10・キールと私
陛下が立ち去った後、物陰から不機嫌そうなキールが姿をあらわした。
「どうしたの? 出てくるなんて珍しいね」
何も答えずに無言のまま、鼻で笑ったキールはイライラした様子で私を見ている。
その様子から不機嫌の原因は私だと何となく察したが、理由が分からない。
「俺は、聖女様がナバートの出身だと思っていたんだがな」
あ、と口に出した私は、ようやくキールの不機嫌の原因に気が付く。
そういえば、私は、まだ異世界から召喚されたということをキールに伝えていなかった。
ナバート出身だと思っていたのに、皇帝陛下との会話から私が異世界から召喚されたって聞いたら、驚くし、何より嘘をつかれていたことに怒るよね。
すっかり言うのを忘れていたけど、そりゃあ、不意打ちで聞いたら不機嫌になりますよね。
しまったと思った私は、彼に向かって頭を下げた。
「ごめん。本当はナバート出身じゃなかったの。異世界の日本という国から召喚されたんだ」
「つ~ことは、本当に召喚の宝玉が存在してたんだな。ただのおとぎ話だと思ってたから半信半疑だったんだが」
宝玉があるのは当たり前のことだと思っていた私は、キールの言葉に驚いた。
「え? 宝玉があるのは、この世界の常識なんじゃないの?」
「いや、俺はおとぎ話で聞いたことがあったってだけだ。貴族はどうだかしらねぇが、平民で信じている奴なんていねぇよ。それにしても、マジで聖女様が異世界の人間だったなんてな。ずっとナバート出身だと思ってたのに騙されたぜ」
責めるような口調に耐えきれず、私はもう一度、キールに向かって頭を下げる。
「嘘をついててごめん。言い訳はしない」
「……そんな風に言われたら、聖女様に当たってる俺が悪者になるじゃねぇか」
「でも、言い訳を言ったところで、キールに嘘をついていたことには変わりないんだし。キールが怒るのも無理はないって思っているから、当たられても仕方ないよ」
それで気が済むのなら、当たってくれとも思う。
なのに、キールはグッと言葉を堪えた後で、気まずそうに私から視線を逸らした。
「……別にそこまで怒ってねぇよ」
「いや、でも嘘を付いたんだし。キールが怒るのも仕方ないことじゃない」
「嘘っつーか、大事なことを教えてもらえなかったことに腹が立ったってだけだ。召喚されたなんて大事なことを教えてもらってなかったのは、俺を信用していなかったってことだろ?」
「私はキールを信用していなかったわけじゃ」
「それも分かってる。聖女様は俺を信用して命を預けてるって分かってるよ。だからなおさら、腹が立ったんだと思う。俺だって、聖女様の役に立ちたいのに」
ボソリと呟かれた最後の台詞を聞いて、私は、もしやキールは拗ねているだけではないか? と思い始める。
私よりも年上で体も大きくて飄々としている人なのに、拗ねていると思うと少しばかり可愛いと思えてしまう。
わずかに私の口元が緩むと、キールはすぐに気が付き、明らかにムッとしていた。
いや、言わなかったことは悪いと思っているんだよ。
「ごめんね、キール」
「謝るなよ。…………で、宝玉を使ってもらうのか?」
問われた私は即答できずに黙り込む。
「つーか、異世界から召喚されたってのにも驚いたが、何より聖女様が実はヴェレッド侯爵家の令嬢だったことの方が驚いた」
「まだ可能性の話だよ」
「あそこまで一致していたら、違う方が可笑しいだろ」
だよねぇ。
聞いたときは半信半疑だったけれど、あそこまで一致していたら、さすがにそうなのかと思ってしまう。
「随分と落ち着いてんだな。もっと取り乱したりするのかと思ったが」
「だって、私が両親と血が繋がっていないことは知っていたしね。驚いたのは驚いたけど、それよりも私がこっちの人間だったってことの方が衝撃だったから。もっと幼かったら違ったのかもしれないけど」
実の両親に会える! と純粋に喜ぶような年齢でもない。
酷い環境で育っていたなら、本当の家族に会えるって喜んだと思う。でも、私は両親に愛されて大切に育てられてきたから、嬉しさよりも戸惑いの方が大きいのよね。
「ああ、でも転送の宝玉を使ってもらっても元の世界に戻れる可能性は低くなっちゃったんだよね。他の条件だと別の場所に出ちゃう可能性もあるし」
「……てことは、聖女様は、帰りたいと思っているのか?」
「正直、迷ってる。両親に会いたいとは思うけど、ここにいたいとも思ってるんだよね。何だかんだで離れがたくなっちゃって」
「だったら、残れよ」
キールの言葉に、私は反射的に彼を見た。
冗談か何かで言っているのかと思ったが、彼の表情は至って真面目である。
本気で言っているのだと分かった。
「残ってこっちで暮らせばいいじゃねぇか。両親に会えないのは諦めろ。両方手に入れることはできねぇよ。どっちかを諦めなきゃいけねぇなら、こっちを選べ」
「キール……」
「大体、聖女様が元の世界に帰ったら、王子様は死ぬぞ」
引き留められたことに心が揺れたが、次にキールの言った言葉を聞いて私は目を見開いた。
「ちょっと待って!? フィニアス殿下が死ぬってどういうこと!」
立ち上がった私はキールに詰め寄ると彼に肩を掴まれた。
軽く掴まれているだけなのに、全く動けない。
「いいか、今から言うことは嘘でも冗談でもねぇ。本当のことだ」
「そんなことはどうでもいいから、フィニアス殿下が死ぬって、何で!」
「落ち着け」
強めに肩を揺すられ、興奮していた私は少しだけ冷静になる。
落ち着いたのを確認したキールは静かに口を開いた。
「聖女様と王子様の契約書があるだろ? テオバルトと王子様の会話を盗み聞きしたんだが、あれには条件を違えたら王子様が死ぬっていう呪術が施されているんだってよ」
は? 呪術?
色んな感情がごちゃまぜで私は頭の中が真っ白になって言葉が何も出てこない。
「だから、聖女様が元の世界に帰ったら、王子様は死ぬことになる。残った場合も聖女様を元の世界に帰す手伝いをするっていうことができなくなるかもしれねぇから、この場合も死ぬかもしれねぇ」
「……どっちにしても死ぬってことじゃない」
「後者は、フリだけやってれば大丈夫かもしれねぇけどな。確実じゃない。だから」
「だったら、契約書を分解しなきゃ」
私の言葉に、キールが目を丸くした。
「私なら呪術を分解することができるもの。転送の宝玉を使う前に契約書を分解しなくちゃ。キール、手伝ってくれる?」
すると、ポカンと口を開けていたキールが突然、大声で笑い出した。
「ちょっと! なんで笑うの!? こっちは真剣に言っているのに!」
「悪ぃ。やたら男前なこと言い出すから、我慢できなくてよ」
人一人の命がかかっているのに、笑うなんてひどいよ!
ジロッとキールを睨み付けると、彼が肩を竦める。
全く反省の色が見られない。
「悪かったよ。ちゃんと協力はするから」
「……本当に?」
「ああ。それで? いつやる? 王子様が契約書を肌身離さず持っているのは確認してるから、いつでもやれるぜ。あとテオバルトにも協力してもらおう。あいつなら、喜んでのってくる」
「分かった。できれば早めに分解したいの。できるかな?」
「俺からテオバルトに話してみる。俺とテオバルトと聖女様が手を組めばやれる。ひとまずは、転送の宝玉を使う前に決行するってことで」
キールの言葉に私は、しっかりと頷いた。
キールとの話の後、一階へと戻った私は、背後から腕を掴まれる。
振り返ると、息を切らせていたフィニアス殿下が私の顔を見て、ホッと息を吐き出していた。
「いなくなって心配しました。どちらに行っていたのですか?」
正直に皇帝陛下に言われたことを言おうかな。
でも、色々あって頭がこんがらがっているし、周囲に人も沢山いる。
聞かれる可能性があるから、ここで話さない方がいいかもしれない。
「あの、少し気分が悪くなって二階で休ませてもらっていたのです。誰かに伝言を頼んでおけば良かったですね。申し訳ありません」
「そうですか。もしかしたら攫われたのではないかと思って心配していたのですが、無事で良かった。気分はいかがです? 人に酔ってしまったのでしょうか?」
「キールが護衛してくれていたので大丈夫です。それと、気分は大分良くなりました」
「なら良かった。これ以上、体調が悪くなるといけないので、皇帝陛下に挨拶をして今日はもう帰りましょう」
真実をすぐに伝えられない罪悪感を抱きながら私は、ええ、と口にした。
すぐに皇帝陛下に挨拶をして、私とフィニアス殿下は部屋へと戻る。
「今日はゆっくり休んで下さいね。それと明日、王宮の庭園でお茶会が行われるそうなのですが、出席しますか? 気分が優れないようでしたら、欠席することもできますが」
「大丈夫です。出席します」
「では、昼食後に迎えを寄越しますので」
フィニアス殿下は控えていた騎士に扉を開けさせ、私の背中を押した。
「お休みなさい」
「フィ」
今なら話をできるかもって思って私はフィニアス殿下を呼び止めようとしたが、部屋から出てきたジルとシャウラに声をかけられ、そっちに対応している間に彼は立ち去ってしまった。
「お疲れになったでしょう? 着替えてベッドに入りましょう」
「さ、ルネ様」
振り向くことなく去って行くフィニアス殿下の背中を見送った私は、ジルに背中を押されて渋々部屋へと入る。
ベッドに入った私は、今日のことを思い出して一人悶々としていた。
実の両親がヴェレッド侯爵夫妻かもしれないなんて……。いい人達だから、そこは良かったと思うべきなのかもしれないけれど、まさかフィニアス殿下との契約書にあんな呪術が施されていたなんて……。
ああ、もう! と、とにかく、契約書を分解することが最優先よね。
私のことは後で考えればいい。あと、フィニアス殿下にどういうつもりなのかも聞かなくちゃ。
でもどうやって話を切り出そう。
それに、私がヴェレッド侯爵家の令嬢かもしれないっていう話。
周囲に人がいたから、あのときは言えなかったけれど、フィニアス殿下には伝えておかないといけない。
「やることがいっぱいありすぎて、頭がパンクしそう」
あーでもない、こーでもないと考えている内に、私は眠りに落ちていた。