15・転送の宝玉
王宮に戻った私とフィニアス殿下が事情を聞かれ終わったのは、日付が変わる前ぐらいだった。
聞かれることに答えていただけだったけれど、精神的に物凄く疲れたよ。
あと、皇帝陛下には転送の宝玉を使って欲しいとお願いしたら、じゃあ明日、とあっさり言われてしまったのよね。
そりゃもう、慌ててジルやシャウラ、キールに事情を説明したよ。
キールは知っていたから驚いてはいなかったが、ジルとシャウラは物凄く驚いていた。
ということがあった翌日、目覚めた私の頭はやけにすっきりとしていた。
心配していた契約書の分解が上手くいったからね。
それに、昨夜、皇帝陛下に転送の宝玉を使って欲しいと頼んだことも。
心残りがないと言えば嘘になるけど、白黒きっちりつけておきたい。
日本に戻れるか、こちらに残るか。
正直に言えば、フィニアス殿下や皆と会えなくなるのは辛い。
この世界にきて、色んな人に出会って、助けられて、認められて自分の居場所ができた。
せっかく親しくなれたのに、という思いもあるけれど。
「でも、私は真実を確かめたい」
自分が何者なのかを知りたいと思うし、あやふやなのは嫌だ。
残りたいという気持ちもあるけれど、戻りたいという気持ちもある。
どちらも選ぶことができないのなら、運に任せるしかない。
皇帝陛下からは、今日転送の宝玉を使うと言われている。
早すぎじゃない? と思ったけれど、予定が今日しか空いていなかったそうだ。
『ルネ様』
起こしに来たジルの声が聞こえ、私は体を起こす。
「起きているよ」
返事をすると、ジルが部屋に入ってきて着替えを手伝ってくれる。
他愛もない話をして時間を過ごしていると、皇帝陛下が寄越してくれた人が私を迎えにきてくれた。
いよいよだわ。最後にジルとシャウラにお別れの言葉を言わないと。
緊張しつつ、私は二人の正面に立った。
「ジル、シャウラ。今までありがとう。二人にはすごくお世話になりました」
「ですが、ルネ様がリュネリア・ヴェレッド嬢であるという可能性が高いのであれば、結局はこちらの世界に残るのでしょう?」
「そうなるかもしれないけど、でも万が一ということもあるし、分からないから。そのまま元の世界に帰ったら、ジルともシャウラともここでお別れになるし。だからちゃんとお別れはしておこうと思って」
「……嫌です」
私がシャウラを見ると、彼女は目に涙を浮かべていた。
「あ、シャウラは私が雇ってたんだっけ。大丈夫、ちゃんといなくなった後もフィニアス殿下にそのまま屋敷で雇ってもらえるように頼んでおくから」
「違います! 私がルネ様と離れたくないんです! ルネ様はお優しくて、私達侍女を気遣って下さるし、何よりも妹の命の恩人なんです。私は他の誰でもないルネ様にお仕えしたいんです」
「……ありがとう」
シャウラの言葉に私の目頭が熱くなる。
「でも、私は確かめたいんだ」
「そんな……」
ついに泣き出してしまったシャウラの肩をジルがそっと抱き寄せた。
「シャウラ。ルネ様に情けない顔をお見せするんじゃないわ。最後の顔が不細工な顔で記憶されて、死ぬまで残るのよ?」
「ジル、その言い方は」
「せめて見られる顔になって頂戴。同じ侍女として情けないわ」
「いや、ジル。言い方」
私の言葉を無視して、ジルはシャウラを慰めているんだか貶しているんだか分からない言葉をかけていた。
さらにシャウラが泣くのではないかと心配していると、彼女はそうですねと口にして涙を拭った。
意外に彼女はタフなのかもしれない。
「ルネ様。お見苦しいところをお見せしました。ルネ様が望む結果となるよう祈っております」
「ルネ様。貴女にお仕えした時間は、本当に楽しかったです。本音では、こちらに残ればいいのにと思わないでもありませんが」
「ジルは最後までジルね」
「人間、性格はそう簡単に変わりませんから」
そのようで。
「……二人ともありがとう。元気でね」
「ルネ様も」
二人にお別れをして、私は皇帝陛下が寄越した人に連れられ、王宮の地下へと向かった。
「そちらの部屋には皇族の方と皇帝陛下が許可した方しか入れませんので、私はここでお待ちしております」
「案内、ありがとうございました」
そこで案内してくれた人と別れ、私は宝玉があるだろう部屋に入る。
中には皇帝陛下とフィニアス殿下が私を待っていた。
「やっと来たか」
部屋にいた皇帝陛下が私を見て、ニヤリと笑う。
反対に、数時間ぶりに見たフィニアス殿下の表情はいつもと同じに戻っていて、ホッとした。
「ヴェレッド侯爵夫妻には、事情をお話ししてあるのですか?」
「ああ。最初は信じられないと言っていたがな。最後には納得していた。今は其方が屋敷にあらわれるのを待っていることだろう」
「これで違ったら、ガッカリさせてしまうでしょうか?」
「さあな。まあ、やってみれば分かることだ。では、始めようか」
そう言って、何か呪文を唱え始めた皇帝陛下に、私は慌ててストップをかけた。
「あ、あの!」
私が声を上げたことで、皇帝陛下は呪文を唱えるのを中断して、不機嫌そうにこちらを見てくる。
「もしかして、もう転送の宝玉を使おうとしていますか?」
「そうだが」
そうだが、じゃないよ!
まだお別れの挨拶もしてないのに!
「せめて、お世話になったフィニアス殿下に最後のお別れをさせて下さい」
「ああ、それもそうだな。では、話が終わるまで待ってやろう」
「ありがとうございます」
私は、傍観に徹していたフィニアス殿下へと視線を向けた。
彼は私と目を合わせると、ああ、そうだと言って、後ろの方から荷物を持ってくる。
「それ、私の」
「ええ。ルネが召喚されたときに持っていた荷物です。元の世界に戻ったら、これも必要でしょう?」
そう言って、フィニアス殿下は私に鞄を手渡してくれた。
最初の頃はよく見ていたけれど、いつのまにかこの世界に馴染んで忙しく暮らしていたから、鞄を手に取るのは本当に久しぶり。
懐かしいな。
「フィニアス殿下。一年間、お世話になりました」
「……こちらこそ、貴女には助けられてばかりでしたね」
「そんなことはありませんよ」
「ありますよ。助けられてばかりで、申し訳ないと思っていました。突然、異世界に召喚されて心細かったことでしょう。元の世界が恋しいと泣く日もあったと思います」
フィニアス殿下の言葉に私は首を横に振った。
「召喚された当初はそうでしたけど、今はそうでもないです。普通に生きていたらできないだろう貴重な経験をさせていただきました。それに私の世界には魔法なんてありませんでしたから、本物の魔法を見られて得した気分です」
この言葉は予想外だったのか、フィニアス殿下は少し驚いた様子を見せた後で、柔らかな笑みを浮かべる。
「あと、契約書の件が解決して良かったです。それだけが心残りでしたから」
「ああ、最後の最後に情けない姿を見せてしまいましたね」
「本当ですよ。せめて格好良いフィニアス殿下を目に焼き付けておきたいですから」
「ええ。私も貴女の記憶に残る自分が、そうであって欲しいと思います」
いつもの穏やかな笑みを浮かべたフィニアス殿下に私も笑みを向ける。
すると、いきなり腕を掴まれ、引き寄せられた。
油断していたので、思いっきりフィニアス殿下の胸に顔をぶつけてしまう。
彼の手は背中に回され、痛いくらいに抱きしめられている。
ふわりと彼の纏う匂いがして、一気に私は顔が熱くなった。
これまでフィニアス殿下に抱きしめられたことはあったけれど、落ち着いた状況でというのは初めてだったこともあり、尚更嬉しさと恥ずかしさが入り混じる。
「貴女は私にとってかけがえのない、この世でただ一人の特別な存在でした。感情がすぐに顔に出て、表情が豊かで、心根の優しい貴女を好ましいと思っていたのです。こちらの予想の斜め上をいく行動をすることもあって目が離せませんでしたが、貴女と過ごした日々を私は決して忘れることはないでしょう。それこそ死ぬまでずっとです。それくらい私の中で貴女の存在は大きいものでした」
こ、これは……考えようによっては告白されているように聞こえる……!
落ち着いて、落ち着くのよ。
フィニアス殿下の見てきた女性とは違ったから、印象に残っているだけよ。
まさか、そんなフィニアス殿下が私を好きだなんてありえないから。
私は深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。
なんとか普通の態度になるようにと気を付けながら、私はフィニアス殿下を見上げる。
「ありがとうございます。色々とご迷惑をかけてしまったと思いますが、フィニアス殿下にそう仰ってもらえると嬉しいです。ホッとしました。保護してくれたのがフィニアス殿下で本当に良かったと思います」
「私も、こちらに召喚されたのがルネで良かったと思っていますよ。どちらに出るか分かりませんが、ルネの願いが叶うことを私は願っています」
「ありがとうございます」
エヘへと私達は笑い合う。
「もうそろそろ良いか?」
壁にもたれかかって、こちらの様子を見ていた皇帝陛下は投げやりな感じで声に出した。
皇帝陛下がいたことを思い出した私とフィニアス殿下は慌てて体を離す。
どことなくフィニアス殿下の顔が赤くなっているような気がする。
多分、私も赤い。
「ちょ、ちょっとお待ち下さい。フィニアス殿下、シャウラはそのままアイゼン公爵のお屋敷で雇って下さい。あとキールも」
「ええ。分かりました」
返事を聞いてホッとした私は、皇帝陛下へと向き直った。
「お待たせして申し訳ありません。転送の宝玉を使って下さい」
「……では、始めよう」
皇帝陛下は先程と同じような呪文を唱え始める。
呪文が進むにつれ、私の足下に魔方陣が浮かび上がってきた。
最初はうっすらと見えていたものが、徐々にハッキリとしてくる。
次第に光を放つようになり、私は目を開けていられるうちにフィニアス殿下に最後かもしれないからと勇気を振り絞って口を開く。
「私にとってもフィニアス殿下は特別な人でした。いつもドキドキしてましたし、殿下から話しかけられることが本当に嬉しいかったんです。あと、良いところを見せたいと思ったり、幻滅されたくないって思ったりしてたんですよ。だから、私もフィニアス殿下のことは死ぬまで忘れません! フィニアス殿下と過ごした日々は宝物でした。ありがとうございました!」
は? とか、え? とかフィニアス殿下が言っているうちに、光は強くなり、召喚されたときと同じように目を開けていられなくなる。
限界まで目を開けて、フィニアス殿下の姿を目に焼き付けると、目をギュッと閉じて、私は光が収まるのを待つ。
……もう、いいかな?
どっちに出たんだろう思い、私はゆっくりと目を開けた。
※お知らせ
新作「臆病な伯爵令嬢は揉め事を望まない」を投稿しました。
マイペース令嬢が憧れの人の悪役令嬢化を阻止しつつ、ツンデレ少年と仲良くなっていくお話です。
興味がありましたら、ご覧頂けると嬉しいです。よろしくお願い致します。