7・ヴェレッド侯爵家
フィニアス殿下の言葉を思い返してはショックを受け、また、慣れない枕に眠りを妨げられ、数時間しか眠れなかった私は馬車に揺られてヴェレッド侯爵家へと来ていた。
エルノワ帝国の宰相の屋敷ということで、とんでもなく大きなお屋敷である。
応対してくれた執事さんから、こちらでお待ち下さい、と応接間らしきところに通された私は、肩身の狭い思いをしながら、ヴェレッド侯爵を今か今かと待ちかねていた。
コンコンと扉をノックする音が鳴り、私はやっと知った人に会える! と立ち上がる。
ガチャッと扉が開き、現れたのは見事な金髪の妖艶な美女だった。
誰? と疑問に思っている私とは裏腹に、美女は口を両手で覆って信じられないというようなリアクションをしている。
目には涙が浮かんでおり、ちょっとした衝撃でこぼれ落ちそうなくらいだ。
彼女は、おぼつかない足でこちらへと近寄り、私の両手をガシッと握ってきた。
「ああ、これは神様から頂いたご褒美ね。まさか、こんなにもそっくりな方がいるなんて……」
言っている内容が何ひとつ理解できず、私は固まっている。
そもそも、この人は一体誰なのか。
「あの」
「ベアトリス……!」
私は事情を聞こうとしたが、慌てた様子で部屋へと入ってきたヴェレッド侯爵によって阻止されてしまった。
「あら、あなた。もういらしたの?」
「もういらしたの? じゃない。ちゃんと紹介するから奥で待っていなさいと言ったじゃないか」
「だって、早くお会いしたかったのだもの」
頬を膨らませているベアトリスと呼ばれた女性と、諦めたような表情を浮かべているヴェレッド侯爵。
私の予想が正しければ、ベアトリス様と呼ばれたこの女性がヴェレッド侯爵夫人なのだと思う。城の侍女も言ってたし。
ジッとベアトリス様を見ていると、視線に気づいたのか彼女はこちらを見てニッコリと笑った。
「ベアトリス。聖女殿が混乱しているから、とりあえず手を離して。まだ名乗ってもいないんだろう?」
「分かりました」
渋々といったようにベアトリス様は私から手を離した。
「ヴェレッド侯爵家当主、マクシミリアン・ヴェレットの妻、ベアトリスよ。どうぞよろしく」
「瑠音・堂島です。こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」
「まぁ、ルネと仰るの! 可愛らしいお名前ね。貴女にピッタリの名前だわ。ねぇ、あなた」
ベアトリス様は弾んだ声でヴェレッド侯爵に同意を求めている。
ヴェレッド侯爵もヴェレッド侯爵で苦笑しつつも、なぜか頷いていた。
「あの、一体これは?」
全く話が見えてこない私は、耐えきれずにお二人に尋ねる。
「ああ、そうよね。貴女には何のお話なのか分からないわよね」
「まずはこちらの事情をお話しないといけないね」
ごめんなさいね、と言いながら、ベアトリス様が事情を話してくれた。
「ベルクヴェイク王国に皇太子殿下と一緒に向かった息子のユルヴァンから夫の祖母のウメ様に瓜二つの女性と出会ったと聞いてね」
「それだけで、私に会いたいと思われたのですか?」
「いえ、それだけじゃないわ。貴女が御存じかどうか分からないけれど、私達には娘がいたの。娘、リュネリアは生まれて間もなく、いなくなってしまったのだけれど、あの子は黒髪に茶色い目をしていて、顔の雰囲気が夫に似ていて、目元が夫の祖母によく似ていたの。だから、夫の祖母と似た顔になるだろうと言われていたのよ」
昨日、王宮で侍女から聞いていた話と同じだわ。
驚きもしなかった私を見て、ベアトリス様はリュネリアさんのことを知っていると判断したのか、話を続ける。
「それで、娘と同じ髪と目の色をしたウメ様に似た女性がいると聞いて一度お会いしたいと思っていたのよ。それに彼女はリュネリアと同じ分解と吸収という複数の半能力半魔法属性持ちだと言うから、気になってしまって……」
あのときユルヴァン様は知っている人に似ているって言っていたけど、似ている人ってウメさんだっんだ。
でも、それって、あれじゃない? 日本人だから皆同じ顔に見える現象なんじゃないの?
なんて私が考えていると、ベアトリス様が懐かしいものを見るような目でこちらを見ていることに気が付いた。
「頭では娘は、もういないと分かってはいるのだけれど、どうしてもあの子を忘れられなくて。たまに、あの子がいたらどんな女性に育っていたのかしらって想像しては虚しくなって。だから、こういう女性になるだろうなという想像通りの貴女に会えたのが嬉しくて嬉しくて」
両手を合わせて満面の笑みを浮かべているベアトリス様を見ていると、人違いでも日本人で良かったなぁと思ってしまう。
どこにでもいそうな顔のお蔭で、娘を亡くして屋敷に籠もっているというベアトリス様に喜んでもらえたのだもの。
それにしても、会いたいと言っていた理由がこれだったとは、予想していなかったから驚いた。
まあ、でも、歓迎されているみたいだし、いっか。
「ベアトリス、聖女殿も立ち話していないで、座ったらどうだ?」
ヴェレッド侯爵に言われて初めて、私は立ったままで喋っていたことに気が付いた。
ベアトリス様が座ったのを見て、私もソファに腰を下ろす。
使用人が淹れてくれたお茶を飲んで落ち着いていると、ベアトリス様から話しかけられる。
「確か、ルネはナバートのご出身なのよね?」
「ぶふっ!?」
思いっきりお茶を吹き出してしまった。
咳き込んでいると、慌てた様子で使用人が拭くものを手渡してくれる。
あれ? ユルヴァン様? もしかして私が召喚されたってこと言ってないの?
ていうかベアトリス様の反応を見れば、言ってないってことだよね。
昨日の皇帝陛下との謁見では召喚の宝玉を使ったとは一言も言ってなかったけれど、ヴェレッド侯爵は内容から察していてもおかしくないと思っていたけれど、奥様に言ってないのかな。
でも、ユルヴァン様やヴェレッド侯爵が言ってないってことは、召喚されてたって言わない方がいいよね?
とは思ったものの、私はナバートのことなんて何も知らないから、答えようがない。
どうしよう、どうしよう、と悩んでいると、ベアトリス様は何か言えない事情があるのだろうと勝手に思ってくれたらしく、話題を変えてくれた。
「ルネはベルクヴェイク王国で何をなさっているのかしら?」
「……アルフォンス殿下の魔力を吸収するお仕事と、エ……書類整理を少々」
エルツ研究所で事務をと言いそうになって、私は慌てて書類整理と口にした。
別に聞かれても問題の無い話かもしれないけれど、エルツ研究所のことを詳しく聞かれて、うっかりペラペラ喋ってしまうかもしれない。
エルツの詳しい情報は国家機密だと思うし、どれが秘密でどれが言ってもいい情報かなんて私には分からないから、言わないに越したことはない。
でも、ヴェレッド公爵夫妻はあまり興味がないみたいで、どこで事務仕事をしているのかを聞いてくることはなかった。
「あら、聖女なのに書類の整理をなさっているの? フィニアス殿下が保護されていると伺っていましたけれど、保護している方が仕事をなさるなんて……」
ベアトリス様がフィニアス殿下を非難するような表情を浮かべたことで、私は首を横に振って否定する。
「違います! 私から仕事を下さいと頼んだのです。仕事は好きですし、お世話になりっぱなしなのも申し訳ないと思いまして」
「まあ、立派なのね。エルノワ帝国の貴族の中にルネのような気持ちで仕事をされている方がどれくらいいらっしゃるか」
「皆様、国のために働いていらっしゃると思いますよ?」
「……どうかしら? 貴族というのは、自分の利益を最優先するものだから。国のため、というのは二番手くらいではなくて? ねぇ、あなた」
「どうだろうね」
話を振られたヴェレッド侯爵は困ったような顔をしている。
他国の人間である私に軽々しく聞かせて良い話なのか、とちょっと心配になった。
「あら、あなたも自分の利益を優先する貴族の一人だということかしら?」
「違うよ。私がそうでないことは、ベアトリスがよく知っているだろう」
落ち着いた声で口にするヴェレッド侯爵の言葉に、ベアトリス様は、それもそうね、と納得した。
目の前で夫婦ケンカが始まるのでは!? と私は気が気じゃなかったけどね!
それからも、ベルクヴェイク王国の貴族街の話やエルノワ帝国で流行っているものの話などをしている内に時間は過ぎていった。
「それにしても、本当にルネはウメ様にそっくりだこと。笑ったお顔が肖像画のお顔とそっくりで驚いてしまったわ」
「……そんなに似ているのですか?」
何度も何度も言われたことで、私はどれくらい似ているのか、ちょっと気になってしまった。
「ええ、ユルヴァンから聞いたときは、まさかと思ったけれど、似ているなんて言葉じゃ済まされないくらいにそっくりよ?」
マジですか? ここまで言われたら肖像画を見てみたいかも。
でも、他人の家の中を見せてくれってお願いするのは気が引けるなぁ。
なんて思っていると、部屋に入ってきた使用人から、ユルヴァン様が王宮から帰ってきたという話を聞いたベアトリス様は、良いことを思い付いたと言わんばかりの顔で私を見てくる。
「そうだわ。肖像画をご覧になっていってちょうだい。ユルヴァンに案内をさせるわ。ちょっと、ユルヴァンを呼んできて」
命じられた使用人はすぐに部屋を出て行った。
いやいやいや、王宮から帰ってきたばかりの人に案内を頼むのは悪いよ。
かといって一人で行くこともできないし……。
ベアトリス様を止めようかどうかと悩んでいる間に、部屋に呼ばれたであろうユルヴァン様がやってきた。
彼は、中にいた私を見て、一瞬だけ目を瞠った。
もしかしたら、今日私が屋敷に来ることを聞かされていなかったのかもしれない。
ベアトリス様は、ユルヴァン様の些細な変化に気付いていなかったようで、私を肖像画のある部屋まで案内するようにと口にした。
仕事帰りで疲れているから断るだろうと思っていた私の考えとは裏腹に、ユルヴァン様は二つ返事で了承する。
「では、参りましょうか」
サッと手を差し出され、私は条件反射でその手に自分の手を重ねると、グイッと引っ張られた。
強引に立たされた私は、ユルヴァン様と共に部屋を出て肖像画のある部屋まで向かう。
合間に世間話をしつつ、肖像画のある部屋まで来たところで、ようやくユルヴァン様が手を離してくれた。
「どうぞ」
「……失礼します」
少し緊張しながら、私は部屋へと足を踏み入れる。
「すごい、ですね」
部屋に入った私の目に飛び込んできたのは歴代の侯爵家当主夫妻だろう人達の肖像画の数々。
壁一面にかけられている肖像画を見て、私は圧倒された。
「ここにあるのは、ほんの一部です。初代侯爵夫妻と功績を上げた当主と妻の肖像画しか飾られていません」
「まだあるのですか!?」
これだけじゃないの!? と思っていると、ユルヴァン様は八百年分ありますからね、と教えてくれた。
え~と、百年三代で計算すると二十四、それに奥様もいれると四十八。
うん、多いね。小さめの額縁だったら可能かもしれないけれど、飾られている額縁の大きさを考えたら無理だね。
物珍しくてキョロキョロと周囲を見ていた私は、前を歩くユルヴァン様から、これは何代目の当主で、という説明をされていた。
ユルヴァン様には悪いが、まったく頭に入ってこない。
横文字の名前は覚えるのが大変なのよ。世界史でどれだけ苦労したか……!
「そして、こちらが私の曾祖母です」
目的のウメさんに辿り着いたと知り、私はハッとして、ユルヴァン様が指し示した肖像画に目を向け、描かれている柔らかな笑みを浮かべるウメさんを見て言葉を失った。
似ているなんてもんじゃない。目の色が違うだけの私がそこにいた。
私は、あまりの衝撃に呆然としている。
「……生後一ヶ月で亡くなった妹は、父の黒い髪と母の茶色の瞳を受け継いでいました。面立ちは父に似ていて、母は喜んでいたそうです。まだ、二才だった私は、妹のことはなにひとつとして覚えてはいませんが、泣き叫ぶ母とそれを宥める父の姿を物心ついたときから見ています。妹の名前を呼び、心ここにあらずな母を見て、私はどうすれば母を救えるだろうかと考えるようになったのです」
さっきのベアトリス様からは想像もできないくらいに、昔の彼女の心は壊れていたのかもしれない。
子供がいない私には想像することくらいしかできないけれど、私だって両親を亡くしたら泣き叫ぶだろうから、きっとそういうことなのだろう。
なんとも重い話に私は何も言うことができずに黙ってユルヴァン様の話を聞いていた。
「ふさぎ込んだ母は、それ以来、外出することはなくなり、屋敷に籠もるようになりました。領地にも戻らずに妹が生まれたこの屋敷にいつもいたのです。私は寂しいという思いもありましたが、やはり母を救いたかったのです。笑顔を見せて欲しかったのです」
「……今は笑っていらっしゃいます」
「ええ。二十年という月日がそうさせたのでしょう。けれど、心からの笑みではありませんでした。そんなときに、私は貴女に出会ったのです」
「私ですか?」
聞き返すと、ユルヴァン様は、ええ、と答えた。
「初めて見たときは驚きました。幼い頃から見ていた肖像画の曾祖母と瓜二つの女性が目の前に現れたのですから。あのときは、驚いていて他のことが考えられませんでしたが、帝都へと戻る途中で、ふと、貴女を母に会わせたら、母は心から笑ってくれるのではないか、と思ったのです。私はそれを実行するために、両親が揃っているときに、貴女の話題を出しました。曾祖母に瓜二つで亡くなった妹と同じ半能力半魔法属性持ちだと。予想通り、母は私の話に食いついてきました」
……それ、もしかしなくても餌にされた? ベアトリス様が心から笑ってくれるようにって、私を餌にしたってことだよね?
いや、いいけどさ。結果として上手くいったからいいけど、ちゃんとこっちにも話を通しておいて欲しかったよ!
知らない内に巻き込むの止めて下さいよ! という感情が表情に出ていたようで、ユルヴァン様は慌てて、こちらに謝罪した。
「と、ともかく、父にも事情を話して、貴女の顔を確認してもらって、母と会わせるかどうかを判断してもらったのです。まさか、こんなに早く招待するとは思いもしませんでしたが」
部屋に入ってきて、一瞬だけ驚いたのはそういう理由ですか。
「別に怒ってはおりませんが、そういうことなら事前に説明をして欲しかったです。最初は何が何やらで混乱していたのですから」
「それは申し訳ないと思っています。ですが、滞在している間だけでも構いませんので、母に会ってはもらえませんか?」
「……構いませんが、夜会や他の貴族からの招待もありますし、頻繁には無理だと思いますよ?」
「それでも構いません。母の話し相手になってくれるだけでも」
母親であるベアトリス様が大事なのか、ユルヴァン様はかなり必死である。
簡単にいえば、亡くなった娘の代わりに話をしてもらいたいってことだよね。
それぐらいだったら、私にもできると思う。
「分かりました。なるべくベアトリス様とお会いするようにします」
「ありがとうございます!」
ホッとしたように微笑んだユルヴァン様に私は力強く両手を握られる。
ちょ! 痛い! 痛いから!
よほど嬉しかったのか、ユルヴァン様の握る力が強い。
手を離された後、私はユルヴァン様に気付かれぬよう、手を後ろに持っていき揉んでいた。
「ところで、私が召喚されたことはお二人に話していらっしゃらないのですか?」
「ええ、秘密にしているようでしたので。父は察しているかもしれませんが、話した方がよかったでしょうか?」
ベルクヴェイク王国でも秘密にしていることを簡単に話すのはいけないよね。
「いえ、話さないで頂けると助かります。陛下からも他言しないようにと言われていますので」
「では、これまで通りで」
秘密にするということで意見をまとめ、私はヴェレッド侯爵家の皆さんにお別れの挨拶をして外に出ると、乗ってきた馬車の近くに屋敷の使用人が数人いて、深刻そうに話をしていた。
「どうかなさったのですか?」
声をかけると、使用人達は顔を見合わせ、言いにくそうにしながらも答えてくれた。
「それが、先ほど男性がお屋敷や馬車をやけにジロジロと見ておりまして……。怪しかったので、声をかけようと思ったのですが、その前に立ち去ってしまいまして」
「男性が? 見覚えのない方だったのですか?」
「ええ。他の者も見ておりましたので、もしかしたら、泥棒の下見なのでは? と思い、旦那様にご報告しようと相談していたところなのです」
「そうだったのですね。気になって声をかけてしまい、申し訳ありません」
「いえ、お客様に見苦しいところをお見せしてしまい、こちらこそ申し訳ありませんでした」
頭を下げた使用人は、私が馬車に乗って門を出るまで見送った後で、屋敷へと入っていった。