4・王妃との語らい(ユリウス視点)
俺が部屋へ入るとすでにアルフォンスとルネはいなくなっており、セレスティーヌと侍女だけが迎えてくれた。
「昼間にこちらへいらっしゃるなんて、珍しいですね」
「休憩がてらな」
椅子に座り、セレスティーヌが淹れてくれた茶を飲む。
今の言葉は事実。急ぎの仕事は終わらせて時間があったし、セレスティーヌとアルフォンスの顔が見たかったということもある。
「こうして昼間にユリウス様とお会いできるなんて、今日は良い一日になりそうです」
「では、明日から毎日、こうして昼間に部屋へ訪れるとしよう」
「まあ」
クスクスと嬉しそうに笑うセレスティーヌ。
よもや、こうして穏やかに会話ができるようになろうとはな。
「それで? 休憩がてらと仰いましたが、それだけではないのでしょう? お仕事命のユリウス様がいらっしゃるのですもの。他に理由がお有りなのでしょう?」
あっさりと言い当てられ、俺は言葉に詰まる。
セレスティーヌは穏やかそうな見た目に反して、中々に頭が良い。
こういった建前が通じないところは少し困るが、王妃としてこれほど素晴らしい女性もいないだろう。
では、本題に入るとしよう。
俺は人払いをして、セレスティーヌと二人きりになったのを確認した後で口を開いた。
「フィニアスとルネにエルノワ帝国との外交に向かうよう命じたのは知っているだろう? この間、魔術師長からアルフォンスの魔力が安定する時期の目処がたったと報告があったので、二人が帰ってきた時点でフィニアスとルネを婚約させようと思っている」
さすがにこれは予想していなかったらしく、セレスティーヌは目を瞠っている。
「……そ、れは、フィニアス殿下とルネには説明してあるのですか?」
「ああ、フィニアスには伝えてある」
「ルネには伝えなかったのですか? 当人ではございませんか!」
セレスティーヌは立ち上がり、身を乗り出した。
俺は、落ち着けと口にして、彼女を椅子に座らせる。
「其方はオイゲン・ザルドニクス卿を知っているか?」
「……先代のザルドニクス侯爵ですね」
「そうだ。あの御仁の性格と価値観、影響力を考えて、二人には申さなかった」
俺の説明に納得したセレスティーヌは、目を閉じてふぅと息を吐いた。
興奮した彼女を落ち着かせるほど、オイゲン・ザルドニクス卿は面倒な御仁なのだ。
齢七十近い老獪。五十年ほど前の戦争で祖父に付き従い、勝利に貢献した者でありながら、戦後この国の宰相を務めていた文武両道を絵に描いたような男。
王家に対する忠誠心は厚いが、反面、選民思想に凝り固まっている。
とは申しても、あの者は無闇に平民を馬鹿にしない。国に貢献している者に対しては何も申さぬ。そう、文句は申さぬが、褒めもしないというだけ。
ルネが王家に嫁ぐ、などという話にならない限り、王城に出入りしていることに対して文句を申すことはないだろう。
だが、ルネがフィニアスと婚約するという話になれば、絶対に口を出す。
影響力と発言力がある故に、オイゲン卿に賛同し婚約を反対する貴族が絶対に出る。
賛成派も出るだろうが、オイゲン卿がいるいないでは大違いだ。
そう簡単に婚約は成立せぬだろう、という事情を彼女は理解したのだ。
「さらに困ったことに、オイゲン卿がナバートに密偵を送ったようだ」
俺の話を聞いたセレスティーヌは絶句した。
明らかに、どう考えても、オイゲン卿はルネの出自を探ろうとしている。
ザルドニクス侯爵家の密偵は優秀だと聞き及んでいる。
存在しない人間の出自を探っても、何も出てこぬのは分かっていた。
しばらくは時間を稼ぐことはできようが、長期間は無理。
だから、碌な情報がない状態で痺れを切らしたオイゲン卿をどんな手を使ってでも良いから、とナバートへと向かわせるようギルベルトへと頼んでいる。
オイゲン卿が国にいない間に、下地を整えて文句が申せぬよう仕組めばよいのだ。
そのためにも、フィニアスとルネの婚約は極秘に行わねばならぬ。
フィニアスは上手く隠せるが、ルネは無理だ。必ず顔や態度に出る。
隠さねばならぬのにそんな致命的な失敗は犯せない。
「ですが、例えオイゲン卿が異を唱えても、クレアーレ様が許可をしたと申せば押し通せるのではないですか?」
「それは俺も考えて巫女長に事前に手紙を出して聞いてみたが、本人達からの申し出がない状態で許可は出さぬし、ルネが元の世界に戻らぬのであればどちらでも良いという返事をもらっている。ルネがこちらに残ると決めていないのに、すぐに心を決めよと迫るのはどうなのかとフィニアスに言われてな。それで、エルノワ帝国滞在中になんとか決めさせよとは申した。後はフィニアスの頑張りに期待というところか」
何にせよ、二人を婚約させることができてからクレアーレ様に許可を頂かねばならんのだ。
協力が約束されていない以上は、裏から手を回さねばならない。
「今や、ルネはこの国にとってなくてはならぬ存在となった。王弟妃として縛り付けておけるのであれば、それに越したことはない。二人の気持ちは明白であるし、ルネに話をすれば最終的には頷くはず。ああ、それと貴族達の目を欺くためにフィニアスがエルノワ帝国から戻ったら、国内の貴族令嬢から奴の婚約者を決めるという噂をわざと流している。噂を聞いた者は皆、相手は絶対に聖女ではないと思うだろう。その隙に裏で色々と整えて、さっさとフィニアスと聖女を婚約させるのだ」
「あくどいですね」
「失礼な。結果的にフィニアスの望む通りになるのだから、良いではないか」
「それでも、そのお話を聞いたルネが傷つくではありませんか。欺くのはいかがかと思いますが」
それは俺も申し訳ないと思っている。
だが、そうしなければオイゲン卿も貴族達も欺けぬ。
まあ、噂を聞いたフィニアスが物凄い勢いで執務室に飛び込んで来たのは驚いたがな。
噂が本当かどうかを尋ねてきたから、事実だと認めると、フィニアスは愕然としていた。
同時に、相手がルネであるとことを伝えたが、何故か彼奴は絶望したような表情を浮かべていた。
もしかしたら、契約書のことを気にしていたのかもしれんが、それはルネに頼めばなんとでもなる。
問題は何もないというのに、絶望するようなことがあるのかと俺は思っていたのだがな。
フィニアスの考えは分からん。
ふぅと息を吐くと、セレスティーヌがジトッとした目で俺を見ていることに気が付く。
「エルノワ帝国から戻ったらフィニアス殿下の婚約者を決めるという噂がルネの耳に入ったら、どう転ぶか分かりませんよ?」
「今日来たルネは噂を知っているような素振りを見せたか?」
俺の問いにセレスティーヌは首を横に振る。
「帰りに噂を耳にしているかもしれませんよ」
「問題ない。誰も通らぬ道で送るように、使用人には伝えてある。途中で耳に入ることはない」
「それも絶対ではありません」
「……王城にいる貴族も馬鹿ではない。テュルキス侯とシュタール侯を味方につけているルネの機嫌を損ねるような情報は言わぬ。おまけに、社交界の花と言われているディアマント伯爵夫人と西の大貴族・グラナート侯爵夫人に気に入られている。さらに、ルネはクレアーレ様のお気に入りだ。ルネを傷つければ、これだけの人物の攻撃が自分達に向けられるのだ。口を噤むに決まっておろう」
ルネは、一年かそこらで、この国にとってなくてはならぬ存在だと示した娘だ。
陰口を叩く貴族がいなくなったわけではないが、自分達の得になると考えている貴族達がルネの不利になるような情報を彼女に与えるわけがない。
傷ついたルネが国を出て行くことになれば、聖水が手に入らなくなるし、クレアーレ様からの怒りを買う。
行き着く先は身の破滅だ。そこが分からぬほど貴族達も愚かではない。
それはセレスティーヌも理解しているようで、それもそうですね、と呟いたが、心配そうな表情を浮かべたままである。
「うっかりルネの耳に入っても根も葉もない噂だと言えばよい。それに、余計なことを申す者もおらぬだろう。大体、フィニアスも迂闊に口にすることはないだろうしな」
「ならば、よろしいのですが……」
「案ずるな。二人が帰国したら、俺はどのような手段を使ってでも二人を婚約させる。約束しよう」
「絶対ですよ」
セレスティーヌに手を痛いほどに握られ、俺は頷いた。
詳細をルネに話せぬのは心苦しいが、オイゲン卿という障害がある以上はどうしようもない。
全てが明らかになったときは、大人しく俺はルネからも怒られる覚悟をしている。
そのときは、精一杯謝罪をするつもりだ。