14・予想外の展開
「確か右に行くのよね」
外へと出た私は、叩き込んだ順路を思い出しながら進んでいく。
「次は左だったよね」
走りながら、私は後ろが気になってしまい振り返ると、少し距離はあるものの、キールと戦っていたはずのイヴォンがいた。
彼はニヤニヤと笑っていて、ゆっくりとこっちに向かって歩いてきている。
イヴォンがここにいるってことは、キールが負けたってこと?
でも、あのキールが負けるなんて考えられない……って、今は誘導するのが先!
近づいてくるイヴォンから逃れようと、私は走り出す。
順路通りに走っていると、分かれ道に出たところで予定していた方向からイヴォンがあらわれたことで、仕方なく私は反対方向へと逃げた。
そんなことを繰り返していく内に予定していた場所に行けなくなり、私は自分がどこにいるのかが分からなくなっていた。
逃げている内に空はすっかり茜色に染まっている。夜になる前に、なんとかイヴォンを捕まえないといけないのに。
イヴォンから逃げ続けていた私は、角を曲がってすぐに見えた光景に足を止めた。
「うそ……行き止まり」
目の前には乗り越えられそうもない壁。
後ろからはイヴォンの足音が聞こえてくる。逃げ場はどこにもない。
追い詰められてしまった。
「もう終わりですか?」
振り返ると、とても愉快そうに笑っているイヴォンが角からあらわれた。
一歩一歩、ゆっくりと近寄ってくる彼から距離を取ろうと、私は後ずさったが、背中が壁にあたりこれ以上下がれない。
心臓の音が大きくなる中、イヴォンは私から少し距離をとったところで足を止めた。
「……キールは」
「あの男とまともに戦って勝ち目はありませんからね。光のエルツで目を眩ませた隙に逃げたのですよ」
「ここまで追いかけてきたってことは、私を殺すつもりなの?」
「もちろん。当たり前じゃありませんか。貴女は私の全てを奪ったのですから」
逃げられない場所に追い込んで満足しているのか、イヴォンは笑みを絶やさない。
予定していた場所に行かなかったせいか、近くに騎士の姿もない。異変を察知して捜しに来てくれるかもしれないけれど、すぐには無理だ。
「さて、手始めに少し試させて頂きましょうか」
イヴォンが何かを口にした瞬間、彼の周囲に黒い矢が出現する。
王城で対峙した際に見た黒い矢と同じだと私は気付いた。
彼が指を軽く動かすと、黒い矢が私に向かって飛んでくる。
恐怖で動くこともできず、当たる直前に目を瞑りながら頭を庇うと、頭や腕、足に静電気のような刺激がきた。
「え?」
明らかに矢に貫かれる感覚じゃなかった。むしろ、無意識で分解したときの感覚。
恐る恐る目を開けると、目の前まで飛んできていた黒い矢はどこにも見当たらない。
「やはり、分解というのは厄介ですね。魔法攻撃では貴女を殺せそうにない」
ということは、私に当たりそうになった黒い矢を無意識で分解してたんだ。
矢に貫かれることはないって分かって安心したけど、状況は何も変わってない。
「かといって、ナイフで刺そうとしても刃の部分を分解されてしまいますし……。素手で殴り殺す場合、手を分解される可能性もありますから、面倒ですね」
不穏なことを呟いているイヴォンに私は背筋が凍る。
「ということで、貴女の魔力が尽きるのを待つことにします。さあ、頑張って分解して下さいね」
言い終わると、イヴォンは呪文を呟きだして、次々に魔法攻撃を私にぶつけてくる。
目を瞑っていると、体の至るところから静電気のような刺激を感じた。
私の魔力は多めだとは知っているけれど、イヴォンとどっちが多いのかというのは分からないし、分解がどれだけの魔力を消費しているのかも分からない。
魔力が尽きる前にフィニアス殿下かキールに見つけてもらえたら、と思うけど、かなり移動していたから時間がかかるかもしれない。
どうしようかと悩んでいた私が攻撃されている合間に目を少しだけ開けてみると、イヴォンは物凄く楽しそうな表情を浮かべていた。
その顔を見ていたら、私の中にふつふつとした怒りが湧いてくる。
全部、自分の自業自得なのに、どうして私が殺されないといけないのよ!
大体、継承権を放棄した皇族の血筋なのに、皇位継承権を主張する方がおかしいじゃない!
あんな性格で皇帝が務まるわけないじゃん!
私は実の両親かもしれない人がいるとか、フィニアス殿下との契約書の件とか、考えなきゃいけないことはいっぱいあるのに! なんで大人しく捕まらないのよ!
最後のは完璧に八つ当たりだけど、涌いてきた怒りを抑えきれない。
イヴォンに一発お見舞いしなければ、どうにも我慢ができない。
すぐに私は、今の置かれている状況を整理し始める。
魔法攻撃はちゃんと分解できている。怪我もしてない。
イヴォンは自分が優位だと信じ切っていて、かなり油断していると思う。
私が向かってくることは考えてもいないはず。
だって、私は攻撃魔法なんて使えないしね。力で簡単に抑えられると高をくくっているだろう。
だから、私はそれを逆手に取らせてもらうことにした。
静かに呼吸を整えた私は攻撃が止み、次の魔法が放たれる前にイヴォンに向かって全力で走り出す。
彼は私の行動に面食らっているのか、呪文を途中で止めてしまった。
今ならやれる!
真正面まできた私は、彼の服をむんずと掴み、睨み付けた。
「……自分のやったことを後悔しなさい!」
私は目を閉じて服を分解するイメージをしながら、掴んでいた手に魔力を込めた。
同時にイヴォンの制止する声が聞こえるけど、私は止めない。
掴んでいた手から布の感触が消えたことで、分解は上手く行ったのだと分かった。
「な、な、な……」
言葉が上手く出ていないイヴォンの様子に、私は目を開けて確認する。
上半身が肌着の状態になっていた彼は、何が起こったのか理解できていないのか混乱していた。
今なら逃げられる!
私は、足を動かして思いっきり彼の股間を蹴り上げた。
「~~~っ!」
床に崩れ落ちたイヴォンは痛みに悶絶している。
これならしばらくは追って来られないはず!
蹲っているイヴォンを横目に、私はその場から駆けだした。
そのまま、角を曲がろうとしたところで私は人にぶつりそうになってしまう。
「ごめんなさ……ってフィニアス殿下!」
「ルネ! 無事でしたか!」
肩を掴まれ、怪我をしているところはないかとフィニアス殿下に確認された。
フィニアス殿下の後ろから、こちらに駆け寄ってくるキールと騎士達の姿もある。
「怪我はないようですね」
「無事で何よりだ。ところでイヴォンは? 聖女様を追いかけていったみたいだが」
「あ、イヴォンはあっちです。股間を蹴り上げたので、まだ痛みに悶えていると思います」
話を聞いたフィニアス殿下とキールは痛そうに表情を歪ませる。
「それは、なんというか……」
「相手がイヴォンだから同情する気持ちにもなれねぇが、同じ男としては恐怖だな」
「全くですね。では、イヴォンの捕獲に向かいましょう」
「なら、俺が行く。王子様は聖女様の側にいてくれ」
キールはエルノワ帝国の騎士を連れて、イヴォンのいる場所へと向かった。
「助けが遅くなって申し訳ありませんでした」
「いえ、私が予定の場所に行かなかったのが悪いのです。助けがきて安心しました。これでイヴォンを捕まえることができましたね」
「……そうですね。両国をかき回していた犯人をやっと捕まえられたのですから」
「そうですよ! 問題がひとつ解決したのですから!」
もっと喜んでも良いはずだと思っているのに、フィニアス殿下の表情は暗いまま。
……ああ、そっか。フィニアス殿下は私を元の世界に戻そうとしているんだもんね。
私もヴェレッド侯爵夫妻が実の両親かもしれない疑惑とか、契約書の件とかもあるし、問題は残っている。
でも、イヴォンのことが解決した今、なぜか私の心は晴れ晴れとしていた。
今なら何だってやれそうな気分になっている。
そんな中、角からイヴォンを連れたキール達が戻ってきた。
「無事に捕まえたぜ。魔力制御の腕輪も付けたし、この状態じゃ逃げられねぇ。後はエルノワ帝国の奴らに任せて、王宮に戻るか」
騎士に連行されるイヴォンを見送った私は話すチャンスはここしかないと思い、移動を始めたフィニアス殿下を呼び止めた。
「フィニアス殿下。イヴォンの件で事情聴取があって時間が取れないかもしれないので、歩きながらでいいので聞いて下さいますか?」
「ああ、そういえば王宮に戻った後で話をすると言ってましたね。確かに時間は取れなさそうですから、構いませんよ」
「ありがとうございます。……実は、夜会のときに気分が悪くなったと申しましたが、あれは嘘です。本当は皇帝陛下に呼び出されて話をしていたのです」
「皇帝陛下から!?」
目を見開いているフィニアス殿下に向かって、私はあの日あったことを包み隠さず全て話した。
私がヴェレッド侯爵夫妻の娘かもしれないこと。それを確かめるために転送の宝玉を使って欲しいと言われたこと。
話を聞いたフィニアス殿下は絶句し、口元に手を当てている。
最初に聞いた私も信じられなかったんだから、フィニアス殿下も飲み込めないと見える。
「アルフォンス殿下の魔力を吸収する方を派遣して下さるとのことですので、皇帝陛下の案に乗ろうと思っています。実の両親かどうか確かめたいと思いますし、元の世界に戻れるかもしれないので。……実をいうと、残りたいという気持ちもあるんです。大事な人がここにはいますから。それに仕事を途中で投げるのもどうなのかと思ってました。でも、全部明らかにしないと、私は前に進めないと思ったんです。けど、その前にフィニアス殿下」
歩みを止めた私につられ、フィニアス殿下も立ち止まる。
しっかりと彼の目を見つめ、私は言葉を吐き出した。
「契約書を分解させて下さい」
一瞬、目を瞠った彼は、そこに契約書があるのか、そっと胸元を押さえた。
「契約書のことは誰から?」
「キールに教えてもらいました。キールはフィニアス殿下とテオバルトさんの会話を聞いて知っていたみたいでした」
フィニアス殿下はジロリとキールを睨み付けるが、彼はどこ吹く風といったように笑っていた。
「条件を違えたらフィニアス殿下が死ぬのでしょう? 私は、フィニアス殿下を死なせたくはありません。生きていて欲しいのです」
「……私に貴女のいない世界で生きろと?」
「私がいなくても、世界は何も変わりません。以前の日常が戻って来るだけです」
「……貴女のいない世界に何の価値があるというのですか……!」
「ありますよ! ユリウス陛下を支えることもアルフォンス殿下を支えることも」
説得をしてみるが、フィニアス殿下は力なく首を振る。
「……今の状態を考えると、傍系王族はいない方がいいのです。私の妃の実家が野心を持てば、私の子を王にしようと考えて、アルフォンス殿下と王位を争うことになりかねません。なので、今代の王族はユリウス陛下のお子のみが望ましいと」
簡単に命を捨てようとするフィニアス殿下の言葉に、私は頭に血が上る。
「ふざけないで下さい!」
突然の大声にフィニアス殿下は体をビクッとさせた。
「残された方の気持ちを無視しないで下さい! ユリウス陛下はフィニアス殿下の死を望んでなんていませんよ! たった二人の兄弟じゃないですか。生きていて欲しいに決まっています! それにフィニアス殿下は公爵ですし、領地をほったらかしにするなんて無責任すぎますよ。フィニアス殿下の命はフィニアス殿下だけのものじゃありません。これまでフィニアス殿下を支えてくれた人達全てを裏切らないで下さい」
半泣きになった私は、ズビッと鼻をすする。
格好がつかないと思ったけれど、これだけは言わなくちゃと私は続けた。
「死ぬ理由に私を使わないで」
その言葉に、フィニアス殿下は表情を変える。
「王位継承争いが起こるかも? そんなのはご自分で止めて下さい。貴方はもう相手から侮られる必要などないのですから、できるはずです」
しばらく呆然としていたフィニアス殿下は、やがて吹っ切れたのかフッと笑みを漏らした。
「私は、随分とルネに甘えていたようです」
「……生きて下さい。生きて幸せになって下さい。それが私の望みです」
「ルネは残酷なことを言いますね」
「その様なことを仰らないで下さい。いつかフィニアス殿下を支えてくれる人はあらわれます。世の中は広いのですから、きっと一人くらいはいますよ」
何かを言おうとして口を開けたフィニアス殿下だったけれど、途中で言うのを止めたのか私から目を逸らして、そうですねとだけ口にした。
彼は胸元から契約書と思われる紙を取り出して、私に差し出す。
「どうぞ、分解して下さい」
「はい!」
差し出された契約書に私は手を伸ばし、呪術よ、消えてなくなれ~と念じながら、ゆっくりと掴んだ。
すぐに契約書は綺麗に四散し、留めていた紐だけが残り地面に落ちた。
これで、フィニアス殿下が死ぬことはなくなる。本当に良かった。
「では、帰りましょうか。馬車を待たせるのも悪いですし」
「そうですね。帰ったら、皇帝陛下に転送の宝玉を使ってもらえるようにお話ししなくては」
「吹っ切れた貴女の強さに私はいつも驚かされます。貴女の望む結果になるよう祈ってますよ」
フィニアス殿下の言葉に私は頷いた。
けれど、やっぱり聖水を途中で投げ出す形になるかもしれないことだけが気掛かりであった。
皇帝陛下はなくても支障はないって言っていたけれど、それならけじめをきちんとつけておきたかったな。
「フィニアス殿下、聖水ですが」
「安心して下さい。ユリウス陛下を説得して、貴女が異世界から召喚された人間であると公表し、元の世界に戻したと言えば良いだけです。混乱はあるでしょうが、聖水に関しては諦めてくれるでしょう。後のことは私が全て引き受けますから、貴女は何も気にすることはありません」
「……分かりました。よろしくお願いします」
こうして、契約書を無事に分解できた私は、王宮へと戻ったのであった。