7・信頼と嘘
熱を出して看病した日から一夜明けると、アルフォンス殿下の私に対する態度が変化していた。
まず呼び方が「そなた」から「ルネ」になったのである。
ただの侍女から、個人として見てもらえるようになったのだから、大きな進歩だ。
そして、もうひとつ。
アルフォンス殿下の体に触れるようになったということ。
これまでの侍女が怖がりながら触っていたので、傷ついたアルフォンス殿下が自衛する意味で触らせないようにしていたらしい。
聞いたときは、すごく悲しい気持ちになったけど、アルフォンス殿下が「ルネは僕を怖がらないから」と言ってくれたので、悲しい気持ちは一気に吹き飛んだ。
とりあえず、アルフォンス殿下にはお風呂に入ってもらい、ついでに髪の毛も切り揃えさせてもらった。
お風呂に入って髪の毛も切ってすっきりしたのか、アルフォンス殿下は口元にうっすらと笑みを浮かべている。
私が侍女として来てから初めて笑ってくれたことに、心から嬉しくなる。
そんなこんなで、私がアルフォンス殿下の侍女として働き出してから二週間以上が経過し、私とアルフォンス殿下の距離はグッと近くなっていた。
読書しかしなかったアルフォンス殿下は、今では私とのお喋りを積極的にしている。
また、表情もずいぶんと明るくなったし、私と目が合うようにもなった。
子供らしさが見え始めたことで、私はちょっとでもアルフォンス殿下の支えになれているのかなと思っていたのである。
嬉しくなってフィニアス殿下に報告したかったけれど、色々と忙しいのか、彼は初日以来、部屋に来ていなかった。
そして、私が気になっていた四角い箱。あれの謎も解けた。
「アルフォンス殿下、そちらは何です?」
週に一度のフィニアス殿下への報告を控えたある日。
アルフォンス殿下が見たことのない黒い石を持ち出したのを見て、私は疑問を口にする。
「これ? これは魔法鉱石だよ。部屋に置いてあるエルツの効力がそろそろ切れそうだから交換しようと思って」
「エルツ?」
初めて聞いた言葉に私は首を傾げると、何も知らない私にアルフォンス殿下が説明をしてくれた。
エルツとは、昔はクズ鉱石だと思われていたものだったが、ある人物がそのクズ鉱石に魔力を込めて魔術式を組み合わせてみたところ、とても便利なものであることを発見したらしい。
昔はグリュー織りという少量の魔力を込めて織る織物業が盛んで、輸出もしていたそうだが、今はエルツにとって変わられ、現在のベルクヴェイク王国の重要産業となっているのだそうだ。
しかも、エルツの採れる鉱山は、この王国にしかなく、外国で出回っているエルツは全てベルクヴェイク王国産なのだという。
「すごいのですね。でも、便利なものというのはどういうことなのでしょうか?」
「たとえば、それ」
と言って、アルフォンス殿下は部屋の隅に置かれている四角い箱を指差した。
上面に丸い穴が空いているその箱は、ずっと私が何だろうと気にしていたものである。
「エルツが中に入ってるんだけど、箱に触って魔力を少しだけ与えると冷たい風が出てくるんだよ」
「え? 本当ですか?」
「うん」
立ち上がったアルフォンス殿下は、箱のところまで行き、そっと触れる。
特に機動音はしなかったが、少しすると部屋の温度が下がってきたように感じた。
次第に肌寒さを感じるようになり、私は腕をこする。
寒がっているのを見たアルフォンス殿下が、もう一度箱に触れると、徐々に部屋は元の温度に戻っていった。
「すごいですね」
電気代のいらないエアコンって確かに便利。
「他にも色々あるみたいだけど、僕はこれ以外見たことないから」
アルフォンス殿下は、だから私に詳しい説明ができないと落ち込んでいる。
フィニアス殿下の屋敷にいたときは、エルツは特に重要なことではなかったらしく、私は教えられていなかったので、その存在が知れただけでも、ありがたいことだ。
「私はエルツというものを見たのも初めてなので、アルフォンス殿下のお蔭で知ることができました。教えていただきありがとうございます」
笑みを浮かべて私が告げると、アルフォンス殿下は視線を逸らしてモジモジし始める。
照れているのだと分かるくらいには、私はアルフォンス殿下のことを理解できるようになっていた。
そして、仲を深めていたのはアルフォンス殿下だけではない。
近衛騎士のオスカー様。
毎日、挨拶をし続けていたら、ご飯を食べてアルフォンス殿下の部屋へ帰る途中で休憩中だった彼に話しかけられるようになったのだ。
オスカー様はブライ子爵の三男で、二十三歳・彼女なし。
剣一筋できたら、近衛騎士にまで上り詰めたのだという。
真面目で堅物なところもあるが、私との軽口に付き合ってくれている。
そこそこ仲良くなった私は、ずっと聞きたかったことを聞いてみた。
「……あの、ずっと疑問だったのですが、どうして近衛騎士の方は部屋の外で警護していらっしゃるのですか? 普通は、部屋の中で待機するものなのでは?」
「確かに、本来なら部屋の中にいるものなんだが、アルフォンス殿下に部屋に入るなと命令されてな。陛下もアルフォンス殿下の言う通りにしろと仰って、それで部屋の前や庭で警護してたんだ」
「それは、なんと申しますか……大変ですね。ご命令に逆らうわけにもまいりませんし」
「ああ。だが、我々近衛騎士は他者の魔力を察知するのが得意でもある。見知った者であれ見知らぬ者であれ、アルフォンス殿下の部屋に近寄る者は警戒対象。即座に動けるように、いつでも待機している。お蔭で、これまでもアルフォンス殿下に害が及ぶ前に暗殺者を排除してきた」
己の仕事に誇りを持っているのが分かるくらいに、オスカー様は堂々と言ってのけた。
お側におらずとも、守ってみせるという自信が伝わってくる。
頼もしいなぁ、と私が思っていると、オスカー様が「ところで」と話し始めた。
「ルネはフィニアス殿下に雇われているんだろう? 大丈夫なのか? こう言っちゃなんだが、フィニアス殿下はあまり、ご自分で決断なされる方じゃないだろう。自領の経営をテュルキス侯爵に丸投げしているはずだが、そのフィニアス殿下に雇われたということで、ルネはあちらから何か言われたりしないのか?」
「え? どうしてテュルキス侯爵が?」
テュルキス侯爵は王家を憎んでいるはずだから、関わりを持っていないのでは?
なのに、どうしてオスカー様は、迷いなく口にしたのだろうか?
「今は、フィニアス殿下から離れているが、テュルキス侯爵は元々、フィニアス殿下の教育係だったからな。だから、フィニアス殿下はテュルキス侯爵を信頼して全て任せているのさ。ご自分の領地経営までもな。全く、利用されているとも知らずに呑気なものだ。未だにテュルキス侯爵を信じているのだから」
テュルキス侯爵がフィニアス殿下の教育係だった?
そんな話を私はフィニアス殿下から説明されてない。
オスカー様の言ってることが嘘かもしれないと思ったけど、教育係が誰かとかは周囲に知られているだろうし、それはないだろう。
説明されていないことを他人から教えられ、私に知られると都合の悪いことを隠していたフィニアス殿下に対する信頼が揺らぎ始める。
けど、ひとつだけ分かったこともある。
きっとフィニアス殿下は、都合が悪いからと私に説明していないことが他にもあるだろうってこと。
でも、オスカー様は、フィニアス殿下がテュルキス侯爵を今も信じていると言っていたけれど、そんな様子は見受けられなかったし、違う部分はあるのかもしれない。
ううん、あるって私が信じたいんだ。
「だから、ルネもあまりフィニアス殿下に近寄るなよ? テュルキス侯爵に目を付けられたら大変だ」
「そう、ですね」
ぎこちない笑みを浮かべながら私は答える。
アルフォンス殿下の近衛騎士なだけあって、オスカー様は国王派。
だから、テュルキス侯爵を警戒しているし、彼と関わりがあるフィニアス殿下に近寄ることで私が危険な目にあうのではないかと心配しているのかもしれない。
「それじゃあ、私はそろそろ戻らないといけないので」
「ああ、俺ももう少し休憩したら戻るよ」
では、と言って私はその場を後にした。
その日の夜。
私が自分の部屋で過ごしていると、久しぶりに本棚の方からコンコンという音が鳴った。
前と同じように私は本を押し込み、壁を回転させると目の前にフィニアス殿下があらわれた。
咄嗟に私は表情を強張らせる。
「お久しぶりで……どうかしましたか? 顔色が悪いですよ?」
昼間の出来事を知らないフィニアス殿下は純粋に私を心配している。
言おうかどうか私は悩んだ。
信じたいと思っている。裏切られたくない。この人は良い人なんだと思いたい。
自分が悪の手先として働いているかもしれないなんて事実を知りたくない。
けれど、ここで聞いておかないと後で絶対に後悔することになる、と私は手をギュッと握った。
「で、殿下の教育係がテュルキス侯爵様だと聞きました。殿下は本当に」
本当に国王陛下のために動いているんですか? とまでは私は言えなかった。
でも、フィニアス殿下は私の言おうとしたことが分かったようで、すぐに暗い表情へと変わる。
話を聞くのが怖くて、私は彼から視線を逸らして下を向く。
「……確かに、私の教育係はテュルキス侯爵でした。貴女を混乱させると思って、あえて言いませんでしたが、疑いの気持ちを持たせてしまいましたね。済みませんでした」
「本当なんですね……。ということは、領地のことも」
「領地経営の件は、侯爵に取り上げられたようなものです。その話を聞いて私を信じることは難しいかもしれませんが、私が国王陛下のために動いているという言葉に誓って嘘はありません」
フィニアス殿下の必死な声に私は思わず顔を上げた。
真剣な眼差しで私を見つめるフィニアス殿下と目が合い、一瞬ドキッとしてしまう。
「わ、わたしは、フィニアス殿下を信じたいと思ってます。でも、こういうことがあると、信じていいのか、悪巧みに手を貸しているんじゃないのかって不安になるんです。だから、隠していることがあるなら全部話して欲しいんです。隠し事はしないで下さい」
私の訴えにフィニアス殿下は、ハッとして口を閉ざした。
この行動だけで、彼が私に対して言ってないことがあるのだと分かってしまう。
「どうしても……私には言えないんですか?」
「済みません……。口にしたら、今以上に貴女をこちらに引きずり込んでしまいます。それに詳しい事情を話した場合、貴女が危険な目に遭う可能性が非常に高い。言えないことの方が多いですが、ただの協力者という立場でいて下さい。お願いします」
どうあっても教えてはくれないのだと知り、私の心が沈んでいく。
「ルネは優しい人ですから、全てを話せばきっと協力すると言ってくれるでしょう。今でさえ、貴女の言葉に甘えているというのに、これ以上はだめです。貴女はいずれ元の世界に戻る身。深入りする必要などありません」
「……私には、言えないんですね?」
「はい……。すみません」
フィニアス殿下の言葉に私は息を吐く。
「では、さっきフィニアス殿下が言った、国王陛下のために動いているという言葉。これは絶対に嘘じゃありませんよね?」
「誓って本当です」
「本当の本当ですか?」
「嘘だったら、私の首を切り落としていただいても構いません」
帯刀していた剣を鞘ごと抜き去り、フィニアス殿下は私に差し出した。あっさりとそんなことを言ってのけたことに私はその光景を想像してしまい青ざめる。
「そ、そんな約束はしちゃだめですよ! 命を対価にするのはだめです! もっと自分を大事にして下さい!」
いいですか! と私が言うと、フィニアス殿下は口をポカンと開けてしばらく呆然としていた。
「……あの、フィニアス殿下?」
あまりに無言の状態が続いたので、私が声をかけると彼は我に返ったようで咳払いをする。
「いえ、有事の際には命を差し出せと教育されてきたものですから、そういうことを言われたのは初めてだったので、少し驚いてしまいました」
苦笑しているフィニアス殿下を見て、私はそいいえばこの人王族だった! と思い出し冷や汗がドッと吹き出した。
表情や口調からフィニアス殿下が怒っていないのは分かったけど、怒ってないから良いというわけじゃない。
私は何度も心の中で身分差、身分差と呟いた後で私はフィニアス殿下に向かって頭を下げた。
「侍女の分際で申し訳ありませんでした」
「大丈夫です。元はといえば私が不用意な発言をしたことが原因ですから。ですが、私が覚悟を持っていることは知っていて欲しいんです。それに、私を信じてくれなくてもいいので、アルフォンス殿下のことは助けてあげて下さい。それだけでもお願いします」
「……かしこまりました」
理由があって私に言えない、聞いても教えてはくれない、ということは分かった。
フィニアス殿下の言う通り、私はアルフォンス殿下が殺されないようにしなければならない。
でも、今回のことで分かったけど、私は意外とフィニアス殿下のことを信用してたみたいだ。
だから、秘密にされていたことにここまで動揺したんだと思う。
フィニアス殿下が何を考えているのか分からない。でも私を危険なことに巻き込まないようにという理由からなら、仕方ないのかもしれない。
それに部外者の私には全てを話すこともできないだろう。
良くも悪くも私も殿下もお互いを心から信用できてないのだから。
ひとまず、この件は保留にしよう。
あと、他の使用人の人からも情報を集めてから判断しよう。
前と同じように、私はアルフォンス殿下のことを報告し、フィニアス殿下を見送った。
他の使用人から話を聞くためには、信用を得ないといけない。
チャンスは昼食時と夕食時。
挨拶を交わすような使用人はいるけれど、親しく話をする相手はいない。
どうやって他の人と話をすれば、と思ってた私だったけど、アルフォンス殿下の侍女になって一ヶ月を過ぎたあたりで、その悩みは解消された。