大袈裟ですよ。私は、そこまで価値のある女じゃありません」
「謙虚なのはルネの美徳ですが、少し卑下しすぎです。私が何度、貴女の優しさと勇気に助けられてきたと思っているのですか?」
そうは言われても、実感がないよ。
フィニアス殿下がどこかのご令嬢と結婚するかもって聞いて嫉妬したし、罪を犯した人を全て等しく赦したわけでもない。
結構、言いたいことは言っちゃうし、自分勝手に物事を決めてしまうところもある。
でも、フィニアス殿下からそう言われて、嬉しかったのも事実。
恋は盲目というけれど、多分フィニアス殿下も私を美化している部分があるのだと思う。 だったら、そのフィルターが一生外れないことを私は祈るしかない。
「私、絶対にフィニアス殿下の前では無様な姿は晒しませんから」
「何がどうなって、そういう結論になったんですか!?」
理由を問い質すフィニアス殿下に微笑みかけながら、私は固く心に誓った。