2・お茶会での諍い
お茶会当日、パステルイエローのドレスに着替えて準備を終わらせた私は、フィニアス殿下にいってきますと挨拶するため、彼の執務室を訪れていた。
私を見たフィニアス殿下は微笑みを浮かべ、手を止める。
「やはり、明るい色もお似合いですね。ルネは上品なドレスも可憐なドレスも似合いますから、贈る方としては選択肢が沢山あって選ぶのが楽しいです」
「自分では似合っているかどうかは分かりませんが、そう仰っていただけると嬉しいです」
「言っておきますが、お世辞ではありませんからね? 本当にお似合いだと思っているのですから」
うわ、顔が熱くなってきた。
フィニアス殿下って、こういうことをスラスラ言えちゃうから、言われる方としては心臓に悪いよ。
やっぱり外国人だから、感情表現がストレートなのかな?
「あ、ありがとうございます。では、行って参りますね。フィニアス殿下もお仕事頑張って下さい」
「楽しいお茶会になることを祈っています。道中、お気を付けて」
では、と言って、私はフィニアス殿下の執務室を出て、馬車に乗ってディアマント伯爵家に向かった。
まあ、同じ貴族街のお屋敷への移動だから、そんなに時間はかからなかったんだけどね。
ディアマント伯爵家に到着し、門のところにいた使用人に連れられ、私は庭へと案内された。
広い庭にはテーブル席がセッティングされており、数名の女性がすでに座っていたが、私はある女性のところへと案内された。
女性は私の姿を見ると立ち上がり、満面の笑みを浮かべる。
多分、この方がディアマント伯爵夫人。
「ごきげんよう。ビアンカ・ディアマントと申します。ようこそお越し下さいました。聖女様がいらして下さるのを心待ちにしておりましたのよ?」
「瑠音・堂島と申します。本日はお招き頂き、ありがとうございます。様々な種類と色の花があって、別世界にきたような感覚になります。花の香りも素晴らしいですね」
「ありがとうございます。特に庭に力をいれておりますから、嬉しいです」
第一段階の挨拶は無事に終わり、内心ホッとする。
ディアマント伯爵夫人は、同じテーブルにいた女性達を私に紹介してくれた。
「こちらは、コルネリア・グラナート侯爵夫人」
キリッとした眼差しの若干ふくよかな女性。肝っ玉母さんみたいで、ちょっと私のお母さんを思い出して懐かしい気持ちになった。
グラナート侯爵夫人って、グラナート侯爵の奥様だよね?
招待されていたんだ。お屋敷に招待したいと言っていたけれど、ここで顔を合わせることができてラッキーだったかもしれない。
「ルネさんのことは主人からよく伺っておりますの。今日は、貴女に会うのを楽しみにしておりましたのよ?」
「お初にお目にかかります。グラナート侯爵から伺った話が情けない私の話でなければ良いのですが」
書類の山が崩れて、下敷きになったときのことを話されていたら、穴を掘って入りたい。
「まあ、主人はルネさんをとても褒めておりましてよ? むしろ、主人の方がルネさんにご迷惑をおかけしているのではないかと不安ですわ」
「ご迷惑なんてとんでもございません。私のような部外者が研究所に出入りすることを許可して下さいましたし」
「部外者だなんて……。王族の皆様から覚えめでたい聖女様を無下に扱うことこそ、失礼に値しますもの」
穏やかな笑みを浮かべるグラナート夫人とディアマント伯爵夫人。
でも、同じテーブルに座っている他のご婦人方の目はなぜか冷たい。
何か失礼なことでもしたのかと不安になっていると、挨拶が終わり、私はテーブルを離れた。
歩いていると、テーブルに座っていたクリス様とエレン様を発見する。
ネイビーに金色の刺繍が施されたドレスを着たクリス様と淡いグリーンのドレスを着たエレン様は、遠目から見ても本当にお綺麗で、周囲の注目を浴びていた。
彼女達は私に向かって手招きをして呼んでくれたので、私は早足にならないよう気を付けながら向かった。
「ご機嫌よう、ルネ」
「ご機嫌よう、クリス様」
「フィニアス殿下から、よろしくと頼まれておりますから、そちらにお掛けになって? 私達の側から離れてはなりませんよ?」
「ありがとうございます。失礼致します」
見知らぬ場所で友人の姿を見つけたときの安心感は半端ない。
クリス様もエレン様もお茶会に出席していて本当に良かった。
「ルネさんは、お茶会に出席なさるのは初めてなのかしら?」
「正式なお茶会は初めてですね。アルフォンス殿下の魔力を吸収した後に王妃様からお茶に誘われて頂くことはありましたけど、あれは正式なものではありませんでしたから」
「まあ、ルネさんは王妃殿下と親しいのですか? ……いえ、親しくて当たり前でしたわね。命の恩人ですものね」
「恐れ多いことだと思っております」
本来なら、異世界人で平民の私が王妃様と親しくするなんて言語道断である。
王妃様に会うときはいつだって緊張しっぱなしなのだ。
こうしてクリス様やエレン様と世間話をしていたところ、背後を通りがかった令嬢が鼻で笑ったのに気付いた。
私の真正面に座っているクリス様やエレン様も気付いたらしく、お二人共眉を顰めている。
猪突猛進タイプのクリス様が黙っているなんて珍しいと思ったら、どうやら隣に座っているエレン様に腕を掴まれているらしく、立ち上がれずにガタガタと体を動かしていた。
お二人が何も言わないのを、咎められていないと判断したようで私の背後にいた令嬢が話し始めた。
「エレオノーラ様も聖女様のお守りなんて大変ですわね。こんな聖女とは名ばかりの売女のお守りなんて……」
「それはどういう意味かしら?」
今にも大声を上げて文句を言い出しそうなクリス様よりも先に、エレン様が令嬢に話しかけた。
エレン様が先に喋ったことで、クリス様は彼女にこの場を譲ったみたいで口を閉ざしている。
って、ちょっと待って。ばいたって何? どういう意味?
クリス様もエレン様も怒っているということは良くない言葉なんだってのは理解したけど。
言われている意味が分からず、私はどう反応して良いか悩んでいると、背後から私を馬鹿にしたような声が降ってくる。
「フィニアス殿下の次はグラナート侯爵だなんて節操がないにも程がありますわ。王城のエルツ研究所に入り浸って、グラナート侯爵に色目を使っておいでだともっぱらの評判ですもの」
やや大きめの令嬢の声に、周囲のテーブルに居た人達にも聞こえたらしく、冷たい視線が私に向けられた。
ああ、やっと分かった。ばいた、って男に色目を使う、誘惑するとかって意味がある言葉なんだね。
さっき、グラナート侯爵夫人と話していたとき、同じテーブルの人達が冷たい視線で見ていたのは、こういう噂を耳にしていたからなんだ。
確かに、最初はグラナート侯爵の仕事部屋の掃除とか書類整理とかしていたから、入り浸っていると思われても仕方ない。
一応護衛もいたし、部屋のドアも換気のために開けてあったんだけど、言い訳にならないよね。
軽率だったな、と反省していると、エレン様が珍しく私の背後の令嬢を軽く睨み付けて何かを喋ろうとしている。
庇ってくれるのは嬉しいけど、守られてばっかりなのはダメだ。ちゃんと自分の口で言わないといけない。
そう思った私は立ち上がって振り返り、背後にいた令嬢と視線を合わせた。
彼女は突然立ち上がった私を見て驚いている。
「な、何よ」
たじろいでいる彼女は若干及び腰だ。
私に視線を向けて声を発したのだから、私が喋っても問題ないよね、と解釈して口を開く。
「私はグラナート侯爵に色目など使っておりません。エルツ研究所で書類の整理などの雑用をしてただけです。ただ、私の行動が軽率であったことは確かですが、私は仕事しかしておりませんでしたので、その噂は嘘です」
「そ、そのようなこと、口ではいくらでも仰ることができるでしょうに」
「そうですね。それに、私は社交の場に出席することがほとんどありませんでしたから、私がどういう人間かなんて皆様は御存じなかったのだと思います。親しくしている方であれば、その噂が嘘であると分かって頂けたのでしょうね」
何も言わない、大人しい人間だと令嬢は思っていたのか、私の反論に言葉が出ないようであった。
彼女は視線を彷徨わせると、私の背後、つまりエレン様の方を見て助けを求めるような視線を向けた。
「エ、エレオノーラ様は」
「ルネさんは私の友人。彼女がグラナート侯爵に色目を使うような方ではないことは存じ上げております。そもそも、他人の悪い噂話で盛り上がるような方は私、大っ嫌いなのです。人の悪口はご自分の心をも蝕み、いつしか顔に表れるもの。貴女もお気を付けなさい」
エレン様はそう言い終わると、令嬢から視線を外してクリス様に話しかけた。
もう彼女には何の用もない、と言わんばかりの態度である。
周囲の人達は私とエレン様が友人関係だと知って、非常に驚いていた。
まあ、フィニアス殿下から寵愛されていると噂の私と、フィニアス殿下と婚約するんじゃないかと言われているエレン様が友達だって聞いたら、そりゃ驚くよね。
周囲のざわめきが大きくなってきたところで、ディアマント伯爵夫人が手をパンパンと叩いて、招待客達を静かにさせ、ご自分に視線を向けさせる。
「楽しいお茶会になんてお話をなさるのかしら? メラニー様、どうやら貴女はこの場に相応しくはないようですね。どうぞお帰り下さいませ」
メラニーと呼ばれた令嬢は、目を見開いていたが、主催者であるディアマント伯爵夫人に言われてしまっては文句も言えないようだ。
彼女は使用人に連れられて、庭を後にした。
「では、コルネリア。貴女から説明なさったら? そうすれば誤解は解けるのではなくて?」
「気を使って頂いて大変助かるのですが、私がルネさんを招待する前に、どうして貴女が動かれたのか問い詰めたい気持ちでいっぱいですわ」
「それは、親友のために一肌脱ごうと思っただけです」
呆れたような視線をディアマント伯爵夫人へと向けたグラナート侯爵夫人は立ち上がって、私を見た。
責めるような目ではなかったが、噂のこともあって、私はドキリとしてしまう。
「私は主人から、それはもうルネさんに関してのお話を伺っておりましたの。書類だらけだった部屋が綺麗になった、書類が種類別に分けられていて、且つ優先度の高い順に並べられている。紙を束ねて穴を開けて紐を通して本にした。書類上の計算ミスを見つけてくれた。計算ができるから、あれもこれもと仕事を押しつけたら、ちゃんとやってくれた。私は顔から火が出そうくらい恥ずかしくて、申し訳なさでいっぱいでした。主人は聖女様になんてことをさせているのかと」
額に手を当てたグラナート侯爵夫人は、はぁ、と大きなため息を吐いた。
なんだか、思っていたよりも嫌悪感は持たれていない?
「同時に主人が羨ましくもありました。無駄口を叩かずに言われた仕事をきっちりこなし、成果を出す。そのような人材、私が欲しいくらいです! 大体、主人は研究ばかりで領地のことなどお構いなし。私に全て投げてくるのですから。一体、私は主人と結婚したのか、領地と結婚したのか分からないくらいですわ。嬉しそうにルネさんのお話をなさる主人を見ると、羨ましいと同時に人材に恵まれた主人が憎くて憎くて堪らなくなります」
どうしてくれよう、あの男、という感情がダダ漏れである。
嫌悪感を持たれてないというよりは、部下として欲しいと思われているっぽい?
嫌われるよりはいいよね。うん。
あと、グラナート侯爵、ちゃんと領地の仕事して下さい。奥様に丸投げとか鬼畜すぎます。
「ということで、私はルネさんが主人に色目を使っているという噂を最初から信じてはおりませんでした。あの研究馬鹿が他の女に目移りするはずがございませんもの。そこは信用しております」
うふふと微笑んでいるが、グラナート侯爵、酷い言われようである。
「ルネさんが主人に色目を使っているという噂を耳にして、これはいけないと思って噂を払拭するべく、我が家のお茶会に招待しようとしましたら、先にビアンカが招待状を出してしまったと伺って、慌てて私もこちらに参りましたの。きっと意地悪を仰る方がでると思いまして」
グラナート侯爵夫人の説明に、その場にいた方々は納得したのか、そうでしたのね、とか声を上げている。
どうやら、この説明で私がグラナート侯爵に色目を使っているという噂は払拭できたらしい。
「謂われのない噂で貴女を傷つけてしまって申し訳ありませんでした」
「いえ、私こそ軽率な行動でした。今度からは護衛だけでなく、複数の研究者の方に同席して頂いて仕事をしようと思います」
私の言葉を聞いたグラナート侯爵夫人は、うっとりするような視線を私に向けてきた。
「まあ、いいわ、いいわ。ねぇ、ビアンカ、私、あの子が欲しいわ」
「なら、フィニアス殿下に願い出てはいかが? 聖女様を保護しているのはフィニアス殿下でしょう?」
「そうですの? 許可を出して下さるかしら?」
「無理ですね。ご自分のお屋敷から出すことはないと思いますから」
「残念だわ」
グラナート侯爵夫人は頬に手を当てて、悲しそうに目を伏せている。
なんだろう、この花いちもんめ感。
評価してくれるのは嬉しいけど、なんだか複雑な心境だ。
どうしたものかと立っていると、主催者のディアマント伯爵夫人が周囲を見回して微笑みを浮かべた。
「さあ、誤解が解けたところで、お茶会を始めましょう。今日は楽しんで下さいな」
ディアマント伯爵夫人の合図を切っ掛けに、お茶会が始まる。
私は、しばらくはクリス様やエレン様と一緒にいたけれど、聖水のことを聞きたい令嬢やご婦人に呼ばれ、色々と効果の説明などをして回ることになった。
宣伝って大事だもんね。聖水がもっと売れるように頑張るよ!
なんと今なら、初めてご注文なさる方は初回無料でご提供です! というテレビショッピングの司会顔負けの紹介を終えた私は、グラナート侯爵夫人に声をかけられた。
「今度は、ぜひグラナート家のお屋敷にいらして下さいね」
「はい! 楽しみにしております」
私が微笑むと、グラナート侯爵夫人は嬉しそうに目を細めた。
その表情が、お母さんと似ていて、ちょっとだけ目が潤んでしまった。