5・港の視察
二週間、みっちり先生からダンスを叩き込まれた私は、なんとか無様な姿を見せないくらいにはなっていた。
後は殿方のリードにお任せなさいという先生の言葉を胸に、私達はエルノワ帝国へと向かう船へと乗り込んだのである。
「わあ! すごい!」
目の前に広がる大海原にテンションが高くなった私は思わず声を上げた。
この世界の海を見るのは初めてだけど、沖縄の海みたいに透き通っていて綺麗!
何時間でも見ていられそう。
ワクワクしながら船の手すりにもたれて海を見ているが、私に話しかけてくれる人は誰もいない。
はしゃいでいる自分が恥ずかしくなって、ゆっくりと後ろを振り向くと、どこか落ち込んだ様子のフィニアス殿下と彼を心配しているテオバルトさんの姿があった。
王妃様の侍女から話を聞いた通り、屋敷へと戻ってきたフィニアス殿下はすでにあの状態であった。
口数が少なくなり、ため息を吐く回数も増えている。
無理難題をふっかけられたにしては様子がおかしいと思い、何かあったのですか? と尋ねても、なんでもないと言われ、理由を教えてはくれなかった。
あれ以来王城にも行っていないので、フィニアス殿下に関する話を耳にすることもないし。
理由が全く分からないのがモヤモヤするけれど、誰に聞いても何も言わないのだから知りようもない。
「ねぇ、キールは何も知らないの?」
音もなく隣に現れたキールに向かって私は問いかけるが、彼は表情を変えずに涼しい顔をしている。
「……さあ?」
「本当に知らないの?」
「まあ、色々とあるんだろ? 領地のことで悩んでるとか。少なくとも聖女様に関することじゃないんじゃないか?」
そうかなぁ? と私は疑問を持つが、キールが分からないんなら仕方がないよね。
それにしても、キールがエルノワ帝国まで付いて来てくれるとは思っていなかったな。
だって、エルノワ帝国内で有名な暗殺者だったんでしょう? だったら指名手配とかされてないの? エルノワ帝国に入国して大丈夫?
とか思って、聞いてみたんだけど、特に問題ないって言われたんだよね。
まあ、陛下もテュルキス侯爵も特に何も言ってなかったし、もしかしたらエルノワ帝国と話し合いでもしているのかもしれない。
一応、キールは今は私の護衛をしてくれているし、無闇に人を殺したりしていないから危険度はさほど高くはないと勝手に思っているんだけど。
「俺のことを心配するより、王子様の方を心配しとけ」
私の考えを読んだのか、呆れたようにキールが口にした。
いや、踏み込まれたくないっていうキールの気持ちは理解しているけれど、そこそこ仲良くやっているわけだし、襲われて怪我とかされたらって考えると心配なんだけど。
「……あんまり危ないところをうろつかないでね?」
「聖女様が命じなけりゃ、行かねぇよ。じゃあな」
片手を上げて、キールは私から離れていった。
仲良くなったと思ったら距離を置かるし、フィニアス殿下は何かに悩んでいるみたいだし。
「……旅行じゃなくて外交だから仕方ないんだけどさ」
「行儀が悪いよ」
手すりに置いた手に頭を乗せていると、テオバルトさんが私のところへとやってくる。
行儀が悪いと言われ、私はすぐに体を起こした。
「海を見るのは初めてだった?」
「こちらの海を見るのは初めてですね。透き通っていて綺麗です。港の視察をするお蔭で船に乗れるなんて、良い経験をさせていただきました」
「他国の港を見られる機会なんてそうそうないからね。他国からの貿易品が集まる場所だから活気があると聞いているよ。エルノワ帝国の港に到着するのは午後になるけど、早い時間だから護衛を連れて観光にでも行くかい?」
「いえ、一緒に視察に参ります。遊びにきたわけではありませんから」
そう答えると、テオバルトさんは少し意外そうな顔をした。
だって、フィニアス殿下だけに任せて遊びに行くなんてできるわけないもん。
「そう。なら、他の人にもそのように言っておくよ。あと、視察は明日の午前中もあるから忘れないようにね。お昼の後に帝都に向けて出発する予定になってるよ」
「帝都には十日間の滞在なんでしたっけ?」
「そう。向こうの貴族からの招待もあるだろうし、ゆっくりはできないと思うよ」
「お土産を買う時間はありますかね?」
どうだろうね、と言いながらテオバルトさんが首を傾げる。
「今の時点で招待状がきていないから、どれくらいの忙しさになるのか予想するしかないんだけど、王族であるフィニアス殿下と聖女を招待したいと考える貴族は多いんじゃないかな? でも、お土産が買いたいというなら、それ用に時間は作るよ」
「お願いします」
十日って長いようで短いからなぁ。
午前中だけでも時間が作れればいいんだけど。
という私の目に、遠くを眺めているフィニアス殿下の姿が映る。
「それにしても、フィニアス殿下は大丈夫なのでしょうか?」
「ご本人は大丈夫だと仰っていたが、心配だ」
「そんなに大変な悩み事なのでしょうか?」
「みたいだね。色々と噂は耳にしているけど、フィニアス殿下から助けを求められれば僕としても協力はするつもりだよ」
「噂?」
私の耳には何も入ってきていないけど……。
首を傾げていると、テオバルトさんは気まずそうに私から視線を逸らした。
「ま、まあ。君には関係のないことだよ。気にしないように」
ということは、領地のこととかフィニアス殿下本人のことなのかな?
何か手伝えることはなんだろうか、と私が後ろを向くと、手すりに手を置いて海面を見ているフィニアス殿下の後ろ姿が目に入った。
肩を落としていて、なんとも哀愁が漂っている。
「あれ、飛び込んだりしませんよね」
「冗談にならないことを言うのは止めなさい!」
と、言いつつも心配なのか、テオバルトさんがフィニアス殿下のところへと急いで向かう。
肩を掴んで、手すりから離そうとしている。
「ほら、やっぱりテオバルトさんだって、そう思ってるじゃないですか」
なんて他人事のように考えている間に、船はエルノワ帝国の港へと到着した。
船から港へと降りた私達を待っていたのは、ヴェレッド侯爵家の子息・ユルヴァン様であった。
彼はこちらに頭を下げた後で口を開く。
「セドリック皇太子殿下の補佐官を務めております。ユルヴァン・ヴェレッドと申します。本日は、セドリック皇太子殿下が多忙のため、私が皆様方の案内役を任されました」
「我が国でお会いして以来でしょうか。お久しぶりです。……それにしても、人が多いですね。貿易港だからといっても、多すぎると思うのですが……。何かありましたか?」
港町って栄えているイメージだから、人が多くてもおかしくないと思うんだけれど、フィニアス殿下もテオバルトさんも何か不審に思っているみたい。
フィニアス殿下の言葉に、眉をピクリと動かしたユルヴァン様が息を吐き出した。
どうやら、何かあったらしい。
「三日前でしょうか。港の倉庫で火事がありまして。……ああ、エルツを保管している倉庫からは離れていたので大丈夫でしたが、それで人が多いのです」
「そうでしたか。被害が酷くなければ良いのですが」
「幸い、たまたま居合わせた旅の魔術師の方が消火して下さったようで、倉庫の一部が燃えるだけでしたので被害は大したことはありませんでした。では、こちらにどうぞ」
話が終わり、私達はエルツが保管されている倉庫へと案内された。
視察では、エルツが保管されている倉庫を見て、人の出入りを制限する魔術がきちんと作動しているかを確認するとのこと。
「テオバルト、どうです?」
調べていたテオバルトさんは、ある部分を見て首を傾げた。
「こちらに綻びがありますね。これでは、人の出入りが制限できません。ユルヴァン様、申し訳ありませんが、入退記録を見せていただけますか?」
「ええ、すぐに取りに行かせます」
ユルヴァン様は側にいたエルノワ帝国の人に頼むと、彼はすぐに事務局へと行き、入退記録を持ってきてくれた。
一枚一枚めくって確認しているフィニアス殿下とテオバルトさんは、一枚の入退記録を見て、これだ、と呟いた。
「いつも入室する回数が同じなのに、この日だけ一回多いですね。何か理由はありますか?」
問われた港の役人は差し出された用紙を見て、何かを思い出したようだ。
「ああ、火事があってエルツの倉庫は大丈夫かどうかを確かめたんですよ。火事場泥棒があってはいけないとのことで。それで、消火した魔術師の方に中を確認してもらったのです」
「身元不明の魔術師にですか?」
「いえ、エルノワ帝国の国璽が押された魔術師許可証をお持ちでしたので。それに、魔術師の方にずっと付いておりましたが、不審な行動は何もなさいませんでしたし」
「ですが、不審な記録があるのは、その日だけです。ちなみに、その魔術師の方の名前は?」
一度、エルノワ帝国で調べた方がいいとテオバルトさんが役人に問いかける。
役人としては、エルノワ帝国の許可証を持っていたから大丈夫だと思っていたのに、疑われているからか、顔色が悪くなっていた。
「た、確か、姓はブライと仰ってました。名乗るほどのものでもないと名前は教えて頂けませんでしたが」
名前を聞いた私達の動きが止まる。
ブライというのはベルクヴェイク王国に存在していた貴族の名前である。
そう、王妃様暗殺未遂の実行犯であったオスカー・ブライの実家だ。けれど、彼のせいで、爵位は取り上げられているはず。
「フィニアス殿下、元ブライ子爵達は今、どうしているのですか?」
「平民へと身分を落として国外へと出て行きました。海を渡って大陸へと向かったのを確認していますし、監視がついているはずです。簡単にこちらに立ち入ることはできません」
「ブライという姓はエルノワ帝国にもあるのでしょうか?」
「いえ、ブライ元子爵の血縁で他国に渡った者はいないはずです」
私の疑問に答えたフィニアス殿下の言葉通りなら、ブライと名乗る人間がここにいるのは変だ。
何かがおかしい、と思ったのは私だけではなかったようで、テオバルトさんが役人に視線を向ける。
「その者の顔は見ましたか?」
私達の話を聞いていた港の役人は、犯罪者を招き入れてしまったかもしれないと、すっかり青ざめている。
「は、はい。背丈は、貴方様と同じくらいで金髪で紫の目をしておりました。非常に端正な顔立ちで……少々冷たそうな印象を持ちましたが、身なりもきちんとしておりましたし……。とても丁寧な口調でしたので、消火して下さったということもあり、疑いもせず」
「ちなみに、その人物は何を確認しにきたのですか?」
「きちんと、エルツが倉庫内にあるか、数は合っているか、保管状態などを確認、しておりました」
「そうですか。名乗りたくないから偽名を使ったのかもしれませんが、ブライの名を借りるのは疑われるだけですし、何よりも嫌な予感がしますね。何が目的なのか……」
しばらく考え込んでいたフィニアス殿下は、ハッとしたように顔を上げた。
「エルツの在庫は!? 出納帳はありますか!?」
「すぐに持って参ります!」
そうして急いで持ってきてくれた出納帳を確認した結果、数に変化は見られなかった。
「盗んだわけではなさそうですね」
「いえ、分かりませんよ。もしかしたら、すり替えている可能性もあります。尤も、この数を一個一個調べるのは大変ですが」
「いえ、やります。確認を怠ったこちらの責任ですから」
絶対にやります! という圧に押されたのか、フィニアス殿下は調査を彼らに依頼する。
話は終わり、テオバルトさんが再度、人の出入りを制限する魔術を施し、本日の視察は終わりとなって、私達は宿へと案内される。
今日はここで泊まり、明日、港の事務所の視察を終えた後で帝都に向かうらしい。
案内された部屋に入った私は、疲れた~と言いながらベッドに寝そべると、ジルとシャウラが声をかけてきた。
「ルネ様、夕食まで休まれますか?」
「お着替えをご用意致します」
「あ、待って、待って。寝ないから。ふかふかのベッドに寝転んでみただけだから」
すぐにでも着替えを用意しそうな勢いのジルとシャウラを慌てて止める。
王族が宿泊する宿なだけあって、物凄く高級そうな宿だったから、ちょっとテンションが上がってしまっただけだ。
「夕食までどうしようかな」
「宿の中庭に参りますか? ベルクヴェイク王国にはない花々が植えられておりますから、珍しいものが見られるかもしれませんよ?」
そうだなぁ、部屋に閉じこもっていても、やることがないし、体を動かしたいかも。
ということで、私は中庭に行くことを決めた。
ジルとシャウラと護衛を連れて私が中庭へと向かうと、エルノワ帝国の人と話をしているユルヴァン様と遭遇した。
彼は、こちらに気付くと丁寧に頭を下げてきたので、私も深々と頭を下げる。
「到着早々に、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「いえ、ユリウス陛下の国璽が押されていたのなら騙されてしまっても仕方ありませんよ。それより早く犯人が捕まるとよろしいのですが……」
「それですが、犯人の目星はついております」
もう、調べたの!?
驚きのあまり、私は目を見開いた。
「魔術師を騙っていたということと、役人が見たという、その者の外見に心当たりがありましたので、別の者に行方を調べさせています」
「一体、誰が……」
「それは、申し上げることはできません。これは我が国で起こったことですので。ですが、聖女様方にご迷惑をかけることにはなりませんから、ご安心を」
ご安心をって言われても、ベルクヴェイク王国だって被害に遭っているかもしれないのに。
不満そうな態度が顔に出ているはずだけど、ユルヴァン様は、それ以上のことを言うつもりはないらしい。
「進展があれば、フィニアス殿下にお伝え致しますので。とにかく、今回の件はエルノワ帝国にお任せ下さい。聖女殿は明日以降のことだけを考えていればよいのです。貴女の仕事は事件を解決することではなく、外交のはず。違いますか?」
……ユルヴァン様の言う通りだ。小娘が口を出したところで簡単に解決できるような問題じゃない。
ここはベルクヴェイク王国ではなく、エルノワ帝国。他国なんだ。
指揮権はあちらにあるのだと私は納得した。
「よろしくお願いします。手伝えることがあれば、仰って下さいね」
「お客様に手伝って頂くわけには参りません。お気持ちだけ受け取っておきますね。……ああ、それと皇帝陛下との謁見は帝都に到着した次の日の予定となっています。明日の視察を終えたらすぐに帝都に向けて出発となります。こちらの都合で休む間もなく移動になってしまい申し訳ないとは思っていますが」
「いえ、気にしておりません」
皇帝陛下との面会という緊張しかしないお仕事は、早めに終わらせておきたいもの。
だから、早めの方がこっちとしても助かる。
「無礼を働かない限り、陛下が怒ることはありませんから、そこは安心して下さい。それと、陛下との面会の後も夜会、茶会などありますが、不安に感じていることはありますか? 不安でしたら、茶会を断ることもできますが」
不安に思っていたのは皇帝陛下との面会だけだったので、私は首を横に振る。
「……いえ、粗相をしないかだけが心配ですが、大丈夫です。むしろ国の代表として私が派遣されたことの方が心配です。もっと適任者はいらしたとは思うのですが」
「ベルクヴェイク王国の使者として、貴女以上の適任者はいらっしゃいませんよ。それに、茶会や夜会で貴女を傷つけるようなことを仰る者はおりません。何せ、貴女は第一皇女殿下の命をお救いになった方なのですから」
大袈裟だなぁ、と私はぎこちなく微笑む。
聖女の肩書きを与えられたものの、元は平民。貴族からしたら、眉を顰めたくなる存在だと思うんだけどね。
「セレスティーヌ皇女殿下は帝国内でも貴族や平民から人気の高い方でしたから、その方を救った貴女を無下に扱う者はおりませんよ。もしいたらすぐに私に知らせて下さい。陛下から直々に処分を言い渡していただきますので」
「……そ、そこまではなさらずとも、よろしいのでは?」
どこの世界にも文句を言いたいだけの人間って存在すると思うから、言われるのは覚悟している部分はあるんだけど。
「これから仲良くしていこうと考えている国の使者に対しての行いですから、陛下が表に出るのは当然です」
「……ああ、個人攻撃じゃなくて、国に対する攻撃だと見なされるのですね」
「その通りです」
言い方はあれだけど、私一人の体じゃないってことだよね。
国を背負うってこういうことなんだなぁ、と思って、私はちょっと面倒に思ってしまった。
こうしてユルヴァン様とちょっとした世間話をしていると、エルノワ帝国の人が彼に用事があったらしく呼びに来たことで、会話は終了となる。
「では、また後で」
ユルヴァン様に挨拶をして、庭を散策していた私はジルから夕食の時間が近づいてきたこともあり、準備があるからと部屋へと戻った。
数時間後、ユルヴァン様を初めとするエルノワ帝国の人達との夕食が終わり、部屋でのんびりとしていると、フィニアス殿下やってきた。
部屋にどうぞ、と言うよりも早く、彼は私に向かって言葉を投げかけてくる。
「貴女は、故郷に戻りたいと今も思っていますか?」
と。
投げかけられた言葉を理解した私は、少し悩んだ後で頷いた。
正直に言えば、戻りたい気持ちと残りたい気持ちは半々。
だけど、最初にフィニアス殿下と契約書を交わしたこともあるし、一年半でここに残ると心変わりしたと知ったら、薄情な人間だと思われるかもしれないと思ってしまったのだ。
まさか、このときの返事がとんでもないことを引き起こすことになるなんて思ってもいなかったけれど。