8・滞在二日目
「まあ、ルネ様は何をお召しになっても良く似合っておいでですこと」
「ルネ、次はこのドレスに着替えてちょうだい。私ね、こうして大きくなった娘に自分が選んだドレスを着せるのが夢だったの。嘘でも夢が叶って本当に嬉しいわ」
「ど、どういたしまして」
王宮での夜会は帝都滞在三日目の夜、ということで、翌日も私はヴェレッド侯爵家へとやってきていた。
最初は普通に世間話をしていたはずだったのに、いつの間にやら着せ替えごっこが始まってしまったのである。
ちなみに、今のドレスで十五着目だ。
ヘロヘロになりながら、私は十六着目に袖を通した。
結局、私は二十三着ものドレスを着せられる羽目になったのである。
ソファの肘掛けに両手を置いて、グッタリとしていると、弾んだ声のベアトリス様が使用人にあれこれ命じていた。
「ワインレッドのドレスがあったでしょう? スカートに金の刺繍が入った。あれを少し手直ししてちょうだい」
部屋を出て行った使用人を見送った後、ベアトリス様がこちらを向く。
「疲れてしまったでしょう? ごめんなさいね。夜会が明日だと夫から伺ったものだから、大慌てで準備をしなければならなくて」
「え? ベアトリス様も出席なさるのですか?」
「ええ。だってルネも出席するのでしょう? だったら私も参らないと」
ベアトリス様は。ふふっととても可愛らしく微笑んだ。
物凄い美女なのに、こうして可愛らしいところをたまに見せてくる。
魅力的な人だなぁ。
あと、本来なら私はヴェレッド侯爵夫人と彼女のことを呼ばなくてはならないのだけれど、本人からベアトリスと呼んで欲しいと言われているので、そう呼ばせてもらっている。
でも、夜会にいらっしゃるなら、呼び方は変えた方がいいのだろうか?
それに屋敷に二十年も籠もりっぱなしって聞いているけど、本当に大丈夫なのかな?
「あの、あまり無理はなさらないで下さいね」
「あら、心配してくれているの? なら平気よ。私は周囲から可哀想だと同情されるのが嫌だっただけだもの。それに、そのような視線を向けられる度に、あの子はもういないのだと実感してしまうから。この屋敷には、あの子が確かに存在していたものが残っている……。だから、離れられずに留まっていただけ。貴女が気に病む必要はどこにもないのよ。私は出席したいからするの」
言い切ったベアトリス様の表情は、どこか晴れ晴れとしていて、もしかしたら気持ちの踏ん切りがついたのかもしれない。
「夜会で貴女に会うのを楽しみにしているわ。そうそう、それと」
控えていた侍女にベアトリス様が手で合図を送ると、侍女が小さな小箱を持ってやってくる。
受け取ったベアトリス様が小箱の蓋を開けると、中には紫色の宝石がついたネックレスが入っていた。
「アメジストのネックレスよ。貴女に差し上げるわ。夜会でつけてくれると嬉しいのだけれど」
「お待ち下さい! 頂くわけにはまいりません!」
こんな高そうなもの、貰えないよ!
私が断ると、ベアトリス様は悲しそうに目を伏せた。
「何か形に残る物を差し上げたかったのよ。貴女がベルクヴェイク王国に戻ってしまえば、簡単に会うことはできなくなるから。だから、娘の代わりに受け取っては貰えないかしら?」
涙目で上目遣いで懇願され、私は、ぐっ、と声を出しながらも大人しくアメジストのネックレスを受け取った。
だって、そんなこと言われたら断れないよ!
「……ありがとうございます。大事に使わせていただきます。それにしても、どうしてアメジストのネックレスを?」
「フィニアス殿下の目の色とお揃いの宝飾品が良いかしらと思ったのよ」
「どうして、そこでフィニアス殿下のお名前が出てくるのでしょうか」
「あら、だって、ルネはフィニアス殿下の恋人なのでしょう?」
違うの? と疑問を口にするベアトリス様だが、私は、驚きのあまり口をポカンと開けて微動だにできずにいた。
「有名なお話よ? フィニアス殿下は聖女を深く愛していらっしゃるって。だから今回も同行させたのだと」
「ち、違います! 違います! 私がエルノワ帝国にきたのは、ユリウス陛下のご命令だったからです! それに私はフィニアス殿下の恋人ではありません! そのような関係ではありません。本当です!」
慌てて私が否定すると、あら、そうなの? とベアトリス様は非常に残念そうであった。
というか、エルノワ帝国にまで噂が広がっていたの!?
はぁ、とため息を吐いた私は、昨日と今日のフィニアス殿下の様子を思い出す。
彼は一日の大半を皇帝陛下と過ごしている。夕食は別だし、ほとんど、そうほとんど顔を合わせていないのだ。
よって会話もない。テオバルトさんが不審に思うくらいにない。
私とフィニアス殿下のその様子を見ていれば、不仲だって噂が出そうなものだけど、貴族の噂ってよく分からない。
もう一度、私がため息を吐くと気を利かせてくれたのか、ベアトリス様が色々とお菓子を勧めてくれた。
落ち込んだときは甘い物に限ると、私は勧められるままお菓子に手を伸ばした。
美味しい物を食べて落ち着いた私はベアトリス様に別れを告げ、馬車に乗り込んだのである。
そして門が開くのを待っているとき、どこからか視線を感じた私が馬車の窓から外を見てみると、道の端にいたフードを深く被った人がこちらをジッと見ていることに気が付いた。
微動だにせず、こちらに視線を向けているのを見て、私はなんだか不気味だと感じていた。
何がどう不気味なのかは説明できないけれど、私はその人から視線を外すことはできない。
間もなく馬車が動き出し、ジッとこちらを見ている人が視界から消えていくことにホッとした。
あれは、なんだったのかな?
引っかかるものを感じながら私が王宮へと戻ると、ジルが声をかけてきた。
「お帰りなさいませ。ヴェレッド侯爵家はいかがでした?」
「ベアトリス様は、とても優しい方だし、とても楽しい時間を過ごせたわ。ほら、見て。プレゼントを頂いたの」
ベアトリス様から貰ったネックレスをジルに見せると、彼女は口に手を当てて、まぁ、と嬉しそうな声を上げた。
「フィニアス殿下の目と同じ色のネックレスなんて、素敵ですね。明日の夜会では、そちらを付けるのですか?」
「えぇ。ベアトリス様も出席されるということだし、頂いたのだから付けないと失礼になるでしょう?」
そう答えると、側に控えていたエルノワ帝国の侍女達から驚きの声が上がる。
「ベアトリス様が出席なさるのですか!?」
「あのベアトリス様が……。信じられません」
そこまで!? と思ったけれど、そもそもベアトリス様は二十年もの間、社交の場に出ていなかったのよね。
だったら、そのベアトリス様が二十年ぶりに出席するっていったら彼女達が驚くのも納得だわ。
「今回の夜会は素晴らしいものになりそうですね」
「なんといってもベアトリス様が出席なさるのですからね。それに聖女様もいらっしゃいますし」
「これまでの夜会とは違う、特別なものになりそうですね」
確実に、主役はベアトリス様だと思うけれどね。
「ベアトリス様も出席されるというのなら、特別なものになるのは当たり前だと思います。拝見できないのが残念なくらいですわ」
「その場で拝見したいくらいです。出席する令嬢達が羨ましいです」
「あ、聖女様の侍女として不満があるわけではございませんのよ? ベアトリス様を拝見したかったと思っただけですの」
うん。それは分かっている。
ベルクヴェイク王国の使者よりも、自国の元皇女殿下の動向が気になるのは仕方ないものね。
「ですので! 絶対に聖女様が引けを取らないようにいたしますので!」
「主役は聖女様なのだと、出席する貴族達に見せつけてやりましょう!」
えぇ! そういう反応になるの!?
自国の元皇女殿下の方が大事じゃないの?
彼女達の考えていることが分からないよ。
と、思いつつも、彼女達の熱意に押された私は苦笑するしかなかった。
……こうして、二日目も私はフィニアス殿下と顔を合わせることなく一日が終わってしまったのである。
翌日、さすがに夜会のパートナーがフィニアス殿下なので一日ぶりに私は彼と顔を合わせた。
いつも通りの態度ではあったが、どこか違和感があるように思える。
エルノワ帝国に行くと決まったときから様子がおかしかったけれど、今も尾を引いているのだろうか。
「フィニアス殿下。最近のご様子がいつもと違いますが、何かありましたか?」
私の問いに、彼はハッとしていたが、すぐにいつもの笑みを浮かべる。
「心配をかけてしまいましたね。少しばかり悩んでいたことがあっただけです。それもじきに解決しそうなので、いつも通りに戻れますから、心配しないで下さい」
「なら、よろしいのですが。私が手助けできることであれば、何でもやりますので、遠慮せず言って下さいね」
「……ええ。そのときが来たら、絶対に」
どうやら、私が手伝えることらしい。フィニアス殿下のお役に立てるなら、犯罪を犯すこと以外であれば任せて欲しい。
「そろそろ時間ですね。今日は色々な人に話しかけられると思いますが、疲れたら椅子に座っていても構いませんから」
「いえ、大丈夫です。大事な外交ですから仕事はきっちりとこなしますよ」
薄いピンクのドレスとアメジストのネックレスという勝負服に身を包んだ私は、フィニアス殿下と共に夜会の会場へと向かった。